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5615-5619:フローニンゲンからの便り 2020年3月12日(木)


本日の言葉

The deeper the roots, the more luxuriant the branches. The farther the source, the longer the stream. Nichiren Daishonin

本日生まれた10曲

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タイトル一覧

5615. 早朝に思うこと:今後の生活拠点

5616. 今朝方の夢

5617. バッハとテレマンに関する思い出と彼らが作曲に活用した数秘術

5618. バッハの音楽とダ・ヴィンチコード:数秘術を活用した作曲実践のアイデア

5619. クレーの日記を読んで:香りを引き出す音の探究

5615. 早朝に思うこと:今後の生活拠点

時刻は午前3時半を過ぎた。今朝は午前3時に起床し、起床した直後に小鳥たちの鳴き声を聞くことはなかった。どうやら今日は、彼らよりも先に起床したようである。

今はとても強い風が吹いており、彼らが鳴き声を上げ始めるまでには風が和らいでいて欲しいと思う。強風の中で過ごすのは彼らにとって大変だろうから。

そういえば今朝は、一度パッと午前1時に目が覚めた。その時間帯に起きるのは早過ぎると思ったのでもう一度眠りの世界の中に落ち、次に目覚めた時、午前3時ぐらいだろうと思って時計を確認したら、ぴったり午前3時だった。

今日もまた自分の取り組みに思う存分従事したい。今日はケンブリッジ大学出版から出版された、バッハの音楽と数秘術に関する書籍を読みたいと思う。

その書籍の初読が終われば、その勢いで、先日届いたポール·クレーに関する日記を読み進める。こちらの書籍は、カリフォルニア大学出版から出版されており、ケンブリッジ大学出版に比べれば、こちらの出版社にお世話になることはあまりなかったが、どちらも学術書に関して定評のある出版社だ。

今年の夏は、やはりスイスを再訪し、その際にクレー美術館に足を運ぼうと思っている。その旅の前に、上記の日記を再読したいと思う。

今朝起床したときに、そういえばと思うことがあった。コロナウイルスの影響を受けて、サッカーW杯の予選も延期になるかもしれないという話を見聞きした。

そういえば私は、日本が始めてW杯に出場して以降今に至るまで、一度たりとも同じ場所でW杯を観戦していなかったことに気づいたのである。フランス大会の時は、小中学校時代を過ごした社宅で観戦し、自国開催の時は、引っ越した先の社宅で観戦していた。

ドイツ大会に関して言えば、当時は大学生であり、東京の学生マンションで試合を観戦していたのを覚えている。その後、社会人2年目の時に南アフリカ大会を迎え、その時は勤務地の大阪で試合を観戦していた。

次のブラジル大会は、ロサンゼルス(厳密にはアーバイン)で生活をしていた時であり、ロサンゼルスで試合を観戦していた。直近のロシア大会は、オランダで観戦をした。セネガル戦のみ、旅先のロンドンで観戦をしたが、基本的にはフローニンゲンの自宅で試合を観戦していた。

今のところ、もうしばらくはフローニンゲンを拠点に生活をしようと思っており、今度のカタール大会は再度フローニンゲンの自宅で観戦をすることになるだろう。そのようなことを考えていると、W杯を二大会続けて同じ生活地で観戦するのは、次の大会が人生で初となることをふと思った。

昨日、街の中心部にあるオーガニックスーパーの店員の女性と話をしていた時、彼女はアムステルダムとロッテルダムで生活をしていたことがあるそうだが、フローニンゲンの街が一番落ち着けると判断したらしく、フローニンゲンで今後も生活をしていくということを述べていた。私も同じような考えを持っており、今後も引き続きフローニンゲンで生活をしていくことになりそうだ。

生活拠点の一つは今後もオランダに置き続けたいと思う。オランダ永住権と欧州永住権を合わせて取得するのが2、3年後であり、それらを取得したら、オランダ以外の欧州内のどこかの国にもう1箇所生活拠点を設けようと思う。今のところは、フィンランドが第一候補だ。

もう少し暖かい地中海のどこかの国に生活拠点を設けることも考えたが、フィンランドの持つ雄大な自然が自分の心身を落ち着かせてくれることを以前訪問した際に体感したこともあり、今のところはフィンランドにも生活拠点を置くことを考えている。そのようなことを早朝に考えていた。フローニンゲン:2020/3/12(木)04:05

5616. 今朝方の夢

時刻は午前4時を迎えたが、起床直後と変わらずに、風が強い。だが幸いにも今日は雨が降ることがなく、太陽の姿を拝めるようなので、今日もまた適度に日光浴をしたい。

最近の作曲実践では、理論書を片手に、一手詰、三手詰の詰将棋の問題を作成するイメージで曲を作っている。以前は、数学の問題を解くのと似たところが作曲にはあると思っていたが、確かに作曲プロセスの至る所で問題解決を迫られる要素はあるが、そこには問題解決のみならず、やはり創造するということが大きく関与しており、数学の問題を単に解くのとはそこが若干の相違点だろうか。

問題解決をしながら創造をしていくという点だけを取ってみれば、プログラミングを書くことに似ているかもしれない。フローニンゲン大学で行っていた発達研究においては、プログラミングコードを書くこともあり、そうした類似性がふと想起された。

プログラミングコードを書くことの中にも楽しさと充実感があったが、今の私はやはり曲を作ることに1番の喜びを感じている。

それでは今朝方の夢を振り返り、その後早速早朝の作曲実践に取り掛かりたい。今朝はいつもより少し早く起床したこともあり、読書と作曲実践を十分に楽しむことができそうだ。

夢の中で私は、小学校時代に所属していたサッカークラブが使っていたグラウンドにいた。そこは今はもう使われておらず、グラウンドには雑草が生い茂っている。

夢の中のグラウンドは、当時のままであった。そこで私は、友人たちと一緒にサッカーの練習をしていた。

センタリングからのシュート練習を始めた時、私は右サイドから何度かセンタリングを上げることを行っていた。その後、私はグラウンドを自由自在に動く役割を担い、中央からサイドの友人にボールを配給し、彼らにセンタリングを上げてもらうことを行っていた。

しばらくこの練習を続けていると、ボールを積極的に受けようとする人が徐々に少なくなってきた感覚があった。彼らの動き出しが遅く、私がボールを保持する時間が長くなっていることが気がかりになってきた。

私としては、もっと積極的に早く動き出し、ボールを引き出して欲しいと思っていたのだが、彼らの実際の動きはそうではなかった。そのため、サイドにボールを配給するのではなく、自分がゴール前までボールを運び、自らシュートを打とうと思った。実際にそれで何度かゴールを決め、最後に放ったシュートがゴールネットを揺らした時、夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、私は欧州のどこかの国の城にいた。城の雰囲気から察するに、そこはオランダではないことは確かだった。巨大な城の最上階の部屋で、私はクラシック音楽のコンサートに参加していた。

主たる演目は、チャイコフスキーの交響曲だった。曲の前半部分が終わると、そこで一度休憩に入った。

前半部分の最後の盛り上がりの箇所がとても印象に残っていて、休憩に入った直後はその感動で身動きができず、しばらく席に腰掛けたまま余韻に浸っていた。すると、前の列に、フローニンゲン大学で以前お世話になっていたサスキア·クネン教授がいることに気づいた。クネン教授も席に腰掛けたまま余韻を味わっているようだった。

私は用事があったので、前半部分を聞いた後にその場を後にしようと考えていた。その前に、先生に挨拶をしようと思ったのだが、どういうわけかそれが躊躇われた。

他の客たちは全員休憩のために席を立ち、城の一階で振舞われる飲み物を取りに向かっていた。しばらくして、先生はようやくゆっくりと立ち上がった。そして、最上階のフロアの窓際に行き、そこから城の外を微笑みながら眺めていた。

外は、冬の欧州らしいほのかな太陽光が差していて、静かな浄福感が広がっていた。外の世界を眺める先生の様子を私は見守っており、しばらくして、先生も飲み物を取りにフロアを後にしようとしていた。

先生が私の近くを通った時、自分のことに気づくかと思ったが、私には気づかなかった。すると、先生の元で博士号を取得した若い研究者の女性がちょうどやってきて、先生に笑顔で話しかけ、先生は彼女の腕を取り、2人は腕を組んでフロアを後にした。そこで目が覚めた時、夢の中で聴いていたチャイコフスキーの交響曲が残り香のように脳内に残っており、ベッドの上で再度感動を味わっていた。

昨日、インドの音楽家かつ神秘家のハズラト·イナーヤト·ハーンの書籍“The Mysticism of Sound and Music”を読み進めている中で、意識の発達に伴い、夢の世界がより微細なものになるということをハーンが述べていることが大変興味深く思えた。

意識の発達と無意識の世界との間にそうした関係性があることは想像に難くない。自分自身に焦点を当ててみると、確かに自らの意識の発達に合わせて、夢の世界がより微細なものになり、それと同時に、夢の世界をより微細に思い出すことができているように思う。

顕在意識の発達と無意識の世界との間には、その他にも何か関係があるかもしれない。その点も今後の探究テーマである。フローニンゲン:2020/3/12(木)04:35

5617. バッハとテレマンに関する思い出と彼らが作曲に活用した数秘術

時刻は午前7時半を迎えた。今から2時間ほど前には、強風と激しい雨が一時降ったが、今は雨が止み、外は明るくなっている。小鳥たちの泣き声がどこからともなく聞こえてきて、空には満月が浮かんでいる。

昨日も朝に満月を眺めたが、今朝は満月を眺めながら、「いつか月に行ってみたい」ではなく、「いつか月に行ってみよう」と思った。月で日記を書き、月で曲を書く日がいつかやってくるように思う。その時は今とは逆に、月から地球を眺め、地球を想いながら言葉と音を生み出していくことになるだろう。

今朝は午前3時に起床したおかげもあり、準備運動がてらの早朝の作曲実践を行い、そして1冊ほど書籍を早々に読み終えた。先ほど食い入るように読み進めていたのは、バッハと数秘術に関する“Bach and the Riddle of the Number Alphabet”という書籍だ。

この書籍については昨日も言及したように、ケンブリッジ大学出版から出版されており、この出版社の書籍が持つ固有の香りを私は気に入っている。書籍を開き、すぐさま内容の読解に入っていくのではなく、しばらく書籍に顔を近づけたまま書籍の香りを楽しんでいた。これは昔からの癖であり、実家に帰ってこの行動をしていると、母に変態だと言われたことがある。

ちょうど偶然にも、一昨夜、就寝前に「変態」という言葉について考えており、それは英語で言えば「変容」を示す“transformation”という言葉で同じく表すことができ、「継続的な変容をしていくためには、変態質である必要がある」というようなことを考えていたことを思い出す。

上記の書籍の香りを嗅いでいると、プログラミング言語のRのトレーニングを受けるために、今から5年前にケンブリッジ大学を訪れたことを思い出した。5日間かそこからの集中的なトレーニングの合間に、実際にケンブリッジ大学出版の本店に足を運び、そこで書籍を大量に購入した。それらの一冊一冊の香りをホテルの自室で楽しんでいた時のことが懐かしく思い出される。

先ほど上記の書籍を読む中で、バッハがユダヤ教のカバラの影響を受けていたことが興味深く思えた。実はバッハと同年代に活躍したテレマンも数学と音楽の関係を探究していたことがわかり、2人の共通性を新たに見出した。

テレマンについても個人的に思い入れがあり、ケンブリッジ大学を訪れたのは違う年にロンドンに足を運んだ際に、大英図書館でテレマンの楽譜を参考にしながら作曲実践をしていた日のことをふと思い出した。

ロンドン旅行の際に持参したのはテレマンの楽譜であり、それを参考に曲を作るために大英図書館を訪れた。大英図書館では、過去の偉大な作曲家の直筆の楽譜が1階に所蔵されており、それを好奇心で見開いた目を持って閲覧していたことを覚えている。

数秘術や数学を活用して曲を作ること自体はそれほど難しくないのだが、それらを活用してバッハやテレマンのように美しい曲を作るのは本当に神業である。昨日読み終えたハズラト·イナーヤト·ハーンの書籍“The Mysticism of Sound and Music”にも記述があったが、数字には意識に働きかける固有の力がある。それぞれの数字が持つ意識作用の探究も行い、それを作曲実践に活かして行こう。

また、古代の言語·文字には意識に強く働きかける固有の力(呪術的な力)があったという記述も気になるところであり、これは言語哲学者の井筒俊彦先生が“Language and Magic”という書籍の中で主題として扱っていることでもある。

ちょうど先日、『舟を編む』という日本のアニメを視聴した。これは大変面白いアニメであり、辞書作りに励む主人公が、人生を賭けて1冊の辞書を作っていく物語である。

このアニメに影響を受けて、今度日本に一時帰国した際には物理的な辞書を購入したいと思ったほとだ。もし辞書を購入するのであれば、古典漢字が含まれた漢字辞典も調べてみよう。

曲のタイトルに古典漢字を活用することを考えていく。人生を賭けて音を編むことに従事し続けていきたいという思いを新たにする。フローニンゲン:2020/3/12(木)07:51

5618. バッハの音楽とダ・ヴィンチコード:数秘術を活用した作曲実践のアイデア

バッハの音楽と数秘術に関する書籍を読み進めていると、バッハの音楽に潜む暗号が浮かび上がってきて、それはさながらダ·ヴィンチコードのようだと思った。そこでふと、今年の年初にミラノを訪れた際に、実際にこの目で見たダ·ヴィンチが残した直筆のノートのことが思い出された。

偶然にも、ダ·ヴィンチの没後500年記念として、様々な美術館でダ·ヴィンチの展覧会が行われており、そこでダ·ヴィンチに関する様々な資料や作品を閲覧することができた。その時の体験は、自分の意識と無意識に少なからぬ影響を与えている。

今日はあと2時間後にオンラインミーティングがある。今の自分の理想としては、1週間に3~4時間ほど働くことであり(1日ではなく、1週間で3~4時間)、その理想通りの生活を送ることができている。

1週間に5時間以上働くことはもはや過労である。ただし、自分の取り組みを全てライフワークとして括れば、毎日朝5時か6時から夜の9時までそれに従事していることになる。そんな生活をここ1年半ほど送っている。

フローニンゲン大学で研究をしていた時には、研究と企業との協働プロジェクトに1日の時間をほぼ全て充てており、日記を執筆する以外の時間を取ることはなかなか難しかったことを覚えている。学術機関での研究から離れてから、徐々に創造活動に充てる時間が増えてきて今に至る。

今のこうした状態で日々を過ごすことは、えも言われぬ幸福感を感じさせてくれることを考えてみると、やはり今の日々の過ごし方が理想的なのだろう。

それではオンラインミーティングまでの時間を再び作曲実践に使いたい。その際には、先ほど読み進めていた書籍の内容から閃いたことを早速試してみよう。

例えば、その曲で伝えたいメッセージを一つの英単語(例えばindignation)で表し、その単語を一つ一つのアルファベットに分解し、カバラ的な数秘術を用いて数値化し、その数値に対応させた音ないしは和音を活用するというアイデアがある。

または、曲の小節の冒頭にその単語のアルファベットに対応した音を配置していくというアイデアもある。さらには、曲の終わりに、あるいは曲の冒頭で早々と、その曲のメッセージを投げかけるのも一つの方法かもしれない。

そこからさらに考えを巡らせていると、単語が持つ一つ一つのアルファベットを数値化すると、それは12の数を超えてくるので、そうした数は素数にでも分解し、各素数に対応する音を当てていくのも一案だと思った(その際には、それ専用の音列をまず作る必要があるが)。

アルファベットは26個の文字で構成されているため、12音の音列を2つ作成すれば、全てのアルファベットをそれら2つの音列で表すことができる(最初の音に戻ってくることを考えると13*2=26)。このアイデアを採用すれば、一つの単語を用いたメッセージだけではなく、文章をそっくりそのまま音に変換することができる。例えば、“I love you very much.”や“It is a beaufitul day, today.”といった文章をそっくりそのまま音化できるのではないかと思い、早速このアイデアを試してみようと思う。

仮に最初の音の重複を避けるのであれば、Latin natural-orderのvariation1を活用してみるのもいいだろう。これは“J”と“V”を除く、24個のアルファベットを数値化したものである。

これを活用する際に、表現したい文章の中でJとVのアルファベットを活用する時には、ジョーカーとして好きな音を活用するというようなルールを適用してみてもいいだろう。それか、ヨハン·クリストフ·フェイバー(1669-1744)というドイツの作曲家が暗号学的にアルファベットに対応した音列を発明しており(Faber’s cryptographic invention)、それをそのまま活用するという方法もある。

今から早速自分のアイデアとフェイバーのアイデアの両方を試し、2曲作ってみる。前者の自分のアイデアであれば、JとVのアルファベットを使う言葉を用いる際には、その曲のコンテクストに合わせて自由に音を選ぶ。

一方で、フェイバーのアイデアの場合には、全てのアルファベットに対応する決められた音を使う必要があり、音列を眺める限りだとダイアトニックの音階しか表現できないようなので、クロマティックな音を使う際には工夫が必要かと思われる。そのあたりの工夫も臨機応変に行ってみようと思う。フローニンゲン:2020/3/12(木)08:10

5619. クレーの日記を読んで:香りを引き出す音の探究

時刻は午後7時を迎えた。今日は少し早めに夕食を摂り、食後のこの時間帯に今日を振り返る日記を書いている。

今日の大半は太陽の姿を拝むことができ、夕方に少しだけ雨が降った。今はまた少し雨雲が出てきており、夜から朝にかけて雨が降るそうだ。

このところは晴れの時には室内で薄着になって日光浴をしている。日光浴をしてから心身の調子がまた一段と良くなっているように思うのも不思議なことではないだろう。

もう数ヶ月したら、オランダでの5年目の生活が始まることになるのだが、冬の時期にこうした日光浴の方法があることをこれまで閃かなかった自分が不思議である。ここから数ヶ月間はまだ寒さが残っているので、引き続き日中は室内で薄着になって日光浴を楽しみたいと思う。

振り返ってみると、今日もまた非常に充実した1日だった。早朝の時間帯にバッハの音楽と数秘術に関する書籍を読み、その後、クレーの日記に取り掛かり始めた。

クレーの日記も食い入るように読み進めることができており、400ページほどに渡る日記もあと少しで初読が完了する。これからメールに返信をし、その後にまたクレーの日記を読みたいと思う。

クレーとの出会いも必然であったという実感があり、その実感をもとに、この夏はスイスのベルンに行き、クレー美術館に足を運ぶ。あと2週間ほどしたらアテネ旅行が待っており、その旅行から帰ってきたらまた集中的に読書と創造活動に励み、夏のスイス旅行まで自分の取り組みに没頭して行こう。

もしかしたらスイスに行くまでの間に、オランダ国内旅行として、モンドリアンの美術館に足を運ぶかもしれない。日帰りでもいいし、一泊ほど美術館がある街に滞在してもいいだろう。

そうこうしているうちにアテネ旅行が近づいてきており、スイス旅行に関してもすぐに出発の日がやってくるだろう。そして、秋の日本への一時帰国も思っているよりも早くにやってくるだろう。そのような予感がする。

今日もまた作曲実践を楽しんだ。今は引き続き実験的に曲を作っている。試したいことが諸々あり、曲の出来を気にすることなく、手当たり次第に新たな観点を実験している。

ここのところは、一つ一つの音の響きを確認していくために、ゆったりとしたテンポの曲を意識的に作っている。歌に対する意識を強く持っていることもまた、ゆったりとしたテンポの曲を生み出していることにつながっているのかもしれない。仮に人間が歌えないような曲であったとしても、自分の内側で音の創造を司っているものが歌えればそれでいいのかもしれない。

昨日に音と香りの関係について言及していたように、香りを引き出す音の探究もゆっくりと行っていきたい。音には色が付いているだけでなく、香りが付いていると考えても何らおかしなことではなく、音に香りを嗅ぐことができないのは、きっとそれを知覚する感覚が未開発だからだ。その感覚の開発を行っていく。

ここでもまた意識状態の研究や身体心理学の研究が有益になるだろう。そうした研究成果を参照しながら、音に香りを嗅ぐ感覚を開発していこう。

その鍛錬を続けていけば、もしかすると、嗅覚のみならず、他の感覚を刺激する音の特性を掴むことができ、諸々の感覚を刺激する音を自由自在に生み出していくことができるようになるかもしれない。それが実現されれば、どれほどの喜びが得られるだろうか。フローニンゲン:2020/3/12(木)19:26

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