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5752-5755: アートの国オランダからの便り 2020年4月20日(月)

April 22, 2020

No.118 艶やかな世界_A Glamorous World

本日の言葉

In time, things will change and the conditions that produced our current desires will be gone. Why then cling to them now? Hsing Yun
 

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本日生まれた13曲

 

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タイトル一覧

5752. 日々新たな世界と自己:作曲AIについて

5753.「自道」につながる地道な実践

5754. 今朝方の夢

5755. 創造性の探究について

 

5752. 日々新たな世界と自己:作曲AIについて

 

時刻は午前6時を迎えた。辺りはうっすらと明るくなっており、これから朝日が昇ろうとしている。

 

今朝もまた小鳥たちが澄み渡るような鳴き声を上げている。昨夜、とても興味深いことがあった。

 

就寝に向けて歯を磨いていると、鏡に映る自分のパジャマのTシャツのデザインが何であるか初めて知ったのである。そのTシャツはパジャマとしてかれこれ10年近く着ており、10年経ってようやくそのデザインが何であるかを知ったのである。いや、これは高校生ぐらいの時から着ていたように思うので、10年どころではない。

 

人は普段見ているようでいて全く見ていないものがたくさんあるのだということを思わせてくれる出来事だった。その他にも、先ほど書斎の書見台を改めて眺めたところ、竹の書見台の右上隅に“Vincent”と彫られていた。

 

それを見て、ヴィンセント·ヴァン·ゴッホを思い出す。その文字が刻まれていたことも今朝まで気付いていなかった。

 

私たちは見たいようにこの世界を見ており、同時に無数の盲点があるのだということを知る。つまり、この世界には、私たちの認識に上がらないが絶えず存在しているものたちで溢れているということだ。

 

私は、そうした存在たちにできるだけ気付いていきたいと思う。自分の内側の感覚や自分が本当に望むことなども、ひょっとしたらそうした存在に該当するかもしれない。

 

私たちは、自分の内側の感覚や自分が本当に望むことが何なのかに気づけていないだけなのだ。それに気づきの意識を当てるように心がけること。それが大切なように思われる。

 

おそらく、日常の喜びや幸せといったものも気づけるか否かにかかっているのではないかと思う。喜びも幸せも、実は絶えず目の前にあるのだが、多くの人たちはそれに気づけないだけなのだ。

 

気付いていこう。これまでの自分に気付けなかったことにできるだけ気付いて行こう。そんなことを思う。

 

上述の件と合わせて、ここ最近は妙に世界が新たしく見える。日常世界が日々新たに見えるのである。だからこそTシャツのデザインに気づいたり、書見台に刻まれた文字に気づいたのだと思う。

 

日常世界をもっときちんと見ていくこと。初めてこの世界を見るかのように毎日を過ごすこと。実際に日々は常に新しいのだ。

 

毎日は私たち同様に、絶えず生まれ変わり、新たな存在としていつもそこにある。そうした世界を昨日と同じように眺めているのは私たちの認識上の性質及び怠慢さによる。

 

世界も自己も日々新たに生まれ変わっているのだから、世界と自己の双方を日々新たなものとして眺め、それらの内側にある新鮮さに気づいて行こう。これまで見ているつもりでも見落としていたことに気づいていこう。

 

絶えず目の前には気づいてくれることを待っている存在がたくさんいるのだ。それを肝に銘じて今日から日々を過ごして行こう。

 

昨夜はその他にも、改めて創作の補助としてのAIについて考えていた。作曲ゲームを作るよりも先に、作曲に特化したAIを開発してみたいと思う。

 

自分の曲を元データにして機械学習を行ってくれるAIを作るために、やはりどこかのタイミングでPythonか何かのプログラミング言語を学ぼうと思う。ここでも、プログラミングは作曲と同じく言語なのだから、外国語を習得するような形で学習を進めていき、その学習プロセスを楽しみたいと思う。

 

AIと二人三脚で創作活動が出来たらどれほど楽しいだろうか。さらには、自分の死後は、自分の創作遺伝子を受け継いだAIが永遠に曲を作ってくれることを想像するだけで嬉しくなってしまう。

 

今のところ、自分で作曲AIを開発する予定だが、すでにそうしたAIが存在しており、自分の作品をデータとしてそこに取り込むだけでいいものがあるのであれば、そちらを活用してもいいかもしれない。このあたりもさらに調査が必要だ。フローニンゲン:2020/4/20(月)06:24

 

5753.「自道」につながる地道な実践

 

夫婦同士なのか恋人同士なのかわからないが、二羽の小鳥が追いかけっこをして戯れている。遠方の空は、昇りゆく朝日で薄ピンク色に染められている。

 

小鳥たちの微笑ましい光景と朝の空の美しさが広がる世界を今目撃している。こうした日々の何気ない美しさをきちんと見ること。それは先ほど書き留めた日記につながる話である。

 

この世界が私たちに届けてくれる美しい光景の前できちんと立ち止まり、それを感謝の念を持って見届けること。それを今日からより意識していこう。

 

先ほどの日記の中では、作曲に特化したAIの開発について書き留めていたように思う。私は米国マサチューセッツ州にある発達研究機関であるレクティカに在籍していた時から、アナリストとしての仕事の都合上、統計解析に定評のあるRというプログラミング言語を学んでいた。実際にそれを活用して分析の仕事をしていた。

 

また、フローニンゲン大学に移って研究をしている際にも、Rをよく活用していた。その経験上、プログラミング言語を学ぶことには抵抗がなく、むしろ作曲実践や絵画の創作と同じくらいにそれにのめり込んでいた自分がいたように思う。

 

プログラミングもまさに1つの言語であるということを改めて思い、Rを学んでいた頃の学習方法について思い出していた。その学習方法は、作曲の学習にも有益なのではないかと思う。

 

昨日の日記で書き留めていたように、作曲というのは音楽言語という1つの言語を運搬し、それをもって自己を表現する営みである。そうしたことから、作曲言語なるものを外国語やプログラミング言語の習得になぞらえて学習していこうかと改めて思う。

 

現在用いているいくつかの作曲理論書には、譜例が豊富に掲載されており、そこには自分の心に響くものが数多くある。仮に1つの和音に心が動かされるのであれば、それは自分にとって大切にしたいと思う1つの単語だと思うようにし、節として心に響くメロディーやハーモニーがあれば、それは自分の心を打つ言葉のフレーズだと思うようにしよう。

 

そうした自分の心を捉えてくれるものを集め、それらを使って自分の曲を作っていく。理論書の譜例との向き合い方も今日から少し変えていこうと思う。

 

昨晩の日記で書き留めたように、譜例を写譜し、それをアレンジして曲を作るだけではなく、写譜の段階で、別途違うファイルにそれらを保存・蓄積していこうと思う。こうしたストックを地道に積み上げていき、それらを拡張させたり、組み合わせたりする形で曲を作っていく方法も自分の引き出しに入れておこう。

 

写譜に関して言えば、これそのものからも得るものが多いが、写譜したものから自分独自の曲を作ることによって得られる学びの方が大きい。写譜を漠然と行っていては気づけないような作曲者の意図に気づくことができるのが、後者の実践の良さである。

 

結局のところ、自分の心に響く作曲言語を持っている作曲家からその語彙や言い回しを含め、彼らの言語体系を自分の内側に一旦取り込んだ上で自分なりの言語体系を構築していく必要がある。そうした観点において、写譜だけではなく、写譜の後に自分独自の曲を作っていくことは、まさに自分の言語体系を涵養することにつながっているように思える。今日もまたそうした実践を地道に行っていく。

 

地道な実践。それこそが、自分だけの道、つまり「自道」につながっていくのだと思う。フローニンゲン:2020/4/20(月)06:43

 

5754. 今朝方の夢

 

朝日が赤レンガの家々に照り始めてきた。時刻はいつの間にやら午前6時半を迎えていた。

 

新緑がそよ風に揺れている。その揺れを眺めながら、今日も適度な揺れを自らに感じながら1日を過ごしたいと改めて思った。

 

日々の創作活動を通じて、絶えずこの世界と自己の新たな側面に気づいていくこと。なるほど、創作活動というのは単に自己表現的な実践であるあるだけではなく、世界発見と自己発見につながる営みだったのだ。

 

今日はこれから夢について振り返り、そこから少し絵を描いて、その後、早朝の作曲実践に取り掛かる。午前11時から1件ほどオンラインミーティングがあり、それまでの時間は全て創作活動に充てていこう。

 

今朝方は主に3つの夢を見ていたように思う。とりわけ最初の夢は印象的だ。なぜなら、いよいよ夢の世界の中でも曲を作るようになったからである。

 

夢の中の私は、パソコンと向き合うことをせず、脳内に構築した想像上の譜面を用いて作曲をしていた。調はシンプルにAマイナーを選択しており、16小節ぐらいの短い曲をサッと作り上げていた。最後、曲の終結部分にはセカンダリードミナントという概念を適用し、ひと工夫凝らした。

 

夢の中の自分は曲を作りながら、自分の脳内で譜面を想像できるようになったことを嬉しく思っており、さらにはそれを用いてまるでパソコンの作曲ソフトで作曲しているかのように実際の音を聞いているような臨場感を持って作曲をしていることを喜んでいた。

 

曲を作り終え、これからはいつどこにいても作曲が脳内でできることに対して嬉しくなり、早速次の曲を作ろうとした。そこで一度目が覚めて、寝室の窓の外で何かがコトコトと物音を立てていた。

 

時刻はまだ午前1時であり、確かにそこで起床してもいいぐらいの心身の状態であったが、トイレに行き、そこからまた就寝した。するとすぐにまた夢の世界にいざなわれた。

 

次の夢の中で私は、大学時代のゼミの友人(TA)と欧州のどこかの港町で話をしていた。彼も私と同じく、最新のiPadを購入したようであり、もうノートパソコンは必要ないということを述べていた。私はiPadとノートパソコンを使い分けており、iPadがあるからノートパソコンが不要になるわけでは決してないと思っていた。

 

友人の彼はオンライン上で学習コミュニティーを2つ立ち上げ、そのコミュニティーを通じてビジネスを行っていた。しかし、彼は全く新しいビジネスの立ち上げに力を入れようと思っているようであり、それら2つの学習コミュニティーを誰かに委託して、その手数料収入を得るような仕組みを作ったそうだ。

 

そのような話を彼としていると、いつの間にか私の意識は、東京湾を走る高校生に向けられていた。そこでは見知らぬ高校生の男子がトレーニングとして波止場を走っていた。

 

彼が走る姿を眺めていると、再び意識が移動し、今度は肉体と共に、どこかの研修施設の中にいた。そこでは小中高時代の友人(AF)と一緒に受けたテストの返却に立ち会い、彼とお互いの点数を公表しあった。それは100点を1点に圧縮した1点満点のテストだった。

 

私は小さな計算問題を1つ間違えただけであり、問題ごとに点数のウェイトが異なっており、自分が間違えたのは0.05という小さなウェイトだった。一方で、友人はウェイトが大きい問題を間違えていたようであり、彼の合計点数は0.7とのことであり、自分の点数は限りなく1に近かった。

 

自分の点数を算出するのが面倒だったので、隣にいた見知らぬ男性に代わりに計算をしてもらおうと思ったが、その男性は計算にてこずっているようだったので、仕方なく自分で点数を算出することにした。因数分解の考え方を用いて計算すればほぼ一瞬で計算できると思ったが、微妙な数字であったため、それを2乗するのが意外と大変だった。

 

そのような夢を見ていた。実際には、その他にもあと1つか2つほど夢の場面があったように思う。フローニンゲン:2020/4/20(月)07:02

 

5755. 創造性の探究について

 

夕方の空の美しさに思わず息を飲んでしまいそうである。いや、息を飲む対象は私ではなく、青空そのものなのかもしれない。青空が私を飲んでいる。

 

今日もまたとても充実した1日だった。世間は相変わらずコロナウイルスで右往左往しているかもしれないが、このように毎日を過ごせることの有り難さを思う。

 

今朝方の夢の中で曲を作っていたのと同じように、午後の仮眠中においても曲を作っていた。ここのところは創作活動に取り組む際の集中力が高まり、1日を通して、協働プロジェクト関係の仕事以外の時間は全て創作活動に充てている。

 

毎日生み出される曲や絵の数が多くなっているのはそのためであり、今後もこうした形で毎日を過ごしていきたい。作曲にせよ絵画の創作にせよ、自由自在に音と絵で内的世界を表現していくまでにまだ当分時間がかかると思われるが、必ずそこに到達するであろう自分がいることを知っている。そう、もはやそれを知っているのだ。

 

そうした姿を毎日思い描き、そこにありありとそうした自分の姿が見えている。それは視覚的に見えているというよりも、感覚的、いや「存在的」あるいは「実存的」に見えているのである。それらは「霊的」に見えているとも言えるかもしれない。

 

外国語の習得を楽しむように作曲言語を学んでいくという意識を今日も持っていた。学んだ外国語をすぐに使ってみて自己表現をしていくように実践を進めている自分がいる。

 

生み出される文章は稚拙だとしても、文章を生み出すことそのものに喜びがある。初めて書いた日記のことを思い出そう。

 

あれは5歳ぐらいの頃だったか。記憶に残る限り、それくらいの年齢だったと思う。

 

最初に書いた日記、それはおそらく父に見せていたものだったのではないかと思う。自分が書いた日記に対して、父が赤ペンか何かでコメントをしてくれていたのを今でも覚えている。このエピソードについてはそういえば過去のどこかの日記で書き留めていたように思う。

 

来月の中旬から始まる「一瞬一生の会」において、英文書籍の一冊として、“Creative Confidence: Unleashing the Creative Potential Within Us All”という書籍を取り上げることになっており、それは今の自分の関心と多いに合致しているように思える。日々創作活動に励む中で、創造性とは何かについて様々な観点から日々考察をしている。

 

創造性に関する科学的な研究は、フローニンゲン大学で行っていた研究を最後にもうそのような探究はしていない。今は思想的な観点から創造性についての探究をしていきたい。

 

もちろん、トランスパーソナル心理学や精神分析学の観点、さらには創造性の発揮には身体性が密接に関わっているために身体心理学の観点からも創造性の探究をすることができる。だが今のところは、美学や実存的心理学などの観点から創造性を探究していきたいと思う。

 

今日はこれからもう1曲ほど作曲実践をしたい。今日は昼前にオンラインミーティングがあり、12曲ほどしか作っていない。まだ作り足りない自分がいるので、いつもは夕食後は新たに曲を作ることはなく、原型モデルの作成に時間を充てているが、今日はこれから短い曲を1つだけ作る。

 

その後、時間が許す限り絵を描き、就寝前に静かな音楽を聴きながら踊りを踊りたい。祈りの気持ちを込めて曲を書き、絵を描き、踊りを踊る。

 

そうした日々をこれからも続けていく。いつか自分の祈りが届くことを信じて。フローニンゲン:2020/4/20(月)19:18

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