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5636-5638:フローニンゲンからの便り 2020年3月20日(金)


本日の言葉

We sit together, the mountain and me, until only the mountain remains. Li Bai

本日生まれた10曲

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タイトル一覧

5636. 精神的なパンデミックの背後に:ドイツにある哲学者の博物館

5637. 今朝方の夢:原型モデルとの対話

5638. 外側の世界:コラージュ的作曲の喜び

5636. 精神的なパンデミックの背後に:ドイツにある哲学者の博物館

時刻は午前5時半を迎えた。今、小鳥たちが起きてきて、清らかかつ高らかな鳴き声を上げている。

人間界はコロナウイルスで集団的狂気を経験しているが、小鳥たちの世界は依然として落ち着いているようである。このあたり、私たち人間は小鳥たちのあり方から何か学ぶ必要があるのではないかと思わされる。

昨日、コロナウイルスとインフルエンザについて少しばかり調べていると、いくつか見逃すことのできないデータが出てきたことを昨日の日記に書き留めていたように思う。オランダで毎年900,000人ほどの人たちがインフルエンザに感染するということを知り、その数が思っていた以上に多かったために、日本の状況についても調べてみた。

すると驚いたことに、日本においては、インフルエンザに感染する人の数が毎年推定で1,000万人ほどになるとのことだった。日本の人口からすると、毎年10人に1人はインフルエンザに感染するということを示唆しており、その数は少し多く見積もられ過ぎではないかと思えるが、いずれにせよ、コロナウイルスと数の面においては桁が違う。

昨日の日記で言及したように、不必要に各国の人々が慌てふためいているように思え、ウイルスによる感染症よりも、精神的な感染症の拡大に危惧がある。早く事態が落ち着いて欲しいものだ。

今回の件に関して、仮に情報操作によって世界が大混乱に陥っているとしたら、情報との付き合い方を根本から見直していく必要があるように思う。世界的な大混乱によって株式市場を含め、様々なマーケットが大打撃を受けているようだが、情報操作を仕掛けた側やこうした混乱が起きることを事前に予測していた人間は、空売りなどを通じてしこたま儲けたのではないかと思ってしまう。実際にそうした人間がたくさんいたであろうことは想像に難くない。

小鳥たちの鳴き声が引き続き聞こえてくる。とりわけ朝に聞こえてくる彼らの鳴き声の美しさは格別である。

昨日、2週間ほど前にフローニンゲンの街の中心部の書店で購入した哲学辞典を読み進めていた。その書籍をきっかけにして、またいくつかの博物館に足を運んでみたいと思った。

1つは、ハノーファーにあるライプニッツ博物館である。ハノーファーはフローニンゲンから近く、バスでドイツ西部のリアーという街に行き、そこから列車に乗ってブレーメンで乗り換えをすれば比較的早く着けてしまう。

今年の秋までの旅行計画はすでに埋まっているので、来年以降にはドイツの他の都市を含めて色々とドイツを巡ってみようかと思う。その他の博物館に関して言えば、ドイツにはゲーテの博物館が2つほどである。どちらもゲーテが実際に活動した場所にあり、1つはデュッセルドルフの“Goethe-Museum Düsseldorf”というものであり、もう一つはフランクフルトの“Goethe House”というものだ。

今年はフィンランドで前泊してから日本に帰国しようと思っている。来年はフィンランドではなく、フランクフルトに前泊をし、その際にゲーテ博物館に足を運んでみよう。フローニンゲン:2020/3/20(金)06:03

5637. 今朝方の夢:原型モデルとの対話

今、静かに夜が明けようとしている。今日は曇りがちのようだが、それでも雨は降らない。明日からは3日間連続で雲が一切ない快晴マークが付されており、来週の火曜日以降も晴れの日が続くようだ。

当初予定していた通り、来週の木曜日からアテネ旅行に出かけるが、その日もオランダは晴れのようだ。アテネに到着した日の現地では雨が降るとの予報が出ているので、いつものように折り畳み傘を忘れずに持参しようと思う。コロナウイルスの影響で、アテネの街も随分と閑散としているようだが、逆に言えば街を歩きやすいかもしれない。

明けて来る早朝の空を眺めながら、今朝方の夢について振り返っている。断片的ではあるが、幾つか印象に残っている夢を見ていた。

夢の中で私は、実際に通っていた高校のバスケコートの上にいた。コート上では、友人たちがバスケを楽しんでいて、私もすぐに混ぜてもらおうと思った。

バスケを楽しんでいる友人たちの顔ぶれを見ると、そこには別の高校に進学した小中学校時代の友人たちも何人かいた。また、小中高時代を通じて仲が良く、運動神経が抜群の女性友達(MH)もコート上にいて、女性は彼女ともう1人、小中高時代の友人(HY)の奥さんがいた。

運動神経の良い女性友達は何も遠慮せず、臆することなくバスケを私たちと楽しんでいたが、友人の奥さんは遠慮がちにプレーをしていた。そのような様子を察することができ、友人の奥さんに少し話しかけてみようかと思った。一言二言ではあったが言葉を交わし、友人の奥さんの気持ちが少し和らいだようだった。

その後、私も少しギアを変えてプレーすることにし、積極的にシュートを打って行った。すると、中学校時代からブランクが随分とあるため、シュートがなかなか決まらず、ゴール下のシュートでさえ外してしまう自分がいた。

そこで私は、試合の中で練習をするという感覚で、ゴール下のシュートを打ってはリバウンドを取り、それを再びシュートするということを繰り返していた。これを何回かやっていると、徐々にシュートの感覚が戻ってきて、そこからはシュートが思うように入り始めた。

バスケの試合が終わった後に、コート上で自分の腕を見ると、随分と腕が細くなっているように思え、近くにいた友人と比較をしてみた。彼は元々細身の体質であったが、彼の腕よりも自分の腕の方が細かった。

私は、腕の細さについて何か問題がないかを頭の中で考えていた。今朝方はそのような夢を見ていた。

その他にも、ヨーロッパの街のどこかを舞台にした夢があったように思う。そこでは、小中学校時代の女性友達の1人(NI)と勉強に関して話をしたように思う。

それでは、今日もこれから早朝の作曲実践に取り掛かる。今日からの作曲実践では、原型モデルを活用して曲を作る際には、一度それを聞き、それを作った作曲家に応答手紙を書くような意識をより強く持つことを心がけたいと思う。

原型モデルを通じて作曲家が語りかけて来る事柄に意識を向け、それを受けて自分の中でどのような共鳴現象が起きているのかに注意を払う。そして、作曲家が語りかけてくれた内容に対して返答していく形で曲を作っていく。

こうした原型モデルをもとにした作曲に関しては、おそらく今夜ラモーの曲を参考にしたモデル作りが完了する予定である。ラモーの曲に取り掛かり始めたのは今からちょうど1年前であり、普段様々な作曲家の曲を参考にしているため、一冊の楽譜に収められている曲を全て参考にするのに1年間の時間がかかった。

ここからしばらくは、集中的にバッハの曲を参考にしてみたいという思いが今朝方浮かんだ。バッハの曲を集中的に参考にすることによって、自分なりの作曲語法を確立し、そこを起点にして様々な作曲家の曲に触れていくという流れを作っていこかと思う。

また、一度作った原型モデルを繰り返し使い込んでいくことを通じて、原型モデルが語りかけて来る内容をより深く理解すると共に、多様な実験を試みたいと思う。フローニンゲン:2020/3/20(金)06:28

5638. 外側の世界:コラージュ的作曲の喜び

——現実世界の虚構性を超えていくと、そこには虚構性の現実世界がある——スラヴォイ·ジジェク

時刻は午後8時半を迎えた。今週も終わりを迎え、明日からは週末となる。

明日は予定通り、午後から数時間ほど接心を行おうと思う。書斎の床にヨガマットを敷いて、その上に数時間ほど座して心を落ち着かせる。

思考空間を清浄化させることが一つの目的であるが、仮に何かしらの知覚体験があったとしてもそれに囚われず、静かに座して時間を過ごす。

午前中にふと、私たちが情報操作されていると感じないのは、情報操作がなかった時代がこれまでなかったし、そうした操作がない状態を経験したことがないからかもしれないと思った。さらに、自分が社会的に構築された歪んだ認識世界に囚われていることを感じられないのは、社会的に構築された虚構の外に一度たりとも出たことがないからなのではないかと思ったのである。

そのようなことを考えていると、来月の初旬に購入するべき書籍のテーマが浮かび上がってきた。来月は、スロベニアの哲学者スラヴォイ·ジジェクの書籍と、アメリカの倫理学者マーサ·ヌスバウムの書籍を購入することにした。彼らの書籍を合計10冊ほど、新たに書籍の購入リストに追加した。

もちろん協働プロジェクトなどの社会的関与の質を高めていくためではあるが、それ以外にも、純粋に創作に活かすために哲学を積極的に学んでいるように思う。哲学を学ぶことを通じて、自分の思想や感覚が育まれていくのを実感する。

それはゆっくりとした速度だが、着実にそうした進行が水面下でなされている。今後も哲学的な探究を継続させることを通じて、言葉や音を生み出す装置そのものを涵養していこう。

今日も作曲実践に明け暮れる1日であった。明日は接心のために、午後以降は作曲をしないだろうが、夜に原型モデルの制作は行うかもしれない。

今日の午前中に、ハーモニーの理論書に掲載されている譜例を参考に作曲をしていると、コラージュ的な曲を作ることの楽しさに目覚めた。以前からその目覚めはあったが、それをより強く知覚したのである。

そこからふと、コラージュ画の大家であるニッサン·インゲル先生と出会ったのは、こうしてコラージュ的な曲を作るためだったのかもしれないと考えた。インゲル先生との縁には、そうした意味があったのだと感じるようになっている。

明日以降もまたコラージュ的な曲を作っていこうと思う。その継続的な実践が、コラージュ的な曲を作ることの喜びをさらに増幅させてくれるだろう。フローニンゲン:2020/3/20(金)20:43

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