本日の言葉
Among my disciples, those who think themselves well versed in Buddhism are the ones who make errors. Nichiren Daishonin
本日生まれた12曲
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タイトル一覧
5658. 麗かさを感じる日々:AIと作曲及び絵画
5659. 理論書との付き合い方の変化
5660. 頭を空っぽにすること:メンデルスゾーンと小鳥たちの鳴き声
5658. 麗かさを感じる日々:AIと作曲及び絵画
時刻は午前6時を迎えた。今、小鳥たちが朝の喜びの歌を歌っている。彼らの鳴き声が、寝室と書斎の窓を通して聞こえてくる。
この時間帯になると辺りはすっかり明るくなって来ており、今週末の日曜日からいよいよサマータイムに入るという実感が湧いてくる。
薄ピンク色の朝焼けの輝きと香りはとても優しい。サマータイムを迎えようとしているフローニンゲンは、連日天気がすこぶる良い。今日も快晴のようであり、これまでの雨ばかりが降る鬱蒼とした世界が嘘のようである。
空を不気味に覆っていた雨雲を眺めることが常であったが、そうした雨雲が存在していたことが今では嘘のように、空は毎日晴れ渡っている。現在世界を覆っている不穏な雰囲気もできるだけ早く払拭されて欲しい。
現在の気温は0度と、気温の面ではまだまだフローニンゲンは冬である。今週末からは最高気温がまたしても10度を下回るようになり、最低気温に関してはマイナスになる日もあり、0度近くの日が続く。
こうした気温が5月の半ばまで続くというのがフローニンゲンの気候である。相変わらず気温が低いのだが、最近はもうヒーターを使わなくて良くなっている。というのも、日中に太陽の光が部屋に差し込むことによって、室内の温度が上がっているようなのだ。
早朝においても、昨日の部屋の暖かさのおかげでそれほど寒くなく、早朝にヒーターをつける必要も感じていない。太陽の恩恵というのは、何も日光浴をすることや椎茸を天日干しすることだけではなく、こうした側面においてもあるのだということを実感する。
今朝もまた、1日の作曲実践を楽しみに目覚めた。作曲実践をするために起き、作曲実践をするために寝るという日々が続いている。
そこでの楽しさは、幼少期にゲームに熱中していたのと同じような感覚を持っている。ゲームの大半は終わりのあるものが多いが、作曲には終わりがない。この点もまたより一層作曲にのめり込ませる要素の一つかと思う。
毎日曲を作るたびごとに新たな発見があり、新たな喜びがある。こうした発見や喜びというのは、絵画制作などの他の芸術活動においても存在しているのではないかと思う。
日々新たな発見や喜びを体験している人はいつまでも若く見えるというのは、脳や心身の特性から考えると不思議なことではないだろう。
昨日、作曲とAIとの関係性について考えていた。将棋やチェスの世界ではAIの活用が進んでおり、どうやら作曲の世界においてもAIの活用や研究が進んでいるようだ。
AIが作曲を行うことはもう可能になっているのだが、ふと絵画はどうなのだろうかと考えた。もちろん絵画もAIを搭載したロボットが描くことができるのかもしれないが、今のところ人を感動させるような絵画の制作に関しては、AIがそのような絵を描く姿をあまり想像できない。
作曲は、抽象的な音楽空間上での身体運動であるために、AIも作曲が比較的容易なのかもしれないが、絵画の場合は物理的世界での身体性も伴うため、作曲よりも難易度が上がるのかもしれない。
一方で、デジタルアートであれば、物理次元の制約を気にする必要がないために、デジタル空間であればAIもその力を発揮して絵画を描くことができるかもしれない。そのようなことを考えており、作曲において、AIでは作れないような曲を作っていく道を模索していく必要性を感じていた。フローニンゲン:2020/3/26(木)06:33
5659. 理論書との付き合い方の変化
このところは、作曲の理論書との付き合いが上手くなって来たと自分でも感じる。どのような分野の探究をする時でも、私はその分野に関する大学院レベルや研究者レベルの書籍を大量に読むようにしている。
関心を持った分野であれば、自分の事前知識とは関係なく、とにかくそうしたレベルでの学術書を大量に購入し、それと向き合う中で理解と関心を育んでいる。それは作曲においてもそうであり、少なくとも大学院で扱うようなテキストを購入し、時にはその道の研究者でさえ持っていないような学術書を購入し、それらを通じて自ら探究を進めている。
このところは、ウォルター·ピストンが執筆したハーモニーに関する書籍、そしてアーノルド·ショーンバーグが執筆したハーモニーに関する書籍を参照しながら曲を作っている。昨日からはハーモニーに加えて、フーガの技法に関する学習を進めていこうと思い、アルフレッド·マンの“The Study of Fugue”を参照しながら曲を作っていくことにした。
上述の全ての書籍は、過去に一読をしているのだが、その時には文字面を追いかけるだけであり、実際に譜例を作曲ソフト上で再現するということや、譜例をもとに作曲をするという実践が欠けていた。端的には、身体運動を通した学習が欠落していたのである。
作曲というのは、知的身体空間における運動に他ならないのだから、そうした学習をいつまでしていても上達が見込めないのは当然である。その点をここ最近は常に肝に銘じており、とにかく手を動かすようにしている。すると、その手を動かすということそのものが喜びをもたらし、その結果として生み出される音に対してもまた喜びを感じるという良い循環が生まれている。
今日もまた、過去の偉大な作曲家たちが運動を行なっていた音楽空間にアクセスし、そこで行なっていた彼らの運動をトレースしていく。彼らが見ていたであろう音楽的景色や、彼らが感じていたであろう音楽的感覚を追体験することの喜びはえも言えないほどに大きい。今日もまた一日中作曲と向き合い、楽しさと喜びの中に浸り切ろうと思う。
時刻は午前6時半を過ぎ、柔らかな朝日が赤レンガの家々の屋根を照らし始めた。先ほどまで見えていた薄ピンク色の朝焼けは消え、今はすっかりライトブルーの空に変わっている。
今朝方もまた印象に残る夢を見ていたが、起床と共にその記憶が消えてしまった。確か、小中高時代の友人(SS)が夢の中に登場していて、彼と何かの分野に関して意見交換をしていたのを覚えている。それがどのような学問分野だったのかは覚えていないが、自分の主専門ではなく、副専門、ないしは副副専門ぐらいの分野だったように思う。
それ以外に覚えていることとしては、おそらくオランダ人であろう数人の外国人たちとカフェかどこかで会話を楽しんでいたのを覚えている。いやそれはカフェではなく、オフィスビルの中だったかもしれない。
いずれにせよ、和気藹々とした会話を彼らと行なっており、何かのテーマについて私から彼らに教える場面があったように思う。今朝方の夢で覚えていることはそれぐらいだろうか。
それでは、今から早朝の作曲実践に取り掛かりたい。今日は特に協働プロジェクト関係の仕事もないので、一日中作曲実践をしたり、作曲に関する学習を進めていく。
もっと膨大かつ集中的に作曲に打ち込みたいという思いが日増しに強くなる。フローニンゲン:2020/3/26(木)06:53
5660. 頭を空っぽにすること:メンデルスゾーンと小鳥たちの鳴き声
時刻は午後8時半を迎えた。今日もまた静かに終わりに近づいている。
今日は午後に、頭を空っぽにする時間を持つことの大切さについて考えていた。それは昨日街の中心部のオーガニックスーパーに立ち寄った際の散歩の最中に体験していたことであり、頭が空っぽになったような脳の状態及び意識状態を作ることが、心身に良い影響を与えていることを実感していたのである。
そうしたことから、今後はより一層その状態を意識してみようと思う。空っぽの容器でなければ水を入れることができないように、脳は適宜空っぽにするような感覚で休息をさせることが必要なのだ。
読書にせよ作曲実践にせよ、そこでは情報データが自分の内側に流入していることは間違いないので、そうした活動に従事する際には、適宜頭を空っぽにする時間を設ける。
今後は、日常のふとした時にそうした状態にすっと移行し、スイッチをいつでも切り替えられるようにしていく。言い換えれば、いつでも脳を休息させることと活動に向けてフル稼働させることの双方が行えるように状態移行の鍛錬を積んでいく。
午前中に作曲実践をしているときに、今から4年前に訪れたライプチヒのメンデルスゾーン博物館の一室での体験を思い出した。あの日の私は、何かに取り憑かれたように『真夏の夜の夢』をその部屋に置かれていたオーディオを通して延々と繰り返し聞いていた。
その後、売店に立ち寄った時、部屋に監視カメラがあったのか、長時間にわたって同じ曲を繰り返し聴いていたことの理由を店員から尋ねられたことを思い出す。ライプチヒを出発して以降は、シュツットガルトとスイスのニューシャテルに移動したのだが、その旅の列車の中でも、ダウンロードした『真夏の夜の夢』を繰り返し聴いていた。
その時の記憶がなぜ今思い出されたのかわからず、なぜあの時の私はその曲を繰り返し聴いていたのだろうか。メンデルスゾーンへの関心が少しずつ高まっていく。
絵画の才能もあったメンデルスゾーンは、30代の後半でこの世を去った。早熟の天才であるメンデルスゾーンから何か学ぶことがありそうだ。折を見て、手元にある彼の楽譜を参考にして曲を作ってみよう。
毎朝聴こえてくる鳥の鳴き声に関して、鳥たちはなぜ朝から鳴き声を上げているのだろうかと気になって調べてみた。すると、朝方オスが鳴き声を上げるのは、自分の健康状態をメスにアピールするためだという微笑ましい理由を知った。
鳥たちは主に日中に餌を取るらしく、夜明けの時間帯は一番空腹で力のない時間帯とのことである。そのような時間帯の中で力強く鳴くことによって、オスはメスに自分の健康度合いをアピールしているらしいのだ。
それを知ると、明日から小鳥たちの鳴き声が違って聞こえてきそうだが、彼らの鳴き声に癒されるだけではなく、逆にそうしたアピールをしている小鳥たちを応援したいという気持ちも芽生えてくる。明日からどのような気持ちで小鳥たちの鳴き声を聞くことになるのか、今から非常に楽しみである。フローニンゲン:2020/3/26(木)20:47