本日の言葉
I shall purify all my actions performed with the body and the word. I shall also purify my mental activities and I shall do nothing that is not virtuous. Atisa
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タイトル一覧
5426.【ミラノ旅行記】ミラノのホテルでくつろぎながら
5427.【ミラノ旅行記】ミラノ滞在初日に得られた新たな方向性
5428.【ミラノ旅行記】4箇所の美術館を巡って〜自己が爆発になった日
5429.【ミラノ旅行記】ダ·ヴィンチとラファエロに憑依された幸運
5426.【ミラノ旅行記】ミラノのホテルでくつろぎながら
時刻は午前4時を迎えようとしている。ミラノ滞在2日目が静かに始まった。
今朝の起床は午前3時であり、起床してすぐに持参したココナッツオイルでオイルプリングを行い、浴槽に湯を張って浸かった。友人のヨガティーチャーが述べていたように、シャワーで済ませてしまうのではなく、入浴によって体全身の血行を良くすることの効能を昨日も実感していた。
単純にシャワーよりも保温力があることは言うまでもなく、それよりもむしろ、浴槽に浸かっていると、シャワーでは得られない浮遊感によって深くリラックスでき、深い意識状態に入っていく。浴槽に浸かることはシャワーと比べて、右上象限的にも左上象限的にも肯定的な効果があることを今朝も実感していた。
現在宿泊中のホテルは、ミラノ中央駅から目と鼻の先のところにある。マルタでは3つ星ホテルに宿泊し、ミラノでは4つ星ホテルに宿泊することにした。
以前言及したように、3つ星ホテルに関しては、各国でその質については若干ばらつきがある。今回マルタで宿泊した3つ星ホテルは、外装内装共に綺麗であり、機能としても短期の宿泊には十分であった。ただし、浴槽がないことだけが残念だった。
一方、ミラノの4つ星ホテルはやはりさすがである。部屋の広さは申し分なく、作曲実践や読書をするためのデスクの広さも申し分ない。そして何よりも立派な浴槽があることが私を嬉しくさせた。
さらに、小さなところで言えば、Wifiの速度がマルタのホテルとは段違いであり、現在旅の最中においてもオンラインゼミナールの補助録音教材を作っており、それをドライブ上にアップする速度がとても早くて助かっている。また、自分の個人的な探究に関してダウンロードする資料がいくつかあり、それらをダウンロードする際にも助かっている。
今日も1日の観光を終えてホテルに戻ってきたら、オンラインゼミナールの受講者の皆さんから寄せられた質問に音声ファイルを通じて回答していく。さらには、いくつか自分の探究項目に関する資料をダウンロードしていく。
今日のミラノの最高気温は11度、最低気温はマイナス1度である。明日からの最高気温は10度を下回り、最低気温はマイナス1度の日が続くが、滞在最終日まで軒並み晴天である。
今回の旅行中は持参した折り畳み傘を差すことが一度もなく、本当に天気に恵まれている。とてもありがたい限りであり、こうした天気をもたらしてくれている天に感謝の意を捧げたい。
今日から本格的にミラノでの観光を始める。観光に向けて心身の状態はすこぶる良い。
その一つの要因として、昨日から味噌を食べ始めたことを挙げることができるかもしれない。ミラノ中央駅の近くにあるオーガニックスーパーで八丁味噌の小瓶が売られており、私はそれを迷うことなく購入した。昨夜はその店で購入した野菜にその味噌を付けながら食べた。
マルタに滞在中は味噌を食べることができず、フローニンゲンにいた時とその点において特に変化があった。ミラノはオーガニックスーパーの数が非常に多く、この街の健康志向の高さを伺える——もちろん、そうした店にいく人は住民のうち少数であることに変わりはないだろうが——。ミラノ:2020/1/5(日)04:18
5427.【ミラノ旅行記】ミラノ滞在初日に得られた新たな方向性
昨夜、突然ながらヒーリングの探究により力を入れていこうと思った。これまで人間発達に関する探究と実践に従事する中で、意識の変容のみならず、意識の治癒を通じた身体及び心の治癒には関心があった。実際に米国で生活をしていた時に、サンフランシスコでヨガのインストラクターの資格を取得したのもその一環であったし、数年前に日本に1年間ほど滞在していた時に臼井レイキやクラニオセイクラル・バイオダイナイクスを学んだのもそうした一環であった。
ミラノに到着した昨夜、ホテルの自室でくつろいでいると、突如としてそれがやってきた。それは冒頭にあるように、これからは本格的にヒーリングの学習と実践をしていくというものだ。
レイキや気功などをとにかく実践をしていくこと。日本に滞在していた時に、知人のセラピストの方が臼井レイキの個人トレーニングを私にしてくださり、ここにきて改めて学習と実践をしていこうと思った。理論的な学習は確かに重要かもしれないが、こうしたヒーリングは発達測定の技術や作曲の技術と同様に、とにかく実践がものを言う。
幸いにも、ヒーリングのトレーニングは自宅でも、旅先の観光中でも、四六時中場所を選ばずに訓練できる。自宅では気を生成させるトレーニングをすることができるだろうし、旅先での観光中であれば、観光場所から巨大な気を得ることもできるだろう。
そうしたトレーニングを昨夜からとにかく意識しようと思った。実際に私は、昨夜ホテルの自室で、ゆっくりとした呼吸法を行いながら、自分の気を練っていくトレーニングをし、それをイメージの世界の中で大きくさせたり、動かしていたりしていた。
今日からはミラノの美術館を数多く巡っていこうと思っており、美術館に充満するエネルギーを自らの気として取り入れていきたい。また、ミラノの街全体が持つエネルギーも自己に取り入れていくことも意識してみる。
おそらくこれまでの私も、知らず知らずにそのようなことを旅先で行っていたのだろう。いやそれは旅先だけではなく、普段フローニンゲンで生活をする中で、自宅でも行っていたことであり、外にジョギングやウォーキングをしに出かける際にも行っていたことのように思う。
ただし今後はそれをより意識的に行う。意識をするかしないかが技術の向上に雲泥の差をもたらすことを忘れてはならない。とにかく意識的に、しかもそれを日常至る所で四六時中徹底的に行っていく。
もう数時間したら朝食を摂りにホテルのレストランに行くが、そこでもそうしたトレーニングを行っていく。トレーニングにおいては、その場の気の性質を把握すること、肯定的な気が巡っていれば、深くゆったりとした呼吸と共にそれを積極的に自己に取り入れること、否定的な気が巡っていれば、それを自らの気によって浄化させること、当面はそれらを日常の至る所で実践してみる。
そもそもこうしたトレーニングを行っていくことの目的について考えてみると、どうやら自己を超えた何者かが、自分の創造活動の中に治癒と変容の作用の双方を組み入れることを促しているようなのだ。端的には、特に日々作っている音楽の中に自らの気を込めて、それを通じて世界の治癒と変容を行うことを自分に促しているようなのだ。
以前知人の方に、「加藤さんと話をしていて気づいたのですが、加藤さんはヒーラーみたいだ」と言われたことがある。その方の言葉を今ふと思い出した。
これからは様々なヒーリング技術について学び、それを日々実践を通じて深めていき、ヒーリングとトランスフォーミングの双方を促す音楽を作ることを通してこの世界に積極的に関与していく。その実現に向けて、朝に瞑想する時間を再び確保しようかと思う。あるいは、早朝に行うヨガの実践の最中と実践を終える際に瞑想的な意識状態になることをより意識してみよう。
また、これから行う早朝の作曲実践においても、曲を作る前に治癒と変容をもたらすエネルギーを生成するにふさわしい意識状態に入ることを意識する。それは目を閉じて、深い呼吸と共に自分の内側で気を練っていくようなイメージを持つ。その際には、地上や天上から巨大なエネルギーを取り入れていくことをイメージしてみよう。
最後に、ミラノからフローニンゲンに戻ってきたら、以前購入した音楽とヒーリングに関する書籍を再読してみようと思う。今突発的に、音楽とヒーリングについて、シュタイナーの思想や意識の形而上学及びトランスパーソナル心理学の観点から本格的に探究してみたいと思った。
スイスのドルナッハの精神自由科学大学ではそれをテーマに取り上げたいし、もしかしたらカリフォルニアのパロアルトにあるソフィア大学やサンフランシスコ市内にあるCIISの博士課程でそれをテーマに研究してもいいかと思った。いずれにせよ、それらは今すぐではなく、もう少し自分で探究と実践を深め、今から数年後ぐらいにそうした機関で本格的に探究をしたいと思う。ミラノ:2020/1/5(日)04:42
5428.【ミラノ旅行記】4箇所の美術館を巡って〜自己が爆発になった日
時刻は午後の9時を迎えた。今日は午前3時に起床してから今に至るまでに極めて充実した1日だった。過去4年間の中に行ってきた旅の中で最も充実した1日だったように思う。
今朝はいつもと同じぐらいに起床し、そこから一度も休みなく、今日はなんと4つの美術館に訪れた。交通機関などは一切使っておらず、全て歩いてミラノの街を移動し、歩いていた時間は合計で3時間ほどだと思う。
いつも私は、1日に1つの美術館か博物館しか巡らないようにしているのだが、今の私はどこか飢えに飢えた動物のように、あるいは渇きを癒すことを心底望む植物のように何かを吸収しようとしているようなのだ。それが証拠に、今日は4つの美術館を全て同じ強度と密度で何かを吸収しようとする姿勢で巡っていた。
本日訪れる予定だったブレラ絵画館に最初に足を運んだ時、月の初めの日曜日であったため、入館料が無料であり、長蛇の列ができていた。それを見た時、私は今日入館することを諦めた。そのため、最終日に訪れる予定だったスフォルツェスコ城美術館に行ってみたところ、状況が全く同じであり、今日は無料の日でありとんでもない列ができていて泣く泣くここも諦めた。
ホテルを午前9時半前に出発したのはいいものの、10時半近くになってもまだどこの美術館にも腰を落ち着けることができていない有り様だった。そこから私はその場で計画を変更し、怒涛の勢いで4つの美術館を巡ったのである。
それぞれの美術館で得られた事柄は多岐に渡っており、それらについてはここから数日間をかけてゆっくりと振り返りをしたい。ただ今は、今回の旅を通じて、私の感覚は完全なまでにこれまでとは違う形で開いたということを書き留めておく。
何か閉ざされたものが全開した感じがしており、エネルギーに次ぐエネルギーがとめどなく溢れ出し、もうどうしようもない状態になっている。「爆発の中にある爆発になった」と言ったら最もわかりやすいだろうか。とにかくもう何かが完全にはち切れ、私ははち切れとして存在するようになったのだ。今日から私ははち切れである。
ミラノの街は確かに大都会なのだが、私はこの街の持つ芸術の豊かさに心底敬意を評している。おそらくミラノのみならず、イタリアの各都市に芸術の豊かさが宿っており、イタリア芸術は自分の感性に響くものがあるようなのだ。
自分の奥深くに浸透し、共鳴を呼び起こすものがある。それがあるがゆえに、今日は休憩も仮眠もせず、4つの美術館をノンストップで巡ることができたのだ。
朝3時から夜21時を迎えた今に至るまでこのようにして活動を続けていても、現在のこの瞬間において疲労感が微塵もないのは一体どういうことなのだろう!それが示唆しているのは、自己が爆発に到れば、それは爆発なのだから疲労感など感じようがないということだろうか。
明日も今日と同じように積極的に美術館と博物館を巡ろうと思う。明日は3カ所ほど巡ろうと思っており、どこかで中休みとしてどこにも観光に出かけないような1日を設けてもいいかもしれない。今日は歩きに歩き、そして自分の存在の内側にあまりに大量に創造エネルギーが流れ込んできたために、今夜はぐっすり眠れそうである。はち切れととしての自己、爆発としての自己は睡眠を取り、明日もまたはち切れとして、爆発としてこの世界で活動し、この世界に関与していく。ミラノ:2020/1/5(日)21:22
5429.【ミラノ旅行記】ダ·ヴィンチとラファエロに憑依された幸運
端的に述べると、今日の美術館巡りを通じて、ダ·ヴィンチとラファエロの存在エネルギー及び創造エネルギーが自分の内側に流れ込んできた。それはまるで2人の巨匠に憑依されたような感覚だった。
2019年はダ·ヴィンチの没後500年ということであり、ミラノではそれを記念して各美術館がダ·ヴィンチの企画展を行なっている。本日足を運んだ4箇所のうち、3箇所の美術館でダ·ヴィンチの企画展が行われていた。それらが本当にどれも素晴らしかった。
2019年がダ·ヴィンチの没後500年であり、今回の滞在中にそれを祝した企画展にたまたま足を運べただけではなく、さらに偶然ながら、2020年はラファエロの没後500年でもあり、今日の最後にはペルマネンテ美術館に行き、ラファエロの特別展示を見てきた。これもまた本当に素晴らしかった。
最初に入った部屋は、通称“Immersive Room”と呼ばれる広い部屋で、四方及び足下が巨大なスクリーンとなっていて、そこにラファエロの名作が見事なクラシック音楽と共に視覚的に様々な工夫が施された形で表示され、それは圧巻であった。私の目は——目だけではく全身及び存在も——その映像に釘付けとなり、最初から最後まで食い入るようにラファエロの作品を眺めていた。
そしてその後、私は初めてヴァーチャルリアリティーを体験した。そこではラファエロの作品を特殊なゴーグルをかけて3Dで見られる器具が置かれており、係員の人にそれを自分の目に設置してもらった。
そして最後の部屋では、通称「拡張リアリティ(augmented reality)」という技術を使った展示がなされており、その技術を通じて、かの有名な『アテナイの学堂』を鑑賞した。拡張リアリティの技術を使った教育については、フローニンゲン大学に在籍していた当時にお世話になっていた指導教官のミヒャエル·ツショル教授の専門であり、ツショル教授から学びを得ていたときのことを懐かしく思い出した。
この技術はフローニンゲン大学の医学部などでも積極的に使われており、端的には解剖学の授業などで、テキストを開くと、そのページに掲載されている人体の部位が3D的に浮かび上がり、それだけではなく、その部位の解説文章までもが立体的に浮かび上がるような技術だ。そのような技術を通して、『アテナイの学堂』を鑑賞し、この作品に対する理解が深まり、色々と新たな発見があったことは私を興奮させた。
以上が今日最後に訪れたペルマネンテ美術館についての感想である。端的には、それよりも前に訪れた3箇所、いやあえて2つに絞るならば、本日最初に訪れたアンブロジアーナ絵画館において、ダ·ヴィンチが1478年から1518年にいたる40年間の仕事を記録したノートが編纂された「アトランティコ手稿(Atlantico)」と、それが置かれている1609年に開設された図書館(サーラ·フェデリチャーナ図書館:6世紀のシリア語旧約聖書やバイリンガル聖書、カトリックの歴史や起源に関する貴重な資料を所蔵)の一室は本当に圧巻であった。
その一室は薄暗く、四方が膨大な蔵書で囲まれ、知的荘厳さに満ち溢れており、これまで感じたことのない知力の気がそこに充満していた。私はそれを全身に浴び、まるでその気が自分の内側に染み込んでいくかのような感覚があった。
不思議なことに、自分の脳がうずきだし、手先と足先が暖かくなるような感覚があったのである。自分の生命エネルギー及び創造エネルギーとしての気が高まっていくことを確かな感覚として実感していた。
その手稿は、ダ·ヴィンチが残した2000点の署名入りデッサンとそれに注釈がつけられたものであり、1000ページにも及ぶものである。図書館の薄暗く、そして広い室内にそれが檻のようなものに入れられて置かれている姿はただならぬ雰囲気を発していた。真っ赤な装丁で施されたその分厚い手稿は、時の重さに耐え、今もなお血潮を感じさせるものであった。
今回の滞在中には残念ながら、事前予約が必要な『最後の晩餐』だけが所蔵された美術館(完全予約制及び滞在時間は15分限定)には行くことができないのだが、アンブロジアーナ絵画館でその複製を見た。複製からだけでも途轍もないエネルギーを感じることができた。本物を見たときには、私はそのエネルギーに卒倒してしまうのではないかと思う。
実はラファエロの『アテナイの学堂』についての巨大なデッサンもアンブロジアーナ絵画館に所蔵されており、それもまた途轍もないエネルギーを発していた。それを受けた私は、どこか別の世界に逝ってしまいそうになった。このように今日は、ダ·ヴィンチとラファエロから膨大かつ爆発的なエネルギーを授かった。
フローニンゲンの自宅に戻ってからダ·ヴィンチとラファエロについて研究するために、フルカラーの文献を5冊ほど購入し、アンブロジアーナ絵画館で2冊ダ·ヴィンチ関係の文献を購入してカバンを預けていた場所に戻ったところ、そこにダ·ヴィンチに関する2枚組のDVDがいくつか置かれており、親切な係員の男性がなんと私に無料で一つそれをプレゼントしてくれた。
私の手にはダ·ヴィンチ関係の分厚い文献があったから、研究熱心な人だと思ってプレゼントしてくれたのかもしれない。私はその男性にお礼を述べ、ダ·ヴィンチとラファエロに分けてもらったエネルギーと熱気に包まれてミラノの街に再び繰り出した。ミラノ:2020/1/5(日)22:05