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5739-5740: アートの国オランダからの便り 2020年4月16日(木)

April 18, 2020

No.75 夜光魚_Noctilucent Fish

 

本日の言葉

To set up what you like against what you dislike, is the disease of the mind. Seung Sahn
 

下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(16点:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

アート・ギャラリー

 

本日生まれた13曲

 

本日生まれた曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

本日生まれた曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

 

タイトル一覧

5736. 最初の一音・最初の一筆

5737. 創作活動のモチーフ:今朝方の夢

5738. チーズの再考:作品の創り手の心身の状態

 

5739. 今朝方の夢:言語の習得と作曲・絵画の実践

 

時刻は午前5時半を過ぎた。今朝の起床は午前5時であり、その時にはもう小鳥たちが鳴き声を上げ始めていた。今日は彼らの方が早起きだったようだ。

 

ちょうど今、早朝のヨガの実践と、音楽に合わせて踊りを踊り終えたところである。今のフローニンゲンの気温は3度と低いが、身体を動かしたこともあり、書斎と寝室の窓を開けていても寒さを感じない。それよりも体がポカポカしているぐらいだ。

 

このように早朝に身体を動かすことによって、1日の活動に向けた準備が整う。心身の状態を整えてから創作活動に取り組むこと。それは欠かせないことである。

 

早朝のヨガの実践に入る前に、ヨガマットの上で呼吸法を行い、瞑想的な意識状態に入ることを今日も行なった。とても静かな心の状態がもたらされ、その状態は今も続いている。

 

ダークブルーに変わり始めた空を眺めながら、今朝方の夢について振り返りたい。夢の中で私は、日本なのかヨーロッパなのかよくわからない街で、何か探し物をしていた。

 

これまでアメリカでも生活をしていた経験からすると、その街はアメリカでないことは確かだった。そうした街で宝探しのような形で探し物をしていた。

 

それは決して失くしたものを探すのではなく、隠れているものを探すような状況であった。しばらく探し物をしていてもそれが見つかることはなく、私は新幹線のような列車に乗った。車内の雰囲気からすると、その列車は日本製のものだった。

 

どういうわけか、その新幹線の中でも私は引き続き探し物をしていた。その時の自分の気持ちは中立的であり、特に否定的な感情もなく、肯定的な感情もなかったように思う。静かな心で淡々と探し物をしていたような感じだ。それが見つかることを期待するのでもなく、本当に淡々と探し物をしていた。そこで夢の場面が変わった。

 

次の夢の場面では、高校時代の友人(HH)と話をしていた。彼と話をしていると、私たちの目の前を、小中高時代の親友(NK)が通り過ぎようとしており、彼はとてもかっこいいスリーピースのスーツを着ていた。

 

実はその場にいた彼もまたかっこいいスリーピースのスーツを着ていたのだが、私からすると、2人が着ているものを交換したら2人がもっとかっこよく見えるのではないかと思った。そうしたこともあり、私は2人にスーツの交換をすることを提案した。彼らもその提案を喜んでおり、早速スーツを交換し、着替えてみたところ、やはり2人は先ほどよりもかっこよく見えた。

 

2人の喜ぶ姿を見て、私の中からも喜びの感情が芽生えたところで夢から覚めた。実際には、今朝はもう少し他の夢を見ていたような気がする。

 

夢の世界は本当に底がしれないほどに深い。それは創造の源になっていて、夢の世界を起点に曲や絵画を生み出していきたいと思うぐらいだ。

 

無意識の探求を兼ねた創作活動を今日も行なって行こう。創作物の全ては、無意識の何かしらの反映であり、無意識に起源を持つ。

 

昨日はふと、外国語において、非ネイティブの人間がネイティブ以上の文章を執筆することが可能なように、音言語や絵画言語でもそうした言語習得がなしうるということについて考えていた。それらの言語にも文法のようなものがあり、その実用的文法の運用方法を鍛錬しているのが今の自分の状況だろうか。

 

英語の文法を無意識的に使いこなし、自分独自の文章の生成ができるようになるまでに多大な時間を要した。音言語や絵画言語の習得にも膨大な時間がかかるだろうが、それらもまた言語であることに変わりはないであろうから、言語習得の観点からも作曲実践と絵画の創作に取り組んでみようかと思う。フローニンゲン:2020/4/16(木)06:07

 

5740. 人生の縮図としての創作物

 

昨日に引き続き、今日も晴天に恵まれた1日だった。そして、創作活動に打ち込み続ける1日だった。

 

午前中に1件ほど協働プロジェクト関係のオンラインミーティングがあった以外はほぼ全ての時間を創作活動に充てていた。改めて、曲を作ったり、絵を描いている最中の自分が大いにくつろいでいることに気づいた。それらの創作活動は、魂をくつろがせているようなのだ。

 

不思議なことに、それらの創作活動に従事しているはずの魂が、そうした活動を通じてくつろいでいるというのが興味深い。魂は創作を通じて治癒され、そして変容していくのだろう。

 

創造は、内面世界に調和と変容をもたらす。それを改めて実感する1日であった。

 

先日までは集中的に読書をしていたが、再び読書から離れている。今は他者の言葉から距離を取り、読書を控える時期だ。

 

また近々集中的に読書に励む時期がやってくるだろう。それはサイクルを持っている。今温めている探究テーマがいくつかあり、次回に書籍を大量注文する際には、それらのテーマに関する書籍を購入することになるだろう。そして、その時に関心を持っている新鮮なテーマに関する書籍も購入する予定だ。

 

再度絵を描く目的について思いを巡らせていると、その1つとして、自分の内面世界の固有の色と形を把握したいと思っている自分がいることに気づく。内面世界に固有の色と形を絵として表現し続けていくと、それらがどのように発達していくのかにも関心がある。

 

毎回作曲をしていて面白いのは、1度たりとも全く同じ曲が生まれないということであり、それは絵画の創作にも当てはまる。

 

全てが1度限りであるということ。まさにそれは人生そのものに他ならない。

 

そのように考えてみると、人生を1つの巨大な生命と見立てた時に、1つ1つの創作物というのは人生のフラクタルだと言えるかもしれない。すなわち、それらは人生の縮図なのである。しかもその縮図は、毎回新たな表情を見せる。

 

1つ1つの作品には固有の命が宿っている。それは儚く一回限りのものだが、それが作品という形となった瞬間に永遠の命を得る。

 

今日生み出した曲も絵も、自分の1度限りの人生の縮図であると思うと、それらの創造物に対する見方がまた変わる。そして、創作活動そのものに取り組む姿勢も変わる。

 

今日はこれから就寝までの時間を使って、曲の原型モデルを作成していく。今日はバッハの曲に関していくつか原型モデルを作ろうと思う。それと、ロベルト·シューマンの曲も参照しようかと思う。ある程度原型モデルを作ったら、1日を締め括るために再度絵を描こうと思う。

 

午前中にふと、書道的なものと絵画的なものを組み合わせていくと面白いかもしれないと閃いた。そうした表現を今の自分は好んでいるらしいのだ。

 

文字のようなものとシンボルを組み合わせ、そこに治癒と変容を促すエネルギーを込めていく。そのような意図を持って今夜もまた絵を描こう。フローニンゲン:2020/4/16(木)19:21

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