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5924-5925: アートの国オランダからの便り 2020年6月23日(火)


No.772 現代社会の観察者_The Observer of the Modern Society

本日の言葉

Our individual body-mind permeates the universal reality. T’ien-t’ai

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本日生まれた14曲

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タイトル一覧

5924. 今朝方の夢

5925. 仮眠中のビジョン:美的体験としての作品解釈

5924. 今朝方の夢

時刻は午前6時を迎えた。今朝方目覚めた時には、寝室から赤紫色に輝く朝焼けを見た。遠方に見える教会が朝焼けに包まれている姿はとても美しかった。

今この瞬間は朝日がさらに昇り始めており、赤レンガの家々が黄金色に照らされている。今は風がほとんどなく、外の世界はとても涼しい。

明日から数日間ほど気温が上がるようだが、来週からはまた最高気温が20度前半の気温になるようだ。最低気温も10度前半のため、まだ清々しい日が続く。

来月末に訪れるアテネは、この時期は雨がほとんど降らず、そして気温も高い。今週末からは軒並み最高気温が30度を超え、最低気温が20度前半とのことである。感覚としては、アテネの最高気温がフローニンゲンの最高気温の感じである。

早朝の青空を眺めながら、今朝方の夢について振り返っている。夢の中で私は、見慣れないレストランの中にいた。そこは間違いなく外国であった。

日本でもオランダでもない国のレストランに私はいて、店員や客とある話題について話し合っていた。それはレストランのトイレで起こった殺人事件に関するものだ。私たちは犯人を捕まえるために色々と話し合っていた。

容疑者が数名ほど現れ、そこから犯人を特定していくに際して、どういうわけかクイズゲームのような形式が採用された。そこからの展開は早く、犯人はあっけなく特定され、その人物は逮捕された。

その時に不思議だったのは、容疑者の数名たちの大半は移民受け入れの申請をしており、ちょうどその場で発表があったことである。つまり、犯人か否かの判定と移民審査の双方がその場で同時に行われていたのである。

移民申請をした全ての人が許可されたわけではなく、むしろ数名しか移民申請が受諾されなかった。そこで次の夢の場面に変わった。

次の夢の場面で私は、信号機が比較的少ない道路の上を車で走っていた。その車は、赤いフェラーリだった。私の前にも一台のフェラーリが走っていた。

私はその車に追いつき、少し遠慮がちに追い越しをすることにした。前の車の運転手は若い男性であり、メガネをかけていて、風貌は不良風で細身であった。

前のフェラーリを追い越すと、その車は今度は私の車を追いかけるようにして速度を上げ始めた。ある信号機で捕まった時、どういうわけか、車内にいたままにして後ろのフェラーリの運転手と話をすることができた。同じ色で同じモデルのため、思いがけず話が盛り上がった。

私はそれを新車で60万円ほどで購入したことを伝えると、彼は中古で50万円ほどでそれを入手したとのことだった。そもそもフェラーリがそのような金額で買えることがおかしく思ったが、新車と中古の価格がさほど変わらないことにも驚いた。

そこから私たちはまた走り始め、しばらくすると、今度は少しモデルの違うフェラーリが前を走っていることに気づいた。そのフェラーリが公園の中に入っていったのでついていってみると、公園の真ん中で停車した車から私の知り合いが降りてきた。

彼は私に手を振り、挨拶をしてきた。私も挨拶を返し、彼の車の運転席を見ると、運転席の窓ガラスが半透明になっていて、パソコンのデスクトップ画面が表示されていた。そしてそこにはPPTが立ち上げられており、どうやら彼は運転をしながら仕事をしていたようだった。

今朝方はそのような夢を見ていた。実際のところは、もう少し細かな場面があったように思う。特に、最初の夢に関しては色々と細かく、複雑な夢の場面があったことが感覚として残っている。フローニンゲン:2020/6/23(火)06:30

5925. 仮眠中のビジョン:美的体験としての作品解釈

時刻は午後7時半に近づいている。今、爽やかなそよ風がフローニンゲンの街を吹き抜けている。そして、優しげな夕日が西の空に浮かんでいる。

今日は1日を通して天気が良く、気分はとても爽快だった。明日もまた今日と同じような天気になるらしい。天気の恵みに本当に感謝をしたい。

日々の生活の中で感謝の念を捧げる対象がたくさんあるということ。それは幸福の証なのだろう。

雲ひとつない夕焼け空を鳥たちが楽しげに舞っている。自分はあのように物理世界を飛ぶことはできないが、鳥たちと同じ気持ちで認識世界の大空を飛ぶことができる。今の自分はまさにそれを行っている。

午後に仮眠を取っている最中にビジョンを見た。そこには、ヨーロッパのどこかの国の、時計塔のある大学で講演会を実施している自分の姿が映し出されていた。いや、仮眠中の自分はビジョンを眺める者としていたのではなく、ビジョンの中にいた。

その大学は歴史があり、厳かな雰囲気を発していた。講演会を行う予定の歴史ある建物を前にしたとき、とても感慨深い思いになった。

建物の中に入ろうとしたところ、小中高時代の女性友達(EN)が現れ、私に声をかけてきた。どうやら彼女は自分の講演会に参加してくれるらしかった。

そのようなビジョンから目覚めた時、数分ほど私はベッドの上に横たわっていて、天井を眺めながらぼんやりと何かを考えていた。そして寝室の向こう側の世界を眺め、再び書斎に向かった。

夕方にふと、芸術作品を味わうという限りにおいて、作品解釈は一つの美的体験になりうるということについて考えていた。作品を理性の働きによって解釈する過程の中にも美的体験が内包されており、それに認識の光を当てていくこと。

そうすれば、作品解釈が単なる知的な営みに終わるのではなく、それを超えてより現象学的な美的体験に昇華されていく。そうした形での作品解釈をこれからも行っていこう。

これから行う曲の原型モデルの作成の際にも、作品解釈に類することを無意識的に行っている。それをより意識的に行うことによって、原型モデルの作成そのものも美的体験に変容させてしまおう。

言葉·音·絵を通じて、内的感覚の園を作っていく営み。それは明日もまた続いていく。これから生涯を閉じるまでにそれを継続していけば、いかような園が生み出されるのだろうか。

そこに憩いはあるだろうか。人々の心と魂が安らぐ園を生み出すことができるだろうか。そのようなことをぼんやりと考えさせてくれる黄昏時が目の前に広がっている。フローニンゲン:2020/6/23(火)19:32

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