No.266 夕暮れ前の感謝の念_A Feeling of Gratitude before the Dusk
本日の言葉
Do away with your old habits and start fresh. Wash away your old opinions, and new ideas come in. Xue Xuan
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本日生まれた12曲
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タイトル一覧
5796. 今朝方の夢
5797. 深まる仮眠の治癒力と氷解した謎
5796. 今朝方の夢
時刻は間も無く午前6時を迎えようとしている。今朝の起床はゆったりと午前5時であり、その時にはもう小鳥たちが鳴き声を上げていた。今も彼らの澄み渡る鳴き声が聞こえてくる。
空には薄紫の柔らげな雲が少し浮かんでいる。天気予報を見ると、今日のみならず、今日から1週間は晴れの日が続くようだ。天気の良い今日は、椎茸の天日干し日和であり、日光浴日和でもある。
そんな1日を今日もまた創作活動を軸として過ごしていこう。創作活動に加えて、今日の午後にでも、今月の中旬から始まる「一瞬一生の会」の反転学習用の動画を作ろうと思う。成人発達理論について前編と後編に分けて動画を作ることを考えている。
今朝もまた印象に残る夢を見ていた。夢について振り返りをしたら、今日も早速早朝の創作活動を始めていきたい。
夢の中で私は、日本のどこかの地域の海沿いの街にいた。雰囲気として実家の近辺のようにも思える。そこで私は海沿いの道をゆっくりと歩いていた。
すると広場のような場所に出くわし、そこで小中学校時代の友人と出会った。彼と話をしていると、3人の見知らぬ外国人女性が現れた。彼女たちの日本語はたどたどしく、どうやら日本にやってきたまだ日が浅いようだった。
話を聞くと、彼女たちは日本の学校に転校してまだ間もないとのことだった。彼女たちはどういうわけか、私に色々と質問をしてきた。その中に年収に関するものがあり、私はその質問に答えなかった。
質問をしてくる彼女たちは、何やら私を口説こうとしているようであり、あまり関わらないようにしておこうと思ったので、私はその場を離れた。すると、夢の場面が少し変わった。
依然として同じ街が舞台であったが、時間と場所が少し変わった。ここ最近ある日本人画家の方が夢に出てくる頻度が増えており、そこでもまたその方が現れた。
その方の幼少時代の様子が夢の中に映っており、私はその様子を眺めていた。その方は幼少時代に色々と辛い体験をしてきたようである。
現実世界ではどうなのかはわからないが、その方には姉がいて、姉と父親との関係が良くなく、父親の暴力によって姉は体に傷を負い、姉はその傷を苦に自殺をしてしまったようだった。その画家の方自身も父親からは辛く当られていたらしく、そのあたりの様子が映し出されていた。
しばらくその様子を眺めていると、再び夢の中の街に意識が戻った。私は引き続き海沿いの道を歩いていた。
1人で海沿いの道を歩き、公園に辿り着いたとき、ちょうどその方と出くわした。その方は、夕暮れ時に犬の散歩をすることが日課のようだった。
私は公園のブランコの近くでヨガをしていた。その様子を見たその方は微笑みながら、「足腰を鍛えていらっしゃるのですね」と一言述べた。そこから私たちは、一緒に犬の散歩をし、夕暮れ時の優しい太陽の光を浴びながら、少しばかり会話を楽しんでいた。フローニンゲン:2020/5/4(月)06:13
5797. 深まる仮眠の治癒力と氷解した謎
時刻は午後7時を迎えた。ちょうど先ほど夕食を摂り終えた。
偶然にも、小鳥たちも夕食の時間のようであり、隣の家のニコさんの庭先にある餌箱を彼らがつついている姿が見える。餌を食べていない小鳥たちは夕方の鳴き声を上げている。
暮れゆく夕日を眺めながら、彼らの合唱を今聞いている。今日は午後に、今月中旬から始まる「一瞬一生の会」の第2期に向けた動画コンテンツを作成した。それを無事に作成し終えたので、夜の時間はまた絵を描いたり、明日の作曲実践に向けて曲の原型モデルを作成していこう。
静かに進んでいく時。そして静かに進んでいく創作活動。時も創作活動も、そして自分の人生も緩やかな進行過程の中にある。
それらが向かっている場所はわからないが、何かしらの方向性を持ってどこかに向かっていることだけは確かだ。私にできることは、その運動過程の中にい続けることであり、そこで自分の取り組みに従事していくことだけだ。
午後の仮眠後、このところの仮眠がもたらす回復力が高まる一方であることに気づいた。意識が短時間の間に深い次元に降りていき、そこで深い治癒がなされるという現象が起こっている。
今日の仮眠中には不思議なビジョンを見ていた。それは静かな幸福感を伴うものであり、主題としては愛に関するものだったように思う。仮眠から目覚めた時の内的感覚として、愛に伴う独特のエネルギーが内側を流れていた。
午前中にふと、自己は自分という1人の人間の記録係の役割を務めていることに気づいた。それは、言葉·音·絵を通じて行われる記録である。
私は自分という1人の人間の記録係だったのだ。この人生で出会うもの、体験する事柄を、つぶさに言葉·音·絵として記録していこう。それは利他的な何かにつながっている。そんな確信があった。
午前中にコーヒーを入れている最中、大きな発見があった。オランダにはマンションという概念はなく、マンションのような建物があるにはあるが、それはとても少ない。一般的にはアパートか一軒家である。
そもそもこの国には4階以上の建物が少ないのである。今私が住んでいるものはアパートと言ったほうがいいだろうか。一軒家ではないことは確かだ。
毎日朝と夕方の決まった時間になると、白と黒のまだらの犬の散歩を行うおじさんがいる。彼は近所の家に住んでいて、以前彼の家の前で顔を合わせ、挨拶をしたことを覚えている。
そんな彼は、いつも自分の家の前の通りを通る時、やたらと自分の部屋の方をチラチラと見ていて、まさか自分の部屋の場所を知っているのかと思った。だが今日わかったのは、彼は私の部屋を見ていたのではなく、3階の隣の部屋を見ていたようなのだ。
正直なところ、チラチラとこちらを見る姿が不審者のように思えていたので若干気になっていたのだが、今日彼が隣の家の住人と目が合ったらしく、手を振って挨拶をし合っていた。つまり、彼は私の部屋を見ていたのではなく、隣に住んでいる彼の友人の部屋を見ていたようなのだ。
これまで数年間ほど彼が自分の部屋を見ているようで薄気味悪く思っていたが、そうではないことが理解できて思わず笑ってしまった。長年の謎が氷解し、そんな発見があったのが本日であり、改めて人間は自分の勝手な解釈をしながら生きているのだということに気付かされたエピソードだった。フローニンゲン:2020/5/4(月)19:27