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5898-5900: アートの国オランダからの便り 2020年6月12日(金)


No.663 夕日を眺めながら_Seeing the Evening Sun

本日の言葉

The mind is the door for all life’s problems, and the mind is the door also for the happiness and success of life. Lama Zopa Rinpoche

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本日生まれた10曲

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タイトル一覧

5898. 秋の一時帰国の計画と夏のスイス旅行について

5899. 今朝方の夢

5900. オランダの夏の風物詩を久しぶりに眺めて

5898. 秋の一時帰国の計画と夏のスイス旅行について

時刻は午前5時を迎えた。ここ最近はゆったりとした午前5時ぐらいに起床することが多かったのだが、今朝の起床は4時だった。

いつもながら目覚めはスッキリしていて、1日の活動に向けて気力が高まっていることを実感した。起床直後にヨガの実践をし、最後に静かに座し、座禅瞑想を少々行うと、もうその日の活動に向けた準備が整う。

昨日ふと、秋の日本への一時帰国に向けて、精神的な準備をゆっくりと進めていこうと思った。他の国に行くのと違い、日本に足を運ぶ際には、いつも独特な心の準備が必要になる。

母国に行くのにそうした準備が必要になるというのはおかしな話かもしれないが、そうした準備は自分にとって大切であり、そのおかげで、日本に帰ってから比較的すぐに日本に馴染むことができる。

今回は成田空港を使わず、ロンドン経由で関空に到着する。帰りは、関空からヘルシンキを経由してアムステルダムに戻る予定だ。

日本に滞在中のホテルについてはまだ予約をしておらず、もう少ししたら日本での滞在期間の予定が完全に確定するので、予定が確定次第、ホテルの予約を進めていこう。

今回は、関空に到着したらすぐに福井県に向かい、福井で何泊かする。その後、石川県に移動し、そこでも数泊ほどする。

今年は東京に立ち寄る機会はないと思っていたのだが、ご縁に恵まれ、今のところ東京にも立ち寄ることができそうだ。東京にも2泊ぐらいするかもしれない。

その後、大阪の協働者の方のところに行き、大阪で3泊ほどする中で一緒に仕事をさせていただき、仕事が終わった翌日に、高野山に一緒に行き、高野山に宿泊させていただくことになった。高野山に行くことは人生初めてなので、今からとても楽しみである。

高野山での宿泊が終わったら、山口県の実家に戻る。両親や愛犬とゆっくり過ごし、免許の更新を忘れずに行う予定だ。

実家に滞在するのは1週間強になるだろうか。実家でゆっくり過ごした後は、再び関空に行き、オランダに戻る。

今回から、アムステルダムに到着したら、空港近くのホテルに宿泊し、翌日にアムステルダム市内の美術館に足を運ぶことにした。いつも日本からアムステルダムに戻り(途中乗り換えあり)、そこからフローニンゲンまで電車で2時間半ほど揺られ、フローニンゲン駅から自宅に向かって歩くのが随分と体力を消耗するので、今回からはアムステルダムに到着したら、空港近くのホテルでゆっくりし、翌日は市内を観光し、体力を回復させてから翌々日にフローニンゲンに戻るようにした。

欧州域内の旅行であればこうしたことは必要ないのだが、日本と欧州の長距離移動の場合には、こうした工夫をした方が自分の心身のリズムを崩さなくて済むと判断した。

来月末には、おそらくアテネ旅行が実現する。今のところまだ航空会社からフライトのキャンセルの連絡が届いていない。欧州の空港も少しずつだが稼働し始めているので、来月末であればなんとかアテネに行けるのではないかと思う。

当初は3月末に予定していたアテネ旅行も、そこから4ヶ月ほど伸びてしまった。本来であれば、この夏はかつてエラノス会議が行われていたスイスのアスコナに行って、ゆっくりしようと思っていたのだが、秋に日本への一時帰国が控えているので、この夏はオランダでゆっくり過ごそうかと思っている。

もちろん、日本への一時帰国は10月の中旬に予定しているので、アテネから戻ってきてから幾分時間があるので、アスコナと、シュタイナーが作った建築物のゲーテアヌムを見に、バーゼル近郊のドルナッハにも訪れてみてもいいかもしれない。その計画はまだ保留にしておこう。

いずれにせよ、ここからは秋の日本への一時帰国に向けて、精神的なエネルギーをより一層高めていくような日々を過ごしていこうと思う。フローニンゲン:2020/6/12(金)05:30

5899. 今朝方の夢

小鳥たちの清澄な鳴き声が響き渡る朝。書斎の窓の方をふと眺めると、辺りがうっすらと明るくなっている。いや、いつもであればこの時間帯はもっと明るい。今日はどうやら少し霧がかかっているようなのだ。

幸いにも今日は晴れとのことであり、キノコの天日干し日和となる。気温も暖かくなるとの予報が出ているので、自然と気持ちが高揚する。

それでは今朝方の夢について振り返りをし、そこから本日の創作活動に入っていきたい。夢の中で私は、小中高時代の2人の親友(SI & HS)と一緒に定食屋に向かっていた。

時刻はまだ朝なのだが、親友の1人が昨日何も食べていなかったらしく、お腹が空いたとのことであり、朝食を食べないと元気が出ないと述べたので、定食屋に向かうことにした。

私は朝はリンゴ1個しか食べないので、朝から定食屋に行って何かを食べるというのは考えにくいことであった。そうしたことから、定食屋に到着しても、私はセットメニューのようなものを注文せず、味噌汁だけもらうことにした。もう1人の親友もあまりお腹が空いていなかったらしく、白米だけ注文し、安上がりに済ませていた。

するとそこで夢の場面が変わった。次の夢の場面では、私は闘技場の真ん中に立っていた。厳密には、ど真ん中には司令官風の外国人の男性が立っていて、手には拳銃を持っていた。私も手に拳銃を持っていた。

その男性を取り囲む形で、脚のついた机がいくつも置かれていて、私は机に身を隠しながら、その司令官風の男性を撃ち倒すことが任務として課せられているようだった。その男性は妙に落ち着いていて、過去に命に関わる修羅場を幾度となく乗り越えてきたことが容易に察せられた。

かたや私のように、そうした経験のない者との力量の差は明らかであり、最初から彼を撃ち倒すことなど不可能のことだった。負け戦と知りながらも、私は机に身を隠しながら、なんとか攻撃の機会を窺っていたのだが、私が机を移動するたびごとに、彼は的確にこちらに向かって射撃をした。銃弾は体に当たらないのだが、いつも私が身を隠している机の脚に当たった。

これでは拉致があかないと、私は思い切って机に隠れるのやめて、飛び出して行ったところ、その男性に銃口を向けられ、もうおしまいかと思った。するとその瞬間、空が眩い光に包まれ、私の身体も強烈な光に包まれた。

目を開けると、再び同じ闘技場にいて、先ほどの司令官風の男性もそこにいたのだが、先ほどとはお互いの関係性が変わっており、私はその男性の下で働く部下になっていた。その時私は気づいた。どうやら私は先ほど一度死に、光に包まれる形で生まれ変わり、今新たな人生を始めたことを知ったのである。

その気づきが生まれた時、どうやら他にも同様の体験をこの闘技場の中心部でしている人たちが過去にいたようだった。その中に、小中学校時代の野球部の友人(ST)がいて、彼と偶然そこで出会ったので、少しばかり前世について話をしていた。

闘技場の上空を見ると、頻繁に空が光り、その光の中から半透明な飛空挺が現れ、それが闘技場の地面にゆっくりと着地し、中からは生まれ変わってこちらの世界にやってきた人たちが出てきていた。

そのような光景を目撃した後、いつの間にか闘技場の中心部が砂場のような場所に変わっていて、そこでサッカーの鳥籠のような遊びが行われていた。私は先ほど朝食を一緒に食べた親友の1人(SI)と一緒に、闘技場の中心部に行き、鳥籠の遊びに入れてもらうことにした。

そこには、ブラジル人を含めた中南米系の外国人たちが8人ほどいた。そこで行われていたのは遊びというよりも、結構真剣なゲームのようであり、周りには観客も多数いた。

ゲームのルールは、親友と私の2人がチームとなり、2対8でいかに私たちがボールを保持し、パスを何回交換できるかを数え上げるものだった。私は久しぶりにサッカーボールに触れられる喜びを感じながらも、同時に、序盤は想像以上にボールが足につかずに苦戦を強いられた。

今朝方はそのような夢を見ていた。実はその他にも、ヴェネチアのような街で浸水に見舞われる場面もあった。ただし、その浸水は命に関わるほどのものではなく、家の前の道路が完全に浸水してはいたが、その日の朝に野菜と果物を買いに行こうか判断を迷うぐらいのものだった。フローニンゲン:2020/6/12(金)05:52

5900. オランダの夏の風物詩を久しぶりに眺めて

時刻は午後7時を迎えた。今、穏やかな夕日が空に輝いている。そよ風が夕暮れ時のフローニンゲンの街を撫でていく。近くの木に休む小鳥のさえずりが聞こえてくる。

本日の午後に、近所のスーパーに出かけたときに、久しぶりの光景を見た。それはこの季節のオランダの風物詩とでも言えるようなものである。

近所のスーパーに行く最中には、運河を架ける橋を渡る必要がある。今日はその橋が上に上がる光景を久しぶりに見た。

今日は金曜日なのだが、午後の時間はどこか休日のそれであり、ビールを飲みながらボートや船に乗っている人たちの姿を多く見かけた。

橋をくぐり抜けることができないほどの大きな船が通る際には、橋が上り、船が通過するまでその様子を眺めることはこの季節のオランダならではの光景である。ちょうど橋の姿が見えた時、船が橋の下を通過していき、しばらく私は通り過ぎていく船の姿を眺めていた。

そよ風が頬に触れ、その優しさと共に、なんとも言えない長閑で平穏な気持ちになっていた。橋を待つ人々もおおらかな気持ちでその場に佇んでいて、1人として苛立つような人はいない。

これが日本の都心部であればどうだろうか。都会の早い時間の流れの中に晒されている人にとっては、きっと苛立ちや焦りの感情が自ずから芽生えてしまうのではないかと思う。

4年前に東京からこの街にやってきた私も、まだ都会の時間感覚を身に纏っていたので、橋が早く下がらないかと思うような日もあったことを懐かしく思う。今となっては、緩やかな時の感覚に全身が覆われている自己がここにいて、本当に日々ゆったりとした気持ちの中で生活を営むことができている。

もう間も無く、オランダでの生活も5年目に入る。その前に、改めて自分の内側の感覚がこの4年間を通じて大きく変容したことを思った。

スーパーの入り口が見えた時、嬉しいことに、コロナ対策で設けられていた特設の手洗場が消えていた。コロナも随分と落ち着いたことがそこからも窺えた。

もちろん、引き続き必要な対策を続けていく必要はあるが、スーパーの様子を見ていると、事態は随分と改善の方向に向かっていることを感じることができた。

今日は1日を通して、創作活動のみならず、「一瞬一生の会」の補助教材としての音声ファイルを随分と作成していた。合計で7つほど音声ファイルを作成し、時間にすると、数時間ほど話をしていたように思う。

来週の月曜日に第2回のクラスがあり、その回では『十二人の怒れる男』という映画を題材にする。第1期の一瞬一生の会でもその映画を見たのだが、明日は時間を作って、もう一度新鮮な気持ちでその映画を視聴しようと思う。昨年から自分の中で何かが変わったのであれば、きっと映画から汲み取れるものも変わっているだろう。フローニンゲン:2020/6/12(金)19:30

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