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5595-5598:フローニンゲンからの便り 2020年3月5日(木)

March 7, 2020

本日の言葉

Constant change is completely beyond our speculation. Simply, it is. Dainin Katagiri

 

本日生まれた10曲

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タイトル一覧

5595. 世界の民族舞踏への関心:ボディ·マインド·センタリングの再探究

5596. 現代精神分析学の探究に向けて:家畜化・ゾンビ化する人間

5597. 不思議な縁:Yantraという店

5598. 身の回りに溢れる宗教的な品々:今朝方の夢とコラージュ的な曲

 

5595. 世界の民族舞踏への関心:ボディ·マインド·センタリングの再探究

 

時刻は午前6時半を迎えた。ここ最近は、この時間帯になるともう空がダークブルーに変わるようになった。

 

気温はまだまだ冬のそれだが、日の出時間は着実に春のそれになりつつある。日没に関しても同様であり、夕食の準備をする時間帯においても空が明るくなってきたのは喜ばしい。寒さが残っていたとしても、暗い冬の出口はもうすぐそこだ。

 

先ほども音楽に合わせて少しばかりダンスを踊っていた。今日からは、グールドかリヒテルの演奏するバッハの平均律クラヴィーア曲集に合わせて踊ろうと思っていたのだが、直感的に今朝は、レオナルド·ダ·ヴィンチが作曲した音楽に合わせて踊った——ダ·ヴィンチは作曲もしていたのである。

 

それは笛のような楽器とチェンバロによって演奏されているものだった。曲が変わるごとに曲の表情や雰囲気が変わり、それに応じてダンスが自発的に変化していく様を見てとった。

 

ダンス中には呼吸を意識することもあり、私にとっては瞑想よりも素早く変性意識の状態になることも判明しつつある。ユーリズミー的なダンスを踊り始めたこともあり、早速書斎の本棚にあるシュタイナー教育に関する書籍を引っ張り出してきて、ユーリズミーに関する記述に目を通していたのは昨日のことだった。今日も少しばかりユーリズミーについて文献調査をしよう。

 

ダンスセラピーに関する書籍を一括注文するのは来月だが、今後はダンスの歴史などについても学びたい。世界には多種多様なダンスが存在しており、その歴史を辿っていくことは面白そうだ。

 

また、今後は世界を旅する中で、そこにある美術館や博物館、そして自然を満喫するだけではなく、その地域固有のダンスがないかにも注目をしたい。ダンスの講演会などに足を運んでみるのもいいだろう。

 

今月末のアテネ旅行の際に、ギリシャの文化や歴史と結びついた踊りがないかを調べ、アテネ市内でダンス公演が開催されていればそれに参加してみようかと思う。

 

そのように書き留めて早速調べてみたところ、古代ギリシア時代から伝統的な踊りが存在しているらしく、民族舞踊としてシルトス、カラマティアノス、ピリッキオス、ハサピコ、シルタキといった踊りがあることを知った。それらがギリシャ社会で担ってきた意味や社会的機能にも関心があるが、意識の変容という観点からそれらの踊りを眺めてみようかと思う。

 

踊りがもたらす心身への好影響を早速感じている。起床直後のヨガの後に踊りを踊り、日中も休憩がてら音楽に合わせて無心で少々踊り、夜も寝る前に静かな曲をかけながら踊っている。

 

それにより、明らかにグロスボディにおける血流の流れが良くなり、それがサトルボディへも良い影響を与え、それがさらにコーザルボディにも良い影響を与えていることを実感する。そして何より、日中の活動に対する集中力がさらに高まった感覚があり、学習や実践に適した意識状態を長く維持できているように思う。学習や実践をする際には、兎に角にも脳の状態と意識状態が鍵を握るため、踊りがもたらすそうした好影響は大変喜ばしい。

 

近々届く、マイケル·マーフィーの名著“The Future of the Body: Explorations Into the Further Evolution Of Human Nature”にも、ダンスと心身及び意識状態に関する論文が納められていたように思うので、書籍が届き次第、その論文に目を通そう。

 

ジョン·エフ·ケネディ大学時代にはヨガ以外にも、種々のボディワークを学んでいた。その中でも、元ダンサーの知人から教えてもらったBonnie Bainbridge Cohenが開発したボディ·マインド·センタリング(Body-Mind Centering)は印象に残っている実践技法である。

 

残念ながら、この技法に関する書籍は全て実家に置いているが、今度一時帰国した際には、この技法について学び直してみようと思う。そしてこの技法を日々のダンス実践の中に取り入れてみよう。フローニンゲン:2020/3/5(木)06:57

 

5596. 現代精神分析学の探究に向けて:家畜化・ゾンビ化する人間

 

個人·組織·社会の無意識に関する関心が日を追うごとに高まっている。その関心を深めていく際に、古典的な精神分析学の観点だけではなく、現代精神分析学的な観点を採用していく。

 

英語空間に堆積されている学術的知見を眺めてみると、日本で研究が止まってしまっているような精神分析学とはまた違った様相を持つ精神分析学の研究と実践がなされていることに気づく。

 

来月書籍を一括注文する際には、現代において研究が進められている精神分析学に関する学術書を数冊ほど購入する。また、応用精神分析学として、組織や社会の精神病理に対して精神分析学を適用し、それについて解説している書籍も数冊ほど購入する。

 

そういえば、一昨日は寝る前に少しばかり考え事をしていた。それは格差に関するものである。

 

経済格差や教育格差よりも、もっと悲惨な格差が現代社会に見え隠れし始めているように思えるのは私だけだろうか。端的には、それは人間なるものとそうでないものとを分ける格差である。

 

生物としての人間の進化を眺めてみると、そこには発達の原理である非線形的(非連続的)かつ線形的(連続的)な発達プロセスが見られる。現代においても、着実に進行する人類の進化のプロセスを見てとることができるが、その進化の方向性は幾分怖く思えてしまう。

 

それは進化というよりも下手をすると退化のように見えなくもない。だが、確実にどこかに向かって進んでいるとすれば進化なのだろうが、それは多分に歪な進化である。端的に述べると、人間がますます家畜化され、さらにはゾンビ化されている現象が顕在化し始めている。

 

人間と家畜が混合した生き物は世界のどこにでも溢れているが、日本にはそこにゾンビ的な生き物が混在している割合が多いように思えるから事態はとても不気味である。人間·家畜·ゾンビが混じり合った生物を昨年一時帰国した際によく見かけた。

 

特にその生物は東京に多く生息していたことをはっきりと覚えている。それは戦慄をもたらすものであった。

 

さらに、そこでは同質性の論理が働いており、家畜化された人間は周りの家畜化した人間に気づかず、ゾンビ化した人間は周りのゾンビ化した人間に気づかないということがどうやら起こっているらしい。そうした形で家畜化した人間とゾンビ化した人間が、東京に随分と蔓延っていることに戦慄を覚えたのは昨年のことだった。

 

我が国の首都は、このままだと死都になってしまうのではないかという危機感がある。今蔓延しているコロナウィルスの民衆の反応を見ていても、それは知性を持った人間が行うような反応では決してなく、自らの頭で考え、行動するような自律的·自己内省的知性を持つ者が行う反応ではない。端的には、純朴・従順な家畜のそれである。

 

コロナウィルスがあとどれくらいで落ち着いてくるのかは未知だが、それが落ち着いた頃にはオリンピックが東京で開催される。政治経済的に仕組まれたこの祭りの開催の際には、また家畜的·ゾンビ的な熱狂的反応をするのが多くの国民だろうか。

 

人間としての知性を兼ね備え、それを育んでいく者と、知性を腐敗させ、家畜化·ゾンビ化の道を歩む者との二極化現象及びそれに伴う格差現象が今後ますます進展していくであろうことは、現代に突きつけられている人間として生きることに関する大きな社会課題のように思える。フローニンゲン:2020/3/5(木)07:21

 

5597. 不思議な縁:Yantraという店

 

時刻は午前7時半を迎えようとしている。小鳥たちが清らかな鳴き声を上げている。

 

風はほとんどなく、とても穏やかな雰囲気が、朝のフローニンゲンを包んでいる。今朝は空に雲がなく、とても清々しい。この感覚を存分に味わいたい。

 

昨日、ドイツの書店から何冊かの書籍がまとめて届けられたのだが、それを受け取ることができなかった。事前にどの時間帯にUPSがやって来るのかの連絡をメールで受け取ったので、その時間帯に合わせて部屋の呼び鈴をオンにしようと思っていたのだが、連絡よりも早くUPSが来たらしく、不在届が郵便受けに入っていた。

 

届けられた書籍は、街の中心部のUPSセンターが預かっているとのことであり、近々そこに足を運ぶ必要がある。その場所を調べてみると、偶然にも、以前から気になっていたYantraというショップの真ん前だった。

 

このショップでは、世界の様々な宗教に関するグッズや、ヨガや太極拳などに関するグッズが販売されている。確か以前は、アロマキャンドルでもここで購入しようかと考えていたのではなかったかと思う。

 

今自宅には、数年前に東京に1年間滞在していた時に知人からもらったクリスタルがあり、それを書斎の窓際に飾り、太陽の光や月の光を反射させ、その光を部屋にもたらすようにしている。Yantraではクリスタルも販売されており、さらに追加で何かクリスタルを購入しようかとも考えたが、今あるクリスタルで十分な気もしてきた。

 

また、仏教の法具の一つとして、綺麗な音が響き渡るゴングにも関心があり、それを購入することも考えたし、密教曼荼羅の掛け軸(あるいは絵画)のようなものを購入することも考えた。前者に関しては、ゴング特有の音の浄化作用に関心があるのは確かだが、毎日どれだけそれを鳴らすかを考えてみた時に、購入を躊躇させるものがある。

 

もちろん、それを鳴らすことを既存の習慣に組み合わせてしまえば、新たな習慣として確立されるのだが、実際にその音を店で聞いてみて、必要だと思えば購入をしたい。

 

密教曼荼羅の掛け軸ないしは絵画についても、今すでに原画2点とデジタル複製の絵画1点を部屋に飾っており、家に最初から備え付けてあった絵画が数点あることも考えると、これ以上絵画を飾るスペースがなさそうである。

 

密教曼荼羅に関しても実物を眺め、自分の内側に響くものがあれば購入を検討しよう。今のところ、この店で購入したいと思うのは、手のひらに乗るような可愛らしい仏陀の人形である。

 

店のホームページを見ると、微笑んでいるような仏陀の小さな人形があるようなので、今のところそれは購入したい。書斎の机の上が置き場には一番ふさわしい場所だと思うが、いずれにせよ、仏陀の人間が微笑む姿が頻繁に目に入るところにそれを置こうと思う。

 

数年前にすでにこの店の存在を知っていながらも、これまで一度も訪れたことがなかったところに、突然このような機会が降ってきた。UPSの預かりセンターは、フローニンゲンの街にその他にもたくさんあるのに、今回その店に近い場所が指定先になったことは何かの縁だろう。

 

そしてその縁の恩恵を授かる形で、Yantraで何かしらのグッズと出会うことになれば、それもまた縁のもたらす恩恵だと言わざるを得ない。ここ最近は、自分の心身及び存在、さらには人生の流れがより良いものになってきていることを実感し、それに応じて不思議な縁を感じることが多くなっている。フローニンゲン:2020/3/5(木)07:48

 

5598. 身の回りに溢れる宗教的な品々:今朝方の夢とコラージュ的な曲

 

時刻は午後7時半を迎えた。早いものでいつの間にか今週も週末に近づいている。一応確認をしておくと、明日は金曜日だ。

 

どうやら今夜から明日の午後にかけて雨が降るようだ。幸いにも土曜日は晴れとのことなので、ドイツから届けられた書籍を受け取りに、街の中心部のUPSセンターに行き、その足で買い物をしたい。食料を購入するだけではなく、今朝方の日記で書き留めたように、Yantraという店で、微笑む仏陀の人形(あるいは石像)を購入しようと思う。

 

ふと自宅の中を見渡してみると、フローニンゲン大学で知り合った中国人のシェンからもらった道教のお守りや、ヒンドゥー教に起源を持つヨガのグッズなどがあることに気づく。書斎の壁に掛かっているニッサン·インゲル先生の絵画には、キリスト教を彷彿とさせる天使が描かれている。

 

気がつくと、宗教的なものが意外と身の回りにあることに気づかされる。書物に関して言えば、仏教関係の書籍がいくつかあり、シェンからもらった中国語で書かれた論語のテキストもある。

 

その他にも、イスラム教の神秘思想家のルーミーの詩集などもあることから、ほぼ全ての宗教に関する何かしらのものが自分の生活空間の中にあることがわかる。その他にも気がつくことはあるが、それまた別の機会に書き留めることにする。

 

そう言えば、今朝方は夢の振り返りをしていなかった。あと数時間もすれば就寝というところで今朝方の夢について思い出してみよう。

 

夢の中で私は、以前オンラインゼミナールに参加してくださっていた医師のある方と一緒にワークショップに参加していた。それは代替医療に関するワークショップであり、実際に気功を用いた治療を行ってみるという実践的な内容だった。

 

私たちは一緒に気功の実習を行ったり、気功に関するテキストに関して意見交換をしていた。お互いに和やかな雰囲気で実習と対話を行っていたことを覚えている。

 

今朝方の夢で覚えているのはそれぐらいしかない。起床した時にもすでに記憶が薄れていたのだが、夢を見ていたという確かな感覚はあった。

 

そして上記の夢にマスキングされる形で、一つ前により重要な意味を持つであろう夢を見ていたことを覚えている。その夢については何一つとして覚えておらず、今夜の夢の中で形を変えて現れて来るかもしれない。

 

今日の作曲実践では、理論書を片手に、コラージュ的な曲を作っていった。とにかく実践を通じて理論書の概念を理解することが大切であり、そのように学習を進めていかないと、技術の習得は実現しない。

 

作られたコラージュ作品は誰に聴かせることも意図しておらず、また聴かれることも考慮に入れていない。だが、見る人が見れば、そこに音楽理論上の何かしらの概念や観点が散りばめられていることがわかるはずであり、教育的な効果を持たせるようにはしている。明日からも一つ一つの概念を実験的に曲の中に適用し、理論書の譜例を組み合わせる形で曲を作っていく。

 

今夜も就寝前に、何かしらの音楽をかけながら踊りを踊ろうと思う。今朝から聴き始めているダ·ヴィンチの曲をまだ全て聴いていないので、その続きを聴きながら踊ることにしよう。

 

その際には、曲が生成されていく内在的な力を感じるようにする。言い換えれば、音の志向性を感じ、それを追いかけていくことを意識して踊る。

 

そのような形で曲の自律的な生成力を身体的に感じることができるようになってくれば、いつかより自発的に曲を生み出していくことができるだろう。誰しもが曲に内在するそのような力を大なり小なり感じ取ることができるのだから、あとはその知覚力を高めていく鍛錬をしていけばいい。

 

思考を働かせず、曲の内側の内在法則と一体化する実践を続けていこう。その実践が、いつか今の自分では想像もつかない場所に自分を連れて行ってくれるだろう。フローニンゲン:2020/3/5(木)19:46

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