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5848-5851: アートの国オランダからの便り 2020年5月23日(土)


No.454 内面世界の静と動_Stillness and Motion in the Inner World

本日の言葉

To doubt means to keep alive puzzlement in the very center of the being and to question anything that arises in us. Stephen Batchelor

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本日生まれた7曲

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タイトル一覧

5848. 自己の現象性・移ろい性:欧米での9年目の生活に向けて

5849. 「客死」「宿命」「運命」について

5850. おぞましさを伴う夢

5851. 本日を振り返って

5848. 自己の現象性・移ろい性:欧米での9年目の生活に向けて

時刻は午前6時半を迎えた。今日からは週末の休日を迎える。

私が住んでいるフローニンゲンは、平日も休日もほとんど変わらないような落ち着いた時間が流れている。コロナ下において、その落ち着きは増し、とても静かな雰囲気が街全体を包んでいた。

ここ最近はコロナも落ち着き、街には活気が戻ってきている。活気が戻りながらも、それでいて平穏さがあるこの街。そんな街を私は愛している。

昨日の午前中には雷が伴う雨が降っていたが、今朝はそれが嘘のように静かな世界が広がっている。そよ風が時折吹き、小鳥たちはいつものように美しい鳴き声を上げている。

今、赤レンガの家々の向こうにある公園に生えている大きな木のてっぺんに、2羽の鳥が止まった。そして今、彼らはどこかに飛び去っていった。

現象性、ないしは移ろい性としての自己については先日日記に書き留めていたように思う。木に止まった鳥とそこから羽ばたいた鳥は同一の鳥なのだが、それは果たして本当に同一の鳥なのだろうか。

意味空間上、「鳥」に付帯される形容詞的修飾語がそもそも異なり、私は「木に止まった鳥」と、「木から羽ばたいた鳥」の間に横たわる差異を見出していたようなのだ。あるいは、もはやそれらを別の鳥だと認識していたと言えるかもしれない。

外見上それは同一の鳥であっても、そこに付与する、あるいは付与される意味が異なる時、それはもはや別の存在者として認識されるのではないだろうか。そうであれば、この日記を今書いている自己はどうだろう。

この自己もまた、絶えず付与される意味が異なり、現象性·移ろい性を絶えず内包している。いや、自己がそうした特性を内包しているというよりもむしろ、自己は現象であり、自己は移ろいそのものに他ならないのではないだろうか。

フローニンゲンも少しずつ初夏を感じさせる。大抵の日には、自宅の中ではもう半袖で過ごせるようになった。

例年よりも少し早く、もう湯たんぽを使って寝ることや、マフラーを付けて外出することがなくなった。ここ最近は例年よりも暖かく、夏の本格的な到来も今年は早いのかもしれない。

今年で9年目となる欧米生活。時間というのはやはり相対的なものであり、昨日も、9年というものが長いのか短いのかはよくわからないと思っていた。

この9年間で体験してきたことや積み重ねてきたことを考えれば、それは長いと言えるかもしれない。一方で、これから後少なくとも85年間は欧州のいくつかの国に生活拠点を設けて生活をしていこうと考えていることを鑑みると、9年間というのはとても短いように思える。

欧州の土地の恩恵を受けながら生活を続けていくことがどれだけの期間になろうとも、自分にできることは一つしかない。人知れない場所で、人知れない形で自分のライフワークに取り組み続けること。それをこれからも継続させていく。

今日もまた創作活動に打ち込んでいこう。ただし今日は午後に時間を取って、「一瞬一生の会」の皆さんが執筆してくださっているリフレクションジャーナルを拝読し、それに対するコメントを補助音声教材として録音していこうと思う。

第2期の会が始まってからまだ1週間しか経っていないのだが、参加者の皆さんがとても積極的にリフレクションジャーナルを執筆しており、大変感銘を受けている。全員のリフレクションジャーナルは一つの共有ドキュメントに随時アップロードされており、今日はそれを見ながら音声教材を作っていこうと思う。

2日分のジャーナルに対して1つの音声ファイルを作っていくというように、補助音声を分けて作成していくのがいいかと今のところ考えている。フローニンゲン:2020/5/23(土)06:51

5849. 「客死」「宿命」「運命」について

待っているのは客死なのだろうか。先ほど、これから一生涯にわたって異国の地で生活をしていくことについて考えていたときに、自分に待っているのは客死なのだろうかと思った。

旅先、あるいは異国の地で死ぬこと。それが客死だ。

もしかすると、「異国」というのもまた自分なりの定義や意味付けが異なるかもしれない。確かに今は、日本を母国ないしは祖国と捉えているが、今の自分のオランダに対する思いなどを考えると、この国が今後自分にとっての新たな母なる国になる可能性が最近見え始めている。

そうなってくると、オランダで生涯を閉じることは、客死に当たらないかもしれないと考えた。その一方で、今後も自分を呼ぶ場所に旅をすることは細々と続けていくであろうから、旅先で生涯を閉じる可能性についてはまだ多分に残されており、そうであれば客死の原義に該当するかもしれない。

「客死」の「客」とはひょっとすると、その場所に招き呼ばれた人間を意味するのだろうか。その意味において、オランダに呼ばれ、今の街で生活をしている自分は招かれた客なのかもしれない。

そう考えると、全ての人が今生きている場所に招かれた客として存在していると言えるのではないだろうか。私たち人間は全て平等に、その土地に招き呼ばれた客だったのだ。

客死をする人間は私だけではなく、全ての人間もそうだったのだ。そうした共通事項を見出す時、他者に対してより深い絆のようなものを感じる。

人は招き呼ばれる形でこの世に生を受け、そしてある特定の場所に招き呼ばれる形でそこで生涯を閉じる。全員がそれを宿命ないしは運命として抱えながら生きているのだ。

これまでの運命とこれからの運命。今改めて「宿命」という言葉と「運命」という言葉を調べてみて驚いたが、それらは言葉に内包されているニュアンスがやはり違うではないか。それらの言葉を発した時に感じていた微妙な差異はそのせいだったのだ。

宿命、それは前世から決まっており、私たちの力ではどうしようもないこと。運命、それは未来に開かれており、超自然的な力によって人にもたらされる巡り合わせのこと。先天的かつ後天的な何かを絶えず私たちは内側に抱えて生きているということ。それについて今静かに考え事をしている。

宿命と運命には確かにそうした差異があるかもしれないが、宿命が運命に向かっていき、運命が宿命に回帰していくということもあり得るのではないだろうか。今、日々の生活の水面下で刻一刻と進行しているのはそれのような気がする。

宿命が運命の方向に開かれ、宿命は運命を押し広げていく。もしかしたら、宿命が運命に転じることすらあるかもしれない。運命の側に立てば、逆のことが言えそうだ。

言葉に窮するが、ここ最近私が感じているのは、宿命と運命の交感かつ交歓であり、お互いがお互いに影響を与え合いながら、自分の人生と自分自身をどこかに導いてくれているということである。まさにそこには、何か命とも呼べるようなものが宿っていて、その命がどこかに運ばれている感覚なのだ。それが宿命と運命の交感·交歓を通じた共創的人生の進行である。

朝日を待つうっすらとした青空。新緑の木々の葉を揺らすそよ風。清澄な鳴き声を奏でる小鳥たち。そして自分。それらは全て宿命·運命として、交感と交歓の中で共創的な踊りを踊っている。フローニンゲン:2020/5/23(土)07:14

5850. おぞましさを伴う夢

時刻は午前7時を迎えた。穏やかさ。それに満ち溢れた街にいる自分。そんな自分は、先ほど客死や宿命、そして運命について考えていた。前者の客死について言えば、ひょっとすると今朝方見ていた夢が何か引き金になっていたのかもしれない。今朝方の夢は、幾分恐怖を伴うものであった。

夢の中で私は、実際に通っていた中学校にいた。より具体的には、私は中学校2年性の時に使っていた教室にいた。そこではいつもと変わらずに授業が行われていたが、どうもみんながいつも以上に静かなことが気になっていた。そうした雰囲気の中、授業は進行していき、あるところで、隣の教室から悲鳴が聞こえてきた。

クラスの全員が何事かと立ち上がり、隣の教室の様子を見に行こうとしたところ、私たちの教室で1人の友人が地面に倒れた。見ると、首あたりをナイフで斬り付けられており、即死のようだった。

隣の教室の状況を確認したところ、そこでもまた1人地面に倒れている人がいて、それは友人の兄だった。彼もまた刺殺されていた。

隣の教室で悲鳴が聞こえた際に、不審者らしき男性がこちらの教室に紛れ込んでいるのを私は捉えていた。しかし、彼はうまく教室の中に溶け込み、何気ない形で友人を刺殺した。

その不審者とは目を合わせることはなかったが、背中から発せられるオーラとその動きから、精神異常者だと思った。

廊下に飛び出した生徒たちは恐怖でうろたえており、その場は騒然としていた。先生たちもその場にいたのだが、その場はなかなか静かにならなかった。

すると突然、そこから時間が一気に推し進められ、私はほとんど生徒のいない隣の教室の中にいた。刺殺された友人の兄の遺体はそこにはなく、垂れ流れた血もそこにはなかった。

季節は秋から冬にかけてなのか、朝の優しい太陽の光が教室の窓から差し込んでいた。その教室には机も椅子も一切なく、ただそこにあったのは、図鑑のような分厚い書籍でできた山のような塊だった。その塊を作っている書籍を眺めると、それらは大抵美術書だった。どうやらそれらは、先生が定期購読しているもののようだった。

私は何気なく一冊の分厚い画集を手に取り、パラパラと中身を眺めた。その後本の山の上から、また別の画集を手に取って中身を眺めてみたところ、そこには懐かしい漫画が描かれていた。

帰宅の時間が迫ってきていたので、私は教室を後にし、靴箱に向かった。靴箱で靴を履いて、体育館の前を通ろうとしたところ、体育館がまるでノートルダム大聖堂のような建物に改築されている最中だった。

先ほどの殺人事件の一件により、作業員たちも工事の手を止めていたようであり、帰宅のためにその建物の前を通ろうとした時にはまだ作業中だった。どういうわけか私は、そこから空を飛び、大聖堂の上の部分を眺めてから帰ろうと思った。

そのまま空を飛んだ形で校門を出ると、高校時代にお世話になっていた女性の漢文の先生に呼び止められた。先生は、私が空を飛んでいることに驚いていたようだった。

どうやって空を飛んでいるのかを先生は知りたかったらしく、その方法を私に尋ねようとしていたようなのだが、私はてっきりそんな力を発揮していることを怒られるのかと思っていた。

先生と話をするために少し高度を下げた時、先生が「とても不思議な力ね」と述べたのだが、最初私はそれを「とても不審な力ね」と述べたのかと勘違いしてしまっていた。

空を飛ぶことは簡単だと先生に伝え、身振り手振りを交えてその方法を簡単に伝えた。先生は笑みを浮かべ、そこで私たちは別れた。

社宅に近づいてきた時、私は身震いがした。というのも、先ほどの精神異常を抱えた不審者が辺りをうろついていたからである。犯人の手元には殺害に使ったと思われるナイフがあり、さらには彼の服には数字が入った札が付けられていた。その札の数字を見ると、「368」と書かれており、それは自分の自宅だと気付いた。

犯人はどうやら我が家に忍び込もうとしているらしいということに気づき、私はなんとかそれを食い止めようと考えた。上空から策を練っていたところ、犯人と距離を置く形で、犯人の背後には親友(SI)がいて、車の影に隠れながら、犯人を捕まえる機会を窺っていた。

親友の彼と私とで協力すれば、なんとか犯人を捕まえられるかもしれないと思ったので、私は空を飛びながら犯人の確保に向けて動き出した。犯人が社宅の階段を上がり始めた時、私はわざと大きな声で自宅にいる母を呼び、鍵とチェーンでドアをしっかりと閉めるようにと伝えた。

自宅には父もいたらしく、父も母も状況をすぐに理解して、防犯に備えてドアをしっかりと閉めた。私の大きな声に犯人は動揺したようであり、途中まで上っていた階段を急遽下りるために反転したところで、親友に捕まった。

そして私は、空から踊り場に到着し、犯人の頭を石でできた鉄球のような塊で何度か殴打した。すると、犯人は何かをぶつぶつと喋っていたが、はっきりと聞き取ることはできなかった。

犯人の身柄を確保した友人は、犯人を警察署に連れて行った。そこでようやく私は安堵感に包まれ、自宅のドアを開けた。

大変なことが今日起こったことを両親に伝えた後、自室に戻ると、自分の部屋から物がごっそり消えていて、部屋がとてもすっきりしていた。どうやら、父が整理整頓をしてくれたらしかったが、まだそれが完了していないとのことであり、そこからの整理整頓は自分で行うようにと父に言われた。

しかし部屋はもう整理整頓する余地などなく、どこをどう整理整頓すればいいか迷ってしまった。おそらくはまだ押し入れが整理整頓されていないのかと思い、後ほどそこを確認しようと思ったところで夢から覚めた。

整理整頓された後の部屋において、室内のバスケットゴールの位置が以前とは変わっていたり、布団を敷くスペースが変わっていたりと、以前の自分が慣れ親しんでいた部屋とは少し違う部屋がそこにあったことに中立的な違和感を感じていた自分がそこにいたのを覚えている。フローニンゲン:2020/5/23(土)07:47

5851. 本日を振り返って

穏やかな世界の中で、時が時の望むままに進んでいくような1日であった。そして、そうした時の流れとピタリと寄り添うように自分の1日が過ぎていった。

午後7時半に近づきつつあるフローニンゲンは、少しばかり風が強い。そんな中でも夕日が見えることは幸いである。

今日は主に午前中に創作活動に励み、午後からは「一瞬一生の会」のための補助音声教材を作っていった。参加者の皆さんのリフレクションジャーナルが大変素晴らしく、1人1人のジャーナルエントリーに対してコメントをしていると、随分と長い音声ファイルになってしまった。中には76分ほどのものもあった。今日はこれからもう少し音声ファイルを作成したいと思う。

夕方に街の中心部に買い物に出かけた時、やはりまだ肌寒さを感じた。運動のできる格好をして、15分ぐらいの時間を軽くジョギングしてスーパーに向かった。

街には徐々に活気が戻ってきており、土曜日の今日は平日よりも人が多かったように思う。以前と同様に街が動き出すのかはまだわからず、もしかしたらもう2度と以前のようには街が動かないのかもしれないが、事態は着実に好転に向かっている。

オーガニックスーパーに到着し、今日こそはと思ってキノコが売られているコーナーに行ったところ、またしても椎茸だけが売り切れていた。しょうがなくと言ってはマッシュルームに可哀想だが、代わりにまたしてもマッシュルームを購入することにした。

椎茸だけが売り切れていることには何か理由があるのだろうか。コロナウイルスに椎茸の成分が効くだとか、あるいは物流上の問題か何かのだろうか。そのあたりの真相は定かではない。

それではこれから音声教材の作成に取り掛かり、メールへの返信を済ませてから、絵を少々描いて今日も早めに就寝したい。フローニンゲン:2020/5/23(土)19:27

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