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5609-5610:フローニンゲンからの便り 2020年3月10日(火)


本日の言葉

Entering the forest without moving the grass. Entering the water without raising a ripple. Zenrin Kushu

本日生まれた10曲

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タイトル一覧

5609. 学ぶことを愛する姿勢を育む教育:今朝方の夢

5610. 意識の純粋な基底:マスメディアと集団催眠

5609. 学ぶことを愛する姿勢を育む教育:今朝方の夢

時刻は午前5時半を迎えた。今朝の起床は午前4:45ぐらいであり、その時にはもうすでに小鳥たちが鳴き声を上げていた。

今日は1日を通して雨のようであり、目覚めた時から雨が降っていたのだが、小鳥たちはいつもと変わらない美しい鳴き声を上げていた。

昨日ふと、学ぶことを愛する姿勢を育むことを第一にする教育の大切さについて改めて考えていた。どのような知識が必要かわからない現代において、そして複雑化する課題に対して絶えず知識を刷新することが求められる現代においては、何か特定の知識項目を拷問のように詰め込むことよりも、一生涯に渡って学ぶ姿勢を育むような教育が求められているのではないかと思う。

今の教育の方向は依然として、学ぶことを苦痛と思わせるような教育になってしまっているのではないだろうか。社会のあり方と教育のあり方を歴史的に眺めてみると、両者は相互に影響を与え合う形で変化を遂げてきたことがわかる。

神話的な精神構造と社会システムを持っていた時代には、そうした社会特性に適合した教育が行われていたし、合理的な精神構造と社会システムを持っていた時代には、そうした社会特性に適合しようとする教育が行われていた。

確かに現代の精神構造と社会システムは、依然として神話的段階の要素や合理的段階の要素を含むが、そうした段階から少しずつシフトし始めているように感じる。少なくとも、それらの段階特性に適合しようとする教育の耐用年数は切れかかっており、老朽化した部分に歪みが見え始めているのは確かであろう。

現代の精神構造と社会システムに適合した形の教育、いや教育はおそらく、時代の精神構造や社会システムよりも一歩先に行ったものである必要があるかもしれない。それがどのような教育なのかに関する個別具体的な事柄は様々なものが考えられるが、教育のあり方としては、上述のように、学ぶことが苦痛であるような教育から少なくとも脱却し、学ぶことを愛する姿勢を育む教育であることは欠かせないであろう。そのようなことを昨日少しばかり考えていた。

相変わらず小雨が降り続け、小鳥たちが鳴き声を上げ続けている。小雨の音と小鳥たちの鳴き声を聞いていると、特殊な意識状態になり、そうした意識状態の中で今朝方の夢について簡単に振り返りをしたい。

今朝方の夢については少しばかり覚えている。夢の中で私は、実際に通っていた中学校に似た体育館にいた。どうやら今からそこでバスケの部活が始まるようだった。顧問の先生はおらず、キャプテンの自分がその場を仕切って練習を始めることになった。

その日は練習試合でもないのに、なぜか体育館の横の4つの扉付近には観客の生徒たちがいた。準備運動を終えた後、そこから少しばかりシュート練習を行うことにした。私が手に持っていたボールは、表面がツルツルの茶色のボールであり、それはボールに手がかかりにくいため、扱いが難しかった。

ただしそのボールは、他のボールに比べて軽いため、ロングシュートを打つ際には距離が出るために使いやすかった。手のかかり具合を優先させるのか、重さを優先させるのか、そうした選択を迫られるボールがそれである。

最初私は、そのボールを使ってロングシュートを打ってみたが、どうも距離が定まらなかった。ゴールへの軌道と方向は問題ないのだが、あとは距離感の調整だけが必要だと思った。

しばらくシュートを打つと、徐々に距離感の感覚が掴めてきて、後半からは次々とシュートが入るようになった。そこでシュート練習は一旦切りやめ、早速紅白戦を行うことにした。

どういうわけか、紅白戦をしようと思ったら、そこにはバスケ部以外の友人たちや他校の生徒たちもいた。私は特に気にすることなく、彼らを交えてチーム分けをし、そこから紅白戦を行った。試合は随分と白熱したものになった。フローニンゲン:2020/3/10(火)05:54

5610. 意識の純粋な基底:マスメディアと集団催眠

時刻は午後3時を迎えた。今、雨がポツリポツリと書斎の窓ガラスに打ちつけている。

先ほど、グスタフ·レオンハルトがチェンバロで演奏するバッハの曲を聴きながら踊りを踊った。15分ほど無心で踊ると、意識の純粋な基底に触れたかのような感覚になった。

意識の純粋な基底は、治癒と変容をもたらすエネルギーの豊かな土壌である。またそこは、自己の本質さらには自己を超えた存在と深くつながる出会いの場所でもある。そのようなことを感じる。

普段から、こうした意識の純粋な基底により触れるように意識しよう。そのためには、意識空間に不純物をできるだけ入れないようにすることが大事であり、不純物の最たる例は、世の中に溢れる雑多な情報である。とりわけ、インターネットなどの情報がそうした不純物に該当する。

そうした無駄な情報を意識空間に入れないようにして、絶えず意識空間を明晰かつ穏やかなものにしておこう。不純物で波立たない意識空間から治癒と変容が起こるのだから。

人生の質は、認識の質に左右されるということを改めて思う。種々の変化はやはり認識の変化から生まれているようだということが再確認される。そうした気づきをもたらしてくれる感覚が午前中にあった。

そういえば、一昨日に自己超出的な意識状態に陥ったことが自ずと思い出された。この知覚体験はもう慣れたものではあるが、毎回自己の存在について重要な洞察をもたらしてくれる。

この体験が起こるたびに、自己の存在が心身を含めた調整を行い、人生の方向性をより調和の取れたものにしてくれるように思う。こうした体験に合わせて、仮眠中の意識の深まりが進展していることにも気づく。

今日はいつもより長く30分ほど仮眠を取った。ベッドの上に横になると、すぐさま意識がサトル状態からコーザル状態に至り、夢を見ない深い意識状態に行く。

そこで治癒が行われ、目覚めた時には生まれ変わったかのような感覚になることすらある。仮眠後に、本当に新たに人生が始まったような感覚がすることがあるのは不思議である。

今日は午前中に早々と1冊書籍を読み、今は2冊目に取り掛かっている。午前中に読んでいたのはマスメディアと集団催眠に関するものだ。

この書籍を読もうと思った背景には、インターネットやマスメディアを通じて集団催眠にかかったゾンビ的人間が増殖している傾向を日増しに感じていたからである。自らの精神を蝕む自傷的な思考や行動を取る人間の増加は、現代社会の病理的な現象かと思われる。

ユングで言うところの個性化が真に果たされていれば、マスメディアや娯楽の世界が構築した仮想世界に自己の世界を模倣させる形で商品やサービスを求めたりはしないように思えるのだが、現代人は決して個性化がはたされているとは言えず、虚構の世界を無批判に受け入れ、それを礼賛する形で自己の世界をそちらに合わせようとするように彼らは行動する。そして、他者と自己を比較する形でなされる衝迫的な嫉妬に突き動かされた消費行動に突き進み、作為的に作られた人工的な欲望に基づく思考と行動を繰り返していく。

広告宣伝が、現代においては擬似的な教育システムとして機能しているのではないだろうか。それは調教システムとして機能しており、強い影響を現代人の思考と行動に与えている。

マスメディアとインターネットを通じた情報の流布は、「心理的な汚染(psychological pollution)」と人間のゾンビ化を助長している。書籍を読みながらそのようなことを考えていた。フローニンゲン:2020/3/10(火)15:07

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