top of page

5555-5556:フローニンゲンからの便り 2020年2月19日(水)


本日の言葉

Hesitancy is like muddy water; wisdom is impeded by mud and opaqueness. Joseph Godstein

本日生まれた10曲

本日生まれた曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

本日生まれた曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

5555. 心の哲学と時間論:今朝方の夢

5556. デイヴィッド·ボームの思想:「元気」と脳

5555. 心の哲学と時間論:今朝方の夢

時刻は午前6時を迎えた。今日もまた新たな1日が静かに始まった。

今日もまた読書と創造活動に旺盛に取り組んでいこうと思う。昨日からは、“The Oxford Handook of Philosoophy of Mind”を読み進めている。

本書は800ページほどの大著であり、現代の心の哲学の研究動向を掴む上でも大変有益な書籍だ。オックスフォード大学出版から出版されている同シリーズの“The Oxford Handook of Philosoophy of Time”も昨日パラパラと中身を眺めていたが、心の哲学にせよ時間論にせよ、ここまで言葉によって両研究対象が記述されていることに驚く。さすがは言葉ありきの伝統を持った文明で行われている研究だと思わされた。

もちろん、心にせよ時間にせよ、東洋においてもその研究は豊かであり、仏教などはまさにその際たる例だろう。仏教にも諸派があり、心や時間を論じる着眼点や深さなども異なっているかと思われるため、今後は仏教の様々な諸派が展開している心の哲学や時間論についても探究の幅を広げていこう。

今日は上記の書籍をまず読み進め、早い段階で一読が終われば、超心理学の分野で多大な貢献を果たしているラッセル·ターグの書籍を読み進める。それは昨日アメリカから届けられたものだ。

昨日もいつもながら雑多なことを考えていた。知識や技術の蓄積過程は緩やかだが、それらが次の次元に移行するのは瞬間的な現象である。それが発達の連続性と非連続性であり、後者はとりわけ発達的な跳躍とも呼ばれる。

今現在の私は、知識と技術を緩やかに蓄積している過程だろうか。もちろん、知識·実践領域ごとにその発達プロセスは異なるが、全体としてそのような過程に今の自分がいるような感覚がする。

感覚。今日もまた身体感覚を意識していこう。

呼吸及び動作について意識をしていく。とりわけ、無意識的に行っている日々の動作を観察·検証していこう。そこに自分の無意識の特性が表れているだろうし、そこに諸々の介入の余地がある。

それでは、今朝方の夢について振り返りをしたら、早朝の作曲実践に取り掛かりたい。

夢の中で私は、実際に通っていた中学校に似た教室にいた。私の席は窓際の列の一番前であった。教壇には、高校時代の年配の数学教師がいて、先生は黒板に問題を書き写している最中だった。その問題は円を活用したものだった。

黒板に表が書かれていて、表内の数値を活用して円を描くことによってその問題が解けることを自分は知っていた。右隣を見ると、小中学校時代の双子の友人がいて、彼は弟の方だった。

私は早々とその問題を解き、続きの問題が黒板に書かれるのを待っていた。そこで右隣の友人を見ると、全く手が動いていないようだった。私は彼に話しかけ、どこでつまづいているのかを聞いた。

私は手助けをしようと思い、いくつかヒントを教えた。黒板を指差して、「あの表内の数値を活用して円を描くといいよ」と述べた時、黒板から表が消えていた。

どうやら、別の友人(SN)が間違ってそれを消してしまったようだった。それがないと問題が解けないので、再度その表を書いてもらうことを彼にお願いするも、なぜだか彼はそれを嫌がった。

消した者の責任として、もう一度その表を復元する必要があるだろうと思いながら、彼になんとかお願いをした。そこで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、私は学校の体育館にいた。どうやら、今から卒業式が行われるようだ。

実は体育館に入る前に、学校の周りをうろつく殺人者を撃退するために、私は学校の近辺を散策していた。すると、警官隊と鉢合わせになり、私は一般市民だったが、一応両手を挙げて危害を加える意思はないことを示した。

警官隊はライフル銃を持っており、私の方に銃口を向けていた。私が両手を挙げた時、手に持っていた水の入ったペットボトルが地面に落ちた。

警官隊の1人がそれに銃口を向け、スカウターのようにその中身をスキャンし、デジタル情報でその安全性を調べていた。中身が水であることを知った警官隊は銃口をペットボトルに向けることをやめ、他の警官隊も私に向けていた銃口を下ろした。そんなやり取りがあった後に体育館に入ったのである。

体育館に入ると、卒業式のための飾り付けが華やかにしてあった。時刻はちょうど昼時であり、卒業式は午後からだったので、体育館と連結している食堂に私は向かった。

とは言え、私はお腹が空いておらず、昼食を食べる気はなかった。ただ友人たちと話をしようと思っていた。

幸いにも様々な友人たちと話をすることができ、気がつけば卒業式の時間が迫っていた。私はどういうわけか、現在オランダで使っている黄色の発光色のスポーツウェアを着ていた。その場にふさわしい格好ではなかったが、みんな自由な格好をしていて、他にも全く同じウェアを着ている男女の友人が何名かいた。

いざ式が始まり、式が佳境を迎えると、ある友人(SS)の名前が呼ばれ、卒業証書が彼に授与された。次に名前を呼ばれた友人(TM)はその場におらず、代わりに彼の父と弟が卒業証書を受け取った。その際に、彼の父が簡単なスピーチをした。

次に名前を呼ばれたのは私だった。普通であれば壇上で卒業証書を受ける取るのだろうが、その日の式はどういうわけか体育館の壁際にある扉のところで受け取ることになっていた。

黄色のウェアはあまりにも目立ちすぎると思ったので、私はウェアの上を脱ぎ、黒の長袖の格好になった。それもまた普段家の中で着ているラフなものだった。

卒業証書の受け取り場所である扉の方に向かっていく最中、なぜか松任谷由実さんの『ひこうき雲』が流れ出した。自分がその曲を歌えということなのかと思い、近くにあったマイクを持って冒頭から歌い出したところで夢から覚めた。フローニンゲン:2020/2/19(水)06:50

5556. デイヴィッド·ボームの思想:「元気」と脳

時刻は午後8時を過ぎた。今日は早朝に少しばかり小雨が降っただけであり、日中は雨が降らず、時折太陽の光も見えていた。

午後に近所のコピー屋に行き、そこで所用を済ませてからスーパーで買い物をした。本日の外出はそれぐらいだったが、新しい道を歩いていたこともあり、とても新鮮な気持ちでフローニンゲンの街を眺めていた。

自分の気持ちと行動次第で新たな発見がもたらされ、日常に彩りがもたらされることを改めて教えてもらったような気がした。

今日は午前中に、オックスフォード大学出版から出版された心の哲学に関する論文選集の一読を終えた。その後、超心理学研究で著名なラッセル·ターグの書籍を読み始めた。

そこから私は、ここ最近購入した一連の書籍を読み終えたら、書斎の本棚にあるデイヴィッド·ボームの2冊の書籍を読もおうと思った。ボームは元々物理学者なのだが、人間の意識に関する深い洞察を持っており、彼の思想は大変参考になる。

手持ちの2冊の書籍を読んだ後に、クリシュナムルティとの対談本を含め、追加で2冊ほどボームの書籍を購入しようと思った。それらの書籍を通じて、人間の意識に関するボームの思想を理解するのみならず、彼の思考プロセスを追いかけ、類似する思考プロセスを展開させる中で人間の意識に関する自分なりの思想を深めていこうと思う。

午前中にふと、元気でいるためには「元になる気」が必要であるということに気づいた。そもそも多くの現代人は、そうした元になる気が不足している。そうしたことを実感することが多い。

元になる気の摂取と涵養。その実現に向けた学習と実践。そして、そうした学習と実践の成果の共有。それを明日からも行う。

今日もまた、デフォルト·モード·ネットワークをうまく活用する形で、脳を適度にアイドリングさせながら自分の取り組みに邁進していた。ふとした時には意図的にぼんやりする状態に参入したり、書斎の中でふと目を閉じてバランスボールの上で背中をほぐすことなどを行っていた。

そうしたことを求める脳がいて、それを行うと脳が明らかに喜ぶ。脳味噌が笑顔になると、脳内のシワという名の神経回路がさらに複雑になり、新たな閃きが生まれることや、一つ次元の高い視点で物事を捉えることにつながったりする。

明日もまた、脳に適度な負荷と休息を与えながら、二人三脚で自らの取り組みに励んでいく。こうした日々を淡々と過ごしていく。

今日もとても素晴らしい1日だった。脳もまたそのように述べている。フローニンゲン:2020/2/19(水)20:30

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page