本日生まれた7曲
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タイトル一覧
5402. 大晦日前日の早朝より
5403. マルタ共和国への旅行に向けた準備:今朝方の夢
5404. 非言語的な活動を司る右脳の活性化と脳の包括的な運動の実感
5405. 13時間分の音声教材を作り終えて:仮眠中のビジョン
5406. ジョギング中に閃いた2つのアイデア
5402. 大晦日前日の早朝より
時刻は午前3時半を迎えた。今朝の起床は午前3時だった。大晦日を前日に控えた今日も、いつもと変わらない生活リズムを送る自分がいる。
昨日は少々花火が打ち上げられており、今日もまたそのような1日になるだろうか。明日の大晦日はもっと盛大に花火が打ち上げられるだろう。
いよいよ明日からマルタ共和国及びミラノへの旅行が始まる。あれよあれよというままに出発の日を迎えようとしている。特に師走の今月は、オンラインゼミナールの実践編が開催したこともあり、また現在協働中のプロジェクトにおいて音声教材を大量に作成していたこともあり、あっという間に時間が過ぎていった感覚だ。
今日は旅行の前日であるが、本日も取り組みたいことがいくつかあるため、それらをいつもと同じように行っていく。普段と全く変わらずに作曲実践をし、日記を少々執筆し、そして音声教材を作成していく。音声教材に関しては、いよいよ今日で作成を終えることができるだろう。
ここ最近は、毎日曲を10曲近く作っていたが、昨日は5曲にとどまった。その理由としては、オンラインゼミナールのクラスや協働プロジェクト関係の音声教材の作成の方に力を入れていたためである。今日もあと少しばかり音声教材を作成していく。午前中の早い時間帯から取りかかれば、なんとか夕方までには作成を終えることができるだろう。
昨日は25個ほど音声ファイルを作成しており、今日はそれほど多く作成する必要はないかもしれないが、それだけの量を作成する必要があったとしても、集中力を持って作成に当たりたい。全ての音声ファイルを作成した上で、明日の朝マルタに向けて出発しよう。
今日をもって協働プロジェクト関係の音声教材の作成をいったんやめて、あとは作成した教材に対して、協働者の方々からフィードバックをもらおう。編集などは全てお任せをしており、もし仮に追加で何か録音する必要のあるトピックを教えてもらったら、それらは年明けに録音していきたい。
まとめると、今日の計画としては、もう少し日記を綴ったら、そこから早朝の作曲実践を行う。早朝の作曲実践は、毎朝歯磨きをするのと同じか、今この瞬間に飲んでいる小麦若葉のドリンクを飲むのと同じぐらいの習慣になった。それは大変喜ばしいことであり、こうした習慣化のおかげで、1日の生活に創造的なリズムがもたらされる。
自分にできるのはそのリズムに沿って創造運動をし続けていくだけであり、それはもはや特段の意識など必要なく行われる。今この瞬間も、もうすでに自分なりの創造運動のリズムに乗っている。自己を超えた創造のエネルギーの恩恵を受け、そこからもたらされる心地良い創造のリズムに身を委ねること。そうすると、創造のメロディーとハーモニーに自己が包まれ、あとは何も意識せずとも、勝手に創造活動に従事する自己が生まれる。そこでは創造活動と自己との完全な一致がある。
創造活動が、自己を通してなされていく。自己を媒介して生み出される何か。今日もまたそれを大切にする。自分はそれを言葉や音を通じて形にしていく役割を与えてもらったのである。その役割を担っていくという意識なしに担っていこう。一切の作為なく、創造への意思もなく、作為や意思を超えて、自己が純粋な創造活動そのものとして今日も生きていこう。フローニンゲン:2019/12/30(月)03:55
5403. マルタ共和国への旅行に向けた準備:今朝方の夢
大晦日を前日に迎えた月曜日の早朝。辺りはとても心地良い深い闇と静寂さに包まれている。それらは私にとっての最良の友である。闇と静寂さ、それは紛れもなく、自分にとってとても大切な親友である。
今日も昨日に引き続き、気温が低いようだ。昨日は昼近くまでマイナスの世界だった。今日も似たような気温らしいが、幸いにもマルタ共和国に向けて出発する明日は気温が上がるらしい。
自分はいつも運がいい。とりわけ旅の最中は、そうした運の良さを実感する。
先日のヴェネチア旅行の際の出来事に関してみても、結局色々と運が良かったのである。今回の旅行中も運に恵まれ、そして大切な縁に恵まれるだろう。そのような予感がする。
先ほど今日の取り組みについて簡単に書き留めていたが、それらに追加して、今日は部屋の掃除をしておこう。大掃除とまではいかなくても、気が付いたところは普段の掃除よりも入念に行っていこう。そして夜にサッと荷造りをする。
その前後に、明日のフライトの時間をもう一度確認したり、マルタ共和国の空港から宿泊先のホテルまでの経路を確認し、地図をPDF化しておく。空港からホテルまでは途中下車のないシャトルバスが運行しているようだ。
先日のヴェネチアもそうしたシャトルバスを利用したことを思い出す。シャトルバスの時間とバス停について調べておこう。
それと、明日にアムステルダム空港を訪れたときに、Priority Passで活用できるラウンジがいつものものと違うものが使えないかを確認しておきたい。これまで利用してきたラウンジに不満はなく、むしろいつもリラックスした空間を提供してもらっていることに感謝をしているぐらいなのだが、明日はちょっと気分転換も兼ねて、いつも使っているラウンジ以外のものを使ってもいいかと思っている。ラウンジを比較する意味も兼ねて、その他のラウンジも利用できるのであれば、せっかくなのでこの機会に利用してみよう。
部屋の掃除、荷造り、旅行初日に必要な地図のダウンロード、そして空港ラウンジの調査、それらを行えば明日に向けての準備は万端だと言える。
今日もこれから早朝の作曲実践をして、協働プロジェクト関係の音声教材を作成していく。それらがひと段落し、旅に向けた準備をし始めると、徐々に旅に向けて気持ちが高まってくるだろうか。明日からのマルタ及びミラノへの旅行に向けて、心身共にゆっくりと準備をしていこう。
今朝方は少しばかり印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、見慣れない体育館にいて、そこで中学校時代の後輩2人とバスケのパス練習をしていた。後輩のうち1人は、後にバスケ部のキャプテンになった人物であり、もう1人はテニス部に所属していた後輩だった。なぜテニス部の彼がバスケの練習を一緒にすることになったのかは定かではないが、私たち3人は和気藹々とした雰囲気の中で、時折冗談を言いながらパスの練習をしていた。
するとあるところで、私の体が宙に浮き始め、そこからは私だけ宙に浮いた状態でパス練習を始めた。2人の後輩は、私が特殊な能力を持っていることに驚いており、その力を使ってパスをするのはずるいと羨ましがった表情で述べた。それは別に妬みの感情ではなく、むしろ2人はそうした力を自分たちも手に入れたいようだった。
そのような夢の場面があった後、次の夢の場面では、巨大な闘技場に私はいた。そこでは私の身体はなく、闘技場で行われている2人の人物の闘いを眺める者としての意識だけがそこにあった。
誰と誰が戦っていたかというと、私が幼少時代に見ていたアニメの主人公とその敵だった。難敵の人物は何度も進化を重ねるキャラクターであり、それは最終形態としてそこにいた。
2人はお互いに死力を尽くして闘っており、闘いはいよいよクライマックスを迎えようとしていた。アニメの主人公が特大な気のエネルギー光線を相手に向かって放出し、敵のキャラクターはその巨大なエネルギー光線を手で受け止め、それを宇宙の彼方に向かって弾き飛ばした。
だが、それを手で受け止めようとした代償は大きく、敵のキャラクターはそれによって自分のエネルギーを使い果たしてしまったようだった。その結果、敵のキャラクターは最終形態から進化の逆向きに退化し始め、身体が見る見るうちに劣化していき、サイズが小さくなっていった。
そこからアニメの主人公は、小さくなった敵のキャラクターをけちょんけちょんに踏みつけ始めた。今朝方はそのような夢を見ていた。
明日の朝に夢を見なければ、今朝方の2つの夢が2019年に見た最後の夢になる。今朝方の夢のシンボルが何を象徴しているのかについてはいくつか思い当たることがあり、それらについては文章を書かずして自分の内側で静かに向き合うことにしたい。フローニンゲン:2019/12/30(月)04:26
5404. 非言語的な活動を司る右脳の活性化と脳の包括的な運動の実感
そういえば、年末年始に旅行をすることは今年が初めてかもしれないと思った。過去の記憶を辿ってみたときに、年末年始に旅行に出かけていたことはこれまでないように思う。
いつもは大抵実家で年末年始を過ごしていた。この8年間の欧米生活においても、毎年年末に一時帰国をしていた。だが昨年から年末に日本に一時帰国することをやめ、昨年初めて日本以外の場所で年を越したように思う。
昨年からは様々なことを考えて、もう年末に日本に一時帰国することをしないようにしようと思ったため、一昨年の年末に実家で過ごしたことが、当面は最後の日本での年越しになるだろうか。
昨年はオランダで年越しをし、今年はマルタ共和国で年越しを迎える。来年はどこで年越しを迎えるかはまだ未定であるが、オランダ以外の国で静かに年を越すことになるかもしれない——フィンランドの森の中の宿泊場所で、暖炉に当たりながら年越しをしたいという思いがある——。
それではこれから早朝の作曲実践に取り掛かる前に、昨日ぼんやりと考えていたことを書き留めておきたい。一つには、自分なりの幸福感を感じながら毎日を生きられるということの証明を自らの人生において果たしていくということを考えていた。その方法についてはもう明確であり、今この瞬間に行っていること、日々行っていることをこれからも継続していくのみである。
ただし昨日の気づきは、そうした毎日の瞬間瞬間の行為に対する意味付けが変化した、あるいは新たな役割のようなものがそこに付加されたと言えるかもしれない。存在の自己証明のみならず、人間がこの世で人間として生きることの中に絶えず幸福感を感じられるということ。それを自らの人生を通じて証明し、その証明過程と証明結果を世の中に共有していくという生き方。そうした生き方を今現在も行っている自分がここにいて、それを継続していく意思をより明確に認識した自己が昨日にいた。
その他に創造活動に関しても気づきがあった。日々継続して日記を書くことによって、左脳の言語野が知らず知らず育まれていき、日々の作曲実践によって知らず知らず右脳の非言語的な領域が育まれていることに気づいた。実際には、作曲実践だけではなく、毎日小さな絵を水彩色鉛筆で描いているため、そうしたことも右脳の領域の肝要につながっているようだという気づきがあった。実感として、そうした創造活動のおかげで、脳がようやく統合的に機能し始め、統合的に発達し始めているように感じる。
今日もまた、自分の脳が包括的な運動をしてくれるだろう。こうした包括運動は、脳の局所的かつ偏った運動を防いでくれ、脳がとても心地良いように感じているためか、文字通り、朝から晩まで創造活動に没頭していても——没頭しているがゆえにかもしれない——、一切の疲労感を感じない。
朝の3時ぐらいから夜の9時過ぎまで創造活動に従事していても一切の疲労感を感じないがゆえに、疲労を回復させるための睡眠というのは必要ではなくなっている。ここ最近の自分の睡眠を眺めていると、それはもはや心身の疲労を取り除いたりすることには使われていないことがわかる。
それは純粋に、その日1日の学びを咀嚼するため、自己の存在がその日に学んだ内容をあえて一度忘れるため、そしてその日の自分が死に、新たな自分に生まれ変わるために睡眠があるように思える。睡眠の意味については引き続き考えていこう。とにかく今は作曲がしたい気分だ。フローニンゲン:2019/12/30(月)05:09
5405. 13時間分の音声教材を作り終えて:仮眠中のビジョン
時刻は午後の2時を迎えた。今日は大変天気に恵まれており、日光が本当に心地良い。
今、椎茸を天日干しにしており、彼らの喜ぶ姿を見て私も嬉しく思う。確かに彼らは後ほど私に食べられてしまうのだが、彼らは私の血となり肉となり、この世界で生き続ける。
雲ひとつない青空をカモメが旋回している。今から少々作曲実践をしたら、近所の運河沿いのサイクリングロードにジョギングに出かけようと思う。
明日の朝からマルタ共和国に行くため、後ほどのジョギングは今年最後のものとなる。ジョギングから戻ってきたら、部屋とトイレの掃除を行い、明日の旅行に向けてまずは地図のダウンロードと空港ラウンジのチェックをしよう。夕食後、少し休憩をしたら、サッと荷造りをしよう。
今日は午前中に、無事に協働プロジェクト関係の音声ファイルを作成した。朝の早い時間帯から作成していたこともあり、それは非常に捗り、結局全体として115個の音声ファイルを作成した。時間としては、780分(13時間)超となった。
題材は『能力の成長』なのだが、出版から2年半経ったということもあり、補足する理論的·実践的な項目が随分とあり、それらを補足しているとそのような時間に及ぶ音声教材が出来上がった。
今日は大晦日の前日であるが、一応依頼を受けていた仕事が終わったことを協働者の皆さんに伝えておこうと思う。そのメールは夕食後に行う。
これにて協働プロジェクト関係の音声教材の作成が完了したので、明日からはオンラインゼミナールに関する録音教材を作成していく。明日からマルタ共和国に滞在するが、それは全く関係ない。明日が大晦日であることも全く関係ない。自分が充実感を感じられること、幸福感を感じられること、喜びを感じられることに毎日取り組み続けていくだけだ。
先週末の金曜日と日曜日に行われたゼミナールのクラスのメモを忘れずに持っていき、マルタのホテルで直近2回のクラスについて振り返りの音声ファイルを作る。以後、マルタとミラノでは、受講者の皆さんから寄せられた質問に順次回答していく。
先ほど仮眠を20分弱取っていると、少々ビジョンを見た。ビジョンの中で私は、フローニンゲンの自宅にいた。時刻としてはまだ午後の比較的早い時間だと思ったのだが、なぜか部屋は薄暗く、幾分不気味ですらあった。
私は下の階に郵便物を取りに行ったところ、結局そこには何も届けられておらず、すぐさま自室に戻った。部屋の扉を開けると、地面に1枚の紙が置かれていることに気づいた。何やら英語で文章が書かれており、下の階の人からの置き手紙かと思ったが、それは書斎の机に置いていた自分のメモ用紙だった。
それを拾い、再び書斎の机についたところで仮眠から覚めた。仮眠後、自分の意識は現実と夢見の世界の中間を彷徨っているようだった。フローニンゲン:2019/12/30(月)14:28
5406. ジョギング中に閃いた2つのアイデア
つい先ほど近所の運河沿いのジョギングから戻ってきた。暮れゆくエメラルドグリーンの空の下、気分転換にはうってつけのジョギングを十分に満喫した。
ジョギングの最中、二つほど作曲実践に関するアイデアが降ってきた。どちらも突飛なものだが忘れずに書き留めておきたい。
1つには、「真言密教的な詩あるいは俳句のような短い曲、さらには西洋的な聖歌のような祈りの曲を作る」というものだった。最初に前者の真言密教的な詩ないしは俳句のような曲を作ろうという意思が芽生え、その後に西洋的な聖歌のような祈りの曲を作ろうと思った。
前者に関しては、そもそも真言密教的な詩や俳句のようなものが存在しているのか不明だが、直感的に空海関連の文献を調査してみたり、空海や密教に影響を受けた詩人や俳人がいないかを調べてみる。後者について言えば、私がそもそも欧州で生活をしていることもあり、日々目には見えない形で教会音楽的な何かを感じていることが影響しているのかもしれない。
聖歌に着想を得て、祈りの効果を持つような曲を作りたいという思いが芽生えた。聖歌に関しては、今のところバッハぐらいしか思いつかないのだが、その他にも優れた聖歌を残した作曲家が多々いるであろうから、そうした作曲家に対してアンテナを貼っておきたい。
もう一度前者に戻ると、おそらく密教が言葉の呪術的な力を喚起したのと同じことを短い曲を通じて行えるのではないかという直感的な仮説がある。曲はまさに私たちの情動を直接的に刺激し、それはひょっとすると言葉よりも強いものがあるかもしれない。非言語的であるがゆえに、無意識下に働きかける力がより強大であるように思える。
とは言え、まずは言語の呪術的性質について、ちょうど偶然ながら数日前に読み返そうと思っていた井筒俊彦先生の書籍“Language and magic: Studies in the magical function of speech (1956)”を参考にしようと思う。言語の呪術的な性格を理解した後には、曲に内包された物語という大きな器にも呪術的な作用を内包させることができるのではないかと思っているため、ストーリーテリングについても探究を行なっていきたい。
以上が1つ目のアイデアであり、もう1つは、ミラノから帰ってきたら、過去の偉大な作曲家が残した手紙が収められた書籍を読んでいこうというものだった。これもまた突然降ってきたアイデアであり、一昨年においてすでにモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ショパンたちの手紙が収められた書籍をそれぞれ購入していたのだが、これまで積読状態だった。それがここにきて、突如として彼らの手紙を読みたいと思ったのである。
彼らが生活をした場所については過去に実際に足を運んでおり、彼らがどのような場所で作曲活動を行なっていたのかは体感的になんとなく理解できる。そこからさらに彼らが生きた世界の情景や感覚をありありと理解したいと思い、彼らの手紙を読むことにした。
彼らが生きた世界を臨場感を持って感じられるようになることが、彼らの曲をより深く理解する助けになり、彼らの曲を参考にして曲を作る際に、彼らの曲から得られるものが変わってくるだろう。端的には、彼らの存在エネルギーのようなものを分け与えてもらうようなことが生じるのではないかと直感的に思う。彼らの手紙をゆっくりと読み進めることは、年明けにミラノから戻ってきてから始めよう。フローニンゲン:2019/12/30(月)16:02