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5419-5422:マルタ共和国からの便り 2020年1月3日(金)

January 5, 2020

本日の言葉

Conscious intention coolers and moves everything. Hsing Yun

 

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タイトル一覧

5419.【マルタ共和国旅行記】ヴァレッタの国立美術館と国立考古学博物館を訪れて

5420.【マルタ共和国旅行記】スリマの書店で購入した5冊の書籍

5421.【マルタ共和国旅行記】本日の予定と今朝方の夢

5422.【マルタ共和国旅行記】聖パウロ教会美術館で得られた啓治的な気付き

 

5419.【マルタ共和国旅行記】ヴァレッタの国立美術館と国立考古学博物館を訪れて

 

昨夜は9時頃を迎えた時に激しい睡魔に襲われ、いつもより早く就寝することにした。旅の最中は午後に仮眠をとることが難しいため、夕食を食べてしばらくすると、どうも眠くなってきてしまう。

 

夕食の種類も量もフローニンゲンのそれらとは若干異なることも眠さを引き起こしている要因の一つかもしれない。いずれにせよ、今朝は午前4時前まで眠っていたこともあり、睡眠は十分過ぎるほどに取った。マルタでの滞在4日目の今日も十分に活動的になれるだろう。

 

昨日は、ヴァレッタにある国立美術館と国立考古学博物館に足を運んだ。どちらも比較的小さかったが、展示されている品々をゆっくり見ることができた。とりわけ印象に残っているのは、国立考古学博物館を訪れた時に、マルタ文明がエジプト文明やメソポタミア文明に劣らないほどの歴史を持っており、展示物を見た時に、人間は創る生き物であるということを改めて思ったことだった。

 

様々な意図を込めて作られた品々を見ていると、時空を超えて、展示ガラスのガラス越しに、作り手の意図や思いのようなものが伝わってくるような感覚があった。どの時代の人間も、取り巻く環境や精神風土の過酷さにさらされていると思うのだが、そうした中にあって、マルタ文明の先人たちは心のゆとりのようなものを持っているように感じられた。余暇を楽しみし、その中で自由に遊びを楽しむような気持ちの中で創造活動に従事していたのかもしれない。

 

2020年を迎えた今、その時点からマルタの文明を眺めていたことと同じことが、いつか現代に対しても起こるという当たり前なのだが、不思議な感覚を引き起こす現象が生じた。以前どこかの美術館で、通信技術(携帯など)の歴史を俯瞰する企画展物を見た時に、戦後から今にかけてのめざましい発展を見て、数十年前の技術がもはや原始人が使っていたかのようなものに見えてしまうという感覚があった。とりわけ戦後から現代にかけての技術的な進歩はめざましいのだろう。

 

今後も技術が発展し続けていくとするならば、今から数十年後から現代を眺めると、そこでもまた原始的な感覚がするのかもしれない。そうであれば、私が数千年の歴史を超えてマルタ文明を眺めたことを、数千年後の人間が行った時、彼らは私たちの文明の原始性に直面するだろうし、逆に言えば、私たちは絶えずそうした原始性が展開していく過程の中に生きていると言えるかもしれない。

 

マルタ文明に触れることによって、時間感覚が一気に拡張したような感覚があった。仮に地球が今後もしばらく存在していくと仮定するならば、数百年後や数千年後の人たちが現代の私たちの生活風景を見てどのように思うのか大変気になることである。特に現代社会の抱える問題や常識については、さぞかしい言いたいことがたくさんあることだろう。逆に、私たちが未来人の観点を持てば、現代の課題や常識の枠組みを乗り越えていくことにつながる可能性があるように思える。

 

元旦翌日のヴァレッタは晴天であり、雲ひとつない地中海の青空がどこまでも広がっていた。マルタ共和国:2020/1/3(金)04:36

 

5420.【マルタ共和国旅行記】スリマの書店で購入した5冊の書籍

 

いつもながら自由気ままに日記を綴っていると、当初言及しておこうと思ったことに全く言及しないままに文章が生成されていたことに改めて気づかされた。

 

昨日は、国立美術館や国立考古学博物館だけではなく、カラヴァッジョの絵を見るために聖ヨハネ大聖堂に行こうとしていた。ところが、大聖堂の入り口付近に到着した時、チケットを購入することを待っている人たちの長蛇の列があった。

 

入場するまでに随分と時間がかかりそうだなと思った私は、今回は聖ヨハネ大聖堂に足を運ぶことをやめにした。その代わりに、元旦に散歩している時にスリマのエリアで見つけた書店に足を運ぶことにした。そこで神話学に関する図鑑のようなものを購入したかったのである。

 

少し早めにヴァレッタを出発し、スリマに向かうバスの中でぼんやりと考え事をしていた。旅の良さはまさに非日常的な意識に私たちをいざない、日常の発想の枠組みを取り外してくれることによって、普段では決して得られないような考えや感覚が得られることである。とりわけ私にとって旅は、今後の人生や生き方に関する新たな考えをもたらしてくれる素晴らしい機会になっている。

 

バスに乗って、輝く地中海をぼんやりと眺めていると、まさにそうした新たな考えがいくつも芽生えてきた。そうこうしているうちに、バスはスリマに到着した。

 

バスを降りた私は、その辺りの地理をもう頭に入れていたため、全く迷うことなく目的の書店に到着した。元旦にはその店は閉まっており、外から中を覗くことしかできなかったため、私はてっきりその店は神話学専門店だと思っていた。なぜなら、通りに面したショーケースにやたらと神話学関係の書籍が置かれていたからである。

 

しかし実際に中に入ってみると、神話学の書籍だけではなく、他のジャンルの書籍も置かれていた。どういうわけか、私は最初に科学のコーナー、しかも宇宙に関するコーナーにいた。そこで私は、スティーブン·ホーキング博士が執筆した“A Brief History of Time”という書籍を手に取った。

 

ここ最近は、秘境的·密教的な思想を作曲に活かせないかを考えていただけではなく、宇宙に関する発見事項を作曲に活かせないかと考えていた。そうした関心に合致するかのような宇宙法則や発見事項が本書に詰まっており、豊富なイラストが私の思考や感覚を刺激していた。そうしたこともあり、本書を購入することを即決した。

 

その他にも遅ればせながら“The Tibetian Book of the Dead”を購入した。数年前にライデンの古書店を訪れた際に、古代エジプトに関する死者の書を購入していたのだが、チベット死者の書についてはまだ読んだことがなかった。

 

今回まさかマルタで本書を購入することになるとは思っていなかったが、偶然にも美しい装丁を持つ赤いハードカバーの書籍が一冊だけ本棚に置かれており、何の迷いもなくそれを購入しようと思った。本書もまた作曲に活かすための参考資料である。

 

古代·現代のチベット人たちの死に関する発想を作曲の中に取り入れていく。それは何か直接的な形として曲の中に現れてくるかもしれないし、間接的に現れてくるかもしれない。

 

その他には、神話学関係の書籍を2冊購入した。両者は共に図鑑のような書籍であり、タイトルは“The Mythology Book”と“Myths & Legends: An Illustrated Guide to Their Origins and Meanings”というものだ。こちらもイラストが豊富であり、見ているだけで楽しくなってきてしまう。

 

チベット死者の書については、その中身を眺めている時に不思議な恍惚感があり、それとは少し異なる恍惚感が神話学の2冊を読んでいる時にも起こった。最後に、もう一冊購入したのは“365 Thoughts on the Path of Buddha”というものである。

 

本書は、1日1つ仏教関係の示唆深い言葉に触れられるようになっており、言葉の背後に添えられている美しい写真が大変気に入った。毎日日記や曲を作る際には必ず日時を記載しており、その上か下にでも、その書籍に書かれているその日の言葉を書き留めておきたいと思う。マルタ共和国:2020/1/3(金)05:05

 

5421.【マルタ共和国旅行記】本日の予定と今朝方の夢

 

結局まだ今日の予定について書き留めていなかった。今日はここ数日とは異なり、湊町を訪れるのではなく、マルタ中央部のイムディーナという場所に行く。ここは城塞都市であり、中世の時代には政治を司っていた場所だったとのことである。

 

イムディーナには、数多くの美しい建築物が残っており、荘厳な教会や宮殿のみならず、時空を巻き戻してくれるかのような歴史的な通りもある。また、イムディーナと隣接しているラバトという街にも足を運ぶ。ここは古代ローマの名残を残す名地であり、ローマ古代遺物博物館にはぜひ足を運びたい。

 

ラバト地区はキリスト教と大変深い関係にあり、使徒聖パウロがマルタへ布教をしにやってきた時に捕らえられてしまった洞窟がある。そこは現在パウロの洞窟と呼ばれている。

 

私はキリスト教を信奉しているわけではないが、聖パウロがどのような場所で生活をしていたのかを感じるため、この聖人が活動の中心地とした場所に足を運んでみよう。洞窟の岩には奇跡を起こす力があったと言われており、目には見えない巨大なエネルギー空間が今でも残存しているかもしれない。

 

ホテルの朝食をゆっくり摂り、自室で少し休憩をした後に、午前10時過ぎにホテルを出発する。今調べてみると、まずはラバトに足を運んだ方が良さそうだったので、バスに乗ってラバトに向かう。

 

大抵のバスは小刻みに停車するのだが、ホテルからラバトに向かうバスの中でわずか2回だけ停車する形でラバトに行けるものがあったので、それに乗る。昨日に引き続き、今日も一箇所だけに留まって時間を過ごすのではなく、いつもよりアクティブな形で複数の場所に足を運びたい。セントジュリアンのホテルに戻ってくるのは夕方になるだろう。

 

今朝は十分に睡眠を取ることができ、何かしらの夢を見ていたように思う。起床からしばらく時間が経ってしまったこともあり、詳細には思い出すことができない。かろうじて覚えていることと言えば、大洪水に見舞われた街の建物の中にいて、そこで友人たちと話をしていたことぐらいだろうか。

 

その場面からあれこれ記憶を辿ってみると、夢の中の私はその建物の中で、いかにしてその建物から脱出するかを友人たちと話し合っていた。しばらくして、友人の1人が思い切って建物の部屋の窓から浸水し切った道路に向かって飛び降りようとし始めた。彼の表情は至って冷静であり、別に取り乱しているわけでも自暴自棄になっているわけでもなかった。

 

彼の表情を見ると、飛び降りることで助かるという確証が彼にはあるらしく思えた。とは言え、私にしてみれば、15m以上の高さから浸水した道路に向かって飛び降りるのは危険のように思えた。

 

というのも、水の下に何か障害物がある場合、それに体が打ち付けられてしまうと死に至る可能性があると思ったからである。また、どのように入水するかのよって、水に打ち付けられた衝撃によって怪我をしてしまったり、気絶してしまう危険性もあるように思えた。

 

そのようなことを考えていると、友人は飛び降りる準備ができたらしく、すでに体は窓の外に投げ出されていた。そこで友人は少しばかりふざけており、片手を離してバランスをとったり、窓枠に取り付けられていた棒のようなものにぶら下がって懸垂をしていた。

 

そしていよいよ彼は、道路に向かって飛び降りた。しかもそれは水泳のジャンプ台からの飛び込みのような形ではなく、バク転をするかのように背面的な飛び込みであった。

 

彼が飛び降りた瞬間、私の意識は彼の身体の横にあり続けていた。つまり、彼が窓から着水に至る瞬間までをまるでビデオで録画するかのように見ていたのである。彼が浸水した水に入水した時、水中はとても濁っていたが、彼が飛び込んだことによって白い泡がたくさん生じた。

 

心配していた通り、彼は後頭部を水底の岩か何かにぶつけてしまい気絶をしてしまった。私の眼にはそこまでの一連の流れがとてもスローモーションに映った。気絶をしてしまった彼は、どういうわけかとても幸せそうな恍惚とした表情を浮かべていた。マルタ共和国:2020/1/3(金)06:08

 

5422.【マルタ共和国旅行記】聖パウロ教会美術館で得られた啓治的な気付き

 

時刻は午後8時半を過ぎた。今日は朝からマルタ中部の町ラバトに行ってきた。ここは事前の調査通り、サンジュリアン、スリマ、ヴァレッタなどの港町と違い独特な雰囲気を持っていた。

 

今日の観光を通じて自分の内側に流れ込んできたものは膨大かつ多岐に渡っており、それらの一つ一つについてはまた後日書き留めておきたい。その時のために、備忘録がてらいくつかのことを書き留めておく。

 

まず私は、ラバトのバス停に到着した後、聖パウロ教会に向かった。バス停から教会までの道中において、美しい石畳で出来た道がとても印象に残っている。

 

教会が見えてきた時に左手を見ると、そこに聖パウロ教会美術館があり、私はそちらにまず入った。そこではキリスト教関係の様々な品が見れるのだが、その中でも精密さの極みとでも言えるような幾つかの宝飾品に私の目は釘付けだった。

 

どうやったらここまで細部にまでこだわって形を生み出すことができるのだろうか、というぐらいに精密な作りをしている宝飾品があり、その前で私は、優れた絵画作品に捕らえられるかのような感覚に陥っていた。しばらくその宝飾品を眺めた後に歩みを進めると、イグナティウス·デ·ロヨラの直筆の手紙に辿り着いた。

 

私はとりわけ直筆の手紙に心を奪われる傾向があり、ロヨラの手紙も例外ではなかった。直筆の持つ手紙の不思議な力。その手紙はもう450年近く前に執筆されたものなのだが、手紙の書き手であるロヨラの魂は不変のように思えた。そのような存在エネルギーが絶えず呼吸をし続けているのが肉筆の手紙の偉大さである。

 

そしてこの美術館で得られた最大の発見は、今から8年前に私がジョン·エフ·ケネディ大学に留学していた際に見た、最も感動的であった夢のシンボルの意味が一気に紐解けたことである。実に8年越しで夢のシンボルの意味が目の前で開かれた時、私は心底驚いてしまい、そして感動した。

 

その夢については以前にも書き留めたことがある。私の意識が宇宙空間にあって、1羽の白いハトが宇宙空間を飛びながらこちらにやってきて、その後、東西南北から合計で4羽のハトが1点に集まり始め、それら全てのハトがその点で落ち合った時、ビッグバンが発生して、言葉では全く表現することのできない美しさを持つ巨大な青白いエネルギーが一気に放出された夢である。

 

私はそれまでの人生の中で、後にも先にもあれほどまでに美しい光景を見たことがない。夢から覚めた時の私は、感動のあまり大粒の涙を流していた。そのような夢を今から8年前に見ていた。

 

今日、キリスト教関係の絵画を何気なく眺めていたときに、ある絵の中に白いハトが天空に描かれており、突然にその夢の内容を思い出したのである。以前からキリスト教絵画の作品の中に白いハトがモチーフとして登場することには気付いていた。だが、そのモチーフと8年前に見た夢のつながりについてはこれまでただの一度も考えたことがなかった。

 

白いハトは、人間と神の和解や調和、そして聖書をもたらしたシンボルとのことである。自分はおそらくこの8年間の中で何か大きな存在と調和し、コトバを大切にする聖書を表すハトのシンボルを夢で見て以降、間違いなく自分のコトバの世界に大きな変容があった。

 

そうそれは、夢の中でビッグバンが持つ爆発的なエネルギーとして宇宙空間に放射された光のように、自分のコトバが言葉として、そして音として溢れ出している今の自分を産んでくれたきっかけとしての夢だったのだ。マルタ共和国:2020/1/3(金)21:10

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