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5655-5657:フローニンゲンからの便り 2020年3月25日(水)


本日の言葉

So you don’t have to do the long search, the frantic chase, the painful quest. You’re already right where you need to be. Steve Hagen

本日生まれた12曲

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タイトル一覧

5655. フランソワ·クープランと作曲家の身体感覚のトレース

5656. 今朝方の夢

5657. 光合成を始める身体:素晴らしき1日の終わりに

5655. フランソワ·クープランと作曲家の身体感覚のトレース

時刻は午前6時を迎えた。今朝は5時過ぎに起床し、起床と共に寝室と書斎の窓を開けると、小鳥たちの鳴き声が聞こえて来た。彼らは今も澄み渡るような鳴き声を上げてくれている。

家の間取りの都合上、日中は書斎に太陽の光が差し込み、朝は寝室から朝焼けが見える。先ほども少しばかり寝室から朝焼けを眺めていた。薄ピンクあるいは薄オレンジに輝く朝焼けはとても美しく、街の中心部にある教会を照らしていた。

起床直後のオイルプリング、歯磨き、ヨガの実践、音楽に合わせた踊りを終え、今このように日記を綴っている。いつも歯磨きをした後に一杯の白湯を飲み干し、踊りを終えてから日記を書いている最中にチアシードと小麦若葉をブレンドした飲み物を飲んでいる。小麦若葉のデトックス力は強く、それを飲むと、腸内が活発に動き始める。

昨日、腸内細菌は毎日接する身近にいる友達だとふと思った。実際には、自分と一心同体の存在だと言えるかもしれないが、一応それらを客体化させることが可能であり、彼らにも固有の意識がありそうなので友達として分別している。

とは言え、彼らの状態如何によって自分の心身の状態が大きく左右されるため、友達である腸内細菌を引き続き労ろうと思う。彼らに対する優しさが、自分に対する優しさとして還ってくる。

つい先ほどパソコンのソフトウェアのアップデートを行い、しばらくパソコンが使えない状態となり、今再び日記の執筆に戻って来た。

昨日、作曲理論の正しさはアプリオリ的に決定されるものではないということを考えていた。それは空(くう)のように変化する。音と音の関係性の中で正しさはダイナミックに変化するのである。

作曲プロセスの中で、その正しさ、しかも自分の中の正しさを探求していく道を歩んでいく。言い換えれば、作曲過程の中で、絶えずその瞬間瞬間に正しさを見出していくということである。

私たち一人一人に何かしらの役割があるのと同じように、一つ一つの音にも何かしらの役割がある。そして、一つ一つの曲においても同様のことが当てはまる。一つ一つの曲に意味と役割を持たせることをより意識して本日も作曲実践に励みたい。

昨日、作曲理論書に掲載されているフランソワ·クープランの楽曲が大変面白かった。今後は彼の音楽も参考にするために、2冊の全集楽譜を購入することにした。

フランス様式とイタリア様式の統合を実現させたクープランは、バッハ、ヘンデル、テレマンといった巨匠たちに大きな影響を与えた。また、ドビュッシーとラヴェルもクープランを大いに賞賛していたことを知り、ますますクープランに関心を持った。

来月初旬に書籍を注文する際にクープランの楽譜を合わせて購入し、今後はクープランの曲を用いて原型モデルを作成し、そこから曲作りをしていくという新たな楽しみが加わった。

今朝起床した瞬間に、作曲家の身体感覚をトレースすることをもう少し意識してみようと思った。いつも述べているが、作曲の技術は書物から学ぶことはできない。できることは概念的な理解に留まり、作曲という知的身体運動を行うためには、その運動に必要な感覚を養って行かなければならない。

ここ最近力を入れていることとして、過去の作曲家の曲を作曲ソフト上で一度再現するという実践があり、それはまさに音を配置していく過程の中で、作曲家当人の身体感覚をトレースすることに他らないと思った。

引き続きこの実践を継続させていき、偉大な作曲家たちが体現したのと同じような身体運動が作曲空間の中で行えることを目的にする。そして、そこから自分なりの作曲身体表現技法を見出していこう。フローニンゲン:2020/3/25(水)07:04

5656. 今朝方の夢

時刻は午前7時を迎えた。辺りはすっかり明るくなり、ほのかな朝日が赤レンガの家々を照らしている。

今日は平日の中間の日だが、相変わらず道ゆく人たちの姿は少ない。小鳥たちが引き続き澄み渡る鳴き声を上げており、それに耳を傾けながら今朝方の夢を振り返ることにしたい。

夢の中で私は、大学時代のクラスメート2人と話をしていた。彼らは共に法学部に所属しており、私と所属学部は違ったが、2人ともとても優秀であり、卒業後はロースクールを経て弁護士になった。

彼らと話をしていたのは、どこかのレストランの中だった。夢の中の私たちはまだ学生であり、学部は違えど、お互いに履修している授業について話をしていた。

すると、また1人別のクラスメートがやって来て、彼も話に加わった。彼は私と同じ学部に所属しており、とても真面目に授業を受けており、成績も良かった。

ちょうど私は、彼と同じ授業を履修していて、その課題に関して彼に助けてもらおうと思った。その授業は経済学に関するものであり、課題が難解な数学と統計的処理を含むものであり、彼はそうした事柄に精通していたので、課題を手伝ってもらうことにした。

実際のところは、私はもうその授業も課題も面倒だったので、課題は全部彼にやってもらおうと思っていた。その旨を彼に伝えると、特に何の問題もないとのことだったので、課題を彼に任せることにし、彼はその場を後にした。

その後、引き続き2人の友人と話をしていると、同じ大学なのだが見知らぬ後輩たちが私たちに声を掛けて来た。それを受けて、私は彼らに2人の友人を紹介しようと思ったのだが、2人の下の名前をごっちゃにしてしまい、おかしな呼び名で彼らを紹介してしまった。

すると2人は、幾分呆れ顔を浮かべながらも笑顔で、「俺たちの名前をちゃんと覚えてないの?」と述べた。私は笑いながら謝罪し、正しい名前を後輩たちに伝えた。

後輩たちは10人ぐらいいたので、いくつかのテーブルに分けて座ってもらうことにし、彼らは就職活動中とのことだったので彼らの話を聞くことにした。私のテーブルには、2人の後輩が目の前に座っていて、彼らの話を聞くことになった。

どのような会社を訪問しているのかを尋ねてみると、私の目の前に座っていた後輩は農業関係の会社を訪問しているらしく、とても興味深く思えた。私たちの大学の就職先からすると、それは珍しかったのだ。

話を聞いてみると、その会社に入社しているのはもちろん難関大学の卒業生もいるが、それよりも研究に特化した理系の大学の卒業生が多いとのことであった。その後、入社面接について話を聞いてみると、なんと面接官から仏舎利の意味と意義について尋ねられたそうだ。

それはかなり面白い問いであり、後輩がどのように回答したのかを尋ねてみた。すると、その後輩は事前にかなり念入りに仏教について調べていたらしく、とても深い回答を彼が行ったことに驚いた。

自分であればどのように回答するかを考えてみた時に、私の回答よりも優れた回答を後輩が行えたことは驚きであった。彼の話を聞き終えると、何人かの後輩たちがこれから授業があるらしく、その場を後にし始めた。

テーブルを見ると随分と食べ物が残っており、それらは欧米式に誰かが持ち帰った方がいいのではないかと思った。その前に、私は後輩たちの話を熱心に聞いていたのでほとんど何も食べておらず、テーブルに残ったものを少し食べてからレストランを後にしようと思い、各テーブルを回って、残り物を皿に取っていった。

普段は食べないスクランブルエッグやチーズなどを乗せたところで、支払いのタイミングとなり、その場は一括して私が支払うことにした。その場には高級取りの弁護士である2人の友人がいたが、私は投資家として成功していたため——3人とも学生でありながらもそれぞれの個性を活かして稼ぎを得ていた——、「支払いは累進課税式で(笑)」と冗談を述べ、後輩には一銭も出させることなく、そして2人の友人にも一銭も出させることなく支払いは全て自分が受け持った。

するとそこで夢の場面が変わった。次の夢の場面では、私は自宅のマンションにいた。場所はどうやら日本のようであり、そのマンションは東京にあるように思えた。

マンションの自室には、小中高時代から付き合いのある女性友達(YY)がいた。その他にも、大学の後輩たちが何人かいて、そこで談笑をしていた。

時計の針を見ると、もうそろそろ就寝時間が迫って来ていたので、会はこのあたりでお開きにしようと述べた。すると、なぜか最後にカラオケをしたいとその女性友達が述べ、部屋の一画がカラオケルームと化し、カラオケが始まった。

カラオケが始まると長くなりそうだと危惧した私は、自宅を飛び出して、実家に戻ろうと思った。自宅を後にすると、ちょうど1人の後輩も帰宅するところだったので、一緒に歩いて駅まで向かうことにした。

すると突然雨が降り出し、傘を持って来ていなかったので困ったことになった。そして私は、明日の大学の授業で必要なテキストなどが自宅にあることに気づき、それらを取りに帰る必要があると思った。

そこで後輩と別れ、私は再度自宅に戻った。自宅に引き返し、マンションのエレベーターのスイッチを押し、エレベーターの中に入った。

私が住んでいたのは9階なのだが、なぜか8階のボタンを押してしまい、それを取り消すかのようにもう一度ボタンを押したところ、今度は10階のボタンを押してしまった。そこから再度8階を取り消し、9階のボタンを押した。フローニンゲン:2020/3/25(水)07:30

5657. 光合成を始める身体:素晴らしき1日の終わりに

穏やかな1日が今日も終わりに近づいている。ここ最近は、コロナウイルスの蔓延という不吉な事態とは裏腹に、天気がすこぶる良い。

フローニンゲンの街を歩く人はほとんどいないが、外で人とすれ違う際には、皆天気の良さを喜んでいる様子が窺える。今日も午後の仮眠の前に日光浴を楽しんだ。

ふと、自分の身体は光合成を行う能力を身につけ始めているのではないかと思った。これは幾分突飛な発想かもしれないが、この1年間肉類を一切食べておらず、植物性のものばかりを食べて来たため、植物のように光合成ができる能力が自分の中に芽生え始めているように思える。

その起点になっているのが自分の腸内細菌であり、彼らが植物性の食べ物を養分にすることによって、まずは彼らが光合成の能力を手に入れたように思える。

日光浴の際には意識せずともおへそ辺りに太陽の光を当てることを行なっており、そう言えば、それは道教の身体養成技法の一つであることを思い出した。現在の自分の腸内細菌の特性から考えると、おへそ辺りに太陽光を当てるというのはとても理にかなっているように思えた。

今後光合成の力が高まれば、極端な話、水と太陽の光だけで十分エネルギーを生成できるのではないかと思ってしまう。そうなると、本当に植物だ。

人間の脳が植物由来の種々の物質に反応し、意識が変容することは広く知られていることであるが、ここからも、人間の脳の根幹には植物的な何かがあり、今自分の中でそれが目覚めようとしているように思えてくる。そのようなことを考えていた。

本日の昼前に、無事にアテネ行きのフライトのリスケを行うことができた。ギリシャの航空会社に電話をし、しばらく待った後にオペレーターとつながった。担当してくれたのは女性の方であり、迅速かつとても良心的な対応をしてくれた。

すでにホテルの予約を変更しており、その日程に合ったフライトを確保することができたのは幸運であった。時間に関しても以前予約したのと同じ時間帯であり、アムステルダムを出発する便にせよ、アテネを出発する便にせよ、どちらも正午過ぎのものである。早くも遅すぎもしない素晴らしい時間帯のフライトを確保することができ、私は感謝の念をオペレーターに伝えた。

私は小さなことでも幸福感を感じたり、大きく喜んでしまう傾向にあり、望むようなフライトを確保できた時に、思わず喜びの声を上げ、オペレーターの女性も笑っていた。私はオペレーターの方の名前を聞き、彼女の名前を呼んだ後に、再度お礼を述べた。

担当してくれたのは、アレクシアさんという方であり、最後はお互いに笑って別れた。コロナウイルスの渦中にありながらも、どこか幸せを感じさせてくれるやり取りだった。

作曲実践を一通り終えた夕方に、街の中心部にあるABN AMRO銀行に行き、所用を済ませた。銀行も近所のスーパーと同じように、プラスチック張りの仕切りが設置されており、対応してくれた男性と仕切り板越しに会話をした。

銀行で所用を済ませた後に、オーガーニックスーパーに立ち寄った。今日もメイが元気に働いており、彼女に挨拶をした。

彼女はいつもにこやかに笑顔を浮かべて働いており、その様子だけで性格がとても良いという印象を受けるが、実際に話をしてみると、本当にその通りであることがわかる。以前彼女が話をしていたように、新たな楽器としてピアノの演奏を始めることと、歴史を学ぶことが実現されることを願う。

店を後にした私の足取りはとても軽く、住宅地を歩いている時には、小鳥たちの鳴き声が聞こえて来て、彼らの鳴き声には随分と癒された。オランダはそこが街であっても、様々な小鳥たちが住んでいて、その澄み渡る鳴き声が聞こえてくる。そんな環境を私は好ましく思う。

帰り際も行きと同様に、あまり思考が脳内に浮かばず、どこか無心で歩いている自分がいた。そのおかげで頭がクリアになり、これが散歩の効用なのだということを実感した。

思考が浮かんだとしても、それに囚われることなく、できるだけ言語脳を休ませることが散歩の良さなのだろう。

今日も本当に良い1日だった。明日がどのような素晴らしい日になるのかを期待しながら、本日をゆっくりと終えていきたい。フローニンゲン:2020/3/25(水)21:03

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