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5506-5509:フローニンゲンからの便り 2020年2月2日(日)


本日の言葉

The shallow is easy to embrace, but the profound is difficult. Nichiren Daishonin

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タイトル一覧

5506. 叡智の宿る場所へ

5507. エネルギーの根源と意識の探究

5508. 今朝方の夢

5509. 意識拡張現象と空なる人間存在

5506. 叡智の宿る場所へ

ここ数日間は午前3時台に起きていたが、今朝の起床は5時半だった。起床してみると、外には小雨が降っており、雨が窓ガラスに当たる音が鳴り響いていた。どうやら今日は、1日を通して雨が降る時間帯が多いようだ。

昨日、吟味して選んだ45冊の書籍からさらに絞り込みをし、合計で34冊ほど書籍を購入した。欧州内の国へ数日間旅行するぐらいの費用となったが、長年探究を続けてきた著者から学びを得られることを思うと、書籍というのは随分と安いものだと改めて思う。

購入した書籍の分野は多岐に渡るが、それらの書籍を貫く共通テーマがある。その共通テーマとは、他者と社会の治癒と変容の実現であり、その実現につながる探究をこれからより真剣に進めていく。

自分の中で、ようやく利他心というものが芽生えてきたようである。自分という1人の人間に閉じられた形の探究は終わりを告げ、今は自分の探究が他者への無償の奉仕に結びついている感覚がある。こうした流れが生まれてきたことを嬉しく思う。

34冊の書籍をイギリスとドイツの書店に注文した時、書籍への支払いは、どこか寄付をしているような感覚があった。それはもちろん、著者に対するものではなく、顔の見えぬ数多くの他者や社会に対するものだった。

探究がこの社会に対する無償の奉仕につながっているというこの感覚を大切にしたい。そうした感覚を持って今日もまた読書に励みたいと思う。

今日はクラニオセイクラル·バイオダイナミクスに関する“Cranial Intelligence: A Practical Guide to Biodynamic Craniosacral Therapy”という書籍と、ステファン·ホーキング博士の“A Brief History of Time”という書籍を読みたいと思う。

書籍をまとめて購入したことにより、それらの書籍が全て届くまでは旅に出かけることを控えようかと思った。今月末に予定していたベルギー旅行を先に伸ばし、逆にエジプト旅行を早めようかと考えている。具体的には、エジプトには3月末ではなく、3月の最初の週あたりに訪れてみようかと思う。

もちろん、書籍の到着状況を見て、今月末にエジプトに足を運ぶように計画を変えてみてもいい。こうした旅もまた、この社会に対する奉仕の意味合いを持つ。

普段から絶えずリラックスして生活をしている自分にとっては、旅が息抜きになることはない。確かに、場所を変えることによって気分転換が図られるが、リラックスを求めて旅をすることはない。

いや、確かにリラックスを求めて旅をすることはないのだが、旅を通じて変性意識状態になることによって、治癒と変容が毎回起こっていることを実感すると、旅に治癒と変容を期待している自分がどこかにいるかもしれないと気づかされる。

こうした治癒と変容の作用以外にも、やはり旅は見聞を広げ、新たな自己を発見させてくれるきっかけになる。見聞の拡大と自己発見が社会への奉仕に結びついているのが、今の自分の旅である。だからこそ旅が使命的な職業になるのである。天職の一つに旅をすることが入り込んできた意味はそういうことなのだろう。

今年もまた気の向くままに旅に出かけていく。新たな場所に訪れるたびに、自分が変わっていく。

世界の様々な場所に足を運ぶのは、そこに先人たちが積み重ねてきた叡智が眠っているからであり、その場所に足を運ぶことによって、先人たちの叡智が流れ込んでくる感覚がある。それはきっと、集合的な意識場からのフィードバックなのだろう。

自然、街、そして街にある美術館や博物館を巡ること。それを続けていく過程で、先人たちの叡智を汲み取り、それを現代社会の治癒と変容の実現に向けて活用していく。フローニンゲン:2020/2/2(日)06:26

5507. エネルギーの根源と意識の探究

数日前の夜に、ふと太陽に関心が向かった。太陽系において一番巨大なこの恒星の成り立ちなどに関心が向かった。そしてそれ以上に、太陽からエネルギーをもらい、それをヒーリングに活用していこうというアイデアが芽生えた。

実際に就寝前にベッドの上に横たわっている時に、太陽をビジュアリゼーションし、太陽からエネルギーを分けてもらうことを想像していると、自分の気が高まってきたのか、両手の掌が温かくなってきたのを覚えている。数日前から毎晩それを続け、太陽からエネルギーを分けてもらってから遠隔ヒーリングをしている。

これまでは基本的に、身体の不調を訴える協働者の方や、両親や愛犬に遠隔ヒーリングをしていたが、昨日からは2人の祖母と叔父にも遠隔ヒーリングをすることにした。

いつからかわからないが、欧州にやってきてからもう随分と、自分の内側にエネルギーが満ち満ちている感覚があり、それははち切れんばかりである。そのエネルギーを分けるというよりも、より巨大なエネルギーの流れの中にそれを返すことによって、さらに自分のエネルギーが高まり、循環が良好なものになっている感覚がある。

遠隔ヒーリングの実践はその一環でもある。まさに太陽を含め、自己を超えた何かからエネルギーを得ながら、それを他者や社会、そして再度自己を超えた存在に向かってエネルギーを送り返すということを行っている。

この実践を意識し始めてから、心身の状態がさらに良い。他者治癒は自己治癒につながりうるということを実感する。

これが仮に、自分のエネルギーを消費する形で行う治癒であれば、自分の心身は疲弊していたであろう。そもそも自分が行うヒーリングのエネルギーの根源は自己にあるのではない。

そうした小さな存在に根源を持つヒーリングを行なってばかりいては、施術者は疲弊する一方だろう。そうではなくて、自己を超えた存在にエネルギーの根源を持ち、そことのつながりからヒーリングを行なっていけば、エネルギーが枯渇することはなく、自分が疲弊することもない。

太陽という物理的な存在からエネルギーを分けてもらうだけではなく、情報的存在からもエネルギーを得ることができる点が面白いところである。例えば、過去の偉大な作曲家や画家が残した作品や、さらには宗教家などが残した書物を通じて、自分の中にエネルギーが充満するのを感じる。

彼らはもう物理的な次元には生きていないが、彼らが残したものには情報的なエネルギーが存在している。それにアクセスし、それを享受している自分がいる。今後は、そうしたエネルギーを他者と社会の治癒と変容に向けて活用していくことをより意識していく。

昨日購入した書籍の中に、精神医学者ヴィルヘルム·ライヒが書き残した書物がある。ライヒは、オルゴン(Orgone)と呼ばれる自然界に遍在·充満するエネルギーを提唱したことでも知られている。

まさに、太陽から発せられるエネルギーもこのオルゴンの一種かもしれない。それを直感的に感知していたがゆえに、自然と私は太陽からエネルギーを分けてもらうようなビジュアリゼーションと気功的動作を行なっていたのだろう。

アリス·ベイリーが執筆した書籍を3冊ほど注文したのだが、そのうちの2冊に"Esoteric Healing”と“A Treatise on White Magic: The Way of the Disciple”というものがある。これらの書籍も上記の事柄に対する理解をより深めてくれることにつながるだろう。

人間の意識に関する哲学的·科学的な探究を進めていけばいくほどに、ベイリーの書籍のタイトルが示す「密教的ヒーリング」や「白魔術」と呼ばれる実践で行われていることが理解可能なものになってくる。それらを現代の意識研究の観点からより俯瞰的に眺めてみれば、そこで行われている儀式やその効果のメカニズムが見えてくる。

昨日購入した34冊の書籍の中に、ケンブリッジ大学出版やオックスフォード大学出版から出版された意識に関する哲学的·科学的な学術書が数冊ある。それ以外の書籍も究極的には全て人間の意識の話だと言えなくもない。

幾何学と音楽理論を越境した学術書もその1つだ。アントン·ウェバーンの作品を解説した書籍でさえもその1つだと言えるだろう。

ここからより一層、人間の意識について探究を深めていく。様々な意識状態を含む意識の特性、そして個人の意識だけではなく、集合意識の特性にまで探究の範囲を広げていく。今日の読書もまた楽しみだ。フローニンゲン:2020/2/2(日)06:59

5508. 今朝方の夢

気がつけば、時刻は午前7時を迎えていた。辺りは闇に包まれたままだが、その静寂さが自分の心を落ち着ける。

闇の中に偏満する音と色を感知しよう。闇に固有なエネルギーを分けてもらおう。それは自分の養分となり、活動に向けた弾みになっていく。

今朝はいくつかの夢を見ていた。今後の夢の振り返りに関しては、少し工夫をしたいと考えていたところ、ちょうど昨日購入したアーノルド·ミンデルの書籍に何かヒントがあるだろう。

ミンデルの書籍は過去に1冊ほどしか読んだことがなく、それはジョン·エフ·ケネディ大学に在籍していた時のことだったので、今からもう8年か9年前のことになる。そうしたことから、昨日は6冊ほどミンデルの書籍を購入した。それらの書籍を一通り読む頃には、ミンデルの知識体系と思想が自分の内側に滲み出し始めるであろう。

夢の中で私は、日本のある小さな書店で模擬試験を受けることになっていた。その書店は、スーパーの一階にあるぐらいの大きさである。

店内の明かりは明るく、時刻は午後あたりだと思われる。その書店で模擬試験を受けるのは私だけではなく、その他にもたくさんの人がいた。見ると、年齢もバラバラであり、基本的には中学生や高校生が多いが、中には小学生や幼稚園生もいた。

書店に到着して自分の席を探し始めたが、どうも自分の席が見つからない。しばらく店内をウロウロしてようやく自分の席を見つけた時には、試験開始時間ギリギリになっていた。

長机の上に解答用紙が置かれていて、そのうちの一つが自分の解答用紙だと気づいた。席に着席するや否や、トイレに行きたくなってしまい、どうするか考えていたところ、隣に座っていた友人が挙手をし、試験監督を務めていた、高校時代にお世話になっていた女性の英語教師に確認をした。

すると、トイレに行ってもいいが、そこで試験終了になってしまうとのことだった。この試験は不思議なことに、試験開始時間はバラバラであったから、彼はもう途中まで問題を解いているようだった。

一方、私はまだ何も手をつけていない状態だったので、名前を書き、試験を始めてからトイレに行こうとして、そこで試験終了と見做されたらたまったものではないと思った。そのため、名前を書く前にトイレに行くか、もうそのまま試験を始め、60分を乗り切るかを考えた。

トイレには念のため行っておこうという程度だったので、私はすぐに試験を始めることにした。しかし鉛筆を握った瞬間に、やはりトイレに行っておこうと思い、席を立った。

そこから店内を歩くと、店のレイアウトが突然変わりだし、自分の席がどこだかわからなくなってしまった。そこで私は、試験監督の先生に相談をし、学生らしき試験官に声をかけ、自分の席を特設してもらうことにした。

最初私は、小学生の女の子の前に席を設けてもらおうかと思ったが、見るとスペースが相当に狭いことがわかったので、私は別の場所を探した。最終的には、壁に向き合ったスペースに席を特設し、左隣に小中学校時代の友人(AW)がいる場所で試験を受けることにした。

私が最初に受けた科目は数学だったように思う。その次に世界史の記述試験があり、問題の難しさには驚いた。

試験終了後、世界史に詳しい友人に出来を聞いてみたところ、解答用紙の裏面はもう真っ白とのことであった。そこで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、高校1年生の時のクラスメート(KA)の家に遊びに行くことになっていた。彼が一人暮らしをしている家は一風変わっており、隠れ家的な家だった。

時刻はもう夕暮れ時を迎えていて、辺りは随分と薄暗くなっていた。周りの世界が濃い赤紫色から濃い茶色のように変わっていった。

彼の家に行くためには、洞窟のようなパイプ管を通っていく必要があり、そこを抜けた先に彼の家の入り口が見えた。入り口はマンホールのような蓋で閉じられており、一緒にパイプ管を潜り抜けてきた彼は、すぐに入り口の蓋を開けた。

一瞬中の様子が見えたが、彼は荷物を置いてすぐにどこか別の場所に行こうと持ちかけてきた。私はそれに賛同したが、彼の家の中がどうなっているのかは気になるところだった。

荷物を置いた彼はすぐに入り口の外に出てきた。すると、その場がいきなり彼の家の玄関と化し、目の前にガラス張りの立派な本棚が現れた。天井まで届きそうな立派な本棚の一つには、洋書がびっしりと並んでいた。

背表紙を見ると、それらは全て英語で書かれており、他の言語の書籍は置かれていないようだった。そして、手前の本棚を見ると、そこには相当古い日本の文学全集が置かれていた。

先ほどの本棚の英文タイトルは英語であったからすぐに理解できたものの、今度の文学全集に関して言えば、日本語の草書体のような形で書かれていたため、タイトルの判読が難しかった。

すると、私の右横に、小中高時代の友人(HY)が現れ、彼も似たような文学全集を持っていると述べた。それらはとても高価そうであり、彼らはどこでどうやって手に入れたのだろうかと不思議に思った。

そこから私は、家の前で待ってくれていた友人(HO)の車に乗って移動することにした。私の手にはやたらと荷物があり、ヤシの実のようなものがたくさん入れられた紙袋を2つ持っており、その他にも自分の着替え類などが入ったリュックサック、そして書籍が入った紙袋があった。そこで夢の場面が変わった。

最後の夢の場面は比較的短い。夢の中で私は、高校時代の友人(HH)と一緒に、ティラミスの食べ比べをしていた。

私は普段甘いものを一切食べないために、ティラミスについて詳しくないのだが、味覚が人よりも発達しているようであり、その食べ比べは容易であった。

しかし、彼にとってはそれが難しかったようであり、高級ティラミスとそうではないティラミスの味の差がわからないようであった。こだわりが滲み出ているティラミスには、作り手のエネルギーが生き生きと存在しており、市販の大量生産されたティラミスは、完全に精気を失っているように感じられた。フローニンゲン:2020/2/2(日)07:58

5509. 意識拡張現象と空なる人間存在

時刻は午後8時半を迎えた。今週も終わりを迎え、明日からは新たな週を迎える。

終わりを迎えるという観点で今日を振り返ってみた時に、午前中にふと、太陽の寿命について思いを巡らせていた。調べてみると、太陽の寿命は残り半分ほどになっているらしい。

とは言っても、残り数十億年ほどの寿命があるらしいが、逆に言えば、それくらいの時間が経つと、太陽は消滅してしまう。太陽が消滅したら、地球上の生命が死滅してしまう可能性が高いとのことである。

今から数十億年後というのは気の遠くなる話であり、実際に自分の気が遠くなっていった。そこでふと、「気が遠くなる」という現象は、意識拡張現象だと言えるのではないかと気づいた。

この感覚。こうした気の遠くなるような時間軸で思考することによってもたらされる意識が拡張した感覚は、自己超出現象を体験している時の感覚と非常に似ている。

なるほど、宇宙について広大な時間軸やスケールで思考を巡らせることは、自己超出の疑似的体験になることがわかり、これは意識拡張の鍛錬として活用可能であることがわかった。

本日、ステファン·ホーキング博士が執筆した“A Brief History of Time”を一読し、ちょうど宇宙に対する関心が強くなってきているので、以前から注目していたケンブリッジ大学出版から出版されている宇宙に関する図鑑的な書籍を購入しよう。その際には、脳に関する図鑑的な書籍も合わせて購入しようと思う。

宇宙に対する関心の一環として、今年は難しいかもしれないが、来年の秋や冬にはオーロラを観に行こうかと思う。これはぜひ実現させたい。

その後も宇宙についてぼんやりと考え事をしていた。宇宙の一つ一つの天体が一つの巨大な生命体の微細な細胞の一つに過ぎないというイメージが芽生え、そのように考えてみると、思わず息を呑み、だんまりしてしまった。宇宙に存在する無限のフラクタル構造が知覚されたかのようであり、その知覚体験後、自分に意識が戻ってくると、静けさが内側に広がっていた。

今後宇宙開発が進み、プライベートジェットならぬプライベートシャトルのようなものが開発されるのだろうか。そうしたものが開発されれば、地球人が簡単に他の星に出かけたり、そこで生活をすることが可能になるかもしれない。

その時には、「惑星旅行ガイド」や「惑星生活ガイド」のようなものが出版されるのだろうか。ただし、もうその頃には紙媒体の書籍など古代遺跡の品のように扱われているかもしれないが。

夕食を摂り終えた後、意識と身体について考え事をしていた。身体はいつか朽ち果て、特に脳の機能停止によって意識も消滅すると思われるが、仮に脳を含めた身体を全てヴァーチャル空間に移行させてしまったらどうなるのだろうかと考えていた。

人間の身体は未だ進化が進んでおらず、他の動物とほとんど変わらない。簡単に故障もするし、消化活動にエネルギーを大量に使うなど、知的活動においては足かせになっている。

そうした問題を解決するために、ひょっとすると、「ヴァーチャルボディ」なるものが生み出され、そこに意識をつなぐような時代がやってくるかもしれない。そうなってくると、人間は永遠の命を手に入れることになってしまう。

永遠なる命を手に入れること。これもまた多大な苦を人間にもたらすだろう。

人間は複雑なのだか単純なのだかわからなくなってくる。あぁ、そもそも人間は、複雑でも単純でもなく、空(くう)なる存在だったか。フローニンゲン:2020/2/2(日)20:45

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