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5532-5535:フローニンゲンからの便り 2020年2月11日(火)


本日の言葉

Once a year, go someplace you’ve never been before. Tenzin Gyatso 14th Dalai Lama

本日生まれた10曲

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タイトル一覧

5532. 愚民政策の一環としてのオリンピック:現象学の探究

5533. 今朝方の夢

5534. 人間である者とそうでない者に二分される格差

5535. 閉ざされた感覚の解放

5532. 愚民政策の一環としてのオリンピック:現象学の探究

時刻は午前5時を迎えた。今朝は4時過ぎに目覚め、起床と共に心身の状態の良さを実感した。

目覚めてからすぐに活動に乗り出していけるほどのエネルギーに満ちている自分がいる。毎朝この感覚を実感できることの有り難さを思う。

数日前から、これまで以上に気持ち早めに就寝するようにしている。寝室に早めに移動し、ベッドの上でリラックス法や呼吸法、そして様々なヒーリング技術を試している。

ここ最近より一層睡眠の質が高まっているのは、おそらくそうした実践の影響かもしれない。これはとても良い影響である。超感覚的な情報を受け取る通路を開拓する実践及び意識付けも日々深まっている印象を受ける。

欧州での滞在5年目、つまり欧米での9年目の生活に入る時期は、ちょうど日本でオリンピックが開かれるタイミングにあたる。先日、オリンピック開催にあたって、日本が集団的トランス状態に陥り、そこから日常の意識に戻ってくるに際して、その戻り方を誤ると、集団的トラウマを生み出すことになるのではないかと考えていたことを書き留めていたように思う。

改めて考えてみると、様々な意識状態について理解をし、そうした意識状態を行き来する鍛錬を多くの人は行っていないのであるから、戻り方云々の話は最初から当てはまらず、今回のオリンピック開催は多分に集団的トラウマを生み出すリスクが高いのではないかと思う。

いやそもそも、こうした国際的なフェスティバルというのは、私たちの目には見えない背後に巧妙な意図と仕掛けがなされており、オリンピックの開催を喜んでいるのは無知な人間だけなのかもしれない。

古代ローマ時代に活躍していた詩人ユウェナリスはかつて、「パンとサーカスで市民は盲目になる」と述べていたことを思い出す。ユウェナリスは、古代ローマ社会で蔓延していた愚民政策に対する警句としてその言葉を発した。

私たちの目には見えないところにいる権力者が提供する「パン(食べ物)」と「サーカス(娯楽)」によって、人々はいとも簡単に政治経済的な盲目になる。今回のオリンピックもそうした一種のように思えてくるのは私だけだろうか。今年は、オリンピックが終わり、秋口に一時帰国する予定なので、日本国民がオリンピックを経ていかような精神状態に陥ったのかをこの目で確認することができるだろう。

今日も昨日に引き続き、現象学に関する先端的な研究結果が収められた“The Oxford Handbook of Contemporary Phenomenology”を読み進めていく。本書は600ページほどの分量だが、オックスフォード大学出版の論文選集には時折1000ページを超すものがある。近日中に届くシリーズの中には何冊かそれくらいの分量があるものがあったかと記憶している。

いずれにせよ、本書を昨日から読み始めて気づいたのは、自分が思っていた以上に現象学の研究もかなり先に進んでいるということだった。哲学や心理学の他の領域の進展に応じて、現象学の研究もそれらの領域の新たな知見を取り入れながら発展を続けているという印象を受けた。本書はオックスフォード大学出版の他の書籍と同様に、非常に読み応えがあるので、今日も時間を掛けて読み進めていこう。フローニンゲン:2020/2/11(火)05:20

5533. 今朝方の夢

今朝も目覚めたら強風が吹いていた。今もまだ強風が闇の世界を駆け巡っている。

今日は午後に少しばかり雨がパラつく程度のようなので、夕方には軽くジョギングに出かけることができるだろう。今年の冬は本当に暖かく、気温がマイナスになることがほとんどなく、毎日外に出かけることが苦もなく行うことができている。

20~30分ほど軽くジョギングをしたりウォーキングをしたりすることが非常に良い気分転換となり、何よりも室内では得られないようなエネルギーを外界世界との接触を通じて得ることができているように思う。

身体がなまると精神がなまる。精神がなまると全てがなまる。すると日々が腐敗する。そのようなことをふと思った。

それではいつものように今朝方の夢について振り返り、その後、早朝の作曲実践に取り掛かりたい。今日は協働プロジェクト関係の仕事がないので、午前5時から午後9時半までは自分の取り組みたいことだけに取り組むことができるだろう。

夢に関する振り返りは、先日から読み進めているアーノルド·ミンデルの理論やエクササイズをもとにして、もう少し工夫を施してみてもいいかもしれない。この点についてはもう少し考えを巡らし、試してみたいことが生まれたらそれを試そう。

夢の中で私は、一軒家の見慣れない一室にいた。その部屋には木で出来たベッドが置かれており、それは白い壁に密着する形で置かれていて、壁には窓があった。

私の周りには、大学時代のゼミの友人たちがいて、そこで談笑をしていた。友人の一人(TA)がふと、ベッド脇のコンセントの周りに骸骨のおもちゃを貼り付け始めた。

それは骸骨の形をした蛍光色を発するパネルだった。それをペタペタといくつも貼り付けたところで部屋の電気を消すと、骸骨が悲鳴を上げて、友人の一人(FK)がびっくり仰天していた。私もそれが不気味に思った。

それらの骸骨のパネルは何分かおきに定期的に悲鳴を上げるらしい。そのようなものをベッド脇に置いていたら安眠できないな、と私は思った。

そこで夢の場面が変わった。次の夢の場面では、私は会議室のような場所にいた。

いくつかの長机を連結して、一つの大きな長方形を作り、それぞれの席には友人たちが座っていた。今から何かについて勉強会のようなものがあるらしく、最初に一人一人の自己紹介を行うことになった。

高校時代の友人が自己紹介の冒頭でいきなり一発ギャグを披露し、そこから自己紹介を始めた。彼はそうしたことを行う人物ではなく、私は彼の行動に驚いた。

幸いにも、彼の一発ギャグは成功したようであり、その場にいた全員が彼の話に引き込まれているようだった。ちょうどその次が私の番であり、自分も一発ギャグを冒頭でしなければならない雰囲気が辺りに漂っているのを察した。そこで私も一発ギャグを披露してみた。

最初私は失敗に終わったかと思ったが、意外にもジワジワと効く笑いをもたらすものだったらしく、その試みは成功したのだと思った。すると、この勉強会を取りまとめている人が、「期待していた通りでした。この勉強会での自己紹介では、最初に必ず笑いがなければなりません」と述べた。とりあえず自分の紹介を終えて安堵感に浸っていると夢から覚めた。フローニンゲン:2020/2/11(火)05:44

5534. 人間である者とそうでない者に二分される格差

つい今し方、テレビを見ることやスマホをいじることは愚民への道であり、逆に言えば、愚民政策を推し進める上では、テレビを見させること、スマホをいじらせることが鍵を握るのだろうという考えが芽生えた。

先ほどの日記の中で、古代ローマ時代に活躍していた詩人ユウェナリスがかつて述べた、「パンとサーカスで市民は盲目になる」という言葉を引用していたように思う。現代においては、娯楽としてのサーカスはテレビやスマホに該当するのだろう。

日本に一時帰国し、とりわけ大都市で列車に乗ると、乗客たちが異常なほどにスマホに釘付けになっていることに戦慄を覚えることがある。はたから見るとそれは非常に奇妙な光景なのだが、その光景を作り出している当人たちはその異常な行動に気づいていないようなのだ。

人間が人間ではなくなっていく社会の到来。それはもう随分と前にやって来ており、その傾向は加速しているようだ。

現在の日本において、経済的な格差以上に恐ろしいのは、人間である者とそうではなくなってしまった者に二分される格差のように思えてくる。片方は人間であることをなんとか保ち、もう一方は知性と魂を抜き取られたゾンビ的な存在に成り果てる。

毎年日本に一時帰国して思うのは、この格差はすでに顕在しており、その格差は経済的な格差以上に早い速度で広がっているのではないかということだ。一時帰国している最中に、街にある店で店員の人たちと話をすると、大抵はその人と人間同士の会話が成り立っており、それには心底安堵感を覚える。

一方で、時折人間ではなくゾンビと会話をしていると思う出来事に直面することもある。厳密には、ゾンビと化した人間とは視線が合わず、会話は成り立たない。一応日本語らしきものが短く交わされるだけである。

現代社会はサイコパスやソシオパスの拡大だけではなく、ゾンビと化した人間の拡大とも向き合っていかなければならなくなっているようなのだ。おそらくこの問題は日本だけに当てはまるものではないだろうが、日本の都会はかなり状況が悪い。

欧州で生活を始めてから様々な国を巡っており、どこの国にも悪人や愚民はいるが、市民のゾンビ化に関して日本ほど問題が進展している国を見たことはない。この問題に対する自分なりの取り組みの方向性は見えており、小さいながらも自分にできることを日々行っている。その取り組みをこれからも続けていこう。

ここ最近は、自己と世界を俯瞰的に眺める意識状態が続いている。いや、それは日を追うごとに深まっている。この4年間、それは日々深まり続けていた。そして、今もなおそれは深まりを続けている。

こうした意識状態が深まっていくことによって、自己及び世界に関して、また新しい認識が生まれてくるだろう。今日もまた、必ず新しい認識が生まれ、認識世界が拡張されていくはずだ。フローニンゲン:2020/2/11(火)06:12

5535. 閉ざされた感覚の解放

1日の始まりと同じように、今日もまた静かに1日が終わりを迎えようとしている。ここ数日間は強風が吹いており、それに断続的に雨が降っている。

毎年気候の様子は異なるが、今年もまた独特な表情を見せている。早いもので2月も折り返しに近づいて来た。1年を通して、2月は一番日数が短いこともまた、時の流れの速さを感じさせてくれるのだろうか。

今朝方に書き留めていたことを改めて思い出すと、どのような情報に日々触れるのかの選択をより厳密にしていこうと思った。端的には、生命力に溢れる質の良い食材を口にするようにしているのと同じように、情報の摂取に関しても、生命力に溢れ、なおかつ密度の濃い情報を取り入れるようにする。

そうした基準とは逆の情報には触れないようにする。さもなければ、身体が腐ってしまうのと同じく脳が腐ってしまう。そしてそれは意識を腐らせる。

最後まで生きた血を持つ人間として生きていこうという気概。それだけが頼りの綱である。

今日も旺盛に読書に励んだ。午後には嬉しいことに、イギリスの書店から大量に書籍が届いた。まとめて多くの本が同じ書店から届けられたため、同一の箱に書籍が入れられており、箱には“Heavy Box”の貼り紙が貼られていた。

本日読み進めていた書籍を通じて、音楽は左右の脳を無意識的に結合させて働かせる力を持っていることがわかり、それは自分の日々の作曲実践を通じて実感していることでもあったので納得がいった。

自分がどうして今から3年前に作曲実践を始めたのか。今、少しずつではあるが、その意味の表皮が剥がれて来た。ようやくその意味が掴めて来たのである。ザルツブルグのザルツァハ川を架ける橋を渡った先でのあの啓示的な体験を忘れることはできない。

超感覚的世界に参入するために作曲実践が自分に降って来たということ。自分が作曲を選んだのではなく、作曲が自分を選んだということ。

そして、そもそも作曲が自分を選んだ背景には、さらに奥底に別の意味があるということ。それがもうわかる。ただし今は、その意味が指していることのさらにもう一段深いところにある意味が何なのかがわからない。

いずれにせよ今の自分にできることは、作曲実践を通じて、この現代社会で抑圧され、閉ざされた人間としての、否、動物としての本源的な感覚を開くことである。その感覚を解き放つ時、また見えてくることがあるだろう。

ここ最近は、本当に自分の脳が別様に働き始めているのを実感する。そしてそれに伴って、身体の感覚も変容し、それはこれまでには得ることのできなかった諸々の情報、あるいは叡智を自分にもたらしてくれている。まるで自分は、叡智を司る場との受信装置のような役割を担っているかのようだ。

今、私は自分のことを「受信装置」と喩えたが、今日の夕方にふと、これからより一層、メタファー思考を働かせながらこの世界及び自己を眺めてみようと思った。それが早速現れる形で自分を受信装置に喩えた。こうした自分はまるで、呪文を覚えたての魔法使いの小僧のようである、とまた自分を喩えてみる。

深海のような闇の世界が窓の外に広がっている。今日の入浴中に、地球外の宇宙空間と比較する形で地球内の深海について思いを馳せていた。

湯船に顔をつけて息を止めてみる遊びをこのところ毎日行っているのだが、人間とは本当に脆弱な生き物である。空気がないとすぐに死んでしまうのだから。

湯船から顔を上げた時に感じる生きている実感。そして呼吸を止めることがもたらす変性意識。

呼吸を止めることを遊びと書いたが、実際にはそれは意図的な実験及び実践である。ヨガ行者が行う種々の呼吸法の一つに呼吸を止める呼吸法があるのだ。遊びではなく、その効果を検証していることは述べる必要もないことだったのかもしれない。

私たちが今この瞬間に目に見えていること·知っていることなど本当にちっぽけなものである。このリアリティには、今私たちを取り巻いている充満した空気のように、見えないこと·知らないことが充満しているのだ。そしてそれらは、本当は気づいて欲しいのだが、恥ずかしがって両手で顔を覆っている。フローニンゲン:2020/2/11(火)19:46

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