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5661-5663: アートの国オランダからの便り 2020年3月27日(金)


本日の言葉

Before attempting to correct others, do something harder: fix yourself. Dhammapada

本日生まれた13曲

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タイトル一覧

5661. 動的な建築物としての音楽

5662. 読書の弊害:今朝方の夢

5663. この秋の一時帰国に向けて

5661. 動的な建築物としての音楽

——音楽は動く建築である——ル· コルビュジエ

時刻は午前6時半を迎えた。今日も大変穏やかな朝の世界が広がっている。

辺りはすっかり明るくなっており、水色の空が見える。昨日の日記で書き留めていたように、今、オスの小鳥たちがメスに自身の健康状態をアピールして鳴き声を上げている。彼らの鳴き声が単に美しいだけではなく、そこに生命の力強さのようなものを感じていた理由が分かった気がする。

明後日からサマータイムに入るが、明後日からの1週間は最高気温が10度を下回り、最低気温に関してはマイナスの日もある。一方で今日は最高気温は13度まで上がるようなので、春の陽気を感じられるだろう。

昨夜、ピカソの画集を眺めていた。ピカソの絵を何気なく眺めていると、その脇に記されたピカソの言葉に目が止まった。ピカソは、絵画の制作を日記の執筆のようだとみなしていた。そのことは以前から知っていたように思えるが、なぜか昨日はそれが自分に響いた。

自分も同様に、音を通じてその日を記すことを続けていく。日々の作曲実践は、それ以下でもそれ以上でもない。その日1日を十全に生きたということを音で記していくためにそれがある。

狂気が正気に変容する境界線上で絶えず曲を作ってく。狂気さを膨らまし、それを絶えず正気さのテリトリーに流し込んでいき、それを創造エネルギーに変容させていく。そうした過程の中で、膨大な音の構築物を独り静かに建立していく。目には見えない構築物を、独り粛々と積み上げていく。

建築家のル· コルビュジエが述べているように、音楽は躍動する建築なのだ。それをここ最近は強く実感する。

理論書を片手に譜例を再現しているときには、本当に作曲家が作り上げた音の建築物が立ち現れる。そして自分が曲を作った際にも、小さいながらもやはり何かしらの建築物がそこに出来上がることを実感する。

ここ最近は作曲実践の合間に、曲の意味や役割について考えることがある。人類史を遡ってみると、詩や音楽が民衆の教化のために活用されていた時代があった。今もその側面があるかもしれない。やはり詩や音楽には、意識に働きかけ、それを育む作用があるのだろう。

孔子が述べていた芸術論を思い出す。詩を通じて言語を司る感覚を涵養させていき、音楽にて人格の完成がなされるというような発想を孔子は持っていたように思う。

言葉の世界から離れていくことに関心を持っている今の自分からしてみると、仮に詩の創作がそうした方向に目的を置いていないのであれば、詩の創作には関心がない。言葉の世界が豊かなのは百も承知であり、今このようにして言葉の世界の中で言葉を綴っているのは確かだが、今の自分の向かう先は言葉の世界から離れていくことである。

このようにして日記を綴っているのは、実は言葉の世界から離れていくためなのだろう。そのような役割があるように思えてくる。フローニンゲン:2020/3/27(金)06:43

5662. 読書の弊害:今朝方の夢

昨日はふと、今後どこかのタイミングで、アーティストの治癒と変容支援に向けた取り組みに従事したいと思った。それはまた思いつきであり、どのような形でそれが実現されるかは不明である。その志向性が精神の支援にあることは確かである。

午前6時半を過ぎたこの時間帯の雰囲気は、いつも心を落ち着かせてくれる。ちょうど朝日が昇ってきて、小鳥たちの鳴き声がそれを祝福するかのように大合唱を奏でている。

空がとても綺麗だ。風も一切なく、世界が美しさの中にたたずみ、美そのものとして顕現している。

今日も1日を通して、楽しさと喜びの中で作曲実践に打ち込んでいこうと思う。

来月の初旬に書籍を一括注文し、それが届くまではあまり本を読まないようにする。読書というのは、私たちの知性を育み、意識を涵養させてくれる力がある一方で、逆に知性と意識の成長を阻む力もあることを最近実感する。

どのような書籍とどのように向き合うのか、そしてどれだけの量の活字情報と接し、頭を言語空間から別の空間に移行させる時間と実践があるのか否かによって、読書は私たちの知性と成長を育んでくれるものになる一方で害にもなる。

膨大な投入量の読書をする人はそれほど多くなく、一方でそうした読書をしている人の中でそれを自身の知性と意識の発達につなげている人の数は少ない。そうなってくると、大多数の人間は、読書をしない害と読書をする害を被っているのではないかと思えてくる。

今後も読書との向かい方については考えを深めていき、読書という実践についても絶えず工夫をしていく必要がある。

大空を一羽のカモメが優雅に舞って行った。朝日の輝きが、カモメの白い体に反射して光っている。

それでは、今朝方の夢について振り返り、その後、毎朝の楽しみである早朝の作曲実践に取り掛かりたい。

現在、世界の様々なスケールについて学びを深めていて、辞書的な理論書を片手にいろんなスケールを曲の中に適用している。うまく適用することができることもあれば、違和感を感じさせることもある。いずれにせよ、試行錯誤をしながら形にしていくこともまた曲を作る楽しみである。

ここ最近は毎日10曲ほど小さな曲を作っているが、仮に今後もこうしたペースで曲を作れたと想定し、後85年ほど生きると仮定しても、生涯に生み出される曲の数は25万曲ぐらいにしかならない。本当に微々たる数の曲である。その事実に時々愕然としてしまうことがある。

100万曲でも、1億曲でも少なく感じてしまうのはなぜなのだろうか。作曲においても量的思考が混入していることの現れなのか。いや、そうした発想に関して言えば、金銭的な領域においては既にそうした発想から脱却しているはずであり、やはり人間の性として、無限なるもの、永遠なるものを求める衝動が自分の中にまだ強く根付いているのだろうか。

そうした衝動及び執着を脱却するためにも、考えられるだけの、いや今の自分の想像を遥かに超えた音の大伽藍を作っていこう。今日生み出される小さな曲の一つ一つが、そうした大伽藍の素材の一つになる。

夢。そう言えば、今朝方の夢について振り返ろうとしていた。

夢の中で私は、実際に通っていた高校の教室の中にいた。教室には生徒がほとんどおらず、みんな次の授業が行われる教室に移動しているようだった。私は教室に忘れ物か何かがあったので、そこに戻ってきていた。

教室の時計を確認すると、次の授業までもう時間があまりなかった。次の授業は日本史であり、なぜかその授業を担当するのは、大学時代にお世話になっていた会計学の権威の教授だった。

授業が行われる教室番号は「2000」であり、時間があまりなかったので、私は急いで教室に向かった。廊下を小走りしていると、小中高時代の親友(FK)に出会った。彼とその場でゆっくり話をしたかったが、如何せん時間がなかったので、私は彼と二、三言葉を交わして彼と別れた。

授業が行われる教室は別棟の2階にあり、階段を上ろうとしたときに、中学時代の一つ上の代のバスケ部の副キャプテンがいた。私は先輩に声をかけ、先輩が入っていこうとする教室に私も入ろうとした。

私の頭の中ではそこが教室番号2000だと思ったのである。だが、教室内には見知らぬ先輩ばかりがいて、みんな黙って授業を聞いていた。その光景がとても奇妙に思えてしまい、私は教室に入るのをやめて、もう一度教室の札を確認したところ、そこは教室番号2002であった。目的の教室は隣の隣であった。

目的の教室に到着すると、先生はまだやってきておらず、出席に間に合ったと思ってホッとした。すると、今度は一つ上の代のバスケ部のキャプテンだった先輩が私の近くにやってきて、歴史上のある事件について教えてほしいとお願いをしてきた。

どうやら先輩は、先日習ったその事件に関して、その事件の説明の箇所だけ聞きそびれてしまったようだった。しかしながら、私もその事件について詳しく知っているわけではなく、その事件に詳しいと思われる同級生の友人(YK)に尋ねてみるといいのではないかと先輩に伝えた。

そこで夢の場面が変わった。今朝方は上記の他にも夢を見ていたのを覚えている。その夢の中では、数人の見知らぬ女性と話をしていて、雰囲気はとても和やかだった。フローニンゲン:2020/3/27(金)07:14

5663. この秋の一時帰国に向けて

時刻は午後8時を迎えた。今、夜空に三日月が見える。

今日も1日を通して晴天であり、午後には日光浴を楽しんだ。ここ最近は幾分長い時間日光浴を楽しんでいる。それはこれまでの冬に太陽の姿を拝むことがごくわずかであったことと無縁ではないだろう。

だが明日からは、日光浴の時間をもう少し短くしてもいいかもしれない。そもそも紫外線の浴び過ぎは害があることは知っていたが、如何せん太陽光に対する飢えのようなものが身体にあったのだと思う。

明日からは日光浴をほどほどにした後に、仮眠前にはハーモニーかフーガの理論書を参考にして1曲ほど作り、その後に仮眠をするような習慣にしたい。

日中は調べてものがてらインターネットを不必要に活用してしまうことがあるが、本当に必要な調べ物をする時だけインターネットを活用するようにし、自分の活動に集中したいと思う。自らの取り組みに集中するための脳の状態を作る際に、過度な情報は害悪である。

夕方に近所のスーパーに買い物に出かけた際に、やはりまだコロナウイルス対策を行なっていた。具体的には、スーパーの入り口にある特設の手洗い場で手を洗ってからスーパーに入ることが義務付けられている。それを済ませて店内に入り、必要なものを購入した。

残念ながらここ最近は、このスーパーでクロレラが置かれなくなってしまった。これまではクロレラを買い支えしてきたつもりだったが、自分だけの力では足りず、店頭から消えてしまったのは残念だ。

クロレラは栄養豊富で健康に良いはずなのに、人気がなかったのだろう。海藻類の味にあまり馴染みのないオランダ人にとっては、クロレラの味が苦手だったのかもしれない。それに加えて、価格もオーガニックコーナーの中においては高い方だったことも原因かもしれない。

夕食時の味噌汁にクロレラが絶妙に合っていたのだが、今はクロレラの代わりにモリンガのパウダーを和えている。これもまた美味である。

明日からは土曜日を迎える。数日前にアテネ行きのフライトの予約変更をしたばかりであるが、そろそろこの秋の一時帰国のフライトを確保しようと思っており、それを明日中に終えたいと思う。

昨年と同様に、今年も合計で3週間ぐらい日本に滞在しようかと思う。今回からは成田空港ではなく関空を利用し、関西での数日間の滞在を経て、福井県と石川県に足を運ぶ。その後に実家に移動し、実家で10日間ほど過ごそうかと思う。

日本に一時帰国する前と後にはフィンランドに立ち寄り、アイノラにある小さな美術館に帰国前に足を運び、帰国後にはヘルシンキの美術館に足を運ぶ。そのような計画を立てている。

日本に一時帰国中の福井県と石川県において具体的にどこを訪れるかに関しては今後詰めていく。フローニンゲン:2020/3/27(金)20:34

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