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5645-5648:フローニンゲンからの便り 2020年3月23日(月)

March 25, 2020

本日の言葉

For I am not so afraid of venomous snakes, or of thunderbolts falling from the sky, or of fires supplied with air, as I am fearful of objects of the senses. Asvaghosa

 

本日生まれた12曲

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タイトル一覧

5645. アテネ旅行の延期

5646. 音の海を振動して進む音:画集を眺めること

5647. 変貌と万物の流転:今朝方の夢

5648. アテネ旅行の予約変更:作曲に伴うゲーム性

 

5645. アテネ旅行の延期

 

時刻は午前5時を迎えた。今朝の起床は4時半前であり、早くも遅くもなく程よい時間に起床した。

 

これくらいの時間に起床することができれば、朝の時間を含め、夜まで自分の活動に打ち込むだけの十分な時間がある。とりわけ午前中の時間というのは、創造活動や読書にうってつけの時間となる。

 

太陽の日が沈んでしばらくしてから就寝し、太陽の日が昇り始める前に起床すること。こうしたリズムは自然のリズムと調和しており、自分に大いなる力を授けてくれている。

 

昨日と同様に、今日も晴天のようだ。天気予報を見ると、今の気温はマイナス1度と低いが、今日も曇りマークの一切ない快晴マークが付されている。

 

フローニンゲンもまたオランダの他の都市と同様にコロナウイルスの渦中にあるが、季節は着実に新たな方向に向かっている。今日もまた日中に日光浴を楽しもう。その際には、太陽の光を浴びながら、過去の偉大な作曲家が残した手紙集を再読しようかと思う。このところは日光浴と読書がセットになっており、それはとてもいい組み合わせだ。

 

昨日街の中心部に出掛けたとき、確かに街中は閑散としていたが、住宅地を通った際に、各人が家の庭や軒先で日光浴を楽しんでいる姿が散見された。オランダの家の作りは興味深く、家には庭だけではなく、入り口のドア付近に木造のベンチがあったりする。そこに腰掛けて日光浴を楽しんでいる人たちを見かけた。

 

その他にも、自宅から椅子を引っ張り出してきて、外で太陽の光を浴びながら新聞や書籍を読んでいる人もいた。天気が優れず日照時間の短い時期が続くオランダにとって、人々のそうした行動は生活の知恵なのだと思う。

 

生活環境と過去の体験の知恵がそうした行動を生み出す。そしてそれは、心身の健康を保ち、育む上で重要な知恵である。

 

このあたり、人々は今回のコロナウイルスの体験を経て、どのように行動が変わるのだろうか。仮に意識が変われば行動が変わるだろう。しかしながら、今回の一件が、人々の意識を麻痺ないし抑圧するものであれば、人々の行動は何も変わらないのかもしれない。

 

人間は本来体験を通じて学ぶ生き物のはずであるが、その体験がいかなる意識作用をもたらすかによって、人々は体験から何も学ばず、行動が一切変わらないということも起こり得るのだろう。

 

昨夜メールを確認したところ、アテネのホテルから連絡があった。金曜日の夜にホテルにメールをしていたところ、その返信があった。幸いにも、宿泊のリスケが可能とのことであった。

 

最初私は、すでに宿泊料を払っており、それが全て無駄になってしまう可能性も考えていたが、ホテル側の対応にはとても感謝している。どうやらギリシャ政府はさらに措置を厳格なものにし、アテネの全てのホテルが先日からしばらく休みとなったとのことである。

 

今回のウイルスの蔓延は、観光産業や鉄道·航空産業に大きな打撃を与えてしまっていることもあり、ウイルスが落ち着いたら、それらの産業に対する微々たる応援の意味も含めて、積極的に旅に出掛けたい。

 

リスケに際して、最初4月末を考えたが、コロナウイルスがいつ落ち着くのか読めないこともあり、アテネに行くのは5月末にした。4月中には状況を見て、オランダ国内の日帰り旅行を行い、ピエト·モンドリアンの美術館に足を運ぶ。

 

オランダには2つほどモンドリアンの美術館があり、どちらに行くかはまた後日考える。仮に2つの美術館が近ければ、片方の美術館周辺に一泊し、翌日もう一つの美術館に足を運ぶのも良いだろう。

 

5月末のアテネの旅行が終われば、そこからまた少し時間を空けて、8月の中旬あたりにスイスのベルン、アスコナ、ドルナッハの3都市を巡る旅行に出かけようかと思う。年内はあと一つ、10月の中旬に日本に一時帰国しようかと考えている。

 

本日行うこととしては、昨日ホテルにリスケの具体的な日にちをこちらから提示したので、部屋が確保できれば、航空会社に連絡し、フライトの予約変更をしたい。アテネのホテルにせよ、ギリシャの航空会社にせよ、今回の一件に対して迅速に対応してくれたことには大変感謝している。フローニンゲン:2020/3/23(月)05:30

 

5646. 音の海を振動して進む音:画集を眺めること

 

時刻は5時半を迎えた。おそらくそろそろ小鳥たちが鳴き声を上げ始める頃かと思う。そのように思っていたら、本当に今小鳥たちが鳴き声を上げ始めた。

 

闇に包まれた静寂な世界に小鳥たちの鳴き声がこだまし、どこまでもその音が伸びていくかのようである。音の振動というのは一体どこまで伸びていくのだろうか。

 

仮に世界が音の海であるならば、一つの音は音の海の中を振動しながらどこまでも伝わっていくのかもしれない。ああ、それは音の縁起なのだろう。

 

一つの音はそれが発せられるとき、この世界の充満する音の海の中を通りながら様々なところに音を届けていくのだ。一つの音は、他の音や音ではない存在に影響を与えていく。

 

仮に一つの音が消滅したとしても、それが与えた影響は不滅である。この現象はまさに人間存在と同じなのではないかと思う。

 

昨夜、就寝前に満天の星空を眺めながら、死という現象及び死後の世界のことを考えた。仮に肉体が消滅しても、その肉体を通じて生きる過程の中で他者に与えた影響に関しては不滅なのだろう。精神的なものはやはり不滅なのだ。

 

小鳥たちの鳴き声が教えてくれることは実に奥深い。世界の一つの側面として、この世界は音と振動で構成されているようだ。

 

音にはそもそも振動が構成要素としてあるのだから、世界は何らかの振動によって構成されていると考えることができるかもしれない。現在は、コロナウイルスの猛威によって、その振動の波長が悪い。あまり好ましくない音と振動が世界に充満している。

 

それが人々の精神にどれだけ大きな影響を与えていることか。現象がいかなる性質の音と振動を持つのかは、人間の脳と意識に大きな影響を与える。

 

そのように考えてみると、私たちの脳や意識というのは、音と振動を受け取る装置のようなものであって、同時に脳と意識は音と振動で構成されていると言えなくもない。

 

5時半を過ぎてくると、空がダークブルーに変わり始めてくる。ちょうど今週の日曜日からサマータイムを迎える。瞬間的にまたしばらくは日の出の時間が遅く感じられるだろうが、それもいっときのことだろう。

 

昨夜は就寝前にオディロン·ルドンの画集を久しぶりに眺めていた。不思議なことに、早起きをして活動するのと夜更かしをして活動するのとが同じ活動時間を持っていたとしても、その密度と質は、自分の場合、圧倒的に早起きをした方に軍配が上がる。

 

過去の偉大な創造者たちも早起きの人間が多く、彼らは午前から午後にかけて自分の取り組みに集中し、夜はリラックスをして早めに就寝していたことが特徴である。私も夕食を摂ってからは頭を使うようなことは行わないようにしている。時折少々読書をすることもあるが、その集中力はやはり午前や午後とは比べ物にならない。

 

夕食後や就寝前に読書を行うことは脳の酷使にしかならないのではないかと最近思っている。仮に読書によって眠気が引き起こされるのであれば、それは脳が読書という行為に拒絶反応を示していることの現れだろう。

 

人間の脳は、その時間帯に最適な活動に従事している時にはいつまでも働き続けるが、仮に好きなことをしていても、それが脳の状態に合致しない場合にはすぐに疲弊をし、活動に対して拒絶反応を示すというとても正直な器官である。

 

昨日眺めていた画集は、2年前にロンドンナショナルギャラリーとクレラー·ミュラー美術館で購入した2冊の画集である。画集には文字で解説がなされているが、そうした解説の文章を読むことをせず、ひたすら絵だけを眺めていた。

 

夜はとにかく言語野を活性化させることなくそれをくつろがせることにしたい。ただでさえ私たちは、日中言語野を自然と活性化させているのだから、就寝前ぐらいにはその活動を抑え、脳を休ませていくことが大切になるだろう。

 

私にとって画集を眺めることは、作曲上のインスピレーションを得るためと感性を涵養するために不可欠だ。さらには、画集の絵だけを眺めることは、言語を介さずに、脳を休ませながらも同時に非言語的な感覚を司る脳の部位を活性化させ、その部位を育んでくれることにもつながる。

 

就寝前の踊りの前には、今後も画集を眺めていこうと思う。また、再来週あたりには、アテネ旅行の代わりとして、フローニンゲンの街の中心にある行きつけの古書店Isisだけではなく、美術書専門の古書店に立ち寄り、そこで自分を打つ画集を購入しようかと思う。

 

もしかしたら、街の中心部だけではなく、運河沿いにもう1店ほど美術書専門の古書店があったかと思うので調べてみよう。フローニンゲン:2020/3/23(月)05:56

 

5647. 変貌と万物の流転:今朝方の夢

 

起床してから1時間半ほど経つが、早朝のヨガの実践と踊り、そして日記を書くことをしてこの1時間半ほどの時間を過ごしてきた。その間にもフローニンゲン上空の空は刻一刻と変貌を遂げている。

 

今、空は明るくなってきており、完全に日が昇るのも後少しだろうか。こうして刻一刻と変貌しているのは、何も空だけではない。私自身もそうした変貌する主体である。

 

それは人間本質の一つであろう。人間という対象を超えて、このリアリティに存在する全てのものが刻一刻を変貌を遂げている。

 

変貌というのは存在の本質なのだ。全ての存在は千変万化し、そして流転する。

 

自分の存在そのものと、その存在がなす行為とその影響は、果たしてどのように流転するのか。それらは何に転じていくのだろうか。

 

今聞こえてくる小鳥たちの清澄な鳴き声を一つ例にとってみても、それは流転し、私の内側に入ってきて、それが思考と感覚を私にもたらしてくれている。縁起でつながり、千変万化し、流転する存在というのは実に不思議だ。

 

今日も様々な存在に支えられながら、自分という存在はその存在にとってできる限りのことをしていく。

 

それでは今朝方の夢について振り返りをし、その後、早朝の作曲実践に取り掛かりたい。日を追うごとに作曲実践の楽しさと喜びが増している。

 

毎日何かしらの工夫をし、新しいことを絶えず試しているためか、毎日が本当に発見の連続であり、楽しさと喜びの連続である。夢の振り返りも、上述の話を踏まえれば、それは作曲実践に少なからぬ影響を与えているであろうことが推測される。

 

夢の中で私は、実際に通っていた大学のキャンパスにいた。生協前のベンチに腰掛けて、そこで友人と話をしていた。だがその友人は大学時代の友人ではなく、高校時代の友人(TN)だった。

 

彼とは高校1年生の時に同じクラスであり、彼は文武両道の優秀な友人だった。彼と話をしていたのは、私たちが履修している経営学概論に関するものだった。

 

私は大学時代に経営学部に所属しており、1·2年生の間に履修することが必須の経営学概論を確かに履修していた。それは履修が必須なだけであって、単位を取得することが必須ではなかったように記憶している。

 

私は経営学部を卒業していながらも、その授業の単位をおそらく取得していない。1年生の最初の学期にその授業を履修し、授業に出席したのは最初のクラスのみだった。

 

その授業を担当していたのは労務管理論の大家の先生であり、せっかくそうした先生から教えを受ける良い機会だったのだが、研究を行う能力と教える能力はあまり相関関係がないのか、その教授の授業は随分と古風な形式でなされており、初回以降のクラスに出ることをやめた。

 

結果として、試験は受けたものの、単位を取得することができなかった。そのような思い出のある経営学概論のクラスについて友人としばらく話をしていた。

 

私はつくづく人から何かを教えてもらうことが苦手であり、幾分毛嫌いする性質さえある。アメリカやヨーロッパの大学では、教授と生徒との間でもう少し活発なやり取りがあるが、それでも窮屈さを感じてしまう。

 

学術機関の中にさえ自分を満足させてくれる学びがないのであるから、一体どこに自分を満足させてくれる学びがあるのかと考えてみた時に、絶えずそれはアカデミックな世界の外にあり、そうした世界の外にありながらにして自分の内側にあるのだという考えが生まれてくる。

 

夢の中の私はぼんやりとそのようなことを考えていた。次の夢の場面では、3人の外国人が音と色の関係について話をしていた。

 

その話は大変興味深く、1人の男性が、色のついた人形を用いて音を表現するということを行っていた。厳密には、聞いた音に対して、ある特定の色のついた人形を手に取り、その人形の体を動かしながらその音を表現するということを行っていた。

 

赤色の人形、黄色の人形、それと青色の人形に対してその男性は笑顔を浮かべながら、次々と音を表現していった。私はその様子を夢の箱の外側から楽しげに眺めていた。そして、「その音はその色を用いてそのように身体的に表現できるのか!」と大きな気づきを得て目を覚ました。フローニンゲン:2020/3/23(月)06:20

 

5648. アテネ旅行の予約変更:作曲に伴うゲーム性

 

時刻は午後8時を迎えた。今日も申し分ないほどの快晴であり、午後は日光浴を楽しんだ。明日からは、午後の仮眠の前に行う日光浴の際に、楽譜を眺めたり、読書をしたりすることを習慣にしたいと思う。

 

昨日アテネのホテルから連絡があり、それに対して返信をしたところ、そのメールに対して再度返信があった。ホテルの担当者曰く、アテネの全てのホテルが3/22から4/30まで営業停止となったそうであり、1ヶ月以上ホテルを営業できないというのは大きなことだろう。

 

5月からは営業再開となるらしく、5月末にスケジュールを変更してもらった。幸いにもホテルの部屋にはまだ空きがあった。

 

今日は航空会社にも連絡をしたが、なかなか電話がつながらなかったので、時間帯を変えてもう一度明日に電話をしようと思う。遅くとも明日か明後日中にアテネ旅行のリスケを完了させ、今週末には、この秋に日本に一時帰国する際の航空券を予約しようかと思う。

 

昨年は帰国の2、3ヶ月前に予約をしようと思ったところ、思うようにフライトが確保できなかったので、今回は半年以上前から予約をする。これくらい前であれば望むようなフライトを予約することができるだろう。

 

ここ最近は、哲学書を読んで、音楽を作る日々が続いている。様々な領域の哲学書を読む中で、それは日々の協働プロジェクトに活きているだけではなく、作曲実践にも活きている。

 

今後は、読んだ哲学書の中で興味深い概念に出会った際に、その概念をモチーフに曲を作ってみたり、概念から喚起される感覚をもとに曲を作っていくことを行ってみよう。

 

日毎に作曲実践を行うことの喜びと楽しさが増している。喩えは不適切かもしれないが、RPGゲームに熱中しているような感覚で音を生み出している自分がいる。

 

誰かが作ったゲームの中で楽しんでいるというよりも、ゲームそのものを創り出し、そのゲームに登場する出来事を楽しんでいるかのようだ。新しい概念や作曲上の道具と出会い、経験値を蓄積させていく様子などがRPGゲームの性質と似ている。またその中毒性という観点においても似たものが多分にある。

 

今後は作曲が持つゲーム性と芸術性の両方を高めていきたい。そこから関心がゲームの語源と歴史に及び、それらについても近々調査してみよう。

 

フローニンゲン大学で学習科学を探究していた時に、学習とゲーム、とりわけ学習にゲーミフィケーションの要素を取り入れる論文などを読んでいたことが作曲実践に活きている。

 

作曲のみならず、日々の実践の中に楽しみと喜びを見出すというのは、そこにゲーム性を見出したり生み出したりしているからなのだと思う。

 

今日はこれから作曲上の原型モデルの作成の続きに取り掛かる。現在はバッハとシューマンの曲を参考にしている。

 

夕食後にはこのようにして原型モデルの作成に集中し、次の日にそれらを活用して作曲をするための下準備をしていく。こうした下準備をしていることが、翌日目覚めた際に、その日1日が充実したものであることを確信させてくれる。

 

1日の始まりと共に、すでに作曲の喜びがそこにあるのだ。そうした下準備をし、明日を楽しみにしながら就寝し、翌朝目覚めた際には、その日1日を生きることの楽しみを感じるという良いサイクルがここにある。フローニンゲン:2020/3/23(月)20:33

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