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5720-5723: アートの国オランダからの便り 2020年4月11日(土)

April 13, 2020

No.22 無意識の深海_The Abyss of Unconsciousness

 

本日の言葉

Everyone is a little crazy. Remembering this helps us lighten up. Surya Das
 

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本日生まれた13曲

 

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タイトル一覧

5720. 名前に隠された人生の目的

5721. 相互互恵的ベクトルへの変容

5722. 今朝方の夢

5723. 絶え間ない創作に向けて

 

5720. 名前に隠された人生の目的

 

時刻は午前6時半を迎えた。今朝もまた、小鳥たちが美しい鳴き声を上げている。それは外の世界に高らかに鳴り響いていて、早朝の静かな世界に染み渡っていく。彼らの鳴き声は、自分の内側の世界にも染み渡っていく。

 

つい先ほど、音楽を聴きながら踊りを踊っていた時に、書斎の窓の外を見ると、裸の木の枝で一悶着があった。1羽のハトが木の枝に止まっていて休んでいたのだが、そこに1羽のカラスのような黒い鳥がやってきて、ハトを追い出したのである。

 

その木の枝には別に餌があったわけでもないように思えたので、私はそれを不思議に思った。単にカラスは利己的な衝動からハトを追い出したように思えた。

 

木の枝に止まったカラスは少し誇らしげに見えたが、私からすれば滑稽だった。止まるのに適した枝はもっと他にたくさんあったのだから、何もその枝に止まる必要はなかったのではないかと思う。

 

誰かが止まった場所を奪いたかっただけなのだろうか。そのカラスの姿は、まるで地位やポジションを奪い合う愚昧な人間たちのように思えた。

 

今朝もまた満月が見える。白味がかった青空の上空に満月が浮かんでいる。それはこちらに微笑みかけてくるかのような優しい光を発している。

 

天気予報を確認すると、嘘のように晴れマークが続いている。秋以降からつい先日までの鬱蒼とした天気が嘘のようである。毎日どこかのタイミングでほぼ必ず雨が降っていたあの日々が嘘のようである。

 

今日明日は最高気温が20度前後となり、大変暖かい。一方で、来週の月曜日と火曜日はまた気温が下がり、最高気温は9度ほどになるとのことである。

 

行ったり来たりを繰り返しながら新たな季節に向かっていくフローニンゲン。自分もまた自らの人生の新たな季節の到来に向けて、様々な観点において行ったり来たりを繰り返すのだろう。

 

数日前に協働プロジェクトに関するオンラインミーティングがあった時に、協働者のある方が大変興味深いことを述べていた。「人生の目的は、自分の名前に組み込まれている」とのことである。

 

自分の名前をひらがなに分解して並び替えてみると、人生の目的が思わぬ形で見つかるかもしれないとのことだった。ただし、それを自分でやろうとすると、自分の認識の枠組みが邪魔になるためにうまくいかない可能性が高いそうだ。できれば他者にやってもらうのがいいとのことだった。

 

それを聞きながらも、自分で密かに並び替えをしてみたくなるものである。「かとうようへい」を並び替えると、どのような人生の目的が見つかるだろうか。

 

今名前を並び替えてみた瞬間に、自己が自己の外に出た。自己が既存の認識の枠組みから外に出たのである。これは昨夜も体験していた出来事だった。

 

就寝前に音楽に合わせて無心で踊っていると、自己が己を越え出ていき、あの静かな境地に至ったのである。ここ最近は、こうした自己超出体験をすることが多くなっているように思う。

 

こうした体験は、日常の何気ない瞬間に突然やってくることが多いのだが、無心で踊りを踊るというように、瞑想的な特殊な意識状態によって起きることが多いことにも気づいている。言葉を介在した思考を働かせない脳の状態と意識状態にはやはり何かがある。自己変容的な作用がそこにあることが見て取れる。フローニンゲン:2020/4/11(土)06:48

 

5721. 相互互恵的ベクトルへの変容

 

穏やかな波音。今、それを聴いている。

 

以前までの私は、書斎で自分の取り組みに従事している時には常にピアノ曲を聴いていた。1日に12時間以上毎日ピアノ曲を聴いていた。

 

ところが今はピアノ曲をそれほど長く聴くことはなく、1日の大半は環境音を聴くようにしている。波の音が収められた音楽や森の中に響く小川のせせらぎと小鳥の鳴き声が収められた音楽などをうまい具合に見つけ、それらを繰り返し聴いている。

 

もちろん、今この瞬間のように、本物の小鳥たちの鳴き声もそれらに付け加える形で聴いている。ヨーロッパの街にいながらにして、絶えず海辺にいるような形で、あるいは森の中にいるような形で毎日を過ごしている。将来、本物の海や森とすぐ近くの場所に生活拠点を設けるかもしれない。

 

なぜ自分はオランダの地に呼ばれたのか。なぜ自分は作曲と絵画の創作に呼ばれたのか。その点について昨日も思いを巡らせていた。

 

昨夜の就寝前には、今から10年前のことも思い出された。当時私はまだ大阪に住んでいた。

 

当時の仕事は国際税務コンサルティングだった。その時の仕事とは全く異なる事柄に従事している今の自分。それは、この10年の間に大きな変容があったことを物語っている。

 

なぜか10年前の大阪時代のことがふと思い出され、記憶のイメージ世界の中にしばらくいた。

 

自宅のマンションの前には公園があった。その公園は野球ができるような広さがあり、実際に野球用の金属網のようなものが公園の一角に張り巡らされていた。金網の下の部分はコンクリートになっていた。

 

野球の投球練習や守備の練習をするために、そこにボールをぶつけている少年たちの姿を見たことはないだろうか。そうした練習ができるコンクリートがそこにあった。

 

当時すでに社会人になっていたが、会社にいく前や週末に、時々私はその公園でサッカーをして1人遊んでいた。その時の遊びの1つが、1m以下のコンクリートの壁にシュートを打ち、跳ね返ってきたゴロのボールに対して再びシュートを打つというものだ。これを左右の足で延々と繰り返すことが楽しみの1つだった。

 

随分と昔の日記の中で書き留めたが、家の中でサッカーの練習をしていると、下の人がうるさいと述べていると管理人の人から言われ、それ以降家の中でサッカーボールを触ることをやめた。

 

その公園に関する思い出は他にもある。公園の周りには立派な木々が植えられており、夏はそれらの木々が生命力豊かに輝きだす。

 

その木々の下には歩道があって、そこを時々ゆっくりと走っていた。その際に、私は時々立ち止まり、木々に話しかけたり、木に手を当てて、木からエネルギーをもらったりしていた。

 

そうなのだ、10年前の私は木からエネルギーをもらおうとするような発想を持っていたのだ。それが今はどうだろう。

 

今も私は、立派な木を見ると、それに近寄って心の中で話しかけたりしている。そして実際に木に手を触れたりもする。

 

しかし私は、木からエネルギーをもらうというようなことをはもうしていない。むしろこちらからエネルギーを分け与えているのである。

 

仮にあるとすれば、それはエネルギーの交換だろうか。少なくとも木から一方的にエネルギーをもらうというようなことは決してしない。

 

10年前の自分は、自分が何かを受け取ることだけを考えていたのではないかと思う。一方で今の自分は、そうした自分から脱却し、何かを分け与えようとする意思を絶えず持っている。

 

片方の向きしかないベクトルが変化し、相互的なベクトルになったのだ。それによって、人生においても絶えず様々な相互的なベクトルが自分を取り巻くようになったように思う。

 

自己依存的なベクトルから相互互恵的なベクトルに変化したこと。それがこの10年間の自分に起きた1つの大きな変容だったように思う。そうした気づきを得た時、ベッドの上の私は眠りの世界に静かに入っていった。フローニンゲン:2020/4/11(土)07:10

 

5722. 今朝方の夢

 

打ち寄せる穏やかな波の音と小鳥たちの美しい鳴き声。それらが今自分の耳に届けられている。前者はパソコンに収められた音楽なのだが、自分の脳は、それを実家の瀬戸内海の穏やかな波の音のように認識している。

 

あと少しで欧米での9年目の生活が始まる。思い返してみると、この9年間においては、日本で身に付けたもの、あるいは染み付いたものを洗練させたり浄化させたりするような期間だったように思う。

 

毎年日本に一時帰国するたびに、日本に対する印象が変化していることからもそのようなことが窺える。一方で、そうした洗練·浄化期間は思っていた以上に長く続いていることにも気づく。そのプロセスは現在もまだ進行中なのかもしれない。

 

日本で生活することを通して獲得された感覚や思考の枠組みがまだ根強くこびり付いており、その浄化が依然として行われている。もちろん、直近の数年において、その浄化も進み、プロセスは佳境に入っているのかもしれないが、佳境から終結までは、ひょっとするとここから10年やそれ以上の年月が必要になるかもしれない。

 

朝日が赤レンガの家々に反射し、ほのかな黄金色を発している。今朝方も夢を見ていた。

 

夢の中で私は、小中高時代の友人と少しばかり喧嘩をしていた。喧嘩の発端はとても些細なものだったように思う。

 

他の友人を含め、私たちは旅館に泊まっていて、彼と仲直りをしようと思って旅館の食堂で彼に話しかけた。私は自分の非を認め、彼に誤った。彼も自分の非を認めていながらも、なかなか謝罪の言葉を述べることはなかったが、そうした彼の行動も自分は受け止めていた。

 

そう、喧嘩の発端は、彼が私にくれた弁当の中に埃りか何かが入っていたことだったように思う。その弁当は彼のお母さんが作ってくれたもののようであり、埃りについて指摘したことが、彼にとってみれば、自分の母親が作ってくれた弁当が批判されているように感じられたのだと思う。

 

そのようなことがきっかけで、少しばかり言い合いになったのを覚えている。結果的には、私たちは仲直りをした。そのような夢の場面があった。

 

次の夢の場面では、私は新幹線の発着駅にいた。駅構内の様子からすると、混雑しているような時間帯であり、乗るべき新幹線の到着時刻が迫っていたので、私は少し急いでいた。

 

新幹線乗り場に向かう改札口を通ろうとすると、いつもとは異なり、自動改札機がなく、切符を係員に手で渡す必要があった。私は自分の切符を女性の係員に見せたところ、「切符の署名欄への記入をお願いいたします」と無愛想な顔で言われた。それに対して私は、「わかりました。すぐに署名します」と述べて、その場で署名をしようとした。

 

すると、「署名は切符の購入機の前で行ってください」と言われた。私は急いでおり、またその場で署名することは他人に迷惑をかけることでもなく、すぐに終わることでもあったので、その係員が述べたことには納得できないものがあった。

 

その理由について尋ねてみると、これまた無愛想な表情で、「それは規則ですから」と言われた。それを聴いた時に、「規則を守ることしか考えられない典型的な日本人だな」という言葉が喉元まで出かけたが、その言葉を述べることをグッとこらえた。

 

その代わりに、目の前で規則を破ってやろうと思い、私はその場で適当に署名をし、強引に改札口の向こう側に出て行った。女性の係員はもはや自分を止めることはできなかった。

 

すると不思議なことに、私の意識は彼女の心の内を見透かしており、彼女の心の声が聞こえてきた。その声の内容は、これまでは規則を絶対のものだと思っていたが、状況に応じて規則を逸脱した行動を取ることが許容される場合もあるということを理解した、というものだった。

 

その声を聞きながら、私は新幹線乗り場に到着した。すると、自分が乗る予定だった新幹線はすでに到着しており、慌てて乗ろうとすると、目の前でドアが閉まった。

 

動きだす新幹線を見守りながら、次の新幹線に乗ることにした。次の新幹線は20分後と比較的早く到着するらしかったので、新幹線を乗り損ねたことに対してそれほど落胆の気持ちはなかったが、あの係員とのやり取りがなければ予定通りの新幹線に乗れたのにとも思った。

 

しかしながら、彼女が新たな認識の枠組みを獲得するきっかけになったのであれば、あのやり取りも無駄ではなかったと思った。そこで夢から覚めた。フローニンゲン:2020/4/11(土)07:33

 

5723. 絶え間ない創作に向けて

 

時刻は午後7時を迎えた。今、西の空に夕日が燦々と輝いている。日没まであと1時間半ぐらいあろうだろうか。

 

就寝の準備に向けてあとまだ2時間半ある。夕食後のここからは曲の原型モデルの作成と、何か絵画を描きたいと思う。

 

午後、人間はどれくらいの質のものをどれくらいの量創造できるのかということに妙に関心が向かった。量が質に転化する臨界点を何度も超えていこう。

 

発達の螺旋階段を愚直に登っていく。登っていく方向が見えなくても、登っているようでいて停滞や退行が生じていたとしても歩みを止めることはない。

 

作曲の学習と実践の合間に休憩として絵画を描いていく。寛ぐために絵画を描くことにする。

 

絵画は寛ぎをもたらしてくれる。それは創造に伴う癒しの力だと言えるだろうか。この癒しの力が変容の力にもなるということ。それを絶えず念頭に置いておく。

 

創造するために創造することを通して自己が寛いでいく。創造と寛ぎの中で、作曲と絵画の創作を行き来していく。

 

できる限り全ての時間を創作に充てたらどうなるのだろうか。そのようなことを考えた。

 

他者や社会に惑わされず、自分の全ての時間を創作活動に振り向けていく。まだ無駄な時間がある。毎日の時間からそうした無駄を徹底的に排除し、それによって生み出された時間を全て創作に振り向ける。

 

目にするもの、耳にするもの全ては、自分の肥やしにつながるものだけにする。世の中には肥やしにつながらないようなもので溢れているのだから、細心の注意が必要である。

 

夕方に近所のスーパーに出かけた。途中、河川敷にマットを敷いて、そこで日光浴を楽しんでいる人たちの姿を見かけた。

 

スーパーに到着すると、今日はいつも以上に列ができていた。昨日に引き続き、明日と明後日は祝日とのことであるから、その前にみんな買い物にやってきたのだろう。

 

夕日を浴びながら列で待っている最中もずっと、頭の中は音楽と絵画のことで一杯だった。昨夜は、ベッドの上で自画像を頭の中で描いていた。スーパーの帰り道は、脳内に楽譜を生み出し、そこで音を実験的に並べていた。

 

プロ棋士が脳内に碁盤を思い浮かべ、いつどこでも将棋や囲碁を行うかのように、数学者が脳内に数式を思い浮かべていつでもどこでも数学を行うかのように、絶えず作曲や絵画の創作を行っていく。

 

夕食を作っている最中、フローニンゲン大学で創造性の発達について学習していた意味とその導きに遅まきながら気づいた。それは全て作曲と絵画の創作のためにあったのだ。アメリカから日本に一度引き上げたこと、そしてそこからオランダにやってきたことの深層的な意味が見えてきた。

 

作曲と絵画の創作の2つの領域で1万時間の法則を適用していこう。現在の時間の使い方をより突き詰めていけば、2つの領域で1万時間の法則を数年以内に実現させていくことはそれほど難しくない。

 

おそらくは、1万時間の法則を超えた後から真の創作が始まる。それまでは単なる準備である。

 

脳の可塑性を最大限に発揮するために意識状態や心身の状態を絶えず整えていく。脳の可塑性を大いに発揮することができれば、後発的な形で始めた2つの実践においても、自分が望むような境地に必ず到達できるはずである。これまで学んできた発達科学の知見を全て自分に適用していく。

 

今日はまだ就寝まで時間がある。1日を創作で終え、1日を創作で始めていく。フローニンゲン:2020/4/11(土)19:25

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