No.288 朝の落ち着きの中で_In a Relaxed State of the Morning
本日の言葉
Children, old people, vagabonds laugh easily and heartily: they have nothing to lose and hope for little. Matthieu Ricard
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本日生まれた15曲
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タイトル一覧
5801. 自分でもわからないことに従事し続けること:今朝方の夢
5802. 良縁の循環:仮眠中のビジョン
5801. 自分でもわからないことに従事し続けること:今朝方の夢
時刻は午前5時を迎えた。今、空がダークブルーに変わり始め、遠くの空にまん丸の満月が浮かんでいる。太陽の光を反射して輝く満月をぼんやりと眺めている。
開けられた書斎の窓からは、小鳥たちのさえずりが流れ込んでくる。今の外気の温度は2度と低いが、それほど寒さを感じない。
明日は今日と同じぐらいの気温であり、明後日と明々後日は少し気温が上がる。だが今週の日曜日からまた気温が下がる。今週の日曜日は最高気温が10度に達しない。まだまだ肌寒さの残るフローニンゲンだ。
昨日は午前3時前に起床したが、本日の起床は午前4時とゆったりとしていた。とは言え、これくらいの時間帯に目覚めることができれば、日中には思う存分に活動ができる。
ここ最近は夜の食事量を以前よりもさらに気持ち減らすことによって、睡眠の質が高まり、起床時間も安定的に早くなっている。やはり睡眠中に消化にエネルギーを使わないことの大切さを思い、そうした食事量を心がけることの重要さを思う。量は少なく、それでいて栄養をきちんと補給するような質の食事が重要だとわかる。
天気予報を確認すると、今日のマークは、今まさに眺めている満月のように、まん丸とした太陽のマークであり、雲ひとつないような快晴の1日になるようだ。そのため、午後に街の中心部のオーガニックスーパーに行こうと思う。
玄米味噌、椎茸、豆乳、チーズ、4種類の麦のフレーク、ゴマペーストを購入する。後者3つは全てバイオダイナミクス農法で作られたものだ。
昨夜、自分でも毎日なぜこうも日記を書き、曲を作り、絵を描いているのかわからないことについて考えていた。自分でもわからないことに没頭している自分がいる。
わからないこと。それこそが天命なのかもしれない。
一方でわかることとはなんだろうか。それは自分の狭い度量衡で理解できる類のものであり、そこには多分に自分以外の何者かによって構築された虚構の物語が混入している。そんなことは天命たり得ない。そのようなことを考えていた。
人生の一回性。次にそれについて考えを巡らせていた。
この人生はこの人生として一つの全体性を持っており、自分の肉体が朽ち果てれば、肉体を通じて参与していた部分のこの人生は終わる。そうした有限性を持っているのがこの一回限りの人生である。
自分は天命として与えられたこの意味の分からぬ創作活動に全てを捧げていく。天からの贈り物の意味がそうたやすく理解されるはずはないのだ。
自分の理解を超えているが、それでいて自分を捉えて離さないもの。それに従事し続けていく。
今朝方も少しばかり夢を見ていた。夢の中で私は、中学校時代のバスケの新人戦が行われた市民体育館にいた。実際にはコートの上に私は立っていて、今から試合が始まるところだった。
私の周りには部活のメンバーがいて、相手はまさに新人戦の初戦の学校だった。試合開始後、思っていた以上にお互いにゆっくりとしたペースで試合に入ったことにすぐに気づいた。
そのゆったりとしたペースは長く続き、お互いに様子を見る時間帯が続いていた。そんな中、同じチームの親友(HS)がフリーで絶好機にも関わらず自分でシュートを打たないことに私は疑問を感じており、彼に近づいて彼を励まし、もっと積極的にシュートを打てと伝えた。するとそこから彼は自信を持ったのか、積極的にシュートを打っていくようになった。
試合の途中から、不思議な形でゲームが動き始めた。私の手元には薄っぺらい楽譜があり、シュートと同時にその楽譜をリングの上の平台に積み重ねていくことが求められていたのである。手元の楽譜がどのようなものかを確認すると、聞いたことのない作曲家の楽譜であり、名前がカタカナで表記されていたので、その楽譜が日本語のものだということがわかった。
私はシュートを放った後、ダンクシュートができる以上に高くジャンプをして、その楽譜をリングの上に置いた。すると、その前に置いていた楽譜がズレ落ちてきてしまいそうだったので、それらの楽譜をきちんと積み重ね直し、新たに1つ楽譜を追加する形で積み重ねた。そのような夢を今朝方見ていた。フローニンゲン:2020/5/6(水)05:29
5802. 良縁の循環:仮眠中のビジョン
時刻は午後7時を迎えた。ちょうどつい先ほど夕食を摂り終えた。
今、小鳥たちが夕暮れ時を祝福するかのように美しい鳴き声をあげている。この時間はまだ夕日が燦々と輝いている。
昨日意識的に観察をしていたところ、就寝準備を始める午後9時半にはまだ夕日が完全に沈んでいなかった。もうそれくらいに日が伸びた。
優しげな風が吹いている。それは幸福を運んできてくれるかのようだ。
今日は昼前にオンラインミーティングを行った。とある領域の第一人者の教授と初めてお話をさせていただき、お互いに多くの共通点があり、話が盛り上がった。
ミーティングを終えてしばらくその余韻を味わっていると、良い縁の循環が生まれているように思った。新たな良縁が生まれ、それが育まれているのを感じる今日この頃である。
午前中に作曲実践をしていると、作曲語法の確立プロセスにおいて、武道の達人の身体感覚と身体動作を真似るかのように、作曲家の身体感覚と身体動作を自分の内側に取り入れていくことについて考えていた。それをより意識的に行い、自分独自の身体感覚と身体動作を磨いていこう。日々の1つ1つの作曲実践はそのプロセスだ。
兎にも角にも身体感覚を通じて音楽を理解していき、曲を作っていく。こうした身体感覚の重要性は、もちろん絵画の創作にも当てはまる。実際に自分の身体を用いて筆を使って絵を描くのだから、なお一層のこと身体感覚が重要になるのは明らかである。
身体感覚を涵養していくための生活をこれからも続けていく。今生活している環境のように、時の流れが緩やかで、落ち着いた場所で日々学習と実践を続けていく。
午後の仮眠の際に、興味深いビジョンを見ていた。それは、4声のコラールを作っているビジョンだった。
ビジョンの中に楽譜が現れ、1つ1つの音までかなりはっきりと見えた。そのビジョンを知覚している最中、これは仮眠から目覚めてもそっくりそのままそのビジョンの音を再現できるのではないかと思っていたぐらいだ。
仮眠中にはそのような意識があり、それでいて明確なビジョンを見ていた。コラールは早朝の作曲実践の際に準備運動として1、2曲作っている。そして仮眠から目覚めた後も、午後からの作曲実践の準備運動としてさらにもう1曲作っている。
午後に作ったコラールは、仮眠中のビジョンを再現するには至らなかったが、何かしらの影響を受けていることは間違い無いだろう。今後もビジョンや夢の中に作曲風景が映るかもしれない。ビジョンや夢をもとに本格的に曲を作っていく日も近そうだ。
今週末の予定としてふと、今道友信先生の音楽美学に関する書籍を再読しようかと思った。ここ最近は意図的に読書から離れており、1日のうち15時間ぐらいを創作活動に充てている。というよりも、トイレや食事を除いたら、全ての時間を創作活動に関することに充てているので、15時間以上の時間だと言えるかもしれない。
そのような生活を毎日続けているが、今週末のどちらかの午後に少し時間を取って、先生の書籍を読みながら考えを日記にまとめていこうかと思う。もちろん今週末のことは今週末になってみないとわからないため、この計画も変更するかもしれないが、近いうちに先生の書籍を再読しようと思っていることは確かだ。フローニンゲン:2020/5/6(水)19:28