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5926-5928: アートの国オランダからの便り 2020年6月24日(水)

June 26, 2020

No.776 朝空の一輪のバラ_A Rose in the Morning Sky

 

本日の言葉

During meditation we do not seek to describe our experience to anyone. If you add other words to the mind, the mind stays busy to no purpose. Bhante Henepola Gunaratana
 

下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(15点:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

アート・ギャラリー

 

本日生まれた15曲

 

 

本日生まれた曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

本日生まれた曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

 

タイトル一覧

5926. 時間意識が縮小した現代人

5927. 今朝方の夢

5928. ヨーロッパ的なものが滲入する内面世界:連続的な豊かな時間の流れの中で

 

5926. 時間意識が縮小した現代人

 

時刻は5時半を迎えた。今朝は起床した瞬間に、1羽の鳥が澄み渡る鳴き声を上げていた。

 

清澄な鳴き声との遭遇によって始まった1日。そんな幸運な1日がこれから本格的に動き出していく。

 

ここ数日間は天気が良く、今日も快晴のようだ。今の時間帯は雲ひとつない快晴の空が広がっている。

 

明日明後日も晴れのようであり、近所のスーパーに出かけるのは明日、街の中心部のオーガニックスーパーに出かけるのは明後日にしようかと思っている。今日から金曜日にかけて気温が上がり、金曜日には最高気温が30度にも達するようだ。しかしそこから気温が再び下がり、来週の初旬には最高気温が再び20度を下回る。

 

気温がうねりを上げて動いており、地球の生命運動を感じる。それは、「気韻生動」という言葉で表されるだろうか。宇宙の精気が生き生きと響き踊る様子が見て取れる。そしてそれを感じ取ることができる。自分はこれを言葉·音·絵として形にしていこう。

 

昨日、今道友信先生の『美について』の4読目を終えた。そこから『愛について』という書籍を読み始めた。こちらについて言えば、今回が2読目である。

 

後者の書籍を読み進める中で、今道先生が大変興味深い指摘をしていた。それは、人間の時間性としての意識が縮小してしまったことが、愛の縮小、そして愛の喪失につながってしまっているのではないかという指摘である。

 

時間的ゆとりを忘れ、細切れの時間によって分断されてしまった時間意識が、人間存在をより小さなものにしてしまっているというのは、強く実感の伴うものである。とりわけ都市型生活を営んでいる現代人にその傾向が強く、毎年日本に一時帰国し、大きな都市に立ち寄るたびにそれを感じる。

 

人間性の回復としての愛の復権の前に、この時間意識をなんとかする必要があるのかもしれない。音楽は時間と密接に関わっているものであり、自分としては、音楽を通じて時間性の回復に寄与していく道を探りたい。絵画はどちらかというと空間的なものであるが、詩も時間性に根ざしたものであることを考えると、言語芸術的な観点で時間性の復権に関与していく道もありそうだ。

 

無風の世界に朝日が燦々と照り始めた。どことなしか、朝日に照らされ始めた赤レンガの家々が喜んでいるように思える。彼らの喜びをさらに深めるために、小鳥たちが鳴き声を上げているように聞こえてくる。

 

世界は本来、こうした協力関係で成り立っており、お互いがお互いを深め合い、高め合うような場所なのではないだろうか。フローニンゲン:2020/6/24(水)06:09

 

5927. 今朝方の夢

 

書斎の解き放たれた窓からは小鳥たちのさえずりが聞こえてきて、寝室の解き放たれた窓からは、少し大きな鳥の鳴き声が聞こえてくる。彼らの鳴き声に耳を澄ませていると、自分の意識は拡張し、意識は無限の空間に解き放たれていく。

 

今日も平穏な意識状態と拡張した意識を通じて自分の取り組みに従事していこう。創作活動については12~13時間程度、読書については2~3時間程度になるだろうか。それくらいの活動時間であれば全く無理がなく、日々コンスタントにそうした活動を続けていける。十分に活動に取り組んだら、今日もいつものように午後9時半には就寝の準備を始めるだろう。

 

今朝方の夢。夢の中で私は、見慣れない建物の中にいた。そこは学校とオフィスが混じりあったような場所だった。私は1階にいて、トイレを使おうと思った。

 

何やら近くで行われているセミナーか何かに参加する予定になっていて、その前にトイレに行こうと思ったのである。ところがトイレに行くと、トイレが軒並み故障していて、用を足すことができなかった。

 

幸いにも、別に無理に用を足すような状態ではなかったので、私は気にせずトイレを後にした。するとそこに、中学3年性の時にお世話になっていた先生と、前職時代の元上司の男性がいた。

 

2人は出身大学について話をしていて、元上司は私と同じ大学の経済学部を卒業していた。一方、私の担任だった先生は、京都大学の経済学部を卒業しているとのことだった。

 

先生は当時理科を担当していたため、経済学部を卒業していたというのが驚きであったが、2人の話をそれ以上聞いていられる余裕もなかったので、私はその場を後にした。

 

外に出てみると、目の前に山道が広がっていた。山道を歩いていると、後ろから話し声が聞こえたので振り返ってみると、そこにはロンドンのある名門サッカーチームのメンバーが数名いた。彼らは今の時代のメンバーではなく、一昔前のそのチームの黄金時代のメンバーだった。

 

彼らはボールを蹴りながら山道を進んでいて、それも1つの練習のように思えた。彼らは私がよくテレビで見ていた選手たちであり、私は往年の名プレーヤーを前にして、感慨深い気持ちに浸っていた。

 

気がつくと、彼らはもうどこかに消えており、私の足元にはサッカーボールだけがあった。ふと視線を前にやると、そこには小中学校時代の2人の友人がいて、彼らは走りながら後ろを振り返り、こっちにボールを蹴ってくれと合図してきた。私はそれを見て、彼らの走る速度を計算して彼らの頭上を超えて、ちょうど彼らの目の前にボールが落ちるようにキックをした。

 

するとそこで私の意識は別の場所に飛んでいた。地下の洞窟のような場所に私はいて、そこでは発掘調査のようなものが行われていた。

 

偶然その場には、小中高時代の親友(SI)と予備校時代の友人がいた。そこでふと、この調査に出かけていく前のことが思い出され、調査前の検査がやたらと面倒だったということを思い出したのである。特に、空のペットボトルの底を押し、特殊な機械の的に空気を当てるというものが厄介であり、何度やってもうまくいかなかった。

 

いっそのこと、もうそんな検査を受けることなしに地下に入っていこうと思ったぐらいであったが、安全の都合上、必ずその検査をパスしなければならなかった。そんな場面があったことを思い出し、そこからは2人の友人と話をしていた。

 

予備校時代の友人がふと、私の内面の成熟度合いを年相応だと述べた。私はそれに対して否定もせず、肯定もせずにいた。

 

以前の彼は、私のことを早熟と思っていたらしいのだが、最近その考え方を改めたとのことだった。彼の意見に否定も肯定もしないスタンスでいたが、一言だけ述べようとした時に、もう1人の親友の方が、「この洞窟内でプロジェクトを推進しようとしているのはソシオパスやサイコパスの人間たちだ」ということを述べた。私もその通りだと思い、彼に賛同したところで目が覚めた。フローニンゲン:2020/6/24(水)06:33

 

5928. ヨーロッパ的なものが滲入する内面世界:連続的な豊かな時間の流れの中で

 

時刻は午後7時半を迎えようとしている。今、黄昏時の穏やかさが世界を包んでいる。優しげなそよ風が吹き、暖かな夕日が照っている。

 

今日も1日を通してとても清々しかった。季節はまもなく7月を迎えようとしているが、フローニンゲンの夏の快適さには感謝したい。

 

快適であるだけではなく、そこに爽やかさと落ち着きがあること。それがこの地の夏の魅力だと言えるだろう。

 

今日もまた午後の仮眠中に、印象に残るビジョンを見ていた。私はヨーロッパのどこかの国にいて、河原近くに佇んでいた。そこには美しい草花が咲いていて、私はそれを眺めていた。

 

時間帯は昼であり、昼の太陽の光が優しく自分を包んでいた。近くに知り合いの女性がいたように思う。彼女に話しかけ、いくらか会話をしたところでビジョンから覚めた。

 

確か昨日のビジョンも舞台はヨーロッパだった。自分の内側にヨーロッパ的なものが随分と滲入しているのだと感じさせてくれる。

 

あともう少ししたらヨーロッパでの生活も5年目に入る。今でも夢やビジョンの世界には日本が舞台になることが多いが、確かにここ最近はヨーロッパ的な場所が舞台に現れることが増えている。これはやはり、自分の内的感覚の変化を表しているのだろうか。おそらくそのように思われる。

 

今日は改めて、出すもの、つまり生み出すものの質を変えるためには、取り入れるものの質を変えていくことの大切さについて考えていた。心身の次元においてそのようなことを思う。心身をいかような次元に置き、何を取り入れるか。その点に明日からもまた注意深くなっていこう。

 

日記の執筆は、現代社会において分断されてしまいがちな時間性をつなぎ合わせていくこと。そして、時間の豊かな流れの中に生きることを可能にする。

 

その日に日記を執筆しないことは、自分の内面世界からその日がこぼれ落ちてしまい、時間的断絶が起こってしまう。それは分断された時間意識を強化し、存在的空虚さを引き起こしかねない。

 

一方で、日記を執筆し続けていくことは、絶えず連続的な時間の中に生きることを意味し、時間意識をより深いものにしてくれる。これは日記を執筆するだけではなく、曲を作ることや絵を描くことにも当てはまる。

それらは全て、時間の豊かな流れの中にいることを促すものなのだ。

 

分断化を促す現代社会の中で、私はその潮流に逆らっていこう。決してその潮流に身を委ねてはならない。その流れの終着地点は、人間の疎外なのだから。

 

人間が人間であることの1つの大切な側面には、連続的な豊かな時間性があるはずだ。それを喪失してはならない。それを守りながらにして絶えずそれを育んでいくこと。明日からもそうした意識を持って日々を過ごしていく。フローニンゲン:2020/6/24(水)19:36

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