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5540-5542:フローニンゲンからの便り 2020年2月14日(金)


本日の言葉

When there is the capacity to love ourselves, there is the capacity to love others. Ajahn Jitindriya

本日生まれた10曲

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タイトル一覧

5540. 幾何学と作曲

5541. 今朝方の夢

5542. 万華鏡的認識と自然深き場所へ

5540. 幾何学と作曲

時刻は午前4時半を迎えようとしている。今朝は、午前3時半過ぎに起床した。いつもながら、目覚めと共に心身の調子の良さを実感した。

ここ最近は意識状態や脳の状態に関する書籍を読み進めることに並行して、身体心理学関係の書籍も読み進めていた。改めて、私たちの身体は、その人の内外のリアリティを映し出していることを思う。

身体の動きや状態を眺めれば、その人の内外のリアリティが随分と見えてくる。それは自分に対しても同様である。

”everybody”という言葉に“body”という単語が入っていることの不思議さについて昨日考えていた。これと言って何かわかったわけではないが、この言葉はやはり身体の重要性を強調するような言葉かと思う。

昨晩、一つ一つの曲は、その瞬間の音楽的ゲシュタルトを表していることに他らないことについて考えていた。一つの曲を作ろうとする時、そこに音楽的な構築物を生み出そうとする力が確かに働いていて、その力に身を委ねる形で曲が形作られていく。

もちろん、その力は作曲に関する知識と技術によって高度化する類のものである。今後より一層曲作りに励んでいけば、いつかそうしたゲシュタルトを生む力そのものが一つ上の次元に移行するだろう。それがまさに能力そして知性の発達である。

そこから私は、就寝前にベッドの上で横たわりながら、少なくとも数万曲、できれば10万曲や100万曲ほど短い曲を作って行きたいと思っていた。さすがに100万曲をこの人生の間に作ることは難しいが、それに匹敵するぐらいの膨大な音楽的構築物を自分の内側に作っていこうと思う。

先日届けられた“The Geometry of Musical Rhythm: What Makes a “Good” Rhythm Good?”と“A Geometry of Music: Harmony and Counterpoint in the Extended Common Practice”という書籍を、昨夜就寝前にパラパラと眺めていた。すると、作曲に関するいくつかのアイデアが湧いて来た。

そのうちの一つとしては、まさに本書の主題である幾何学を活用する形で曲を作っていこうというものである。具体的には、例えば円を描き、12音を時計の針に対応させるように配置していく。そこから各音の点を結ぶ形で六芒星を描いたり、正方形を描いたりする形で音を抽出し、抽出された音を使って曲を作っていくというものである。

もちろん、楽譜上に幾何学模様を表現することも可能だと思われ、例えばシューベルトは、通称「シューベルト三角形」と呼ばれる幾何学構造を曲の中で活用している。しかし、こうした目に言える形で幾何学構造を表出させるよりも、目には見えない音楽空間内に幾何学構造を構築していくことの方が興味深い。

このアイデアを実際に試してみようと思ったため、就寝前に作曲ノートに円を描き、本日の作曲の下準備をしておいた。本日上記のアイデアを実際に適用してみて、今後はよりそのアイデアを洗練させていこう。

音楽空間上に幾何学的構築物を創造していくというのは、音楽空間内にゲシュタルト構造を作っていくこととほぼ同義である。上述の2冊の書籍はどちらも秀逸であり、こうした良書はアイデアの宝庫であり、創造活動の優れた刺激剤であると実感した。

今日も旺盛な読書をしていこうと思う。それが探究と自らの取り組みを深めていく。フローニンゲン:2020/2/14(金)04:47

5541. 今朝方の夢

幸いにも今日は雨は降らない。夕方近くになったら、街の中心部のオーガニックスーパーに行き、必要なものを購入したい。

今日必要なものは、ココナッツオイル、麦味噌、八丁味噌、豆乳、ゴマペースト、4種類の麦のフレークだ。その他に必要なものはあったかと考えてみるとが、それ以外のものはなさそうだ。あぁ、あとは椎茸が必要だ。

店の構造から、椎茸、ココナッツオイル、麦味噌、玄米味噌、4種類の麦のフレーク、豆乳、ゴマペーストの順番でカゴに入れていけばいい。そのイメージが脳内にできたので、購入するものを携帯にメモする必要もないだろう。

今朝方も印象に残る夢を見ていたので、それを書き留めてから早朝の作曲実践を始めたい。夢の中で私は、日本のどこかの街のコンビニいた。辺りの雰囲気から察するに、実家がある街のようだった。

コンビニで何かを購入する気はほとんどなかったのだが、コンビニに入って店内に置かれている商品を観察していた。すると、レジの方で聞き覚えのある声が聞こえて来た。

見ると、そこには予備校時代の友人がいた。彼の顔を久しぶりに見た私は嬉しくなり、彼に声を掛けた。すると、彼の身長が随分と伸びていることに気づいたのである。

:「あれっ、随分と大きくなったね。190cmぐらい?」

友人:「いや、3mほどになったよ笑」

さすがに3mはないだろうと思ったが、確かに2mぐらいには達しているように思われた。私が彼に声を掛ける前に、彼が店員に声を掛けて、商品について質問をしていたのだが、その時には声が随分と低い位置から発せられているように思えた。彼はきっと屈んでいたのか、地面に伏していたのではないかと思った。

そこから私たちはコンビニの外に出て、少しばかり話を続けた。すると彼が、私を実家まで車で送り届けてくれると言う。その申し出は大変有り難く、遠慮なくお願いすることにした。

すると、私たちの目の前に、小中高時代の親友(SI)が現れ、彼も一緒に車に乗ることになった。いざ車が出発してみると、友人の運転は随分と荒いことに気づいた。狭い路地裏でも減速することがほとんどなく、ブレーキを使うことは稀なのではないかと思った。

私は少しばかり冷や冷やしながら助手席に座っていた。するとすぐに実家の近くにやって来た。

彼は実家のマンションとは違うアパートの駐車場で車を停めた。それは彼の誤解だったのだが、そのアパートとマンションは目と鼻の先であったから、そこで降ろしてもらうことにした。

運転をしてくれた彼にお礼を述べると、後部座席に座っている親友にも声を掛けて、バナナの皮はないかを確かめた。もしあれば、それを広告にくるめて自宅のゴミ箱に捨てようと思ったのである。

すると親友は先ほど食べていたバナナの皮を私に手渡し、お礼を述べた。私はそれを広告に包んで車の扉を閉めた。

車を降りてマンションの扉まで歩いてき、そこで扉を開けて階段を上り始めた。すると、そこで日本人のある科学者の方と遭遇した。私はその先生を尊敬していたので嬉しくなり、挨拶をして、そこからは一緒に階段を上りながら色々と話を伺った。

先生は随分とお年になられておられ、80歳ぐらいの風貌だった。私が先生の最近の研究について尋ね、その後生活習慣について質問をすると、後ろから5~6歳ぐらいの小さな女の子たちが私たちを追い越して階段を駆け上がって行った。

彼女たちは嬉しそうな笑顔を浮かべており、とても楽しそうだった。先生と私は一旦話をするのを止め、女の子たちが私たちのそばを通っていく姿を見届けた。

女の子たちが去った後、先ほどの会話を続けた。すると先生は、どうやら歯を悪くしているらしく、その影響が顔のシワや脳の機能に現れているようだった。そうしたこともあり、今日も夕方の4時から病院に行く予約をしているとのことであった。時刻はもうその時間に迫って来ていて、間に合うのだろうかと思った。

先生のそうした症状を先生自身の自己治癒力を高めることで治すことができるのではないかと思い、気を送ろうとしたところで夢から覚めた。今日の夢も強く印象に残っていた。

夢を書き出しながらふと、科学者の先生と私を階段で追い越して行った女の子たちは、未来の人類かもしれないと思った。そして実は、階段そのものが先生と私であり、私たちは未来の人たちのために研究や実践を行い、それが階段として積み重なっていくのではないかと思ったのである。

私たちの研究や実践が、未来の人たちの生活の礎になること。そうした礎の上を楽しそうに進んでいく未来の人たちの姿を見て、私は嬉しく思う。フローニンゲン:2020/2/14(金)05:16

5542. 万華鏡的認識と自然深き場所へ

時刻は間も無く午後9時を迎えようとしている。静かな闇。目の前には静かな闇が佇んでいて、今日という1日に対してそっと労いの言葉を掛けているかのようである。

今日もまた人生のある1日が始まって、今このようにしてその1日が終わろうとしている。今日も昼にふと、あの知覚体験をした。そう、例の知覚体験である。自己が自分の人生からはみ出して、その人生をふっと天上から見つめるあの体験だ。

このところ、こうした自己超出体験の頻度が多すぎやしないだろうか。そのようなことを思う。

そう言えば、今日の午後にも同様のことを考えていた。手元にその時のメモが残っている。

「万華鏡のように認識の枠組みを瞬刻瞬刻のうちに変化させ、そうした千変万化の認識の枠組みを通じて自己及び世界を捉えている自分がいる時間が多くなっている。こうしたことが可能な意識状態及び意識の段階があることをふと思い出す。今の私はその段階に向かっていく過渡期にいるのかもしれない」

そのようなことをメモに書き留めていた。

今、波の音を聞いている。このところはピアノ曲を聴くことはせず、自然音を書斎の中に流している。

波の音がもたらす癒し。今、その癒しの中に浸っている。

フィンランドやノルウェーの自然の中で、シベリウスやグリーグのように作曲したい。グリーグのように作曲小屋を作って、そこで作曲に励みたい。しかも自然を感じ、そして生きることの喜びを感じながらだ。

そのようなことを夕方に考えていた。厳密には、街の中心部のオーガニックスーパーからの帰り道にそのようなことを思ったのである。

現在の私は、フローニンゲンという街にいる。ここにも自然はあり、この街の落ち着きは素晴らしい。

だがそれでも、私はもっと自然の深い場所を求めているようなのだ。ここでの暮らしが長くなるにつれて、その思いは膨らんでいく。

午前中、意識状態の研究の大家であるチャールズ·タートの書籍を読んでいた。厳密には彼が編集を務めた書籍であり、その書籍には意識状態について優れた功績を残した研究者たちの論文が数多く収められている。

その論文の一つに、作曲家のラフマニノフは精神衰弱に陥った際に催眠療法を受け、それによって心身の健康を取り戻し、創造性を発露させて再び作曲に打ち込み始めたということを知った。

自然の中で暮らすことは、ある種の意識変容をもたらすのではないだろうか。今よりもずっとゆったりとした呼吸で日々を生き、心身が共に自然のリズムに呼応していく。脳と意識の状態が自ずから自然のリズムに帰っていく。そこには深い治癒と変容があるだろう。

自然の中で暮らしながら、無から有の形を生み出すことはどれほどの充実感が伴うのだろうか。それは想像を絶するほどだろう。きっと、「静かな」充実感がそこにあるだろう。

静謐な充実感を求めて、明日からもまたゆっくりと歩みを前に進めていく。ここに1人の人間のそうした人生が進行しているということ、そしていつかそうした人生があったということが、誰かの人生に影響を与えるのかもしれない。

少なくとも私は、本当に自らの人生を生きた過去の人たちから多大な影響を受けて今ここにいる。フローニンゲン:2020/2/14(金)20:56

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