No.192 早朝の心_A Morning Mind
No.204 King's Dayのひと時_A Time on King's Day
本日の言葉
Your true home is in the here and the now. To live in the present moment is a miracle. Thich Nhat Hanh
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本日生まれた13曲
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タイトル一覧
5775. 絶えず自然を感じて:分かち合えぬものの保持・涵養
5776. 美の光の中で:今朝方の夢
5777. ふとした振り返り
5778. 税金納付・ロックダウンの解除・友人の日記・画一化の弊害など
5779. 寿命について:誰かのための創作活動
5775. 絶えず自然を感じて:分かち合えぬものの保持・涵養
時刻はちょうど午前5時半を迎え、今空がダークブルーに変わり始めた。実際にはもう少し前から空は明るくなり始めていたように思う。
今朝の起床は5時前とゆったりしていて、起床した時には小鳥たちが鳴き声を上げ始めていた。今も澄み渡る清澄な鳴き声が聞こえてくる。
彼らの鳴き声に合わせて、パソコンから波の音を流している。どちらも自然音であり、後者は実際にその場にあるものではないが、リアルな波の音を録音したものであり、こちらの音に関してもその場にあるような感覚がする。
今私は、砂浜にいて、そこで小鳥たちの鳴き声を聞いているかのようなのだ。午前中はずっと波の音を流しており、午後からは小川のせせらぎと小鳥のさえずりが組み合わされた音源を用いている。
このように、まるで自然の中にいるかのような感覚を常に持っておくことは自分にとってとても大切だ。それは生み出す言葉·音·絵に影響を与える。端的には、自然音は自分の創作活動を根底から支えてくれているのである。
ここ最近は、書斎から眺められる街路樹も青々としてきており、それも自然を感じさせる。そして何より、開放的な窓に向かって置かれている机から眺められる青空が本当に美しい季節となった。
毎日、文字通り毎日私はフローニンゲンの空を眺めながら自分の取り組みに従事している。空が曇りの時も雨の時も、そして雪の時も、これまでこうして変わらずに自分の取り組みを前に進めてきた。これからもそれは変わりない。
自然を感じ、落ち着いた心を持って自分のライフワークに励んでいこう。オランダを1つの永住拠点としたのは、こうした落ち着きによる。
オランダという国が持つ落ち着き。それについては昨夜も考えていた。
今自分がこのように日々創作活動に打ち込めているのも、この国の穏やかさに由来していることは間違いない。どのような環境の中でどのように生活をするか。その双方が大事であり、忙しなく機械的な時間が流れる都会にはもう住めなくなった。
オランダでの落ち着いた生活をこれからも続けていきながら、別の永住拠点として、より海山森を感じられるような場所を見つけたいと思う。フィンランドのどこかにそうした場所がありそうな予感がしている。
昨日も雑多なことを考えており、それを日記に書き留めていたが、まだ書き留められていないものもいくつかある。1つとして、他人には絶対にわからないもの、理解されないものを自分の内側に保持·涵養することの大切さについて考えていた。
他者と分かち合えぬものを保持し続け、それを育み続けることの大切さ。人はそうしたものを早期に放棄しがちであり、それを育もうなどという発想はない。なぜなら、彼らは馴れ合いの関係性を好み、表面的な付き合いを人と行いたがるからだ。また、この社会は私たちにそうしたものを去勢することを迫ってくる。
しかし私は、そうした他者と共有できないもの、理解され得ないものを持って初めて、真の共通理解や相互尊重が実現されるのではないかと思う。そうしたものを保持していない個人間の共通理解や相互尊重などは、実に表面的なものなのだと思う。他者と分かち合えぬものを保持し続け、育み続けていくという意思を改めて明確にした。
もう1つ考えていたのは創作関係のことであり、いつもPages上で曲のタイトルを書き出し、それを作曲ソフト上の楽譜にカットアンドペーストしているのだが、それはカットせずにそのままPages上に残しておき、そのタイトルから喚起されるものをもとに絵を描いてみようと思った。
実際に昨日は、そのアイデアをもとにしていくつか絵を描いてみた。曲のタイトルは絵画創作の大切な題材になるということを身をもって知った。これからますます作曲と絵画の創作の関係性を深めていきたい。
両者は確かに異なる創作行為だが、それを一体のものとみなして行こう。そうすることによって、思わぬ相乗効果が生まれるはずだ。今日もその点を意識して作曲実践と絵画の創作に励む。フローニンゲン:2020/4/27(月)05:53
5776. 美の光の中で:今朝方の夢
時刻は間も無く午前6時を迎える。「なんという美しさだろうか」思わずそのような声が漏れてしまった。
小鳥たちの清澄な鳴き声があたりにこだましており、それは美しい合唱のようである。数羽の小鳥たちが見事なハーモニーを生み出す鳴き声を上げている。
彼らはそれを意図的に生み出しているのだろうか。それともそれをハーモニーだと認識するのは人間の心のなす技なのか。いずれにせよ、今目の前で響き渡っている音が美的な何かを内包していることは確かである。
それは美しさの1つの象徴であり、美の光を世界に放射している。その光の恩恵を受けて今このように存在している自分がいる。
以前の日記で書き留めたように、小鳥たちの鳴き声や虫の鳴き声は特殊な倍音効果を持っていて、それが人間の脳と心をリラックスさせてくれる。四六時中寛ぎの中で自分の取り組みに従事することができているのは、彼らの鳴き声のおかげかと思う。改めてそのようなことを思う。
それでは、今日も今朝方の夢について振り返り、その後に少々絵を描いてから早朝の作曲実践に入りたい。数日前に音楽関係の書籍を11冊ほど注文し、作曲理論書は全て本格的なものであり、それらが到着するまでに今取り掛かっている書籍の譜例を全て参考にしたいと思う。写譜の実践とそこからの曲作りの実践は、今後も長く続いていくだろう。
プロ棋士が子供の頃から何年も詰将棋や棋譜並べを行い、そして膨大な数の実践を重ねた末にようやくプロの力量を獲得したのと同様に、時間軸を長く持って日々の作曲実践に取り組んでいく。まだ私は自分の作曲言語を確立しておらず、まだ準備と修練の段階である。
現在は、毎日10曲から15曲ほど作っており、このペースで実践を続けていったとしても、自分なりの作曲言語が確立され始めるのはまだまだ先のことになるだろう。絶えず学習と実験をし、10,000曲に到達することに小さな光が見え始め、15,000曲に到達する頃にその光はもう少し大きくなり、20,000曲ぐらいから自分なりに納得のいく曲を作れたらと思う。
20,000曲から200,000曲——寿命を考えると、残念ながら最大で240,000曲ぐらいしか作れないかもしれない——にかけては、自分の作曲言語を絶えず深めていく過程の中で自由自在に曲を生み出していきたい。その頃には母国語のように作曲言語を駆使できるようになっていればと思う。
夢。今朝方は夢の中で、ある青年がゴルフをプレーする姿を見守っていた。その青年は高校生ぐらいの年齢だろうか。どうやらプロになりたてのようだ。
彼は父親をコーチにしており、父と一緒にゴルフコースを回っていた。ちょうど彼は大事な国際大会に出場しており、コースの難所を迎えているようだった。それは一風変わったものであり、コースの中にあるトイレからショットを放つというものである。
どうやらその辺りは、かつて戦争の惨禍に巻き込まれた経験があるらしく、戦争対策として、トイレが変わった作りになっていた。説明は難しいが、天井は確かにあるのだが、トイレと天井の間に隙間があり、その隙間はゴルフボールが通り抜けていくには十分なものだった。
彼はトイレの入り口に立ち、真剣な表情で、目には見えないトイレの向こう側にあるグリーンに意識を向けていた。彼の集中力は凄まじいものがあり、その力だけで人を殺傷できるのではないかと思えるぐらいに鋭いものだった。
いざ彼がショットを放とうかというところで、彼の父親が彼に話しかけた。それによって彼の集中力はプツリと切れてしまい、彼は父親に文句を言っていた。
コーチとしての父から何か息子にアドバイスがあったようだが、逆にそれが仇となってしまったようだった。彼は再度気を取り直して、再びトイレの向こう側にあるグリーンに精神統一を始めた。そしてショットを放つと、それは見事にホールに沈み、彼はそのラウンドを一位で通過した。
彼はショットが決まると、飛び跳ねるようにそれを喜び、駆けつけた弟と一緒に抱き合って喜んでいた。すると彼の後ろから、伝説的なアメリカ人のゴルフプレイヤーがやってきて、彼に日本語で声をかけた。
彼のスコアを確認し、彼が順調にコースを回っていることをその名プレイヤーも喜んでいるようだった。その名プレイヤーも大会参加者であり、彼とは競争者でもあったのだが、彼は常に自分に挑戦してくる者を求めているようだった。
すると、これまで夢を眺める者であった自分の意識が変化し、自分もゴルフコースの上にいた。ちょうどバンカーの中に私はいて、そこからグリーンへのアプローチをしようとしているところだった。
どうやら私は、バンカーからグリーンへのアプローチを得意としているらしく、土を天に巻き上げながら放ったショットはグリーンに乗ることを超えて、ボールが地面に接することなく一発でホールの中に入っていった。そこで夢の場面が変わった。
最後の夢の場面で覚えていることは少ない。私はロンドンにいて、その街のある名門サッカーチームのグッズ専門店にいた。私の横には、小中高時代の友人(SS)がいて、彼もグッズを購入しようとしていた。
どうやら私は彼に借りがあるらしく、彼に何かグッズをプレゼントしようと思った。良さそうなソックスがそこにあり、それはどうかと彼に尋ねてみたところ、なかなかいいグッズだと彼は述べた。それを受けて私は、そのソックスを購入することにした。
そのグッズ専門店とロンドンヒースロー空港は隣接しているため、店を出るとすぐに空港に到着することができた。これから私はロンドンを出発し、どこかの国に向かう予定になっていた。そのような夢を今朝方見ていた。
もしかすると、夢の順番が逆かもしれない。自分がゴルフをする場面で父が現れ、父が私に助言をしてくれていたのだが、それが煩わしく、私は父に酷い口調で罵倒していたように思う。
父のことを「デブ転がし」と呼び——デブを転がすという意味ではなく、デブの体型によって転がるという意味で——、その言葉に付随して「糞転がし」が合わせて連想された。「糞転がし」という言葉が先ではなく、「デブ転がし」という言葉の方が先に脳内に浮かんでいたことが興味深く、自分でも可笑しく思っていたが、私は随分と怒りの感情を持っていたように思う。それを父にぶつけていたような場面があり、それによって目覚めたことを思い出した。フローニンゲン:2020/4/27(月)06:24
5777. ふとした振り返り
今日も早いもので昼時を迎えようとしている。午前中の創作活動はいつもと同じように大いに捗り、着実に歩みを進めている。
午前中の作曲実践をしている最中に、1つ1つの音を構築していくアプローチと感覚に任せて音を一気に生み出していく2つのアプローチがあることに気づいた。それは絵を描くときも同じである。
それら2つのアプローチをその時々に分けて使い分けている自分がいる。どちらのアプローチを採用するかはその時の気分ないしは内的感覚の状態によるのだと思われる。
構築性と奔放性の双方を大切にしていこう。両者は対極にあるが、自由な構築性と自由な奔放性という点において、両者は自由を共通軸に持っている。
言葉によって媒介されていたものを感覚に引き戻すことについても考えていた。人間の意識は言葉優位であり、このリアリティの大部分が言葉によって構築されているがゆえに、言葉の影響から逃れることは極めて難しい。
そうした中にあって、あえて言葉から離れ、言葉の背後に隠れている音楽的·絵画的なものを音や絵によって形にしていくことについて考えていた。それは自分にとっての要求事項であり、それをすることが求められる自分がいる。
自我の発達理論などを眺めていると、言語の限界性に対する洞察が深まり、シンボル的な世界の探求が始まる発達段階があると記述されており、今の自分はそうした段階にいるのかもしれない。そうした段階特性を知的理解によって捉えていくのではなく、まさにそうした段階を通じて生きている自分がいる。
モーニングコーヒーを飲みながら一息入れている最中に、アメリカ西海岸と東海岸で生活をしていた時代を回想していた。そしてふと、アメリカという国は世界で一番強力であり、同時に世界で一番脆い国でもあるということを思った。
コロナウイルスの蔓延によって、アメリカ社会のそうした性質が浮き彫りになってきているように思う。資本主義を極度に推し進めた結果得られた強靭性と脆弱性の双方が垣間見える。
九州ほどしか面積を持っていないオランダ。この国の落ち着き。以前住んでいたアメリカのカリフォルニア州は、日本の本州全部と同じぐらいの大きさだ。そのようなことを振り返りながら、自分は様々な大きさの国で生活をしてきたものだと改めて思う。
多様な国で生きてきたことに伴って引き起こされた意識の必然的な変容。それについては昨日もスーパーの帰り道に考えていた。
自分の意識は、緩やかではあるが、多様な場所での生活によって、絶えず成熟の方向に歩みを進めている。そして、その場所でしか涵養され得ない感覚を得ているように思う。
いや、そうした感覚を得ているというよりも、自分の内側にあった隠れた感覚が花開かれていると言った方が正確かもしれない。まさに、ある植物が開花するのに適した場所があるのと同じように、人間の感覚も感性も、そして意識も、特定の風土によってしか花開かないものがあるようだ。そのようなことを午前中に考えていた。
午後からもまた創作活動に打ち込んでいこう。平穏な雰囲気の中で、絶えず自己を寛がせ、寛ぎの中で創造物を生み出し続けていく。フローニンゲン:2020/4/27(月)11:45
5778. 税金納付・ロックダウンの解除・友人の日記・画一化の弊害など
時刻は午後7時を迎えた。つい今し方夕食を摂り終えた。夕食を摂る時間はほっとする時間でもある。今日もいつものように適量の食事を楽しんだ。
本日もまた創作活動に打ち込み、それと同時に創作の合間合間で雑多なことを考えていた。
昨夜、税金を納付した。金額としては微々たるものだが、オランダという国に少しばかり貢献した感覚があった。税金を納めるという形でオランダ社会に参画することによって、この国の一員であるという感覚が増す。
夕日がフローニンゲンの街に降り注いでおり、そよ風が街の頬を撫でていく。穏やかな感覚。そして平穏さ。この街にはそれがある。それは自分が最も大切にしているものだ。
今日は午後に時間を作って、ギリシアの航空会社に電話をかけた。ところが回線が混雑しており、一向に繋がる気配がなかった。フライトの変更は明日に持ち越しである。
今日は良い知らせを耳にした。5月の初旬より、スペイン、イタリア、ドイツなどでロックダウンが解除されるというものである。それらの国は、欧州の中でもコロナの感染被害が大きく、気になっていたのだが、回復者の数も増加傾向にあり、事態は収束に向かいつつあるようだ。
それらの国でロックダウンが解除されることは、欧州の他の国の対応にも影響を与えるだろう。この調子であれば、なんとか6月末にアテネに行けるかもしれない。当初の予定からすると、3ヶ月遅れのアテネ訪問になるが、それは致し方ない。
午後に、ハーグに住む友人の日記を読んだ。少しばかり前までは、友人の言葉から力が失われているように感じられ、少し心配していたが、ここ最近は以前のように言葉に力が戻ってきているように思う。彼女の日記を読みながらそれを嬉しく思った。
数日前に公開された日記は、同じく国外で生活をする自分にとって響くものがあり、いつもより真剣に記事に目を通した。友人のエネルギーが減退しているように思えてからは、実はひっそりと遠隔でエネルギーを送っていた。昨晩もそれを行っていた。
ここ最近は、家族や友人を含め、誰かにエネルギーを遠隔で送ることが多い。自分のエネルギーは無尽蔵に湧出しているので、どんどん他者に共有していこうという意思がある。日々創作物を生み出すというのは、その一環であり、それは特定の個人というよりも不特定多数の人へエネルギーを共有するためでもある。
目には見えない活動エネルギーないしは生命エネルギーを、言葉·音·絵として形にしていくこと。それが自分に与えられた大きな役割であり、それを通じてこの社会に関与していこうと思う。
その他に考えていたこととしては、標準化されたアセスメントに基づいた教育やトレーニングを受けると、知性が標準化される恐れがあるという論点だった。知性の標準化はすでに実際に起こっている。
知性の標準化、すなわち平準化は、本来多様な知性を画一化させる。画一化がもたらす弊害は、今回のコロナウイルスの一件で露呈された通りである。
画一化がもたらす脆弱さと危うさについては今後も関心を持ち続けていこう。個人の知性も、文化も制度も、画一化によっていとも簡単に崩れ去ってしまうのだから。フローニンゲン:2020/4/27(月)19:28
5779. 寿命について:誰かのための創作活動
そよ風に揺れるオランダ国旗を眺めている。今日は“King's Day”という祝日だった。
いつも平日も休日も祝日も関係なく落ち着いたこの街を、私は心底愛している。フローニンゲンでの生活もあと少ししたら5年目を迎える。まさか5年もこの街で暮らすことになるとは思ってもいなかった。
この街に自分を導いてくれた存在、そして自分を引きとどめている存在が目には見えないところにいることを知っている。今はその存在に大いに感謝をしている。
少し前の日記の中で、自分の身体年齢、あるいは活動エネルギーの年齢は、17歳ではなく、4~5歳の時のそれであると書き留めていたように思う。人生の中で何があるかわからないが、とにかく私は肉体が朽ち果てるその瞬間まで創作活動に従事したいと思っており、自分の寿命はとりあえず125歳ぐらいかと想定していた。
ところが、その見積もりも変更した方がいいような気がしている。125歳に寿命を設定したら、本来はもっと長生きし、創作活動をもっと長く楽しめる可能性があったとしても、自分の認識が寿命を125歳までに押し留めてしまう可能性があることに気づいたのである。
人間の脳は実は身体の他の器官よりもずっと寿命が長いということはよく知られているが、そうした脳の特性を最大限に活かし、脳に他の器官の治癒を絶えず行ってもらうことによって、125歳以上健康のまま生きることも可能なのではないかとふと思うことがある。この点についてもより調査をしたいが、とりあえず自分の寿命をあえて125歳と設定しなくてもいいのではないかと改めて思う。
日記に加えて、作曲実践と絵画の創作を始めたことによって、自分の人生が新たに始まったばかりなのだから、それらの活動にできる限り長く従事したい。いつかやってくる最後の日も、創作から離れることはしない。自分には創ることしかないのだから。
今朝方の夢について改めて振り返っている。夢の中で私は父のことを「デブ転がし」と呼んでいたことに再度考えを巡らせていたところ、そういえば私は幼少の頃から、即興的に新しい言葉を生み出し、それによって友人を笑わすことが好きだったことを思い出した。
実は今でも実家に帰ると、大抵父の仕草や行動、性格などをネタにして、新しい言葉を作って母を笑わせたりしている自分がいる。どうやら新しい言葉を創造することが好きなだけではなく、それを通じて人を喜ばせることが好きなようだ。
創造そのものの喜びと、創造を通じて他者が喜びを感じてくれること。それは自分の創作活動の原点にあるのかもしれない。創作は人を喜ばせるためにある。そうした意味付けが生まれる。
ここ最近は、誰かのために曲を作りたいという思いが日増しに強くなっている。以前までは、友人が結婚する際にはメッセージの代わりとして、俳句や短歌のようなものを贈っていたように思う。
気がつけば、大抵の友人はほぼ結婚してしまい、この頃はめっきりそうした言葉の贈り物をする機会がなくなった。今後は、誰かのために曲を作ってみたい。
ある人と話をして、その人の人柄やあり方を映し出す曲を作ってみる。そのようなことができたら素敵である。
曲は稚拙なものかもしれないが、少しでも喜んでもらえるような曲を作っていこう。その実現に向けた精進を明日もまた行っていく。
ある個人を喜ばせるだけではなく、この社会の治癒と変容に関与するような創作活動はできないだろうかと考えている。人はメタファーによって治癒と変容の作用がもたらされることは対人支援の文脈で知られていることだが、それに着想を得る形で、この社会の治癒と変容に向けて、曲や絵を通して比喩的に現代社会の有り様を映し出し、それを通じて社会に治癒と変容をもたらすことはできないだろうかと考えている。
この点もまだ手探り状態だが、創作活動と自分が生きているこの世界との関わりを考え続けることは非常に重要だろう。フローニンゲン:2020/4/27(月)19:48