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5649-5654:フローニンゲンからの便り 2020年3月24日(火)

March 26, 2020

本日の言葉

What is ignorance? Stated simply, it’s just darkness. Hsuan Hua

 

本日生まれた10曲

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タイトル一覧

5649.「発達の商品化(developmental commodification)」について

5650. あの星の名前:愚かで未熟な人間

5651. 羽田空港の「新飛行ルート」について

5652. オランダのアマゾン:自己防衛の必要性

5653. コロナウイルスの蔓延を象徴する今朝方の夢

5654. スーパーの前で遭遇した珍しい光景

 

5649.「発達の商品化(developmental commodification)」について

 

時刻は午前6時半を迎えた。もうこの時間帯の外の世界はすっかり明るくなっており、今、朝日が赤レンガの家々の屋根を優しく照らしている。

 

小鳥たちも穏やかな鳴き声を上げていて、世界は一見すると平穏だ。その一方で、コロナウイルスの問題は相変わらず長引いている。

 

世界が落ち着きを取り戻すにはもう少し時間がかかるだろうし、今回の件を経た後の世界はきっと異なったものになるだろう。変容後の姿がいかなるものになるのかはわからないが、いずれにせよ、ウイルスの蔓延前の世界には戻ることができず、また違った世界がそこに広がっているに違いない。

 

昨日の日記で書き留めたように、今日は昼前あたりに航空会社に再度電話をし、フライトのリスケを行いたいと思う。ホテルに関してはもうリスケが完了しており、5月末は3月末に比べて観光のシーズンなのか、宿泊料金が少し上がっており、差額を支払うことにした。フライトに関してもその可能性があるが、いずれにせよ5月末に再度ギリシャに行く機会を得ることができて嬉しく思う。

 

思い起こせば昨年の夏はロシアのモスクワに行こうとしており、アムステルダム空港のボーディングゲートに到着してはじめて入国ビザが必要だということを知り、泣く泣くその旅は立ち消えとなった。その時に、ロシアと縁が結ばれるのは今でないと思い、改めてロシアを訪れる機会を現在待っている。

 

しかるべき時が来れば、ロシアに足を運ぶことになるだろう。モスクワ鉄道の寝台列車でロシアをゆっくりと横断することも風情がありそうであり、ぜひいつか実現させたい。

 

昨日、利己的な射幸心ではなく、成熟した射幸心を持って生きることの大切さについて考えていた。人の心理として、幸運を得たいという気持ちは誰にもあるが、その気持ちがしばしば、他者よりも幸せになりたいという心理状態を生むことには注意が必要だろう。

 

他者との比較の形ではなく、むしろ他者と共に幸福を育んでいくというようなあり方とアクションが実現される世界の到来を望む。それは現代の世界の有り様と人々の精神構造を持ってしては土台不可能な話だが、数百年後、あるいは数千年後の人類であればそうした生き方が可能かもしれない。

 

そのようなことを考えながら、「発達の商品化(developmental commodification)」あるいは「人間の商品化(human commodification)」という現象について考えていた。これまでも発達測定に関してAIを活用したプロジェクトに声が掛かることがあったが、それに協力する道を選ばなかったのは、仮に発達測定がAIで自動的に行えるようになった後の社会の姿を想像していたからである。

 

端的には、その肯定的な面よりも否定的な面が表に現れることを危惧していたのである。まさにそれは、発達測定を通じて、発達という現象が他の消費財あるいは高級嗜好品などと同じような形で商品化されることを恐れ、それによって人間が商品化する事態を危惧していたからである。

 

だが後者に関して言えば、もうすでにそれは遥か昔から企業社会の中で起こっていることである。明示的·非明示的に、企業人は諸々の数字で評価·測定されるという商品化の産物に成り下がっていることは、今に始まったことではない。

 

それは企業社会だけではなく、企業社会と癒着した学校社会においても同様のことが起こっている。そこでなされる各種のテストや試験を通じた数字による評価の仕組みは、人間を商品化することに加担している。

 

経済学者かつ社会学者のソースティン·ヴェブレンがかつて『有閑階級の理論』の中で提唱した「金銭的競争(pecuniary emulation)」という概念は、依然として現代の企業社会に当てはまっており、その概念は形を変えて発達現象にも当てはまっている。

 

発達とは本来その進捗度合いを競争するようなものでは決してなく、高度な段階に到達することは競走レースではない。だが、発達という現象すらもが競争という俎上の上に乗っているような事態が訪れている。

 

また、ヴェブレンが提唱したその他の概念として「誇示的消費(conspicuous consumption)」というものがあり、上述の発達の商品化と合わせて考えてみれば、現代人は虚構の成長物語の中で発達を商品化し、商品化された発達を獲得·消費することに躍起になっている。しかもそこには、上述のように他者との競争という概念が巧妙に入り込んでおり、高度な発達を遂げることがあたかもラグジュアリーを身につけることと同義であるかのように錯覚され、多くの場合、誇示的な消費対象に成り下がっている。

 

今回のコロナウイルスの件で再度はっきりしたが、人類の集合的な意識と知性は依然として未熟な発達段階に留まったままである。フローニンゲン:2020/3/24(火)07:15

 

5650. あの星の名前:愚かで未熟な人間

 

たった今、洗濯機を回した。オランダに来てからはずっと週に2回ほど洗濯するというリズムがある。

 

オランダにはアメリカと同様に、日本で見られるような洗濯物を外に干すという文化がなく、全て乾燥機を回すような文化がある。そのようなことを考えながら、昨夜就寝前に眺めていた満天の星空を思う。

 

昨日も改めて、フローニンゲン上空の星空が見事であることに驚かされていた。フローニンゲンはオランダでも大きい街のうちの一つであり、北部では最大の都市かと思う。

 

もちろん人口の観点から言えば、日本の街と比べて人口は多くない。フローニンゲンの人口は20万人ほどなので、私の実家がある山口県で言えば、山口市という市レベルの人口だ。

 

そのような街に現在住んでいるが、こうも星空が見事なものかと昨夜は感慨深く天空を眺めていた。数日前の日記で書き留めていたように、いくつか気になる星がある。それらの星の中でも、一際輝いている星があり、その名前がとても気になっている。

 

先般、ケンブリッジ大学出版から天文学の最新の知見が収められた図鑑的な学術書が出版され、それを購入することを以前より検討していた。先日街の中心部の書店に訪れた際にも天文学コーナーに行き、何か良い図鑑はないかと探していたところ、数冊ほど購入を迷うものがあった。

 

近々何か一冊ほど天文学の書籍を購入して、あの星の名前を知りたいと思う。その星のことをもっと良く知り、親しくなりたいのである。

 

なぜならば、その星を眺めた時に、その星を眺めている自分がはじめて存在するからである。わかりやすく言えば、その星があることによってしか存在しない自己がそこにあるのだ。

 

つまり、その星と自己はある観点において一心同体なのである。いや、その観点すら取っ払ってみてもその関係は成り立つ。

 

存在論的に、自分がその星を認識したからその星が存在しているというのはおこがましく、物理的にその星は存在し続けているはずだ。だが、「自分が認識しているその星」であれば、それは確かに自分がその星を認識しない限りは存在していないことになる。逆もまた然りであり、その星があるからこそ存在している自分がいるのである。

 

そのようなことを考えながら昨夜は満天の星空を眺めていた。広大な宇宙に意識が溶け込んでいき、意識がどこまでも拡張していくかのような感覚。そして煌めく星々との衝突的出会いと合一がそこにあった。

 

先ほど洗濯機を回そうと思った時に、ふとした考えが芽生えた。私はこれまで人間の意識や知性の発達を探究してきた。人間の意識や知性について知ろうと思えば思うほど、人間というものがわからななくなる。

 

人間について何を知っているかと問われると、この10年間ほど人間について探究してきたにもかかわらず、自信を持って語れることなどほとんどないのではないかと思う。だが、一つだけ自信を持って語れることがあるとすれば、人間は愚かであり未熟であるということだ。人間はいつまで経っても愚かで未熟な生き物であるということだけは自信を持って言えるかと思う。

 

今回のコロナウイルスに対する世界の人々の反応を見ていると、人間がどれだけ愚昧で未成熟かが様々な観点からわかるかと思う。もしわからなければ、それがそっくりそのまま愚昧さと未成熟さの証となる。

 

そのようなことを考えながら洗濯機を回し始め、再び書斎に戻ってきた。人類史において、ある特定の時代だけが呪われていたのではなく、人間の歴史は過去から現在にかけて常に呪われている。

 

人間はつくづく様々なものに呪縛された存在なのだということを、目の前の裸の木々が語りかけている。フローニンゲン:2020/3/24(火)07:42

 

5651. 羽田空港の「新飛行ルート」について

 

時刻は午前7時半を迎えた。引き続き、徒然なるままに日記を書き綴っている。

 

自分の内側から言葉が自然に溢れ出している。内側から何かが形になって現れようとする現象は、ここ最近の作曲に関しても見られる現象だ。

 

先ほど、人間がいかに愚かで未熟な存在かについて書き留めていたように思う。そこからふと、人間がどれだけ馬鹿かを証明するための命題を設定し、その命題に取り組んだ哲学者や思想家はいないのかと考えていた。

 

おそらく、直接的にそのような命題に取り組んだ哲学者や思想家は存在していないかと推測されるが、多くの哲学者や思想家は命題の形を変えて、同様の証明に取り掛かり、同時代の人々に様々な警鐘を鳴らしてきたのではないかとふと思った。

 

この10年間ほど人間の心や知性がいかに発達していくかを探究してきたが、今の関心は、人間はどれだけ発達しない生き物なのかという点と、発達を阻害するメカニズムにより関心が向かっている。しかもそれは個人の内側の要因やメカニズムだけではなく、社会的な要因やメカニズムを射程に入れたものである。

 

現在日本のコロナウイルスの状況がどうなっているのかを調べたところ、それとは全く関係なく、羽田空港の「新飛行ルート」について知った。それはちょうど今週末から運用が始まるとのことだった。

 

それはもちろん、航空産業の活性化と、日本中を飛行機で飛び回る利便性を考えた末に導入されたものだと思うが——政治経済的な利権がもちろん絡んでいると考えられるが——、そこには産業の活性化と移動の利便性以外の観点が欠落しているのではないかと思われてしまった。

 

端的には、人々の心身の観点だ。新飛行ルートで飛ばされる飛行機の数はもちろん一気に増え、その何割かは、都心上空を低空飛行するらしい。

 

いっときの航空ショーであれば、そうした低空飛行を楽しむことができるかもしれないが、毎日そのような低空飛行の下で生活をする人間に対する配慮はあったのだろうかと疑問に思ってしまう。

 

実際に、そのような低空飛行で飛行機が飛ぶ時には、その騒音に対して幼児が泣き出してしまうそうだ。感覚的に純粋な幼児は、そうした騒音に不安感を覚えたり、恐怖を感じているのだろう。それが幼児たちの心に与える影響、そして脳に与える影響は見過ごせないものがあるように思える。

 

毎日頻繁に低空飛行の騒音を聞きながら生活するというのは、絶えず戦場で生活するような心理状態を強いられるのではないかと危惧する。そうなってくると、都心部に住む人々の心身はますます蝕まれていき、ますます病んでしまうのではないかと想像される。

 

これまで一時帰国するときは、大抵東京に数日間ほど滞在することがあり、毎回東京に足を運ぶたびに、人々の機械化·家畜化·ゾンビ化が進行している姿を目の当たりにしているのだが、今回の一件はそれに拍車をかけるようなものになってしまうかもしれない。

 

現在、音についての探究を進めているが、私たちが不快に思う騒音は、間違いなく脳と心に否定的な影響を与える。その影響が今後身体の次元や精神の次元で何かしらの病理として現れてくるのではないかと思えて仕方ない。

 

騒音がもたらす破壊的な力の問題と、小さな問題で言えば、落下物の危険性もある。年間、飛行機の機体から落下物が落ちることが数百件ほどあるらしい。

 

もちろん、それらの落下物は全て小さなものであり、これまではあまり人が生活をしていない空の上での出来事だったのであまり問題になっていなかったのだろうが、今後都市部の上空を飛ぶということになると、この点もまた問題のように思われる。小さなものであったとしても、それなりの高度から落とされると衝撃性が高まってしまう。

 

そのようなことをつらつらと考えていると、いつの間にか時刻は午前8時を迎えていた。フローニンゲン:2020/3/24(火)08:02

 

5652. オランダのアマゾン:自己防衛の必要性

 

洗濯機が一生懸命回る音が聞こえてくる。いつも洗濯機は1時間ほど回っているので、あと15分ほどしたら洗濯機が回るのが止まり、今度は乾燥機を回そうと思う。

 

今日はまだ早朝の作曲実践に取り掛かっていない。それはこれから行う。それはもう1日の最大の楽しみであり、それを行っていると時を忘れてしまう。

 

作曲に伴う感覚は科学研究における実験の中で絶えず新たな発見を見つけているような感覚であったり、昨日言及したように、自分で作った壮大なRPGゲームを楽しんでいるかのような感覚だ。

 

今日もこれから就寝までの時間、作曲実践に打ち込んでいきたいと思う。絶えず楽しみと喜びの海の中に浸ろう。

 

ここ最近購入した多くの書籍の初読がすでに終わっており、それらを再読してもいいのだが、もう少しそれらの書籍を寝かせよう。来月の初旬にまた大量一括注文するまでは、書物から一旦離れようと思う。

 

数日前に嬉しいことに、ようやくアマゾンのサービスがオランダで開始された。これまでも確かにアマゾンはオランダでも活用できたのだが、なんと書籍の販売がされていなかった。そうしたこともあり、いつも私は、イギリスやドイツのアマゾンを購入し、イギリスやドイツのアマゾンでは入手できない書籍についてはアメリカのアマゾンを活用していた。

 

これまではドイツのAmazon Primeの会員だったのだが、数日前にオランダのアマゾンから連絡があり、オランダのアマゾンもAmazon Primeのサービスを始めたようなので、そちらに切り替えた。

 

毎月の会員費がドイツのそれよりも安いことは有り難いが、言語が全てオランダ語である点がちょっと厄介だ。その点、ドイツのアマゾンは英語表示も可能だったので便利であった。

 

いずれにせよ、来月からの書籍の注文の際には、オランダのアマゾンを活用することが中心になり、そこで手に入らない書籍があれば他国のアマゾンを活用する。

 

大空を様々な鳥たちが優雅に舞っている。そこには様々な種類の鳥たちがいて、その中でも小鳥たちはやはり外的を警戒しながら空を舞っているのだろうか。

 

小鳥たちを観察していると、絶えず警戒モードの中にいるようであり、頭を絶えず四方八方に動かして辺りを確認している。そうした行動特性は、捕食者に襲われないための彼らなりの防衛手段なのだろう。彼らにも気の休まる時間があって欲しいと望む。

 

一方で、私たち人間は防衛手段をきちんと持っているのだろうか。それは国防上の大きな問題だけではなく、小さなところで言えば、私たち一人一人の個人の身を守る問題として提起できる。

 

発達理論の観点で言えば、私たちは自分の知識と技術のある領域から一歩外に出ると、完全に無防備な赤子のような存在になる。そして問題は、いかなる領域にもサイコパス、ソシオパス、詐欺師のようなプレデターがいることであり、私たちは自分の身を守る術を身につけておかないと、心身がいとも簡単に彼らに略奪されてしまう。

 

残念ながら私たちは、そうした未熟かつ危険な世界に生きている。それに気づかないことや気づかせないような精神風土と仕組みが存在していることもまた残念なことである。

 

今の私にとって継続的な学習をすることは、もちろん個人的な好奇心や探究心に突き動かされたものだが、そのような世界で生きていく際の自己防衛的な側面も多分にある。自己を守る知識と技術がなければ、本当にいとも簡単に騙されてしまうだろう。

 

心身の略奪と破壊が横行している社会の中に生きているという自覚をもう少し持つ必要があるように思えるのは私だけだろうか。私は別に性悪説を提唱しているわけでもなく、人間の可能性について探究している身から言えば、性善説を提唱したいぐらいだが、世間ではどうも未成熟な性善説的発想が蔓延しているように思える。フローニンゲン:2020/3/24(火)08:24

 

5653. コロナウイルスの蔓延を象徴する今朝方の夢

 

洗濯機が止まり、乾燥機を回し始めた。時刻は午前9時に近づいてきており、先ほどいつもとほぼ同じ時間帯に味噌汁を飲みながら一息ついていた。

 

もうしばらくしたら、カカオニブ、カカオパウダー、ヘンプパウダーを組み合わせたドリンクを飲む。そこには少々ココナッツオイルを加える。

 

朝に口にする食べ物はりんご一個だけであり、消化活動に費やされるエネルギーは微々たるものである。昼はバナナ2本とバイオダイナミクス農法の4種類の麦のフレークを少量食べており、昼はそれだけで十分だ。

 

適量かつ良質な食事を摂ることが完全な習慣となって1年ほどになる。こうした食生活が始まったのは、思い起こせば1年前のパリ旅行の出来事をきっかけにしてのことだった。それ以降、食事を大きく変えたことにより、心身の良い状態が維持促進されている。

 

気がつけば、肉も魚も食べないヴィーガンになっている自分がいた。昨日、協働プロジェクトの関係で、シンガポール人の方と話をしたのだが、その方もヨガの実践をされておられ、アルコールを飲むか、食事で気をつけていることはあるか、などを尋ねられた。

 

アルコールを飲まず、基本的には魚を含め、肉を食べないヴィーガンであることを伝えると、その方は質問する前から、私がアルコールを摂取しないことや肉を食べないことを察しているようだった。やはりそうした食実践の効果は、表情や声、発露する身体エネルギーに現れるらしく、一目瞭然だったのだろう。正直なところ、私も食実践を意識している人かそうでない人かは外見及び声質からすぐにわかる。

 

コロナウイルスの状況が改善している国もあれば、依然としてコロナウイルスが猛威を振るっている国があるようだ。私たちは今回の一件から学ぶことが多くあるように思える。

 

全世界的な規模でこうした危機的状況に陥るというのはリーマンショック以来だろうか。今回の件が落ち着き、その後の世界はどのようになるのだろうか。

 

良かれ悪しかれ、以前の景色とは異なる景色がそこに広がっている予感がする。この世界を取り巻く時代精神や諸々の仕組みはどのように変わっていくのだろうか。

 

そのようなことを考えていると、事実データの受け取り方にも意識の特性が反映され、歪みが生じることに絶えず注意をしなければならないと思った。今、世間ではコロナウイルスに関して諸々の情報が流されているが、情報データのソース及びその質を見極めていく眼を果たしてどれほど多くの人たちが持っているのかが気になっている。

 

人間はそもそも知覚現象を自分の認識の枠組みに合わせる形で捉える性質があり、どのようなデータをどれだけ得るかというところに歪みが生じ、そのデータをどのように意味づけるかというところにも歪みが生じる。端的には私たちは、歪んだ世界の中で歪んで生きているのだ。

 

これも自らの歪んだ認識が生み出した捉え方なのだろうか。いずれにせよ、私たちは絶えず何かしらの歪みを抱えた世界の中で、認識上の歪みを経験しながら生きていることは間違い無いだろう。そして、こうした歪みが個人や社会に思わぬ形で大きな傷を残すことになる。

 

そのようなことを考えながらふと、まだ今朝方の夢について振り返っていないことを思い出した。夢について簡単に振り返りをし、そこから作曲実践を始めよう。

 

夢の中で私は、大荒れの海原に浮かぶ船の中にいた。嵐の水が船内に入ってこないように、扉はしっかりと閉まっていたが、それはどこか現実世界のコロナウイルスによる隔離生活を彷彿される状況であった。

 

嵐の力がより強まってくると、船内にいた友人たちが扉が開かないように必死に抑え始めた。特に一生懸命にそれを行っていたのは、小中学校時代の2人の友人だった。

 

彼らの姿を遠目で見ながら、私は隣に座っていた見知らぬ中年夫婦と話をしていた。旦那さんの方が突然、地方のある私立大学の特定学部の偏差値が異常に高いことに疑問を持っていると述べ始めた。

 

彼はその大学を幾分中傷しており、それに対して奥さんがそのようなことを大きな声で述べてはいけないと旦那さんを諭していた。そこで私は、その大学のある学部の偏差値が異常に高いカラクリについて統計学的に説明することにした。

 

船内にホワイトボードがあったので、それを用いてそのカラクリについて説明を始め、そのカラクリを示す決定的な数式の意味を噛み砕いて説明した。すると、小中高時代の友人(SS)がその数式の意味に対する私の説明にあまり納得行かないようであり、幾分不審な表情を浮かべながらいくつか質問をしてきた。

 

それらの質問に対してもわかりやすく説明しようと心掛け、回答をしたところで、私の体は船内の別の場所にあった。ちょうど私の前を、小中学校時代に一番背の高かった友人(YK)が通りかかり、私は彼に話しかけた。

 

船内で監禁生活を送っていた私たちは、何か面白いことはないかと探しており、そうした生活を送る中で発見した人間特性について語り合うことにした。その船には、様々な人たちが乗船していたこともあり、人間観察を通じて得られた発見事項は数限りないものがあった。

 

しばらく熱中して彼と話をしていると、気がつけば私は見知らぬカフェにいた。そこは欧州のどこかの街にある落ち着いたカフェだった。

 

ふと左隣を見ると、小中高時代の女性友達(NI)が座っていて、テキストを広げながら何かの勉強をしていた。そう言えば先ほどの船内でも彼女を見かけ、彼女は腕立て伏せとストレッチを合わせたような体操をこれから行おうとしており、私の友人(YU)が彼女の髪留めのゴムを外してあげようとしていたのを覚えている。

 

むしろそうしたストレッチをする際には髪を留めておいた方がいいのでは無いかと思ったが、なぜか私も彼女も、そして友人も、髪留めのゴムを外すことが最善であると認識していた。

 

そのようなことを思い出しながら、横に座っている彼女に話しかけた。何の勉強をしているのかとても気になっていたのである。

 

結局何について勉強しているのかわからないまま、夢の場面が変わった。いや、おそらくそこで夢から醒めた。

 

最初の夢において、嵐が象徴しているものは、やはり現在のコロナウイルスの猛威だろうか。そして、船内での監禁生活は、コロナウイルスによる現在の隔離生活を象徴しているように思える。

 

今日も目の前の通りを行き交う人の数は少ない。フローニンゲン:2020/3/24(火)09:20

 

5654. スーパーの前で遭遇した珍しい光景

 

時刻は午後8時半を迎えた。今日も静かに1日が終わりに近づいている。

 

今日は夕方に面白い光景に出くわした。それを面白いと言ってしまうと不謹慎かもしれないので、珍しい光景と遭遇したと述べておきたい。

 

夕方に近所のスーパーに行ってみると、スーパーの入り口から人々が等間隔の距離を置いて列を成していた。一瞬何事かと思ったが、今の世界の状況を考えてみたときに、それが何かがすぐにわかった。

 

スーパーに入る際に、コロナウイルスの対策が行われていたのである。最初私は、入場制限でもしているのかと思い、「ここはディズニーランドかっ!」というツッコミをしたくなった。

 

珍妙な光景に思わず笑みがこぼれ、私は列の最後尾についた。

 

列に並ぶ人たちは、皆律儀に1.5mほどの距離を空けて立っている。スーパーの入り口に特設の手洗場が設けられており、2人の従業員が客を先導し、手を洗ってから店内に入ることを促している。

 

近所のスーパーのJumboは、Albert Heijnと並んでオランダの2大スーパーであり、さすがの対応であると思った。

 

列に並んでいる人たちがゆっくりと手を洗い、店内にゆっくりと入っていく。客の誰も焦ることも苛立つこともなく、こうしたことが日本で起こると、日本人は世界的に見てもせっかちな性質を持っているため、ソワソワする人が少なからずいるだろうということを考え、またしても笑みがこぼれた。

 

思い返してみると、オランダにやって来た当初、夏の時期に運河を架ける橋が船の進行のために上がり、船が通り過ぎるまでしばらく待っておく事態に遭遇した時に、日本人のせっかちな特性が自分の中にまだ多少なりとも残っていたことを懐かしく思う。

 

アメリカから直接オランダに引っ越しをしていれば少しは違ったのかもしれないが、日本でも有数の忙しない街である東京で1年間過ごしていたため、せっかちな性質がまた顔を出していたのだと思う。そのようなことを思い出していると、手を洗う順番がやって来て、石鹸でよく手を洗い、店内に入った。

 

店内は予想以上に空いており、カゴを取る場所でも店員が待機しており、買い物を終えた客がカゴを戻す都度、取っ手の部分を殺菌ペーパーで拭いていた。こうした状況においても、オランダの店員たちは陽気に働いており、その姿が心に残っている。いつでも心の余裕を忘れないというのが彼らの国民性なのかもしれない。

 

今回、スーパーの入り口にできた列で待ちながら、マインドフルネスな状態で一歩一歩前に進むという形でスーパーに入ったが、それは初めてのことだった。今回だけではなく、今後もマインドフルネスの状態でスーパーに入れということを伝えようとする出来事なのかもしれないと考えてしまうほどだった。そのような出来事が本日あった。

 

今日も昨日と同様に、1日を通して見事な快晴が広がっていた。今夜もきっと星空が綺麗だろう。明日もまた快晴のようなので、午後には書斎で日光浴をしたい。

 

今日は午後の仮眠の前に日光浴をしながら楽譜を眺めていた。ぜひともこれを習慣にしたいと思う。

 

日中はとにかく余計な事柄や情報に気を取られないようにする。早朝から夕食後の時間帯は、全て自分の取り組みのためだけに時間を使う。そして、そうした時間の中で今の自分が納得することを積み重ねていく。

 

作曲実践においても読書においてもそうだ。納得のいく形でそれらをゆっくりと前に進めていく。

 

今の自分が関心を持っている事項を納得のいく形でゆっくりと探究を進めていけば、自分の内側がゆっくりと成熟していき、自分の感性も少しずつ開いていくだろう。そのような形で涵養された唯一無二の感性から生み出される自分なりの音を大切にしていきたい。そこに自分なりの正しさがあり、そこから生み出される音は、自らを癒し、自らを育んでいく。フローニンゲン:2020/3/24(火)21:03

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