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5756-5760: アートの国オランダからの便り 2020年4月21日(火)


No.130 生命の宿り木_A Tree of Life

本日の言葉

Take care of things and they will take care of you. Shunryu Suzuki

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本日生まれた10曲

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タイトル一覧

5756. 若さと老化

5757. 成長と老化を急かす社会:労わりと愛情の念

5758. 今朝方の夢

5759. 河川敷で見つけたシュールな絵画:バイオダイナミクス農法で作られたチーズ

5760. 来生もまた一緒に

5756. 若さと老化

時刻は午前6時半を迎えた。もうこの時間帯はすっかり明るくなっており、朝日が赤レンガの家々を照らし始めている。

ここ最近は雲ひとつない快晴の日が続き、今日もそうした1日になるようだ。天気の恵みを日々感じ、それに対して大いに感謝している自分がいる。

晴れ渡る空を見ると、自分の心も晴れ渡ってくる。広大無辺な空の中に、広大無辺な自分の心を見る。

そよ風が新緑の木々を揺らしている。フローニンゲンはここ最近暖かくなってきたとは言え、5月末までは寒さが残る。その証拠に、新緑の木以外にも、実はまだまだ裸の木が多いのである。

油絵を描き始めて2週間ほどになるが、それが自分の内面世界にもたらす変化と効能をすでに実感している。それは多岐に渡るため、一つ一つ取り上げることはしないが、少なくとも、自分の内面世界を涵養し、より深く充実した日々を過ごさせてくれることに寄与していることは間違いない。

絵を描くのは寛ぐための活動にもなっており、気がつくと、1日に平均して10枚ほどの絵を描いている。1枚にかかる時間はまちまちであるが、長いものでもそれほどの時間は要しない。

内面世界に現れた色や形を脚色することなくさっと捕まえるかのように絵を描いている。一方で、作曲に関しては、ここ最近は平均して1日に10曲以上作っているような気がする。

1曲あたりおよそ30分かかり、理論書を片手に写譜と学習を兼ねて曲を作る場合にはおよそ40分ほどかかる。ふと大学受験時代を思い出すと、30分や40分というのは、数学の良問1つとじっくり向き合うぐらいの時間だろうか。

不思議なことに、いやおそらく創作中には集中しているがゆえに、作曲中には時間が止まっているように知覚され、曲を作り終えた後に30分や40分経っていたことにいつも驚きの感情を持って気付く。そうして1日に10曲や、時に16曲ぐらい作ることがあるので、1日のうちに随分と長い間は時が止まっているような知覚体験の中にいることになる。

そこからふと、ひょっとするといつまでも肉体的·精神的若さを保っている人は、時が流れない世界の中で日々の時間を多く過ごしているのではないかと思った。端的に言えば、激流のような時の流れに飲まれている人は早く老ける。肉体的にも精神的にも怒涛の勢いで錆びていく。

一方で、時の流れの外側、つまり時間の流れぬ知覚世界の中で日々を過ごしている人は、肉体的·精神的な若さを長く保ち続けることができ、老化の速度は極めて遅いのではないかと思った。そして、そうした緩やかな老化こそが自然な形の老化なのではないかと思うのである。

なるほど現代人は、老化の速度まで外部に委ね、社会や時代によって老化させられているのだなということに気付く。そのようなことを考えていた。

今日は特にオンラインミーティングもないから、1日の全ての時間を創作時間に充てたいと思う。あぁ、そう言えば、椎茸と豆乳が切れかかっているので、夕方に街の中心部のオーガニックスーパーに立ち寄る必要がある。ここ最近はスーパーの店員のメイの姿が見えず、彼女は新しい人生を歩み始めたのだろうかと気になる。

小川のせせらぎのようなそよ風がフローニンゲンの街を優しく撫でている。新しい季節。新しい人生。今日も人生の新たな1日が始まった。フローニンゲン:2020/4/21(火)07:05

5757. 成長と老化を急かす社会:労わりと愛情の念

神々しい朝日。それが今、フローニンゲンの街に降り注いでいる。

朝日の美しさに今日を生きる活力をもらっている自分がいる。朝日に対する返礼としてできるのは、自分の取り組みに今日も邁進することぐらいだろうか。創作活動に従事することは、この世界に対する返礼行為とみなす。

先ほど、若さと老化について書き留めていたように思う。両親を含め、私の身の回りには何人か実年齢よりも遥かに若く見える人たちがいる。

何人かの知人の顔を思い浮かべてみると、彼らはやはり時間の流れが緩やかな世界、つまり自分の内面世界に流れる固有の時間の中で日々を過ごしていることがわかる。

この現代社会は奇妙なもので、人間に成長を急がせるだけではなく、同時に老化も急かしてくる。社会は私たちに早く成長することを要求し、早く老いることを要求してくる。なんという社会だろうか。

さらに言えば、社会は成長を促進することに関しては完全に失敗しており、人間を老いさせることだけに見事に成功している。外に出てみればその具体例には事欠かない。

未熟な大人や魂の抜けた目をしている大人たちで溢れかえっていることにすぐに気付くだろう。この社会は、人々の成長を育むことにはほぼ完全に失敗している。そのようなことを思う。

先ほど、昼に食べるバナナを書斎の窓際に置いた。そう、椎茸と同様に、バナナも天日干しではないが、少しだけ日光に当て、甘みを増すような工夫をしている。

注意点としては、椎茸と異なり、太陽光を当てすぎると腐敗が急速に進んでしまうため、その日の雲の量や太陽光の強さの度合いを見極め、適度な時間を太陽光に晒す必要がある。その点に関しては、日々実験をし、観察データを集め、今はもう自分なりに最適だと思える方法を見つけている。

この時間帯はまだ書斎に太陽の光が入ってこず、窓際にバナナを置くことによって、非常に緩やかに太陽の光を浴びせるようにしている。一方で、買いたての青々としたバナナは、午後の強い日差しに少々当てて、甘みが早く出てくるように工夫をしている。

実は昨夜の就寝前にもバナナについて考えを巡らせており、そのデリケートさについて過去の体験を含めて思い出していた。それらの体験記憶についてはここで書き留めることはしないが、いずれにせよ肝要なことは、バナナを労わり、バナナに愛情を注ぐということである。

そこから私は、身の回りの食材やパソコンなどの物を含め、労わりや愛情の念を持って彼らに接している自分がいることに気づいた。ここからはもう少しその労わりの念や愛情の念を深めていこうと思う。

そのようなことを考えながら就寝に向かい、少しばかり協働プロジェクトの仕事についても考えを巡らし、一つ名案が思いついたので、近日中に協働者の方に連絡をしておこうと思う。フローニンゲン:2020/4/21(火)07:24

5758. 今朝方の夢

小鳥たちのさえずりに耳を傾け、はたと我に返ると、気がつけば時刻は午前7時半を迎えていた。以前として日記を綴っている自分がいる。

そう言えば、まだ夢の振り返りをしていなかったので、今から夢を振り返り、その後の流れはいつもと同じように、少々絵を描き、そこから作曲実践に入っていく。創作上のこうした流れが確立されていることを嬉しく思う。

夢の中で私は、見慣れない外国にいた。辺りはとても薄暗く、それがどこの国かはわからなかったが、欧州の国のどこか、しかも雰囲気としては東欧の国のように思える。

私は街の公園の横に立っていて、誰かを待っていた。するとすぐに、私の横に一台のワゴン車が止まった。中からアフリカ系の大柄だが線の細い男性と華奢な白人女性が出てきた。

どうやら私たちは彼らとこれからどこかへ向かうことになっているらしかった。だが私は、そのアフリカ系の大柄な男性が一流の詐欺師であることを知っていた。

そんな彼は私に知恵を貸して欲しいと述べており、私は犯罪に加担する気は一切なかったが、話だけ聞いてみようと思った。車に乗り込むと、すぐに車はどこかに向かって出発した。

すると後ろから、一台の車が私たちを尾行していることに気づいた。ミラー越しに後方の車の運転席を見ると、大学時代のゼミの親友(YN)だった。

彼はどうやら私が犯罪に協力しようとしていると思っているらしく、私を止めに来たようだった。詐欺師と自分が共謀していると彼は思っており、それについて心配しているようだった。

車が別の公園の前で信号待ちで捕まった時、運転していたアフリカ系の男性と助手席の女性は私に一言述べてから、車から降りてどこかに向かって走っていった。そんな彼らを追うかのように、ゼミの友人が走って彼らの後を追いかけ始めた。

その様子を車内から眺めていた私は、これからどうするかを考えていた。とりあえず逃亡した2人を再度車に乗せるために、自分で車を運転しようと思った。

いざ運転を始めると、運転が不慣れなために随分と危なっかしかった。それでもなんとか細い道を通り抜け、ある自転車修理場の前にやってきた。

そう言えば私は、そこに自転車の修理をお願いしていたことを思い出し、自分の自転車を引き取ることにした。修理はもう終わっていたようであり、修理代を修理工の人に確認したところ、3,000円ほどだった。予想以上に安いことに驚き、私は現金でそれを渡した。

そこからは車ではなく自転車で移動することにした。すると目の前に傾斜のある田んぼ道が現れた。その傾斜はかなりのものだったから、自転車を押していくことにした。

ふと田んぼの方を見ると、そこでは田植えをしている女性たちの姿が見えた。5~6人ぐらいの女性たちが田植えをしており、彼女たちの脇を通りかかろうとしたときに、その中に小中高時代の女性友達(EN)がいることに気づいた。

彼女たちの話に耳を傾けてみると、何やら投資について話をしているようだった。友人の彼女は、専門用語を交えて投資信託について解説をしており、そこにいる人たちにはあまり理解ができないのではないかと思ったが、どうやら彼女たちは全員投資をしているらしく、金融知識がある程度あることがわかった。

金融の話をしながら田植えをしている彼女たちの姿は珍しかったが、とても面白くもあった。彼女たちにしてみれば、投資は当たり前の活動のようだった。フローニンゲン:2020/4/21(火)07:46

5759. 河川敷で見つけたシュールな絵画:バイオダイナミクス農法で作られたチーズ

時刻は午後7時を迎えた。今、小鳥たちが1日を締め括るかのように高らかと鳴き声を上げている。

今日もとても穏やかな1日だった。早朝から雲ひとつない空が広がっていて、太陽が燦々と照っていた。

フローニンゲンの長く厳しい冬も終わりを迎え、今は新しく躍動感を漂わせる春がやってきた。冬の厳しさがあるからこそ、この春がどれだけ有り難いものかがわかる。

今年の春は大いに楽しもう。春の恩恵を心の底から享受させてもらうのである。

今日は夕方に、街の中心部のオーガニックスーパーに出かけた。道中の河川敷には人々が日光浴を楽しんでいた。その中で1人、河川敷の壁に向かって写真撮影している人がいた。

その男性は何やらにやけながらカメラを構えており、何かと思って見てみたら、壁に誰かがアートを描いていたらしく、そのアートがとてもシュールで面白かった。「1.5m」という文字がデカデカと書かれており、その周りにたくさんのコロナウイルスの似顔絵が描かれていて、ウイルスにめげずに元気に自転車で駆け回っている人たちの姿が描かれていた。

私も思わずその場に立ち止まり、それを見て思わず笑った。そこでハタと気づいたのだが、その絵は1ヶ月以上も前からそこに描かれており、それまでの私は完全にその絵を見逃していたようなのだ。

まさに数日前に、自分のパジャマのTシャツのデザインに10年から15年、あるいは20年経って初めて気づいたのと同じように、その絵をこれまで認識していなかったようなのだ。人間の認識の範囲の狭さには本当に驚かされる。

そこにあるものがまるで存在していないかのように、私たちは日々いろいろなものを見逃しているに違いない。まさに密教的な教えや秘儀·秘技と言われるものが、実は表に公開されているのだが、人々の認識に全く上がらないのと同じである。

学術的な知識についてもそうである。「知的ダークウェブ」とでも形容できるかのように、学術的な知識は一見すると一部の学者しかアクセスできないかのように思われがちだが、実際にはダークウェブには誰しもがアクセスできるのと同じように、単に私たちがそうした知の存在に気づけていないだけの状況とも似ている。

この世界は、本当に全てのものが隠しようがないほどに表に現れているのだが、私たちの既存の知識·関心などによって、それらの多くが単に見えなくなっているだけなのだ。全ての存在は遍く場所に顕現しているが、それらがことごとく見逃されてしまっていることを本日の1件から学んだ。

オーガニックスーパーに到着後、いつもとは違って、今日はチーズコーナーに立ち寄った。これまでチーズコーナーがどこにあるかは知っていたが、どのようなチーズが置かれているか真剣に確認したのは今日が初めてだった。

するとここでも驚いた。なんと“demter”認証のチーズがあるではないか!

その認証は、ルドルフ·シュタイナーが提唱したバイオダイナミクス農法で作られた証であり、それは一般的なオーガニック認証を得るよりもハードルが高いことについては以前にも言及したと思う。

ここ最近は、天日干しした椎茸だけではなく、昼には裸になってへその部分に日光をよく当て、自分の身体からもビタミンDを分泌させるようにしており、そこにチーズのカルシウムが相互作用をして、また新しい身体組成が出来上がりつつあるのを感じている。

この店にバイオダイナミクス農法のチーズが置かれていることも盲点だったが、それを見つけたとき、私は大変喜び、今日はそのチーズを購入した。いくつか種類があったが、濃厚なゴーダチーズを購入した。

今食べかけのオーガニックのチーズを食べ終えたら、バイオダイナミクス農法で作られた今日購入したチーズを食べてみて、両者を比較してみよう。せっかくオランダにいるのだから、チーズについても探究を深めていこうかと思う。フローニンゲン:2020/4/21(火)19:25

5760. 来生もまた一緒に

夕刻の晴れ渡る空を眺めながら、独り書斎でたたずんでいる。存在の静かなたたずみ。

成層圏が覗けてしまいそうなぐらいに澄み渡る夕方のフローニンゲンの空をただ眺めている。

そよ風に木々が揺れている。どうやら木々は、そよ風と会話を楽しんでいるようなのだ。

きっとそうに違いない。そうだろう。きっとそうなのだろう。

今日は油絵を描きながら、好きな筆を見つけた。今いくつか好きな筆があり、ようやく少しずつではあるが、自分の好みの筆が見えてきた。

もちろん、そうした好みも今後きっと変遷していくに違いない。自分自身が真に変容を遂げていけば、描く対象も使う筆も変わるはずだろう。そして変わらずに残ったもの。それが自分にとって究極的に大事なものなのだ。

夕食後、しばらくしてメールを確認してみると、山口県にいる親友からメールがあった。コロナウイルスのオランダでの状況を心配して送ってくれたメールだった。

淡く光り輝く夕日を眺めながら、彼のような親友を持てたことを本当に有り難く思った。

私は特別な才能には何一つ恵まれなかったが、素晴らしい両親と親友にだけは恵まれた。それ以外に人生で望むものはあるだろうか。

素晴らしき家族と友。家族と友に恵まれたことに対する感謝の念は尽きない。

仮に生まれ変わったらどういう人生を送りたいか考えたことはないだろうか。私はよくある。

だがいつも回答は同じなのだ。過去にどんなに辛い体験や嫌な体験があったとしても今世と全く同じ人生を送りたいといつも思っている。それが毎回辿り着く同じ結論なのだ。

どうして私は全く同じ人生を送りたいと思うのだろうか。なぜなら私は素晴らしい両親と親友に恵まれたからである。

仮に来生が存在していたとしても、私は全く同じ両親の下に生まれ、全く同じ親友と同じ時を過ごしたい。来生への願いはそれしかない。

同じ両親の下でまた生まれ、同じ親友たちとまたあの頃と全く同じように笑って過ごすこと。それだけが来生への願いである。

それを何度思ったことだろうか。独り何度もそれを思い、何度感謝の涙を流しただろうか。独りこの人生に対して感謝の念を捧げている自分が今ここにいる。

いつもこの主題について思いを巡らせると、大抵自己が自己を越え出ていく。これは紛れもなく自己超出体験の1つである。

今日はあえてその親友に対するメールに返信はしなかった。もう1日返信を温めることにしたのである。

親友の奥さんと2人の子供が元気であることを祈る。他の親友たちは元気でやっているだろうか。

届いて欲しい願いがまた増え、祈りたいことがまた増えた。願い、祈り、日々少しずつ行動しながら進んでいく人生。

明日もまたこの人生が持続して欲しい。自分はこの人生以外に望む人生は1つもない。フローニンゲン:2020/4/21(火)21:00

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