
No.509 朝の味わい_A Morning Taste
本日の言葉
Conscience is the causal condition from which body and mind are generated; body and mind are the support on which conscience is founded. Aśvaghoṣa
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本日生まれた11曲
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タイトル一覧
5864. 他界4日前のカート・フィッシャー教授と面会する夢
5865. 宇宙空間と一体となるビジョン:デジタル空間上の美術館の創造に向けて
5864. 他界4日前のカート・フィッシャー教授と面会する夢
時刻は午前5時半を迎えた。今、朝日が赤レンガの家々に照り始めた。今朝は雲ひとつなく、快晴の空が広がっている。
今朝は起床直後に、小鳥たちがいつも以上に大きな鳴き声を上げていたが、今は幾分落ち着いている。あれは彼らにとっての朝の儀式的な行いだったのかもしれない。
平穏さで満ち溢れた目の前の世界。今日も大きく開かれた書斎の窓を通じて眺められる景色を見ながら、自分の取り組みをゆっくりと進めていこうと思う。
昨日、夢分析に関する分厚い専門書が届いた。今から振り返る夢もまた、将来の夢分析の題材になるだろう。
夢の中で私は、ハーバード大学を訪れ、カート·フィッシャー教授に面会することになっていた。その日は晴天であり、春の陽気さで満ち溢れていた。
面会場所は、講堂のような場所であり、どこか部屋に入って面会をするのではなく、講堂の共有スペースのような場所に腰掛けて話をすることになった。フィッシャー教授との再会は数年振りであり、お互いに笑顔で挨拶をし、握手をした後に、互いの近況報告を簡単に行なった。そこからは、発達研究に関することをテーマとして話をさせていただいた。
フィッシャー教授と直接会って話をさせていただける機会はなかなかないので、この貴重な機会を無駄にしまいとあれこれと話を聞いていたが、もう思い残すことなく話をさせていただいたと思ったところで面会を終えることにした。ちょうどフィッシャー教授はこれから授業があるとのことだったので、タイミングとして非常に良かった。
フィッシャー教授と講堂を出たときに、眩しいばかりの太陽の輝きを感じた。すると、フィッシャー教授のアシスタントの男子学生がやってきて、フィッシャー教授の体を支えて、これから授業がある場所に向かって歩き始めた。どうやらフィッシャー教授は足を悪くされておられるようだった。
フィッシャー教授は笑みを浮かべながらも、同時に少ししんどそうな表情を浮かべて、「ここで少し休んでもいいかい?」とアシスタントの学生に述べ、芝生の上にしゃがみ込んだ。その姿を見たときに、私は今日の日付を確認したところ、3/26/2020であることを知り、今から4日後にフィッシャー教授がお亡くなりになられることを知っていた。先ほどフィッシャー教授と交わした言葉が最後のものとなり、あれこれと話をさせていただいたことがどれほど貴重なものかを思った。
私はもう一度、芝生の上にしゃがみ込んだフィッシャー教授の方を振り返った。すると、先ほどと変わらずに優しげな笑顔を浮かべているフィッシャー教授がそこにいた。
春の陽気さを感じられる太陽の光もまた優しく、フィッシャー教授の全身を包んでいた。今朝方はそのような夢を見ていた。
この夢はとても印象に残っている。場面の数は少なかったのだが、各場面がもたらす感覚が深く、それらの感覚は今も自分の内側にある。
面会を終えた後に、その日の日付を知り、その4日後に先ほどまで楽しげに話をしていた人が亡くなるというのはとても複雑な気分を引き起こしたが、太陽の優しい光が、死そのものが優しさに満ちた現象であることを私に伝えてくるかのようであった。
フィッシャー教授ご自身が「ここで少し休んでもいいかい?」と述べたように、次の生が始まるまでそこで少しお休みになられたのだと思う。この夢は、死の中にある浄福感を感じさせてくれるものであった。フローニンゲン:2020/5/29(金)06:09
5865. 宇宙空間と一体となるビジョン:デジタル空間上の美術館の創造に向けて
時刻は午後7時を迎えた。今日は土曜日だと思っていたが、本日は平日の最後の金曜日であった。
今日はどこか休日を感じさせるような穏やかさが際立っていたように思う。毎日が休日であるかのような落ち着きと穏やかさがあるのがこの街の特徴ではあるが、今日は一段とそうした雰囲気があったように思う。
本日の午後に仮眠を取っている最中に不思議なビジョンを知覚した。それは自分が宇宙空間に飛び出していき、宇宙と一体になるビジョンだった。
大宇宙と一体になった時、言葉を失ってしまうような感動があった。それは大きな畏怖心がもたらす感動であったと言っていいかもしれない。
そうした感動は全身を駆け巡り、身体感覚としても特殊なものがあった。それは平穏さの境地の感覚、すなわち涅槃のような感覚があった。仮眠から目覚めた直後もそうした感覚が残っていた。
今日は午前中にふと、デジタル空間上に自分の美術館を作ることについて考えていた。そこには自分の内面世界から形になって現れてきた絵が無数に置かれていて、背後には自分の内面世界から形になって現れてきた音楽が流れている。
これからのテクノロジーの発展に思いを馳せ、いつか自分で作ったデジタル美術館をバーチャル空間で体感することができるかもしれない、ということを想像していた。本当にそうした日はいつかやってくるように思える。
早朝の作曲実践の最中、理論書の譜例を参考にしていると、興味深い音楽世界を持っているものに出会った。それは、ポール·ヒンデミス(Paul Hindemith:なぜか「パウル·ヒンデミット」と変な発音で日本語表記されていることが多い)の曲の抜粋である。
ヒンデミスの音楽世界に惹かれるものがあったので、ヒンデミスが執筆した下記の理論書と彼の音楽思想がわかる書籍を来月に購入しようと思う。
- The Craft of Musical Composition: Theoretical Part - Book 1
- The Craft of Musical Composition: Book 2
- Traditional Harmony, Book 2: Exercises for Advanced Students
- A Composer's World: Horizons and Limitations
それらの書籍以外にも、ヒンデミスのピアノ曲が収められた“Twentieth-Century Piano Classics: Eight Works by Stravinsky, Schoenberg and Hindemith”も購入文献リストに加えておいた。ここ最近は、毎月月の始めにまとめて書籍を購入するようにしている。
昨日届いた群衆心理学関係の2冊の書籍を近々読みたいという気持ちが高まっている。 明日は少し時間を取って読書でもしようかと思う。フローニンゲン:2020/5/29(金)19:28