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5445-5446:フローニンゲンからの便り 2020年1月11日(土)

January 13, 2020

本日の言葉

It never does any good to build a fence and keep off those we consider to be the enemy. Thich Nhat Hanh

 

本日生まれた5曲

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タイトル一覧

5445. ゆったりとした旅に向けて

5446. 今朝方の夢

 

5445. ゆったりとした旅に向けて

 

時刻は午前6時を迎えつつある。フローニンゲンに戻ってからの2日目が今始まった。

 

昨日からまた新たにフローニンゲンでの日々が始まったわけだが、この街が持つ落ち着きのおかげもあってか、すぐさまこれまでの生活リズムに戻れたように思う。ただし、旅で得られた体験が多岐にわたっており、現在それを消化·咀嚼している最中なのか、2日連続で5時に起床するという遅い起床になっている。そこにはもしかしたら旅の見えない疲れのようなものもあるのかもしれず、そうした疲労を回復させるために睡眠がいつもより長く必要なのかもしれない。

 

ここでふと、疲労感を得るような旅であればもうしない方がいいという考えが芽生えてくる。あるいは、旅をすることが疲労感をもたらすというのは、どこかその旅が自分にとっておかしなもの、無理のあるものであると言えるかもしれない。来月末を含め、今後もまだ旅を続けていく予定であるため、この主題についてはもう少し考えを練ってみよう。

 

確かに旅先での滞在中は、自分が足を運びたいと思った場所を中心に、あちこちと歩き回るのだが、この歩くという行為が疲労をもたらしているというよりも、言い換えると、滞在中に疲労感を得ているというよりも、旅からの帰り際に疲労感のようなものを感じる傾向にあると言えるかもしれない。特に、旅先では少々文献資料などを買い込んでしまい、帰る際にはスーツケースがとても重たくなってしまったり、今回の旅のように、スーツケースに入りきらない文献資料に関しては、布のトートバッグに詰めて持ち帰ることになり、そうした荷物の多さが帰りの移動の際に疲れをもたらしている可能性があると思った。今後はこの点に少しばかり注意しよう。

 

細かな話としては、旅から帰ってきた時にも、駅から自宅まで運動がてら歩くのだが、帰りぐらいはタクシーなどを使って移動してしまってもいいかもしれない。重たい荷物を持ったり、引きずったりしながら駅から自宅まで歩くのは意外と体力を消耗していることに気づき、こうした形の旅を行うのは100歳を超え始めると厳しいなということを帰り際に思っていた。

 

旅から戻ってきた初日の昨日は、オンラインゼミナールの第3回目のクラスがあった。新年最初のクラスを終えた後、夕食後に振り返りとしてクラスの補足音声を作成していた。

 

そこでの振り返りが思った以上に長くなり、ゼミナールのクラスの1時間半よりも長く、2時間以上1人でしゃべる形で音声ファイルを作成している自分がいた。それは就寝前まで続き、実はベッドの上に横になってからも、まだ話し足りないことがあったようであり、脳が興奮状態の中、しばらくベッドの上で振り返りと補足論点の説明を1人で行なっている自分がいた。

 

ひょっとすると、今朝5時過ぎという遅い時間に起きたのは、昨夜の就寝前に脳が興奮していたことと関係しているかもしれない。この点については以前から気付いていたし、その関係性についてはほぼ確信を持っているのだが、ついつい音声教材を作り始めると止まらなくなる自分がいるため、注意が必要である。今後はあまり夜に音声ファイルを作成しないほうがいいように思う。

 

明日はゼミナールの日曜日クラスがある。明日もクラスが終わってから音声教材を作成する形で振り返りを行おうと思う。その際には、今回の気づきを活かし、夕方を目処に、少なくとも夕食前までに音声ファイルを作成してしまおうと思う。フローニンゲン:2020/1/11(土)06:08

 

5446. 今朝方の夢

 

ゆとりのある時間的な流れと空間の中で、再び自分の取り組みを前にゆっくりと進めていく。今回のマルタとミラノへの旅行は、今後の取り組みに関して大きな方向性を私に示してくれた。それらは幾分啓示的なメッセージとして自分に降ってきて、それを受け取った私は、旅の最中に随分とそれについて考えを巡らせていたように思う。

 

いや、確かにそこで巡っていたものは外見上考えに準じるようなものかもしれないが、実際には考えを超えた純粋な意思のようなものだった。純粋な意思が表出し始め、それに自己を委ねる形で今後の探究や実践をしていこうと改めて思った次第である。

 

来週の日曜日にゼミナールの最終回のクラスが終わってからか、あるいは来週の平日の時間のある時にでも、現在関心を持っている複数の領域に関する書籍を購入しようと思う。具体的には、シュタイナーの音楽理論、シュタイナーの経済思想、遠隔ヒーリングや量子ヒーリングに関する書籍を購入することを検討している。シュタイナーの農業に関する書籍を購入するのはもう少し時期を後にしたい。

 

それでは早朝の作曲実践に入る前に、今朝方の夢の振り返りをしておきたい。とは言うものの、今朝方の夢で覚えていることは本当に断片的である。

 

夢の中で私は、フランスかイタリアの主要都市にある美術館にいた。本来であれば、フランスとイタリアに流れる文化的空気は全く異なるため、両国を見間違う(感じ間違う)ことはないはずなのだが、夢の中の私はどちらの国にいるのか定かではなかった。

 

いずれにせよ、私はどちらかの国の美術館にいて、そこである巨大な絵画作品を眺めていた。画法とテーマからすぐにそれがルネサンス期の絵画であることがわかった。

 

そこに描かれている人物のリアルさ、そして何より人物の背景にある自然の豊かさが圧倒的な量感を持って描かれている様は圧巻であった。私はただその絵画の前に立ち尽くしており、いつまでもその絵画を眺めていたいという思いに包まれていた。いや、より正確には、有無を言わせない形で私はその場に貼り付けられており、いつまでもその絵画を見たいなどという自意識は消滅しており、ただその絵画を恍惚的な感情と共に眺めていたのである。

 

絵画を眺める時間が経てば経つほどに自意識が溶解していき、最終的にはそこには絵画と絵画の前のスペースしかなくなった。夢の中で肉体を持つ自己が消え、絵画と絵画の前のスペースだけになった時、夢から覚めた。今朝方はそのような夢を見ていた。

 

夢の中の私は、夢の場面をフランスかイタリアかのどちらかだと思ったが、今改めて思うに、それはイタリアのような気がする。イタリアに固有の感覚質、そうそれは自分の感性と共鳴するような質を持つあのなんとも言えない感覚的な流れがそこあったのだ。それは、少し色味のついたまろやかな軟水のような感覚質を持った流れであった。

 

昨日もオンラインゼミナールのクラスの中でシェアをしたのだが、今後はより一層自らの感覚·感性を育んでいくことを意識したい。知識や技術の獲得及び鍛錬の重要性は決して消えることはないだろうが、今はその重要性以上に、感覚·感性を育んでいく重要性の方が高い。

 

目には見えないものを感じること。芸術関係の文献資料を眺めること。引き続き旅を行なっていくこと。そうした積み重ねの中で徐々に自分固有の感覚·感性を育み、花開かせていこう。フローニンゲン:2020/1/11(土)06:36

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