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5359-5362:フローニンゲンからの便り 2019年12月19日(木)

December 21, 2019

本日生まれた10曲

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タイトル一覧

5359. 今朝方の夢

5360. ウェブブラウザーの変更による心の軽さ

5361. 自己究明の道

5362. 仮眠中の不思議な知覚体験、芭蕉のような旅に向けて、井筒俊彦先生の全集

 

5359. 今朝方の夢

 

今朝は午前3時半過ぎに起床した。実際には、それよりも早く目覚めていたのだが、最初に目覚めた時間があまりにも早く、午前0時を迎えたばかりの頃だった。その時にもすでに身体が全快しているような感覚があり、ほんの数時間の睡眠で身体が回復するようになっていることは驚くばかりである。

 

今日はそうした時間には起床しなかったが、明日からはひょっとすると、それくらいの時間に起床してしまってもいいかもしれないと思う。そうした時間に起床して、また午前中に必要であれば仮眠を取ればいいだけの話である。

 

今日は早速、今朝方の夢について振り返っておこうかと思う。夢の中で私は、どこの国ともわからないような場所にいた。あえてどの場所に一番近いかと言えば、パリ郊外のラヴェルの家があった小さな街に近いと言えるだろうか。

 

そこで私は、元日本代表のサッカー選手(HN)の実家を訪れていた。そのサッカー選手本人はそこにはおらず、私はご両親と話をしていた。

 

2人から聞いていたのは、どのような教育方針でその選手を育ててきたのかということだった。ご両親の話を聞いているとすぐに、うちの両親の教育方針と同じであることがわかった。何をするにも子供の意思を尊重し、好きなことをやらせてあげ、その姿を見守るという教育方針を持っているようだった。そして、子供の意思を単に尊重するだけではなく、それを育むという点にも配慮されておられた点が素晴らしいと思った。

 

そこからもしばらくお二人から話を伺っていた。すると夢の場面が変わり、私はおそらくその国の、湖が近くにある場所にいた。

 

湖近辺を走るバスの中に私はいて、バスの窓から空を眺めると、晴れわたる空にハングライダーを楽しむ数名の人たちの姿を見た。それは通常のハングライダーの高度よりも随分と高いところを飛んでいた。

 

清々しい青空をあのように飛ぶことは、さぞかし気持ちいいだろうと思った。私もいつかハングライダーか何かを使って、あのように大空を飛びたいと思った。

 

バスの中を見渡すと、ちょうど私の左隣に、小中学校時代の女性友達(AS)がいた。彼女に話しかけ、色々と話を聞いてみると、彼女もオランダで生活をしていることを知った。オランダに戻ったら、カフェかどこかでまたゆっくり話をしようということになった。

 

バスはゆっくりと走っており、どうやらこのバスは空港に向かっているようだった。私が座っている前の座席には、小中学校時代の友人(MS)がいて、彼が私のスーツケースを預かってくれていた。どういうわけか、彼はもう1人別の友人のスーツケースも預かっていた。そのため、彼の横の座席にはスーツケースの山ができていた。

 

改めて彼にも少し話しかけてみようと思って前の座席に行こうとしたところ、隣に座っていた女性友達から、「どこからか音楽が漏れて聞こえてこない?」と尋ねられた。私もそれが気になっており、どうやら一番前の座席に座っているアフリカ系の女性のイヤホンから音が漏れているようだった。

 

前の座席の友人に声をかけるついでに、私はその女性に音が漏れていることを伝えようと思った。すると、いつの間にやら私たちは空港に到着していた。

 

その空港は、先ほどバスの中から見えていた湖の近くにあった。離着陸する飛行機たちは、湖を滑走路代わりに使っていた。離着陸の際に、湖の水を弾き姿はどこか美しく、その光景に見入っている自分がいた。

 

私は自分が乗る飛行機のゲートに向かおうとし、ちょうど近くに大学時代の先輩がいて、その先輩が携帯を開き、アプリを立ち上げて、ゲートまでの地図を表示させようとしていた。私は先輩と二、三言葉を交わし、一緒に搭乗ゲートに向かった。フローニンゲン:2019/12/19(木)04:32

 

5360. ウェブブラウザーの変更による心の軽さ

 

時刻は午前6時半を過ぎた。今日はまだ平日の木曜日だが、あたかも休日であるかのような静けさが広がっている。今日もまたとても静かな心を持って、自分の取り組みに打ち込めそうである。

 

ひょんなことからウェブブラウザーをBraveに変えてみたところ、このブラウザーの特徴である広告の遮断機能のおかげで、ブラウザーが軽くなったと感じるだけではなく、心が軽くなった気がする。これまで広告によってどれだけ心を重たくさせられていたかを知る。

 

インターネットがこれだけ普及した時代において、それと賢く付き合うことは重要であり、極力ネットの世界とつながらないようにすることも大切だろう。一方で、様々な調査をする上では、やはりネットの力は有益であり、そうした際に広告などによって集中力が削がれてしまうことは大きな問題であった。

 

ネット上にも優れた文章や有益な情報はきちんと存在しており、それを腰を据えて読む場合に、意識を背けさせる広告はなんとかならないかと思っていたところ、このブラウザーと出会った。これまで使っていたSafariやGoogle Chromeよりも圧倒的に軽く快適である。そのようなことを改めて先ほど実感していた。

 

午前6時半を迎えるまでに、作曲の準備運動がてら4曲を作った。これからまた作曲実践に取り掛かる。

 

ひたすらに内的感覚を音の形にしていく鍛錬を継続させていく。それはもはや鍛錬という言葉では言い表せないようなものになってきている。それは自然な呼吸であり、心臓の運動と同じような類だと思われる。

 

心臓を動かすように、呼吸をするように作曲をしていくこと。結果として生まれる音の姿に囚われることなく、自分がその日その瞬間に生きたという証を音として形に残していく。それを今からまた行う。そして今日1日を通してそれを絶えず行っていく。

 

現在、曲を作り終えた後に、楽譜上に色の名前を明記するようにしている。これは曲によって喚起された色である。

 

このように色を明記しておくと、まるで音で絵を描いているかのような感覚にふと陥る。音と絵は本当に深く結びついているのだ。

 

音が存在するところには色が存在し、色が存在するところには音が存在する。そのような形でこの世界を眺め、感じている。

 

音と色に溢れた世界。そうした世界を根底から支える静寂さ。音も色もそのような静寂さから湧出していることが見えてくる。

 

万物の根元は静寂さなのだろうか。そのようなことを、この明け方の朝に思う。フローニンゲン:2019/12/19(木)06:53

 

5361. 自己究明の道

 

時刻はちょうど正午を迎えた。今日は久しぶりに天気が良い。雲の塊がなく、雲が薄化粧を空にしているだけである。そのおかげもあり、太陽から降り注ぐ光はとても優しい。

 

振り返ってみると午前中は、とても集中した意識の中で自らの取り組みに従事していた。意識が集中と化し、集中が意識と化した状態であった。

 

そうした中でふと、作曲とは、音の技術なのではなく、心の技術であり、魂の技術なのだ、ということに気づいた。それはシンプルな気づきでありながらも、とても大きな気づきであるように思える。

 

心ないしは魂の技術としての作曲を通じて、人間として生きることの普遍的な真実に触れながら音を紡ぎ出していく。それができれば、他者や世界と何かしらの共振や共鳴が起こるかもしれない。そのようなことを考えていた。

 

最近、禅や仏教に関する書籍を少しずつ読み返している。自己究明及び、自己究明を通じた世界究明に向けた意欲が再び高まっている。今回のそれは、禅や仏教の教えを核にしていく。

 

この4年間の欧州生活において、知らず知らずのうちに様々な体験を積み重ねてきた。だが残念ながら、それらのうちの大部分は省みられていない。

 

内省的にそれらを捉えることが不足していただけではなく、観想的にそれらを捉えることが不足していたのだ。そうした不足を嘆くことなく、今から内省的かつ観想的にそれらを振り返っていこうと思う。

 

これは内側からの要求であり、今この時期にそれを行うことが自分の人生にとっての宿命なのだと思う。そうした宿命に逆らうことをせず、それを促すものに存在を委ねる形でそれを行っていく。

 

午前中、探究活動の手を一度止めて、少しばかり仮眠を取ることをした。しばらくすると、ビジョンが静かに立ち現れてきた。

 

ビジョンの舞台は北アフリカの入り組んだ街だった。近くに砂漠地帯があるのか、石畳の道には細かな砂がかかっていた。その道は灰色の壁で仕切られており、少しばかりスペースのある場所でサッカーをしている少年少女たちの姿が見えた。

 

私はその光景を眺めている者であった。ビジョンの中には立ち入らず、ビジョンを眺める者としての意識がそこにあったということである。そして、そうしたビジョンを眺めている自分を眺めている自分がありありと存在していたことを覚えている。

 

いついかなる季節のいかなる曜日においても落ち着きを持つフローニンゲン。その落ち着きと静けさは、自己を深く寛がせてくれる。こうした寛ぎの中で、粛々と自己究明を続けていこう。

 

自己に関して少しずつ何かが見えてきている一方で、見えないことが増加しているようにも思える。その双方を抱えながら歩き続けていくことが、自己究明の道を歩くことであり、その道に成るということなのだろう。フローニンゲン:2019/12/19(木)12:15

 

5362. 仮眠中の不思議な知覚体験、芭蕉のような旅に向けて、井筒俊彦先生の全集

 

時刻は午後7時を迎えた。大抵、夕食を摂った後に1日の振り返りの日記を書くことが多く、今日もそのような1日のようだ。

 

今日は本当に天気に恵まれ、久しぶりに1日中晴れた。午後には、池のある近所の公園に行き、公園を外回りで軽く走った。

 

池に浮かぶカモメやカモたちも気持ち良さそうであり、彼らの様子を眺めていると、こちらも嬉しくなった。ぼんやりと池を眺め、自己が池に溶解していく感覚をしばし味わっていた。

 

そういえば、今日の午後に仮眠を取っていると、不思議な知覚体験をした。仮眠から目覚める数分前に、ビジョンの中に蛇口が現れ、それに触れた私は、蛇口から出てくる水の振動を全身で感じ、身体が震える水のエネルギーで満たされていったのである。

 

その光景をもう少し詳しく述べると、蛇口に触れた瞬間に電流が身体に流れるような感覚があり、私はスローモーションでゆっくりと後ろに倒れていった。そして、地面に仰向けに倒れた時に、全身が振動する水のエネルギーを感じていたのである。

 

そして、体から意識が抜け出していこうとしていた。身体から抜け出そうとしていた私の意識は、まずはエネルギー体となり、それが水の振動と共振を強めていき、ゆっくりと天井の方に昇っていった。

 

そして突然ビジョンが消え、全くの無の空間の中にポツリと自分の意識だけが浮かんでいた。そこは全くもって無の空間だったが、逆に全てが私の意識で満たされていたとうい点においては、全くもって有の空間だった。

 

「なんだこの空間は?」という思考が芽生える余地はまだ残されており、私の意識はしばらくその空間の中にいた。しばらくしてから無の空間が消え、仮眠を取っていたベッドの上に意識が戻ってきた。そのような体験をしていた。

 

夕方にふと、いつか芭蕉が行ったように、日本全国を旅しながら曲を作っていきたいという思いが芽生えた。これは以前から持っている考えであり、ぜひともいつか実現させたい。

 

日本には数多くの名所があり、そこを時間をかけてゆっくりと巡りたい。その旅の過程の中で、その場所でしか出会えないものに出会い、そこでしか感じられないものを感じ、それを音の形にしていく。

 

そうした旅行記的な作曲実践をしながら日本全国を巡る旅をいつか行いたい。それを実現させる日は必ずやってくるだろう。

 

ここ最近は、禅や仏教思想を参照することを通じて、過去の自分の体験、現時点までの探求の歩み、そして現在の自分の有り様について内省することを行っている。そこでふと、そういえばここしばらくは、井筒俊彦先生の書籍を読んでいなかったと思い、久しぶりに全集を紐解いてみた。すると、一連の全集を再度最初から最後まで読むのは今だと思った。

 

今オランダの自宅の書斎には、井筒俊彦先生の全集1巻から12巻のうち、1巻から11巻まである。最終巻については、ちょうど私がオランダにやってきてから発売されたものであり、まだ入手はしていない。それでも、1巻から11巻までとなると、相当な分量があり、読み応えがある。

 

時期としては、新年にミラノから戻ってきたら、井筒先生の全集を改めて最初から最後まで読み進めていこうと思う。とりわけ第5巻に気になる箇所がいくつかあったので、まずはそれらを読み、そこから第1巻に戻ってきて、手持ちの第11巻まで読み進めていく。この時期に再び井筒先生に戻ってきたというのは何か意味があるのだろう。フローニンゲン:2019/12/19(木)19:23

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