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5716-5719: アートの国オランダからの便り 2020年4月10日(金)

April 12, 2020

No.17 小鳥たちの高鳴る鳴き声_An Augmenting Sound of Little Birds_0411_2020

 

本日の言葉

It is necessary to cultivate some discipline of mind, for an undisciplined mind always finds excuses to act selfishly and thoughtlessly. Anguttara Nikaya

 

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本日生まれた10曲

 

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タイトル一覧

5716. 自由自在の創作の境地に向かって

5717. 毎日を祝日として過ごすことの大切さ

5718. 今朝方の夢

5719. 活気が戻りつつあるフローニンゲン:自画像を描き終えて

 

5716. 自由自在の創作の境地に向かって

 

時刻は午前4時を迎えた。今朝の気象は午前3時過ぎであった。

 

このところは夕食の量が以前よりもさらに減り、消化活動がほぼ完全に終え、むしろお腹が鳴るぐらいのところで就寝に向かうことができている。就寝中において消化にエネルギーを使う必要がなく、日中の活動で得られた事柄を咀嚼することに睡眠が当てられており、また心身の十分な回復に睡眠が当てられていることを実感する。

 

闇の中、ポツンと私は1人書斎にいてこの日記を書いている。起床直後、いや身体を起こす前の段階、すなわち目を開けた時のあの喜びの感情を思う。今日もまた創作活動が始まったという途轍もない歓喜である。

 

歓喜により目覚め、歓喜から始まる毎日。今、自分は創作という海の中に、あるいは宇宙の中に浸り切っている。

 

振り返れば、日記の執筆に本格的に取りかかり始めたのは2015年の夏ぐらいからのことであり、作曲を始めたのは2017年の9月1日、絵画に関してはつい数日前である。いずれもまだ日が浅い。

 

とりわけ作曲や絵画に関して言えば、それらは自分にとって未知の領域であり、専門的な教育など何一つ受けていないのだから、本当にまだまだこれからである。ここから数年間は徹底的な基礎鍛錬の時期になるだろうか。

 

ここから数年というのは短すぎるかもしれない。一生涯鍛錬は続くであろうから、そうした年数を設定することはそもそもお門違いなのかもしれない。

 

ただし、今から数年後の自分の姿を想像してみよう。仮に今と同じような鍛錬を毎日数年間継続させていくとどうなるか。例えば3年後の自分はいかような日々を過ごしているだろうか。

 

日記の執筆を本格的に始めてから3年後のことを思うと、作曲や絵画の創作をこれから愚直に3年間続けた後に待っている自分の姿に期待がかかる。それは過度な期待ではもちろんなく、そこに待っている新たな自分と出会えることの嬉しさが今この瞬間にある。

 

3年後の自分を今想像した時点で、その自分は今ここいるのである。この意味が伝わるであろうか。ある事柄を想起した瞬間に、それは今この瞬間に顕現するのである。

 

ここから数年間創作活動に明け暮れた後に待っている自分。おそらくその時の私は、自らの言葉·音·イメージを自由自在に創造することができつつあるのではないかと思う。

 

今のところ想定している残りの人生は85年ほどだが、80年を切る前になんとかそうした境地にいたいと思う。自由自在に、尚且つ無限に、膨大に自分の言葉·音·イメージを創造し、それを持って自らの内面宇宙を形作っていく日々を残りの80年間過ごすこと。そうした人生を生きたいと強く思う。

 

今日は満月が見えないと思っていたが、昨日よりも早い起床であったから、月の位置が昨日とは違っていただけだった。書斎の窓辺に歩み寄って、まだ明けぬ早朝の空を見上げると、月がポッカリと浮かんでいた。それはポツリと浮かんでいたのではなく、ポッカリと浮かんでいた。

 

私に見られた月は、もはや独りではない。月を見る前の私は独りであったが、月を見てそれを認識した瞬間にもはや独りではなかった。

 

創作、創作、創作。今日もまた創作に明け暮れる1日となる。フローニンゲン:2020/4/10(金)04:35

 

5717. 毎日を祝日として過ごすことの大切さ

 

書斎の机にはカレンダーがある。カレンダーと言っても立派なものではなく、フローニンゲン大学が毎年大学関係者向けに発行しているA4一枚ほどの年間スケジュールを今でも毎年プリントアウトし、それを机の上に置いている。

 

毎朝起床と共にその日に鉛筆で丸印をつけることが朝の日課の1つである。今日も同じように丸印をつけたところ、本日の表記が祝日になっていた。

 

何の祝日かと思って調べてみたところ、今日は“Good Friday”という祝日らしい。何のひねりもないシンプルなネーミングに思わず笑みがこぼれた。今日は「良き金曜日」とのことである。

 

Good Everydayのような形で毎日過ごしている私からしてみると、わざわざ祝日にそのような日を設けてもらわなくていいのだが、一応そうした祝日があることを有り難く思おう。事実このシンプルなネーミングの祝日を知った瞬間に、自分は毎日が良き日であり、毎日が祝うべき祝日であると気づけたのだから。

 

祝日という構成概念についてもよくよく考えてみると、ひょっとすると多くの人たちにとっては、国によって制定された祝日だけが祝うべき日としてみなされているのではないだろうか。そのような認識を持っているとすれば、直ちにそれは捨てるべきだろう。

 

毎日が祝日ではない人生を過ごすなどというのはおかしなことすぎる。いつから私たちは、祝日を他者や社会に委ねることになったのか。

 

祝うべき日というのは自ら制定するべきであり、自らの人生を毎日十全に生きているのであれば、毎日が祝日ではないというのはおかしな話ではないだろうか。

 

Aを規定した瞬間に、not-Aが措定されることを忘れてはならない。つまり、祝日という境界線を引いた瞬間に、祝日ではない日が存在してしまうのだ。

 

祝日とそうではない日々、しかも国が制定する祝日の数はたかが知れているのだから、圧倒的多数の祝日ではない日々を過ごすのは馬鹿げだことではないだろうか。祝日などとは無縁に毎日輝いている月がそのようなことを述べている。

 

今日は国が制定した祝日とのことだが、街の中心部のオーガニックスーパーは通常通りの営業とのことなので、予定通り、本日買い物に行こう。

 

実はiPad Pro本体は届いているのだが、Amazonに注文したケースカバーは届いておらず——Prime会員なのだが、オランダのアマゾンは配達が遅いのか、それとも現在のコロナウイルスの蔓延によって物流が麻痺しているのか定かではない——、ケースカバーなしでそれを持ち歩いて傷をつけたくないので、今日はそれを持参しない形で街の中心部に出かけていく。写真を撮影するのはまた今度にしよう。

 

今日もまた、作曲理論書の譜例を参考にして曲を作っていく。また、毎晩夕食後に作っている原型モデルを参考にして曲を作っていく。

 

前者に関して言えば、今後はより一層プロ棋士の学習方法を参考にしたいと思う。彼らがいかに棋譜と向き合い、棋譜並べを通じてどのように学習をしているのか。そのあたりのことに関心を持っていく。

 

いまだ現存する徴兵制度的な日本の受験を経験した身として、受験を通じて1つだけ作曲実践に役立っていることがあるとすれば、それは受験数学の学習方法だろうか。当時の学習方法を思い出しながら、活かせることは全て作曲実践に活かしていく。

 

今日もまたこの後少しばかり絵を描こう。夢の振り返りをした後に、夢から喚起されるものを絵にしておきたい。

 

現在デジタル空間上で油絵を描いているのだが、デジタル上であれば絵の具を思う存分使うことができる。絵の具の無駄使いと思われてしまうような使い方もできてしまうことが魅力である。

 

今後は、作曲と絵画の親和性と相互作用を観察し、それについて考察していこう。作曲と絵画の創作を行き来し、音とイメージの往復運動の中で毎日を過ごしていく。その合間合間に言葉の世界に参入していく。

 

人間世界と人生は、言葉·音·イメージを三大要素として構成されているのではないかと思うのだ。フローニンゲン:2020/4/10(金)04:58

 

5718. 今朝方の夢

 

時刻は午前5時半を迎えた。今、1羽の小鳥が高らかな鳴き声を上げ始めた。このようにして闇の世界の中に身を置いて心を穏やかにしていると、どこからともなく潮騒が聞こえてくるかのようだ。

 

つい今し方、1枚ほど油絵を描いた。ここしばらく絵の具が肉厚過ぎると思っていたところ、薄さも調節できることにようやく気づいた。これによって、肉厚感を出したくない箇所をどのように表現すればいいのかの道が少し開かれた。このように、毎回の絵画の創作から新しいことを学んでいこう。

 

今朝方はいくつか印象に残る夢を見ていた。それらについて振り返り、早朝の作曲実践に移っていきたい。

 

夢の中で私は、実際に通っていた中学校の体育館に似た場所でバスケの試合に参加していた。試合終了後、偶然その場にいた父と話をし、今日の試合では事前に対戦相手について集めた情報があまり役に立たなかったと伝えた。すると父が、何かの道の達人の知人から聞いた話を教えてくれた。

 

その達人曰く、「日本人が物事をなす時に必要なのは、大量の情報ではなく大局観です。それを養わないといけない。現代は無駄に多くの情報に溢れており、人々は方向性を見失っています」とのことだった。

 

その言葉を聞いた時、随分と考えさせられることがあるなと思った。そこで夢の場面が変わった。

 

次の夢の場面では、私はこれから野球の試合会場に向かうことになっていた。荒野のような場所で友人たちと話をしていると、そこに1台の大きなワゴン車がやってきた。運転席から出てきたのは、長年の付き合いのある私の知人だった。

 

その知人の方は、どうやら私たちを野球会場まで送迎しにやってきてくれたようだった。ただしその方はあまり機嫌が良さそうではなく、車を私たちに汚されたくないという思いがあったのか、車に乗ったらすぐに靴を脱いでくれとお願いされた。

 

5人ほどの友人たちと一緒に車に乗り込むと、すぐさま出発となった。出発してすぐに気づいたが、その方の運転はお世辞にもうまいとは言えなかった。

 

荒野を抜け、山道を走り始めると、車がガードレールの方に近づいていき、谷に落ちるのではないかと冷や冷やする場面が何度もあった。その後、田圃道を走ることになり、田んぼに落ちるのならまだいいが、今度また山道を走る時に谷に落ちたら怖いので、私はすぐにでも降りたいと思ったが、もう少し乗車することにした。

 

すると、前方からバイクに乗った集団がやってきて、対向車線をはみ出して車にぶつかりそうになった。その時に私は、この車が左ハンドルであることに気づいた。

 

運転している知人の方も冷や冷やしており、同時に腹を立ててもいた。バイクの集団が去ったと思ったら、今度は背後から尋常ではない速さで自転車を運転する中学生の男子たちが現れた。

 

彼らは車と同じ速度で自転車を走らせているのだが、表情は平然としている。彼らの人数は7人ぐらいであり、どうやら他校の生徒のようだ。

 

最近私と同名の男子が転校してきて、彼は今同じ車に乗っている。彼曰く、その自転車集団は、彼が元いた学校の生徒らしい。

 

彼らは私たちの車の横にピタリとつけ、転校してきた彼を挑発し始めた。なぜか私はそこで寝たフリをし、彼らが過ぎ去るのを待つことにした。

 

最後の夢の場面では、私はある日本の中高一貫の名門校の説明会のようなものに参加していた。説明会は体育館で行われており、説明会のために体育館が装飾されていた。

 

説明会が終わり、その場でしばらくたたずんでいると、実際にこの学校に通っている生徒の母親とその妹らしき人が話しかけて、この学校について立ち話をした。私は別にこの学校に入学するわけではなかったのだが、この学校について興味深く話を伺った。

 

その後、体育館を後にしようと思った時に、自分の意識が夢を見守るものに変化した。私の意識は依然として体育館にあったが、そこでの主人公は中学1年生ぐらいの女の子だった。

 

説明会に参加していた子供たちが続々と体育館から出ていこうとしていた。体育館の入り口では、スタンプを押してもらうか、手に持っている何かと引き換えに記念品を受け取れるようになっていた。

 

説明会の前に、体育館ではカードゲームの大会が行われていたようであり、記念品をもらう代わりにスタンプを押してもらうというのは、引き続きゲームを続行するという意味を持っているようだった。

 

体育館から外に出ていく子供たちは、みんな記念品を選んで受け取っていた。ところが、その女の子だけがスタンプを押してもらうことを係員にお願いしたのである。

 

するとその場にいた係員の中年男性は目を丸くして驚いていた。というのも、ひとたびカードゲームを続行するとなると、そのゲームで勝たなければ記念品はもらえないことになっており、しかもそのカードゲームの対戦相手は、そのゲームの世界チャンピオンだったからだ。

 

その係員の男性の横には、初老を過ぎた世界チャンピオンがその場にいて、2人一緒になって、女の子の意思をもう一度確認した。念を押すかのように、その場にいるのはこのカードゲームの世界チャンピオンであり、彼にゲームで勝たないと記念品はもらえないということを彼らは女の子に伝えていた。

 

するとその女の子は、もうそんなことは知っていると言わんばかりの表情を浮かべてそこに立っていた。係員と世界チャンピオンはやれやれといった表情を浮かべながら、ゲームの対戦場に彼女を案内した。

 

体育館の右端に対戦場が設けられており、そこでゲームが始まった。ゲームが始まってみると、世界チャンピオンの手札はすこぶる良く、一方、女の子の手札は最悪だった。

 

世界チャンピオンは女の子の実力を最初から軽んじており、色々と無駄口を叩いていた。案の定、序盤は世界チャンピオンが圧倒的に優位であった。

 

しかし、その女の子は至って冷静であった。しかも彼女は世界チャンピオンの心理的性格を全て把握しており、尚且つ世界チャンピオンの能力が自分よりも低いことを早々と見抜いていたようなのだ。いや、それらはいずれも戦う前から分かっていたようなのだ。

 

世界チャンピオンが再度無駄口を叩い後に、女の子は、自分のライフポイントが20を切ってから一気に形勢逆転することになると世界チャンピオンに伝えた。すると、世界チャンピオンは笑いながら、そんなことが起こるわけないと述べた。

 

それに対して彼女は、大逆転された後に、精神的に大きなダメージを受けることになるが、それでもいいかと世界チャンピオンに確認の言葉を述べた。それを述べた女の子の表情と目が真剣であったためか、世界チャンピオンは思わずゴクリと唾を飲み込んだ。その後、その女の子は本当に筋書き通りの大逆転を果たした。フローニンゲン:2020/4/10(金)06:19

 

5719. 活気が戻りつつあるフローニンゲン:自画像を描き終えて

 

時刻は午後7時を迎えた。今、夕日が1日を締め括ることを祝っているかのように輝きを放っている。

 

後1時間ほど夕日を拝むことができるだろうか。ここ最近はすっかりと日が伸びた。サマータイムに入ってからしばらく経つが、夕日を拝める時間が長くなっている。

 

今日は夕方に街の中心部に散歩がてら買い物に出掛けた。すると、街に少し活気が戻っているように思えた。

 

人の数が若干増え、開いている店も増えた。さらには、街の中心部ではいつものように市場が開催されていたのである。

 

しかし、1.5mの距離を保つような看板が立てかけられていたり、客同士が密接しないように列で並ぶための工夫などが施されてあった。実際に私が入った店では、いつもは店員が商品をバーコードで読むところを客が読むようになっており、支払いもカードが原則になっていた。フローニンゲンがコロナウイルスから解放されるのはもう少し時間がかかるようだ。

 

今日は午前中の時間と午後の時間を使って、自画像を描いた。ちょうどパソコンの中に、今から2年前ぐらいに撮った写真があり、それをもとに油絵を描いていった。

 

人物画を描くのは初めてであったため、随分と苦戦を強いられた。肌色を作ることが意外と難かしったり、光の当たり具合によって表情の色が変わっている点を表現するのが難しかった。

 

また、「画竜点睛を欠く」や「仏作って魂入れず」という言葉の意味深長さを知った。肝心の眼を描く際に、単純にピュアな白と黒で描こうとすると、生気のない目になってしまうことに気づいたのである。私たちの目は、実際には複雑な色で構成されているようだ。

 

自分の顔をまじまじと眺めながら絵を描いたことは初めてだったので、色々と発見があった。それは自分の顔に対する発見というよりも、人間の顔全般に関する発見である。それは上記のような発見事項に始まり、他にもいくつかあった。

 

今回苦戦しながら自画像を描いたことによって、技術上の新たな課題がいくつか見つかり、今後はそれらの課題に少しずつ取り組んでいこう。また気が向いたら、同じ写真か、写真を変えて、自画像を描くことに挑戦したい。

 

描き終えた絵を見ると、指名手配犯の似顔絵のようになってしまったこともあり、ぜひまた挑戦したいと思う。また、写真は少し微笑んでいたはずなのだが、なぜか描き終えた表情を見ると、顔が笑っていないことにも気づいた。

 

このあたりも、口元や頬の塗り方に問題があったのだろうと思われる。自分でも笑ってしまうような絵が完成したが、こうした笑いが起こることもまた絵を描くことの楽しさである。フローニンゲン:2020/4/10(金)19:23

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