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5457-5459:フローニンゲンからの便り 2020年1月15日(水)


本日の言葉

To have the mind fixed on a single point, that is concentration. Majjhima-Nikaya

本日生まれた8曲

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タイトル一覧

5457. 適応症状の進展と遠隔ヒーリング

5458. 利他的な実践に向けて

5459. 集合的無意識のトラウマへの介入に向けて:左右の脳の調和

5457. 適応症状の進展と遠隔ヒーリング

時刻は午前4時を迎えた。自己ヒーリングのおかげもあって、今日は喉の痛みもなく、心身の調子が全快に向かいつつある。まだ少し鼻水が出るが、ここ数日間に比べればそれは大したことがない。

改めて、季節の変化に応じて変化する身体には驚かされる。私たちの身体の細胞は約3ヶ月のスパンで入れ替わると言われているが、そのスパンは季節の変化と対応したものなのではないかと思う。

今から4年前に日本で生活をしていた時のことは忘れてしまっているが、オランダに来てからは、季節の変わり目、特に厳しい冬に入る前に今回のような症状が出る。それは過酷な冬に向けて身体を作り直そうとする細胞次元での意思の現れのように思えてくる。

今回のような症状は、それが出ているときには厄介なのだが、そこから回復すると、過酷な冬も嘘のように乗り越えることができるから不思議だ。いや、乗り越えるというよりもむしろ、冬と手を取り合いながら協働的にお互いの歩みを進行させることができる点が不思議である。これこそ身体と環境ないしは自然との真の調和なのだろうか。

今一つ関心があるのは、こうした適応症状は来年以降もまた出てくるものなのだろうかという点である。ここから長らくオランダで生活をしていくにあたって、身体が深くオランダの国土に根差し、それとより深い次元で調和をしていけば、今回のような適応症状は生じないかもしれないと思っている。

やはり適応症状は、まだ自分の身体が真にこの国の風土に適応していないことから生じているのではないだろうか。そのようなことを思う。この国の土着紳を探し、それと調和を図っていこう。

今朝はもう喉の痛みもなく、体のだるさもないので、マルタ·ミラノ旅行に出かける前のような日々の取り組み従事していく。日記の執筆と作曲実践、そして自分の関心に沿った読書を少々することに加えて、今日は午前中に1件ほどオンラインミーティングがある。

ミーティングを終えてから近所のスーパーに買い物に行こう。今日は午後から雨が降るようなので、早めにスーパーに行っておく。

午後からも引き続き自分の取り組みに従事しながら、それらに加えて、オンラインゼミナールの受講者の方々からいただいている質問に音声ファイルを通じて回答したい。ここ数日間は喉の痛みもあって音声ファイルを作成することができなかったので、今日の夕方にでもそれらを作成していく。

昨日、ある協働者の方とミーティングをさせていただいている時に、その方が腰を悪くしているという話を聞いた。特に、第五腰椎を痛めているとのことであり、話を聞いた後に、私の方で遠隔ヒーリングをする打診をした。

ミーティング終了後に、該当箇所をウェブ上で調べ、イメージをより繊細にし、症状に対して働きかけを行なっていった。同様のことを入浴中にも行なっていった。

遠隔ヒーリングは関心の一つであり、それと同じ働きかけを曲の創造を通じて行なっていこうと思う。曲の中に治癒的作用、そして可能であれば変容的作用を内包させていく。これを実現させるためにはくどいようだが、物理的次元を超えて、精神的な次元である意識場について理解を深めていく必要がある。

昨夜ドイツからちょうどこのテーマに関する書籍が届いたようなので——家にいたがベルのスイッチを切っているため受け取ることができなかったが——、それらの書籍を参考に探究と実践を深めていく。フローニンゲン:2020/1/15(水)04:33

5458. 利他的な実践に向けて

今日は幾分風が強い。強風が闇の世界を吹き進んでいる。ここからは風が弱まるらしいが、その分午後からは雨が降り始める。いかなる環境にあっても自分の取り組みを続けていこう。

今朝は印象に残るような夢を見ていなかった。感覚として肯定的でも否定的でもない、中立的な夢を見ていたように思う。それは感情的にも身体的にも中立的な夢であり、何も波風の立たないような夢だった。

今朝もまた夢を見ない深い眠りの意識にあった。これは本当に死そのものの意識状態だと思う。ミヒャエル·エンデの父、エドガー·エンデがかつて述べたように、こうした意識状態を感じさせる夢を見ない世界は死の先取りとしてそこにある。

マルタへの旅行以降、「利他心」というものがテーマになっている。利他的な実践に突如として目覚めた自分がここにいる。それは以前から考えていたことではあったが、自分なりの実践を見つけることは難しかった。

今の私は治癒と変容を必要としており、それが求められているように思うが、それは私だけではない。家族を含め、取り巻く多くの人たちが治癒や変容を必要としているような時代にあるように思う。そうした状況の中、自己に対して治癒と変容の実践をすることがどうも度量の狭いことに思えてきたのである。

そもそも、他者の治癒と変容なくして自己の治癒と変容はあり得るのだろうか。他者が病理的かつ未熟な状態であれば、そうした病理性や未熟性は必ず自己に影響を与えるはずである。なぜなら私たちの自己も生活も縁起によって成り立っているからである。

ヒーリングを自己の身体や精神空間をイメージしながら行なっている際に、仮に家族や友人·知人に対してヒーリングを行おうと思っていると、自己を彼らの中に包摂する形で一気にヒーリングを行なってしまう方が良いのではないかと思ったのである。この考えを拡張した結果として芽生えたのが「コスミック·ヒーリング」だった。

今の私にはそうした大きなことを行える知見も技術もないが、少なくとも自己を身の回りにいる人たちの中に包摂する形で治癒的働きかけをしていこうと思う。自己を癒しながら他者を癒すというよりも、他者を癒しながら自己を癒すという発想だろうか。

こうした考えが芽生え、実際にそれを実践し始めたのは、ひょっとすると、ここ数ヶ月の中で頻繁に生じていた自己超出体験が要因として存在しているかもしれない。その体験そのものが起こり始めたのは、明確な記憶として残っているのは今から8年前にサンフランシスコにいた時のことである。

ここ最近はその体験が頻繁に起こっており、小さな自我が脱皮溶解し、より大きな全体に向かっていく様子を見ていた。おそらく、利他的な心を持って利他的な実践に向かったこととそれは密接な関係があるだろう。

治癒と変容に関する知識と技術の習得、及び自己の変容に関しては、もう進めるところまで進んでみようと思う。後者に関しては自分の意思でどうこうなるものではないが、自己の探究と実践が、見えない次元で次の世代に手渡されていくという感覚がある。

物理的次元を超えて精神的次元でなされた試み、及びそこに堆積されたものは必ず伝承されていく。まさにそれは文化的なミームのような形で受け継がれていくのだと思う。

自分の内面宇宙を開拓·涵養する過程の中で絶えず利他的な活動をしている自分の姿がある。その姿のままに、自分は自分の内面宇宙の中で進めるところまで進んでいく。フローニンゲン:2020/1/15(水)05:00

5459. 集合的無意識のトラウマへの介入に向けて:左右の脳の調和

時刻は午後7時半を迎えた。今日から喉の痛みが晴れ、鼻水も治ったことを嬉しく思う。

予想していた通りの回復期間で調子が良くなった。その間にもちろん自己ヒーリングも含め、色々と実践をしていたわけであるが、いずれにせよ心身の調子が良くなったことを嬉しく思う。

物理的な世界で肉体を持って生きる人間として、本当に体は大切である。そうした体に関して、もちろん4象限的な観点で考えることが重要であるが、その治癒の鍵を握るのは改めて自分自身の心の有り様だと思った。

単純にそれは有り様というよりも、心を内包した意識をいかに活用するかの技術が大切だと言った方がいいかもしれない。この点については、まさに今日から読み始めた書籍にも同様のことが書かれていた。

ヒーリングに対する関心が高まる中で、今朝方の日記に付け加える形で言えば、集合的無意識におけるトラウマを治癒していく必要性を感じている自分がいる。こうした集合的無意識におけるトラウマは、私たち個人の意識に大きな影響を与えており、それが物理的次元の病を生むことにもつながる。そのようなことを考えながら、集合的無意識を治癒していく方策についても模索していこうと考えていたのは午後のことであった。

おそらくこうした集合的無意識におけるトラウマに働きかけをするには、意識の特性を活用して、時空間を超えたヒーリングをしなければならないだろう。そうした方法を探究し、実践することに加えて、そもそも現代においては、今この瞬間の社会の集合的意識へ働きかけていくことやトラウマにつながる巨大なシステムそのものへの介入も重要になってくる。

このあたりは単にヒーリングに関する知識と技術があるだけでは不十分であって、とりわけ経済·金融の思想と仕組みについて習熟しておく必要がある。このテーマに関しても、やはり私自身が元々経済·金融を大学時代に学習していたこととつながっており、自分が果たしていく役割はこの領域にもあるのではないかと思う。

ここ最近は、自分の言葉と向き合うこと、自分の内側の感覚に向き合うこと、自分の内側の音に向き合うこと、それらの調和が非常に良い。単純に右側象限的な発想で言えば、言葉を司る左脳を休める意味でも身体感覚に向き合ってみたり、絵画や画集をぼんやり眺めることはとても効果があるようだ。

また作曲中も言葉を司る左脳はそれほど働いておらず——確かに音楽記号を操作するために左脳的な部分も働いているのかもしれないが、言語を働かせている時とは感覚が違う——、作曲実践も左脳を休め、右脳を活性化させることにつながっているようだ。

さらには、ヒーリングの実践をしている最中も、それは完全にリラックス状態で特殊な意識状態にあるから、左脳の動きは極度に抑制されているように思う。気が付けば、自分は知らず知らずのうちに、左右の脳を調和が取れた形で日々活用していることに気づかされる。フローニンゲン:2020/1/15(水)19:47

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