本日の言葉
We need a spiritual life, not just special experiences. Surya Das
本日生まれた8曲
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タイトル一覧
5460. 今朝の状態と今日の取り組み
5461. 充実した1日:意識場における巨大な構築物の建築に向けて
5460. 今朝の状態と今日の取り組み
今朝は午前4時前に起床し、起床直後、自らの心身の状態の良さを実感した。幸いにも、喉の痛みは完全に消え、鼻水も治まった。昨日の段階でも十分に回復はしていたが、今日はより一層状態が整ったことを嬉しく思う。今日も思う存分に自分の取り組みに励んでいこう。
昨日と同様に、今朝方も印象に残る夢を見ていなかった。自分の無意識は何か調整を図っているのかもしれない。あるいは、無意識の世界すらもが深い休息に入っているかのようだ。
あえて夢の記憶を引っ張り出してくるとどのようなことを思い出すことができるだろうか。現在進行中のオンラインゼミナールの受講者の一、二名の方が夢の中に現れていたような気がする。その方たちと和気藹々と少々雑談のようなものを行なっていた感覚がある。
場所は日本の地方都市の温泉街のような所だっただろうか。そのような記憶、ないしは感覚だけが自分の内側に残っている。
オンラインゼミナールもいよいよ今週末で最後となった。最後のクラスにおいては、今回のゼミナールを通じて始めた新たな実践を習慣化させる際に意識している点や工夫している点、そして今回の2ヶ月弱のゼミナールを通じてのご自身及び取り巻く他者の変化などを振り返ってもらうことを考えている。私自身も今回のゼミナールを通じて色々と実践を見直したので、自分自身も同様の準備をしてクラスに臨もうと思う。
昨日は、ゼミナールの受講者の方々からいただいている質問に対して音声ファイルを作成する形で回答をしていた。昨日の段階で全ての質問に答えることができなかったので、今日も夕方あたりに質問に回答するようにしたい。
今日は日記の執筆と作曲実践に加えて、昨日ドイツのアマゾンから届いた“The Quantum Doctor: A Quantum Physicist Explains the Healing Power of Integral Medicine"の続きを読んでいこうと思う。どうやら昨夜にもまた別の書籍がドイツのアマゾンから届いたようなので、他の活動との兼ね合いを見て、そちらの書籍にも目を通したいと思う。
今、自分の内外を取り巻く諸々の事柄が調和を始めており、それは学術的な探究と実践に関しても言える。両者が見事な調和を織り成し始め、お互いが相互作用をしている。今日の探究と実践は、その調和をより一層と深いものにしてくれるだろう。
最後に、ここ最近意識している取り組みを今日も意識していこう。それは全般的な身体意識の涵養とある特定領域に関する身体意識の涵養である。そのために、感覚を音や言葉に結び付けてみる試みをしていく。理想的には、感覚、音、言葉の全てを結び合わせることができたらと思う。フローニンゲン:2020/1/16(木)04:37
5461. 充実した1日:意識場における巨大な構築物の建築に向けて
時刻は午後7時半を迎えた。今日も非常に充実した1日だった。
季節の変わり目に適応するための身体症状もほとんど完治し、今日は自分の取り組みに十分に従事することができた。その中でも今日は、いよいよ明日に最終回を控えたオンラインゼミナールの音声ファイルを数多く作成していた。
今回のゼミナールは前回のゼミナールのクラスの半分の回数だが、音声ファイルの分量は前回に匹敵するほどになりつつある。単純に割合だけで考えれば、今回音声ファイルを作成している量は前回よりも遥かに多い。
今回が実践編だという点、受講してくださっている皆さんが個別具体的な実践課題を質問してくださったおかげという点も含め、こちらとしてもあれこれと共有しておきたいことがあったため、それだけ分量の多い音声ファイルになったのだと思う。
ゼミナールは明日と日曜日で終わりとなるが、来週の水曜日までは質問を受け付けたいと思う。その旨の連絡を今夜これから行なっておこう。
今日の早朝と夕方に聞き耳を立てていた小鳥たちの鳴き声を思い出す。あの澄み渡るような心地の良い鳴き声。自分の存在の深くをくつろがせ、落ち着かせてくれるあの鳴き声。それを今改めて思い出している。
午後に街の中心部のオーガニックスーパーに向かっている最中にふと、他者に共有される集合意識空間内に自分独自の巨大な構築物を作っていこうという気持ちを新たにした。これまでも取り組みとしてはそれを行なっていたように思うが、それは自己の意識空間で閉じられたものの中で行われているのではないかという印象もあった。
だがよくよく考えてみると、意識というものはそれが個人に帰属する自己意識であったにせよ、必ずより大きな意識空間に開かれたものであり、そこはもう集合的な意識空間とつながっているのである。しかもそれは、同時代の人間だけに共有されているような空間ではなく、時間を超えていくものでもある。
本来であれば、そうした場を「空間」という局地的な印象を与える言葉で表現することは相応しくないだろう。なぜなら、意識は時間のみならず、空間も超えているものなのだから。それは非時間的であり、非空間的なのだから。
そうした意識場に、自分なりの巨大な構築物を構築していこう。その手段は自らの言葉であり、自らの音である。
今日の取り組みは、そうした構築物の創造に向けた間違いない一歩であり、明日の取り組みもまた新たな一歩になる。今日が充実した1日であったのと同様に、明日もまた充実した1日になる。フローニンゲン:2020/1/16(木)19:45