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5571-5573:フローニンゲンからの便り 2020年2月25日(火)


本日の言葉

If you wish to study Buddhism, you should be like a tiger leaping down off of a tall mountain ridge and devour obstacles. Hsuan Hua

本日生まれた10曲

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タイトル一覧

5571. ボームの思想とプランク時間

5572. 今朝方の夢

5573. 太陽光を全身に浴びて

5571. ボームの思想とプランク時間

時刻は午前6時を迎えた。昨夜は随分と強い雨が降っていたが、今は雨が止んでいる。天気予報を確認すると、午後から小雨が降るようであり、それを踏まえると正午前に買い物に出掛けた方がいいかもしれない。

今年は雪が全くと言っていいほど降らなかったが、明後日は雪マークが付されている。どうやら冷たい雨が最初降り、それが雪に変わるようだ。

ここ2、3日、物理学者のデイヴィッド·ボームの書籍を読んでいた。今日は続きとして、“The Essential David Bohm”を読み進めていく。

人間の意識とリアリティに関するボームの洞察から得ることは大変多く、今日の読書を通じて、また新たな気づきと発見が得られるだろう。ボーム自身がピアジェの理論を探究していたことを今回改めて知り、ボームが提唱する“order”の概念は、まさに発達と関係しているものだと思わされた。

とりわけ、リアリティに絶えず内在している“implicate order”が紐解かれていくことによって“explicate order”になっていくというのは発達原理そのものである。ここ最近の読書を通じて、リアリティに内在しているそうした秩序階層を敏感に察知·知覚し始めている自分がいる。それは領域を問わず、音楽や絵画、哲学や科学、経済事象などにも及ぶ。

さらには、そうした秩序階層の存在を感知するだけではなく、それらの階層を上っていき、上位階層からリアリティを眺めるような意識状態が続いている。それらはおそらく大量な読書と特殊な意識状態、特に呼吸法を通じたリラックスによって獲得された状態によってもたらされているのではないかと思う。

一昨日まで時間に関する哲学書を読み進めていた。その時に、以前体験した時間に関する奇妙な知覚体験について思い出していた。

それは時間の最小単位と呼ばれているプランク時間の連続性の輪から脱却し、それが離散的に把握され、時間が持つ無数の切れ目を知覚するという体験だった。そして、そうした時間の離散的な把握と切れ目の知覚のみならず、あるプランク時間から次のプランク時間に移行する間が永遠の如く感じられるという体験だった。

プランク時間というのは、5.391×10の-44乗秒という途轍もなく短い瞬間的な時間なのだが、それが永遠のように思われ、その時間単位の中に人生が何千回、何万回も内包されているような感覚があったのである。この知覚体験をしたのは2年前の冬ごろだったのではないかと思う。今でもその時の体験を鮮明に覚えている。

時間は連続的なものだと思っていたのだが、この時の体験と現代の物理学の時間の扱いからすると、どうやらプランク時間が示すように、確かに時間は離散的なもののようだ。

時間については引き続き探究を進め、探究を通じて得られた事柄を発達支援や作曲実践において活用していこう。

今日もまた作曲実践を小さく前に進めていく。自らの生命エネルギーと世界との交感の記録として、ないしは戯れの記録としての作曲実践という意味を昨日見出した。さらには、1つの曲は、その瞬間における無意識の発露だという見方も生まれた。

無意識がある形態として発露し、それを観察することによって自分の無意識の世界を探求していこうと思う。フローニンゲン:2020/2/25(火)06:28

5572. 今朝方の夢

今朝は少し風が強い。昨日は比較的穏やかな風であったが、数日前は強風が吹いていたことを思い出すと、今の時期はやはり風が強い日が多いのかもしれない。

書斎の窓から見える闇の世界を眺めながら、今朝方の夢について振り返りたい。こうした闇は、夢の再意識化を助けてくれる。そして、再度夢の世界に入ることを促してくれるかのようだ。

夢の中で私は、実際に通っていた中学校の教室にいた。学校自体は同じであっても、その周りの環境が違っており、実際よりも山や海に囲まれており、自然がさらに豊かであった。実際の中学校は海まで近いのだが、夢の中のその学校は山奥にあり、海までは少し距離があった。

教室には、体育でお世話になった年配の男性教師がいた。先生は、なぜか漢字の書き取り問題を3題ほど提出し、私たちはその問題に取り組んでいた。

提出された問題の1つに、「いっしゅんいっしょう(一瞬一生)」というものがあった。夢の中の私は、これは現実世界において進行中の協働プログラムの名前だということに気づいていた。その他の2題についてもさほど難しい漢字ではなく、私は難なくそれらの書き取りを済ませた。

ただし、解答を書く用紙は裏紙というよりも単なる紙切れのようなものであり、その紙切れを飲んでいたお茶か水かで濡らしてしまい、濡れた紙切れにシャーペンで文字を書くのは困難だった。私はなんとか工夫をして、濡れていない箇所に文字を飛び飛びで書き、矢印でそれらの文字をつなげた。

提出された問題に早く解答した私は、親友(NK)と一緒に外に出て、気分転換に空を飛んで辺りを一周してこようと思った。青空を飛ぶのはとても気持ちがよく、学校の周りの山を上から見下ろすのは爽快だった。

また、遠くの方には海が太陽の光で煌めいていた。

すると、少し風が吹いてきて、私たちの体は風に流されて行った。思っていたよりも遠くに来てしまった私たちは、早く帰らないと解答の提出時間に間に合わないと思った。

風が強くなってきたので、これ以上空を飛ぶことはできないと判断した私たちは、地面に着地し、そこからは走って学校に戻ることにした。ロータリーのような場所に辿り着いた時、車がやたらと走っていて、なかなか反対側に渡ることができなかった。

親友の彼は先に反対側に渡ることができたので、先に学校に戻ってもらうことにした。右を確認し、道路の中間地点で一度止まり、そこからまた車が通り過ぎるのを確認してから反対側の道に向かおうとした。

すると、左から高校1年生の時にクラスメートだった友人が歩いて近づいてくる姿を見つけ、彼もまた私に気づいた。久しぶりの再会だったのでそこで少し立ち話をしたいと思ったが、時間がなかったので言葉を2、3交わして、彼とはそこで別れた。

なんとか反対側の道路に行き着き、そして学校に戻った。教室に戻ると、結局、漢字の書き取り問題の提出時間に間に合わず、不提出と見なされてしまった。学校の成績を大して気にしていなかった私は、別にそれでも問題ないかと思った。

すると今度は、同じ体育の先生がなぜか数学の確率の問題を提出してきた。まず組み合わせを求めることが解答プロセスの最初のステップであり、その問題の組み合わせについて先生は私に尋ねてきた。

私:「この問題は“permutation”ではなく、“combination”で解くものですね」

そのような前置きを置いてから、 “P”ではなく“C”を活用して組み合わせを算出したところ、先生は違うと述べた。明らかに自分の解答は合っていると思われたのだが、先生はそれが間違っていると述べ、自分で組み合わせを算出しようとしていた。

しかし、黒板で奮闘している先生は、一向に解答を出せないようだった。それを見かねて、私はまた教室の外に出て、空を飛んで気晴らしをしようと思った。今度は親友とではなく、1人で空を飛ぶことにした。

先ほど随分と遠くまで飛んでしまったので、今度は近場を飛ぼうと思った。だがいざ飛び始めてみると、どこまでも遠くに行ってみたくなるのが常であり、私はついつい遠くまで飛んでしまった。

深い森林地帯が眼下に見え、山間の小学校の上空までやってきた。その学校の向こうは海になっていて、深い森と海のコントラストは見事な景色だった。

小学校の上空からグラウンドを眺めると、そこで合唱の練習をしている生徒たちの姿が目に入った。懐かしいメロディーが聞こえてきたので、そこからさらに耳を傾けると、その曲が『あの素晴らしい愛をもう一度』であることに気づいた。

そして私は生徒たちの歌声を聞きながら上空で、「命かけてと~、誓った日から~」と口ずさんでいた。歌を口ずさみながらも私は、随分と遠くまで来てしまったことに気づいており、早く学校に戻ろうと思った。だが、またしても風が強くなってきて、学校に戻るのは一苦労であった。

学校に戻り、教室に到着すると、先ほどの体育の先生はいなくなっており、代わりに数学でお世話になっていた女性の先生がいた。どうやらみんなはまだ先ほどの問題を解いているようであり、どういうわけか私は、シャツや靴下、そしてズボンを廊下にある水道で手洗いし始めた。

手洗いを始めてすぐに気づいたが、それをちゃんと干さないと、学校から帰る時までに乾かないことに気づき、またズボンまで洗ってしまい、ここから何を履いて過ごしたらいいのか戸惑ってしまった。だが幸いにも、替えのズボンを持ってきていたので安堵した。フローニンゲン:2020/2/25(火)07:01

5573. 太陽光を全身に浴びて

時刻は午後8時を迎えた。今日も1日がゆっくりと終わりに向かっている。

今日も断続的に雨が降る1日だった。幸いにも、正午過ぎに太陽が出てきたので、日光浴をした。

まるで植物が光合成をするかのように、肘や膝裏などに太陽の光を存分に浴びた。太陽の姿を拝むのは本当に貴重であるから、太陽が顔を覗かせた時には常に日光浴をしよう。

家の中であれば寒くないので薄着になり、全身に太陽の光を浴びるようにする。太陽の紫外線を浴びすぎるのは身体に害があるが、適度に太陽の光を浴びることは生命力を高める。

とりわけ北欧に近い今の居住地域においては、冬の時期は太陽があまり出ないので、尚更太陽の姿を拝むことができるのは有り難いことである。

今、再び雨が降ってきた。そういえば午後には、ひょう混じりの雨が降っていた。

本当にコロコロと天気が変わるため、コロコロと転調した曲を作りたくなってくる。内部環境と外部環境は常に相互作用をしているのだから、曲のアイデアや生成方法が自然環境に左右されるというのは当然のことなのだろう。

曲を感覚的に生成する中にも何かしらの規則性がそこにある。行動や思考の背後に内在的な自己規則があるのと同じである。作曲においては、こうした規則性を確立していくことが自分なりの作曲語法の確立であり、それを育んでいくことが作曲技術の成長なのだろう。

作曲に関してその他にも、近々、ハーモニーの理論書に掲載されている譜例をもとに、音楽的なコラージュを作ってみようと思った。これは前々から考えていたアイデアである。

ハーモニーの理論書だけではなく、他の作曲理論の解説書に掲載されている譜例を自分なりに組み合わせ、そして自分なりのアレンジを加える形で1つの曲にしてみよう。その際には、コラージュ画の大家であったニッサン·インゲル先生の絵画を参考にしよう。

一度こうした形でコラージュ的な曲を作ってみて、今後はシリーズとして作っていくのも良いかもしれない。そのようなことを午後に考えていた。

今日は無性に旅に出かけたくなった。直近で旅に出かけたのは、マルタ共和国とミラノへの旅が最後であり、旅から帰ってきて早いもので2ヶ月弱の時間が経つ。これまでおおよそ1ヶ月に一度のペースで旅に出かけていたので、そろそろ旅に出かけたくなるのも無理はない。

計画通り、3月末から4月の初旬にかけてアテネに足を運んでみようと思う。アテネの街についてGoogleマップ上で調べてみると、オーガニックスーパーがあちこちにあり、現地での食事には困らなさそうで何よりである。来週末か再来週末あたりに、訪れたい場所をリストアップし、ホテルや航空券の予約をしたいと思う。フローニンゲン:2020/2/25(火)20:20

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