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5910-5912: アートの国オランダからの便り 2020年6月17日(水)


No.703 珊瑚色のリアリティ_Coral Reality

本日の言葉

If you want to achieve Awakening, you must practice it here and now without the slightest delay. Eihei Dōgen

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本日生まれた9曲

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タイトル一覧

5910. 力の時代から愛の時代へ

5911. 今朝方の夢

5912. フローニンゲンの画集専門店にて

5910. 力の時代から愛の時代へ

爽やかなそよ風が辺りをゆっくりと歩いている。そよ風の気持ちは穏やかであり、そよ風に揺れる木々も穏やかだ。

平穏さに包まれた朝の世界。近くからいつもとは少し違う小鳥の鳴き声が聞こえてきた。それは力強く朝の世界に響き渡っている。

時刻はゆっくりと午前6時に向かっている。今日も穏やかな心で自分の取り組みを前にゆっくりと進めていこう。とにかく、自分の取り組みに従事する際には、意識状態を整え、穏やかさと同時に、高い集中力を持つことを大切にしたい。

精神的エネルギーを一点に集めるかのようなイメージで、自分のライフワークの一つ一つに打ち込んでいこう。そしてそれは、1人静かに行っていくことも大切にしたい。

それは陰徳を積んでいく行為なのだ。自分のライフワークは、必ずどこかで絶えず他者や社会とつながっていて、自分が形をこの世界に生み出すということは徳を積む行為でもあるのだ。

1人知れず自分のライフワークに励み、陰徳を積んでいく。いや、陰徳を積むというような主体的な意識さえ手放し、結果として陰徳が積まれていたという形でそれは進行していくだろう。

昨日、少し時間を取って読書をしていた。昨日読み返していたのは、鈴木大拙の『禅』だった。

その中で、哲学者のシモーヌ·ヴェイユはかつて、「力とは人を物に変えてしまう」ということを述べていたという記述に出会った。その直後の文章に鈴木大拙は、「愛とは物を人に変える」と述べていた。どちらの言葉も自分に響くものがあった。

前者に関して言えば、それはまさに現代で進行している病理的な現象の根幹にあるようなものかと思われる。現代は残念ながら、依然として力の時代なのだ。

そうした時代特性から、人のみならず、ありとあらゆるものが物質化され、管理され、消費される対象に成り果てている。その背後には、不毛な対立や競争を生み出す「力」があるように思える。

こうした力の時代からの大きな方向転換が突きつけられているのが昨今の現状ではないだろうか。ここからは、「力」によって失われてしまったものを取り戻すために、真正な愛に基づく諸々の試みが必要になるのかもしれない。

「力」は不毛な対立や競争を生むが、「愛」は創造を司り、それは生命を育んでいく。この現代社会が愛の時代に向かっていくための陰徳を積んでいこう。自分なりに何ができるのかは少しずつ見えてきているし、日々それらに従事している。

昨日ふと、再度ここから毎日、1日に意識的に少し時間を取って読書をしていこうと思った。ここしばらくは書物を積極的に読むことをしておらず、あえて書物から離れて、言葉を媒介させない活動に重点を置いていた。

断食が終わりに差し掛かる際に、身体が自然と食べ物を欲するようになるのと同じく、今の私は、再び自ずから書物からの栄養が必要になってきているようだ。毎日惰性や義務感で書物を読むのではなく、書物を読みたいという思いが自ずから静かに芽生えてきたことを大切にし、ここからまた読書を日常に取り入れていこうと思う。フローニンゲン:2020/6/17(水)06:10

5911. 今朝方の夢

時刻はゆっくりと午前6時半に向かっている。今朝は風がほとんどなく、とても穏やかだ。

今この瞬間は、うっすらとした雲が空を覆っているが、天気予報を見る限りだと、間も無く雲が晴れ、朝日が地上を照らすであろう。内側の平穏さと光。それを絶えず持って生きる毎日。

早朝の創作活動に入る前に、今朝方の夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、小さなビルの会議室の中にいた。いや、そこはひょっとすると、一軒家の一室だったかもしれない。

その部屋は広く、机がいくつも置かれていた。部屋の中には若い男性が何人もいて、机にかじりついていた。どうやらそこではセンター試験か何かの模擬試験が行われているようだった。私もその模擬試験を受ける者だった。

そこに集まっていたのは、全国の数十万人の受験者のうち、トップ数十人ぐらいの成績を収める人たちばかりだった。一方私の成績はそこそこであり、どうして自分がそこにいるのかわからなかった。

制限時間が60分ほどの数学の試験を、わずか15分ほどで問題を解き切り、満点を取っている男性がいた。それ以外の人たちも、制限時間一杯に時間を使うことをせず、速やかに問題を解き切り、それでいて高得点を叩き出していた。全ての科目が終わり、その場で合計得点が知らされたのだが、やはりその場にいた人たちの合計得点は驚くほどに高かった。

次の夢の場面では、知人のある女性に焦点が当てられていた。その方は、若い頃に砂浜で太陽の光を浴び過ぎてしまったらしく、歳を重ねてから、肌のトラブルが目立ち始めたとのことだった。後々に肌のトラブルを避けるために、太陽の光に長く晒される時には、日焼け止めを必ず塗るようにということを波打ち際で寝転びながら述べていた。

最後の夢の場面では、私は不思議な空間にいた。そこは数回建てのマンションのようでもあり、ビルのようでもあり、同時にデパートのようでもあり、さらには遊園地のようでもあった。それらが全て混ざっているような建物の中に私はいた。

どこかの階が書店になっていて、そこに立ち寄ると、日本語の書籍だけではなく、外国語の書籍が随分売られていた。店の入り口付近に、目立った形で平積みされている書籍があった。

それは日独の両言語で出版されている書籍らしく、双方の言語で書かれた書籍が隣同士に積まれていた。右側が日本語の書籍で、左側がドイツ語の書籍だったように思う。

その書籍は一種の自己啓発書なのだが、そのドイツ語版の方が、ある国のトップビジネススクールで必読文献になっているらしかった。試しに手にとって中を眺めてみると、そこには文字がほとんど書かれておらず、絵本のように思えた。

大人が読んでも得ることのある何か教育的な絵本なのかと思ったが、どうもそうではないように思えた。そこで私は本を元の場所に戻した。

すると、私の体はいつの間にかエレベーターの中にあって、9階の自宅に戻ろうとしていた。すると、途中階でちょくちょくエレベーターが止まり、人が乗ってきた。しかもみんな一様に、エレベーターが閉まる直前に慌てて乗り込んできたから不思議である。中には、エレベーターの扉に挟まりそうになる人もいた。

ちょうど8階はスーパーが入っているらしく、そこでは人が多く乗ってきた。いざ自分の目的階が近づいてきたと思ったところで、私は同じ建物内の別の場所に移動していた。

目の前には、実家で飼っている愛犬に似た犬がいて、その犬の背中には鎖のようなものが埋め込まれていた。その姿は少し残酷に思えたのだが、どうやら誰かがボウガンのようなものを犬の背中に向けて発射し、そうすることによって、犬の身体に鎖を埋め込んだようだった。

幸いにも、その犬の命に別状はなく、単にそれは犬が逃げないようにするための工夫のようだった。とは言え、私は目の前の犬が本来享受するべき何の制約もない自由について思うと、少し胸が痛んだ。

私はその犬の体を優しく撫でて、愛情を注いでいた。すると、その犬は嬉しそうに尻尾を振りながら、私の顔を舐め回した。

その犬と戯れていると、私の横に、小中高時代の友人(TK)が現れた。彼が今から自宅に招待してくれるとのことであり、彼の家に行くことになった。

彼の家もまた不思議な作りをしていて、部屋のある階に向かう直前に、ジェットコースターのような乗り物に乗る必要があった。ちょうど目の前にその乗り物があったので、それに乗り、スタートを知らせるバーが上に上がり、乗り物がゆっくりと動き始めた。

乗り物が向かう先には居住空間と宇宙空間の双方が混じったような空間が広がっていて、そこには見知らぬ大人たちが種々のゲームを楽しんでいる世界があった。今朝方はその他にも夢を見ていたように思う。

鎖の埋め込まれた犬や、友人の自宅に向かう際の不思議な空間がとても印象的だ。とりわけ最後の夢の場面として描かれていた空間は、現代人の全ての人たちが、何か気づかない形でゲームをしているようなことを暗示しているようにも思えた。フローニンゲン:2020/6/17(水)06:45

5912. フローニンゲンの画集専門店にて

時刻は午後7時半を迎えた。この時間帯はまだまだ明るく、日が沈むまであと2時間半ぐらいある。いつも就寝準備を始める午後の9時半はまだ明るく、随分と日が伸びたものだと実感する毎日だ。

今日は街の中心部のオーガニックスーパーに買い物に出かけ、途中でふとある店で足を止めた。そこは、以前から気になっていた画集専門店である。

そこには画集だけが置かれているわけではなく、小物や絵画作品も少々置かれている。コロナの期間中、店が閉まっていて、外から店の中を眺めていると、また店が開いたら足を運びたいと思っていた。

今日の午後に店を訪れた時、通りに面した店の前に、割引セールされている中古の画集がカゴに大量に入って売られていた。まず私は、店に入る前に、それらの画集を手に取って眺めた。

アテネ旅行を9月の中旬に変更したことに伴って、この夏はオランダにあるピエト·モンドリアンの美術館に足を運ぼうと考えていることについて昨日の日記で書き留めていたように思う。すると偶然なことに、割引セールされている画集の中に、一冊だけピエト·モンドリアンのものがあった。そこに、モンドリアンとの縁を感じた。

画集の中の作品の大半が、カラーではなく、白黒で印刷されていることもあって、その画集を購入することはしなかったが、モンドリアンに導いた何かがやはりあるのだろうと思われた。

昨年は、レンブラントの没後350周年とのことであり、そのタイミングで、アムステルダム市内のレンブラントの美術館に改めて足を運ぼうと思っていたが、結局そこにもまだ行けずじまいであり、そこへ行くリマインダーも兼ねてレンブラントの画集を購入した。中身の言語がオランダ語のため、解説を読み解くことは難しいが、絵だけ眺めようと思ってそれを購入することにした。

今日のオランダは天気が良かったこともあり、カフェやレストランのテラス席では昼間からアルコールを飲む人たちで賑わっていた。この国で生活をしていると、平日と休日の境目が本当に薄く感じられる。

運河沿いや公園には、日光浴を楽しむ人がいて、赤レンガの家々の外に椅子を出して、そこで本を読む人たちの姿もよく見かけた。また、運河沿いでは、オランダ名物とも言えるマリファナを楽しげに吸っている人たちもいて、その匂いは鼻につく嫌な匂いなのだが、彼らを含め、街全体が長閑な雰囲気を発していた。

今日は午前中に、ある協働者の方とオンラインミーティングをした。来月、その方とオンライン対談をすることになっていて、今日はその打ち合わせだった。

その方との出会いも含め、ここ最近は本当に、自己を取り巻く素晴らしい関係性と良縁に感謝の念を持つ。取り巻く人間関係と良縁が、自分の人生を絶えず支えてくれていて、そして人生を未知なる場所に運んで行ってくれる。そのようなことを改めて実感し、今夜はそのことにいつも以上に深い感謝を捧げて就寝しようと思う。毎晩そのような感謝の念を持って1日を締め括っていきたい。フローニンゲン:2020/6/17(水)19:46

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