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5423-5425:ミラノからの便り 2020年1月4日(土)


本日の言葉

The heart is an organ of perception. Surya Das

本日生まれた4曲

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タイトル一覧

5423.【マルタ共和国旅行記】マルタ出発の朝に

5424.【マルタ共和国旅行記】聖パウロの地下墓地での体験を振り返って

5425.【ミラノ旅行記】ミラノに到着して

5423.【マルタ共和国旅行記】マルタ出発の朝に

時刻は午前3時を迎えた。今朝は一度、部屋に入ってきた蚊が耳元で飛んでいる音が聞こえ、深夜12時半に目覚めた。

その瞬間に、心身の状態がすこぶる良いことがわかったが、起床するにはさすがに少し早すぎるかと思い、そこで一度コップ一杯水を飲んで再度眠ることにした。次に起床したのが午前2時半であり、そこではもう心身が活動に向けて十分な休息を取っていることがわかったので、そこで起床し、すぐにシャワーを浴びた。

旅先でも食生活を大きく変えていないために、心身の状態が良好なまま維持されていることは喜ばしい。フローニンゲンにいる時と全く同じ食べ物を摂ることはできないが、食物選択の指針は一貫しており、肉魚を一切食べないということと、オーガニックなものを食べることが徹底されているがゆえに、食が心身に与える影響が良好なままなのだと思う。

今日はいよいよマルタを出発する日だ。やはり4泊5日というのはあっという間であり、もう1日長く滞在したいところだったが、今回はフライトやフローニンゲンに戻ってからのスケジュールの都合上、4泊5日となった。

不思議なことに、たった1日滞在日数を伸ばし、5泊6日にすると、大抵どの街もじっくりと巡ることができる。もちろん、その街の隅から隅まで見て回れるということでは決してないのだが、少なくとも自分の興味関心に合致した場所なら大抵全て回れてしまう。

今回マルタでまだ訪れることができなかったのは、ゴゾ島と島の西端にある青の洞窟である。今回は人間が作った文明に関する跡地や美術館·博物館を巡るだけになったため、次回マルタに足を運ぶ際にはゴゾ島を訪れたい。

この島は本土以上に人口が少なく、自然と静寂に溢れた島なのだそうだ。自然と静寂を好む私にとっては大変魅力的な場所であり、フィンランドとはまた違う自然と静寂さがあるだろう。

仮にフィンランドの自然と静寂さを「静」のものだとすると——厳密には「静」で覆われた「動」-—、ゴゾ島のそれは「動」——厳密には「動」で覆われた「静」-—のものだと言えるかもしれない。私が少なくともこの2箇所に居住の拠点を置きたいというのがどこか納得できる。

今日からはミラノに滞在する。ミラノでの滞在は上述の考え方を受けて、5泊6日とした。

マルタからミラノに向かうフライトは12:35のものであり、塔乗開始時間を考慮に入れても適度な時間である。そのおかげもあり、今朝はゆっくりとホテルで朝食を摂り、9時過ぎにサンジュリアンのバス停から空港に向かうバスに乗る。空港に到着したら、すぐにマルタ航空のデスクに行き、そこで搭乗券を発行してもらう。

今回はどういうわけか、行きの際と同様に、ウェブチェックインができない事態に見舞われており、デスクに行って直接発券してもらう必要がある。マルタからミラノへは2時間弱のフライトであり、ミラノ中央駅から目と鼻の先にあるホテルには午後3時過ぎに到着する予定だ。

ホテルに到着したら、近くにあるオーガニックスーパーに行き、必要な品を購入する。そのスーパーは、明日の日曜日には休みとのことなので、日曜日分の食糧を購入することを忘れないようにしたい。マルタ共和国:2020/1/4(土)03:19

5424.【マルタ共和国旅行記】聖パウロの地下墓地での体験を振り返って

今朝方は少しばかり印象的な夢を見ていた。しかしそれはあまり言葉としてここに書き留めておきたいことではない。

後々にその夢を振り返ることを考えて、その主題だけ記録しておくと、実家に滞在中、母が深夜にマンションから外に出かけていくというものだった。父もその時間帯に外出しており、父の外出を受けて母も外出をしたというものだった。

母の外出に関しては私の方で誤解をしていたらしいのだが、母が深夜に外出して朝早くに帰ってきたことを受けて、家族にも人間としてのそれぞれの人生があることを改めて知った。そのような気づきが得られた夢であり、その夢が示唆することはより深いものであるため、この記録をもとに、また後日静かにこの夢を振り返ろう。

昨日ラバトの街で訪れた聖パウロの地下墓地での体験が忘れられない。そこで見たもの·感じたことを今静かに思い出す。

私はあのようなカタコンベに入ったことはこれまで一度もなく、そこは異質な空間であった。地下墓地の空気と静けさ。それらは共に黙想的な意識を引き起こすのに十分過ぎるほどに十分であった。

西暦60年にパウロがその地にやってきて、この地下墓地で布教活動をしていた痕跡が今なお鮮明に残っていた。それは物理的次元のものとしてだけではなく、目には見えない精神的次元のものとしてもそこに残っていた。

私は、「このような薄暗い場所で、静寂さに包まれながら瞑想をしていたら、啓蒙体験が得られるのも無理はない」ということを思った。そう思わずにはいられない特殊な環境がそこにはあった。

おそらく聖パウロだけではなく、そこで暮らしていた何人かの人たちにも自己を超越した存在を知覚する体験が起こっていたであろうということが容易に想像できた。場の持つ力はやはり大きい。こうした場で瞑想実践をすることは、開眼を促すことにつながるということはとても確証性があった。

聖パウロが活動していた地下墓地の下には、第二次世界大戦中に使われていたシェルターがあり、そこまた異様な雰囲気を放っていた。地下墓地にせよシェルターにせよ、そこに堆積され続けているものをまるで手に触れるかのようにありありと知覚している自分がいた。

そこで祈りを捧げていた人たち、そこで瞑想実践に明け暮れていた人たち、そこで語り合っていた人たち、そうした様々な人たちの存在エネルギーが確かな密度としてそこに充満していた。

私は、聖パウロがまさに布教の言葉を伝えていたであろう洞窟の一角で、目を閉じて当時の様子を想像しながらしばらく瞑想をしていた。その洞窟の壁には奇跡をもたらす力があるというのもどこかうなづけてしまうような空間だった。

このカタコンベを訪れることによってもたらされた聖パウロの力ないしはエネルギーを携えて、ここからまた日々の活動に打ち込んでいきたいと思う。マルタ共和国:2020/1/4(土)03:46

5425.【ミラノ旅行記】ミラノに到着して

時刻は午後7時を迎えた。今私はミラノのホテルにいる。

今朝は予定通りにマルタの国際空港に到着し、そこからラウンジでゆっくりと寛いだ後にフライトに搭乗した。その前に、マルタ航空はなぜかウェブチェックインが事前にできず、カウンターに行っても係員がおらず、しばらく立ち往生する形になった。

他の航空会社のカウンターはしっかりと係員がいたのだが、そのあたりにマルタ航空のおおらかさ——「杜撰さ」と明確に述べたほうがいいかもしれない——があった。20分ぐらい待ってようやく係員がカウンターに姿を現し、ようやく搭乗券を発券してもらった。

普段私は欧州の旅行の時には機内に持ち込めるスーツケースだけを持って旅に出かける。実際のところは、昨年の秋に日本に一時帰国した際にも機内持ち込みのスーツケースだけで帰国をした。

今回も同様に機内持ち込みのスーツケースだけで旅行に出掛けたのだが、今日はフライトが満席との理由で、スーツケースを預ける形になった。これは私にとって大変面倒である。

というのも、機内持ち込みのスーツケースだけを持っていく理由としては、目的地の空港に到着した後に、ベルトコンベアで運ばれてくるスーツケースを受け取るのを待たないようにするためである。せっかくそうした理由で機内に持ち込める大きさのスーツケースを持ってきたのに、その目的が果たせなくなってしまった。

係員の男性は「今日のフライトは満席なので」と述べていたが、実際に搭乗してみると、そんなことはなかった。いくつか空席があり、荷物を預けて損をしたような気がした。それが如実に感じられたのはミラノの空港に到着した時のことだった。

予定時刻を20分ほど遅れて出発したフライトがミラノに到着した時、マルタ航空の荷物がなかなかベルトコンベアで運ばれてこなかった。電光掲示板に一時は搭乗した便の表示が出ていたのだが、しばらくしてそれが消えた。私は少しばかり気がかりになって隣にいたイタリア人の若いカップルに声をかけてみたところ、男性は「マルタ航空だからね(笑)」と笑いながら述べ、荷物が遅れて運ばれてくるのは仕方ないとのことだった。

飛行機の便は20分遅れるは、預けたスーツケースが出てくるのも30分以上かかるわで、当初の予定が随分と狂ってしまった。確かにマルタ航空のサービスを含め、一連の事柄は若干の不満の感情をもたらしたが、今回マルタに滞在したことによって、そういうお国柄なのだと理解した自分もいた。まさに、若いイタリア人カップルが「マルタだからね」と笑いながら述べたように、これがマルタ流なのだと体験を通じて理解した。

予定よりも結局1時間ほど遅れる形となり、ミラノの空港からミラノ中央駅まで列車に乗って移動しようと思った。ところが、空港内の表示を確認しても、一向に空港駅が見つからなかった。

これ以上探しても埒が明かないと思った私は、近くを通りかかった体格のいい2人の警官に尋ねてみた。すると、この空港には列車の駅はないとのことであった。

そんなはずはないと思ったのだが、よくよくPDF化した地図を見てみると、それはシャトルバスのようだった。まさにその警官もバスでならミラノ中央駅に行けると述べており、私が乗るべき交通機関はバスであることにその時に気づいた。

最初その2人の警官は体格も良く、腰にはピストルを携えていたため、少々おっかなかったのだが、とても親切に対応をしてくれ、最後は笑顔で別れた。

そこから私は地上階に行き、幸運にもちょうどミラノ中央駅行きのシャトルバスがバス停で停車しているところだったので、運転手の男性に念のため行き先を確認し、その場でチケットを購入した。バスに乗って数分後、ミラノ中央駅に向かってバスは発車した。

窓越しにミラノの街を眺めていると、当然ながらマルタとは全く異なる世界がそこに広がっていて、こちらの世界の方が自分にとって慣れ親しんでいる世界であるという感覚があった。やはり現在の私はまだミラノなどの都市型の街に感覚が慣れているのだと改めて理解した。

その一方で、今後はこうした大都市における生活からマルタやフィンランドなどで自然と絶えず触れ合うような日々の生活を営んでいこうとする意思が自分の中に明確に存在していることも改めて確認した。ミラノ:2020/1/4(土)19:44

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