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5828-5829: アートの国オランダからの便り 2020年5月16日(土)


No.400 朝の多様性_Diversity in the Morning

本日の言葉

Dare to believe there’s a song in your heart. Dare to believe in your dreams. Josei Toda

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本日生まれた15曲

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本日生まれた曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています(2020/4/26より、投稿を再開しました)。

タイトル一覧

5828. 書斎の眺めと光の共有

5829. 死後の世界に思いを馳せる体験:今よりもずっと遠い場所へ

5828. 書斎の眺めと光の共有

時刻は午前6時を迎えようとしている。今朝は少々雲が多いが、それでも雲の隙間から朝日が地上に差し込み始めている。

外は肌寒いが、書斎と寝室の窓を開けて、新鮮な空気を取り入れている。私が窓を開けるのは、何も新鮮な空気を部屋に取り入れようとするからだけではない。それよりも、小鳥たちの鳴き声をよりよく聞きたいからである。

今この瞬間も、小鳥たちは朝の挨拶をしている。彼らの鳴き声を聞きながらヨガをし、座禅瞑想をし、そしてこのように日記を執筆している。

彼らの鳴き声は、絶えず自己落ち着かせ、心をより一層平穏なものにしてくれる。そうした心を持って、今日もまた創作活動に取り組んでいこう。

昨日、アメリカとイギリスのアマゾンに少々書籍を注文した。毎月少しずつ書籍を購入し、自分の関心事項に関する探究を進めている。来月も今月と同様に、書籍を少々購入する予定だ。今月はフィッシャー教授の追悼論文集を購入することはなかったので、来月それを購入したい。

今朝方も夢を見ていたが、今朝の夢はそれほど印象に残っていない。夢の中の登場人物として日本人の友人か知人か、あるいは見知らぬ人が出て来ていたのは覚えている。

夢の中で話している言葉は日本語だったことも確かだ。だがどこかのタイミングで、英語を話す瞬間があったことも覚えている。

肯定的でも否定的でもないような感覚を引き起こす夢だったが、どちらかを選べと言われれば、肯定的な方に寄った夢だったように思える。今朝は無意識の世界が落ち着いていたようだ。

書斎からの眺め。私は1日のうちのほとんどの時間を書斎で過ごしている。書斎の窓はとても大きく、開放的な窓から見える景色は格別だ。

いつも書斎から同じ景色を眺めているようでいて、そこには多様性が溢れている。窓の外に映る景色は毎回異なるのだ。自分も世界も絶えず変化しているがゆえの多様性がそこにある。

自己も世界も変化に富む。どちらも共に変化の恩恵を授かりながら、ゆっくりとどこかに向かって動いている。

この発想は幾分目的論的だろうか。そうだとしても、この変化にはやはり何かしらの方向性があるように思えるのだ。

自己も世界も本質的にはただそこにあるだけなのかもしれないが、そこに方向性を見出そうとするのは人間のさがなのだろうか。認識にはそうした傾向があるらしいが、そもそもそうした傾向が人間に備わっているということは、やはり自己もこの世界も方向性を内在的に持っているのではないかと思えてしまう。

ゆっくりと昇る朝日。朝日が赤レンガの家々を照らす時間まであと少しだ。

光。そういえば昨日は、光を与えることについて考えていた。そして光に関して思いを巡らせていると、自分の実家がある山口県光市で長く人生を過ごした意味について考えていた。

詩人の大岡信はかつて、「土地の名前はたぶん 光でできている」と述べていた。今ならその意味がよくわかる。

土地には固有の土着紳が宿っていて、その土着紳が光をもたらしているのだ。そしてそれがその土地の名前になり、固有の風土がそこに出来上がる。そのようなことを考えながら、町の名前が「光」である場所で幼少期·青春期を過ごすことができた恩恵について考えていた。

私はあの町から多大な光を授かりながら成長していったように思う。故郷の町が自分に対して行ってくれたのと同様に、自分も何かしらの手段と方法で、光を世界に共有したいと思う。フローニンゲン:2020/5/16(土)06:16

5829. 死後の世界に思いを馳せる体験:今よりもずっと遠い場所へ

時刻は午後7時半に近づいている。今日は1日を通して曇りがちであった。気温も低く、窓を開けていると肌寒かった。

今この時間帯も空にはうっすらと雲が覆っていて、夕日がかすかに差し込むほどだ。今日は午後に、カート·フィッシャー教授の追悼論文集を購入した。一昨日に書籍を一括注文した際には本書を購入しなかったのだが、少し気が変わり、来月まで待つことなく本日それを購入した。

ちょうど明後日の月曜日から、協働者である有馬充美さんと一緒に行っている「一瞬一生の会」の第2期が始まる。本書の購入を早めたのは、この会の学習コンテンツをより充実したものにしたいと思ったからでもある。

本書に収められている論文の中で重要な事柄を述べているものについては、それを補助音声教材として何か話をしようかと思う。本書のような専門書を読みこなすのは、その道の専門家でないとなかなか大変であろうし、自分も読んだ内容をしっかりと定着させたいこともあり、書籍が到着次第、いくつか音声ファイルを作っていこうかと思う。

今日の午後に仮眠から目覚めた際に、不思議な感覚に包まれた。ここ最近は仮眠後に時折、自分がいなくなった後の世界について考えることがある。さらには、死後の自己について考えることがある。

今日もまたそのような体験をした。それは時間として短いのだが、今この瞬間に自分がここにいることが不思議に思えてしまう感覚であり、その感覚を得た瞬間に、自己が自己を超越していく感覚がある。

一抹の哀しさや詫びしさのような感覚もそこに混ざっており、その体験後はなんとも言えないような感覚になる。こうした現象が起こるようになったのは、昨年からぐらいかもしれない。一体この体験は何を示唆しているのだろうか。

午前中にふと、青空の向こうに輝く星々に思いを馳せていた。常にそこにある星々。それはどこか、常にそこにいる人々と同じようなものなのかもしれない。

充実感も幸福感も、そのような形で常にそこにあるのだろう。そこというのはここでもある。そこはここであり、ここはそこなのだ。

今日もまた創作活動に明け暮れる1日であった。今日は創作活動だけではなく、協働プロジェクト関係の仕事も行った。そうした観点において、二重の意味で充実していたように思う。

心の中に浮かんでくる詩のように短い音楽的なものを絶えず形にしていくこと。それを今日も行っていた。それが音楽的な自己の発見と創造につながっていく。

内側に流れている音楽的な感覚をとにかく形にしていくことによって、自分の内側の音楽的な何かを発見し、より豊かに育んでいくことができる。明日もまたそれを行っていこうと思う。

そのようにして自分は、今想像している場所とは全く違った場所にいるだろう。今想像しているのよりも、遥かずっと遠くの場所に自分はいる。フローニンゲン:2020/5/16(土)19:38

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