本日生まれた11曲
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タイトル一覧
5339. ゼミナール用の音声ファイルを作りながら
5340. 今朝方の夢
5341. 俳句や和歌の形式を活用した作曲実践
5342. 仮眠中の印象深い知覚体験
5343. 充実した一日を振り返って:先日の集中的な断食がもたらしたもの
5339. ゼミナール用の音声ファイルを作りながら
時刻は午前2時半を迎えた。今朝は午前2時前に起床し、幾分早い起床となった。やはり先日行った14日間の断食のおかげだろうか、断食以降、身体の状態が極めて良好であり、短い睡眠で大きな回復が得られるような身体がここにある。
断食によって身体上のデトックスが行われたことによって、睡眠の質を低下させていたものまでもがデトックスされたかのようである。まさに、生まれ変わった内臓器官が少量の良質の食べ物から最大限に栄養を摂取するかのように、少量の睡眠によって最大限の回復効果を得ることができるような身体がここにある感覚である。
過去の偉大な創造家の多くが朝の時間を大切にしたように、私も朝の時間を大切にしており、起床から昼までの時間が多く確保できることは本当に嬉しいことである。ここから正午まで9時間ほどの時間があり、その時間は全て創造活動や読書に充てることができる。午前中の段階でもう十分に、自分が大切にしている取り組みに邁進できることほど大きな喜びはない。
昨日は日記を書く量が少なかった。日記を書いたのは目覚めた時だけだったように思う。普段は大抵、日中に何か考えが浮かぶ都度日記を書いたり、夕方や夜に一息ついた時に日記を書くことが多いのだが、昨日はそれがなかった。その理由としては、昨日は、来週末から始まるオンラインゼミナールの「実践編」に向けて、音声ファイルを作っていたことが挙げられる。
ゼミナールの開始前であるにもかかわらず、受講者の方からすでに有益な質問が寄せられており、それらに答えることを昨日の夕方から夜にかけて行っていた。もちろん質問によって事前に回答を考えたりはするが、ほとんどの場合は、質問を読み上げながら回答していくというスタンスを取っており、事前に録音時間がどれほどになるかは予想できない。昨日も、思っていた以上にかなり長時間に及ぶ形で音声ファイルを作っていたように思う。
前回のゼミナールでは、様子を伺いながら音声ファイルを作っていたため、前半の音声ファイルはそれほど長さがなく、徐々に長くなっていったように思う。今回に関しては、最初から少しばかり長い音声ファイルになっているように感じられる。
一応、各ファイルにナンバリングするだけではなく、タイトルを付け、何分間の長さなのかをエクセル上で管理しており、それを見ると、やはり前回のゼミナールの音声ファイルよりも長い傾向にあるようだ。いただいた質問に対して、少し時間を空けて補足事項を説明したり、参考文献を紹介していると、ファイルの数も増えていく形となった。
今日もまた夕方あたりに、未回答の質問に答えていきたいと思う。今回のゼミナールは4回のクラスしかないため、クラス以外の学びを充実したものにするために、音声ファイルを積極的に作成していきたい。フローニンゲン:2019/12/14(土)02:55
5340. 今朝方の夢
時刻は午前3時半を迎えた。ここからあと5時間ほどは闇の世界が続く。
数日前に寒い日があったが、12月に入ってみて、まだそれほど寒さを感じることは意外にも少ない。これまでのところ、マイナスの気温になった日はまだ少なく、日中に外に出かけても、それほど寒さを感じることはない。オランダの大抵の家の室内は暖かい設計になっているため、室内にいて寒さを感じることもほとんどない。
おそらくこのフェーズがひと段落し、年末あたりから寒さがまた増してくるのかもしれない。昨年の年末はオランダで過ごしていたのだが、その辺りの事情を忘れてしまっている。いずれにせよ、寒さのピークは1月や2月に迎えるため、どこかのタイミングで寒さがグッと増すことになるだろう。
それでは今朝方の夢の振り返りをした後に、早朝の作曲実践に取り掛かりたい。夢の中で私は、実際に通っていた小学校の中庭にいた。そこは高学年用の建物の中庭であり、そこで大学時代に知り合った友人(TY)と話をしていた。彼は、学業が優秀なだけではなく、運動神経も頭抜けており、まさに文武両道という言葉にふさわしい友人だった。
体も健康で強い印象があったのだが、どうやら最近彼は思わぬアクシデントに見舞われて、腕を骨折してしまったそうだ。実際に彼はその時まだ包帯を巻いており、腕を動かすのが不自由そうだった。
彼と少しばかり会話をした後に、私は中庭を離れ、学校の外に出た。ちょうど学校の前には小さな公園があり、小学校時代に遊んでいた滑り台を懐かしく眺めながら、自宅に向かって歩き始めた。
すると、私の後ろから1人の友人が声をかけてきた。彼は息を荒くしており、私に何かを急いで伝えに来てくれたようだった。
開口一番、彼は自分の携帯を取り出し、スマホの画面を見せてくれた。そこに映っていたのは、ある暗号資産の銘柄のチャートだった。その暗号資産を私も保有しており、彼がそのチャートを見せてくれた時には、相変わらずその銘柄の価格は停滞していた。
ところが、彼がその暗号資産の価格が今からとんでもない勢いで動き出すということを述べた。私は半信半疑でそれを聞いていたのだが、ほんの数秒後に、彼が言った通り、これまで停滞し続けていたその銘柄の価格が動き始め、突然大きな上昇を遂げたのである。私はそれに驚いてしまい、その値動きがあまりにも激しいものだったから、思わず笑ってしまった。おそらく大口の投資家が大量に注文を出し、それに追随する形で小口の一般投資家が注文を入れたのだと思われた。
私もその銘柄を保有しており、売却タイミングをどこにするかは事前に決めていた。その銘柄の価格が今目の前で大きく動き出したとは言え、売却価格として設定している金額にまだ満たなかったので、私は静観していた。
すると、自分が想定していた売却価格のラインに触れる瞬間があり、そこからも瞬く間に価格が上昇していった。それを見て、売り注文を出そうと思ったが、如何せん値動きが激しく、それは上にも下にも激しく乱高下することを意味しており、すぐさま価格はまた元の水準に戻っていこうとしていた。
激しい値動きの後、その銘柄の価格は以前よりも2倍ぐらいの水準で止まった。それを見て私は、売却することを取り消し、また気長に売却価格に達するまで待とうと思った。
その暗号資産の価値が世に認められ始め、実際に活用され始めている様子を見ていたため、ここからまた価格が徐々に上向きになっていくのではないかと思われた。その一件は、それを示唆していると思ったところで夢の場面が変わった。
最後の夢の場面では、私は船着場のような場所で、小中高時代の友人(HY)とサッカー元日本代表のある方(HN)と一緒にサッカーをしていた。実際にはもう1人誰かいたのだが、それが誰だかはあまり覚えていない。
私たち4人は、2対2をしていた。その船着場にはサッカーゴールなどなかったので、その辺に落ちている空き缶を集めてきて、それを地面に立てる形でゴールに見立てた。
2対2のゲームを最初は和気藹々と楽しんでいたのだが、お互いに徐々にヒートアップしてきて、全員相当に真剣な表情でプレーをし始めた。サッカー元日本代表の方は、現役時代はフィジカルが強く、海外選手に当たり負けしないことが特徴だった。実際にそれがどれほどなのかを確かめたかったため、私はその方にかなり激しくタックルをしてみた。
すると、現役を退いた今も、当時のフィジカルの強さが健在であり、タックルを仕掛けた私は逆に弾き返されてしまった。それを体験した時、「やっぱりフィジカルが強いな」と私は思わずつぶやき、笑ってしまった。そのつぶやきはその方に聞こえていたようであり、その方も笑った。そこからはまた和気藹々とした雰囲気で楽しくボールを蹴ることになった。フローニンゲン:2019/12/14(土)03:46
5341. 俳句や和歌の形式を活用した作曲実践
時刻は午前11時半を迎えた。今日は午前中から雨が降ったり止んだりを繰り返している。先ほどまでかなり激しい雨が窓を打っていたが、今はすっかり雨が止み、遠くの空に太陽の姿が見える。
夕方まで天気がもち、夜からまた少しばかり雨が降るようなので、夕方にでも近所の運河沿いに軽くジョギングに出かけたいと思う。今日は特に近所のスーパーに立ち寄る必要もないので、ジョギングだけを行うことにとどめる。
昨夜改めて、俳句の「5·7·5」の形式、あるいは短歌の「5·7·5·7·7」の形式で曲を作ってみようかと思った。これまでは偶数の4小節ごとに1つのまとまりを作っていたが、それを上記のような形式に則ってまとめていこうかと思った。これにより、これまでとはおそらく違った感覚が芽生え、異なる楽想が生まれてくるのではないかと思う。
そして音響的にも、これまでの偶数でまとまりを作っていた時は異なるものが生まれる可能性がある。それらは全て仮説であり、実際に実験をしてみないとわからないため、近日中にまず一度試してみて、その実験結果をもとにまた工夫を凝らしていきたいと思う。
形式を活用することは、創造性を縛ることにもつながりうるが、そうした形ではなく、むしろ創造性を発揮しやすくするための器として活用していく。そして形式自体も今後はアレンジをしていこうと考えている。
「5·7·5」のそれぞれの部分に何か機能や役割のようなものがあるのだろうか。その点について調べてみて、何か作曲上に活用できそうなアイデアがあれば積極的に活用してみる。
クラシック音楽などの楽譜を見ていると、やはり偶数で小節をまとめていくケースが多いが、俳句や短歌は奇数でまとまりを作っていく特徴があり、両者の差が面白い。このあたりにも、何か文化的な差があるのだろうか。
ふと、俳句の「5·7·5」を足し合わせると、17という数字が生まれ、17という数字は私にとって思い入れのある数字であることに気づいた。小学校時代にサッカークラブに所属していた時の背番号がそれであり、それ以降も17という数字には幾分思い入れがある。そうしたことも何かの偶然であり、こうした偶然が俳句への関心を醸成することにもつながっているかのようだ。
高浜虚子がかつて「俳句は客観写生なり」と述べていたように、俳句を通じて、自分の内面に映った外の世界を描写することによって、内側の世界と外側の世界を一つにしていこう。内面の世界を外側の世界に滲み出させていき、外側の世界を内側の世界に招き入れていく。
再び雨が降ってきた。自宅の上空を覆う雲はどんよりとしている。一方、遠くの空は黄色く輝いている。両者のコントラストを眺めながらぼんやりとしてみる。
今朝方、表現することに制約を設けずに、まるでフリーライティングを行うかのように、内的感覚をさっと掴み、それを瞬時に音の形にする訓練をしていこうと思った。音を意識的に選び出し、意識的にそれを構築していく鍛錬と合わせて、自由連想的に出てきたものを素早く音にしていく鍛錬の双方を行っていく。
それら二つの鍛錬を続けていくことにより、いつか自由自在に内的感覚を音で表現できるようになったら、それはどれだけ喜びと楽しさをもたらしてくれるだろうか。その喜びと楽しさを想像するだけで胸が躍る。フローニンゲン:2019/12/14(土)11:42
5342. 仮眠中の印象深い知覚体験
つい今し方仮眠から目覚めた。今朝は午前2時前に起床していたこともあり、仮眠を取ることによって随分とリフレッシュされたように思う。これから夕方、そして夜にかけての取り組みもまた集中して行えるだろう。
先ほどの仮眠中には印象的なビジョンを見た。それはとても平穏な平原風景であり、そこで私の全存在は完全なまでにくつろいでいた。そこにはくつろぎと平原を駆け抜ける微風しかなかった。
しばらくそのビジョンの中に浸っていると、ビジョンはゆっくりと消えていった。いや、その前に、海岸沿いに二棟のマンションを見ていたことを思い出した。
どうやらそのうちの一つは自分が住んでいるマンションであり、少し離れた場所にもう一棟別のマンションがあった。それは海岸の松林に面して立っていて、マンションからは海を眺めることができるようだった。
マンションを仰ぎ見た時、夏を思わせる太陽がそこにあり、暖かい太陽の光を感じていた。それらの二つのビジョンがゆっくりと消えた後、どこからともなく音楽が聞こえてきた。
仮眠中の私の意識もそれを音楽だとはっきりと認識していたのだが、あまりの美しさに心底驚いてしまった。それはチベットかアマゾンの音楽であり、男性の声が響き渡っていた。
どうやらそれは伝統的な歌曲のようであり、それを聞いている私の全身は黄金色の電流のようなエネルギーに包まれ、そのエネルギーが全身を駆け巡っていた。最終的には、そのエネルギーは脳に凝集されていき、意識が変容していくのを強く実感した。そうした知覚体験がしばらく続いたのち、静けさがやってきて、しばらくしてから仮眠から目覚めた。
最近、こうした知覚体験が生じるパターンを掴み始めている。起床する時間が午前2時前後であり、なおかつ午前中に活動に没頭している場合において、その体験を仮眠の最中に整理し、過去の体験と統合しようとする際に、どこか不思議な知覚体験をするようだ。大学時代からこうしたパターンがあることに薄々気づいていたが、それはもう確信めいたものになっている。今後午前2時前後に起床し、午前中に活動に没頭した後に仮眠を取った際に、ビジョンや聴覚現象を伴う知覚体験をするのかを観察してみようと思う。
それにしても、先ほどの仮眠中に聞こえてきた歌声と、それによってもたらされた意識の変容および身体現象は印象に残るものであった。こうした体験そのものを作曲の題材にしたいぐらいである。仮に直接的にそれを題材にせずとも、おそらく今から作る曲の中に、先ほどの仮眠中の知覚体験が静かに滲み出ていくのだと思う。
一つ一つの知識と技術を、運搬·運用に足る形に体系化していくこと。それらの体系を束ねる原理を作り、その原理に身を委ねていくこと。それは作曲上においてとりわけ大切にしていきたいことであるが、結局それは他の全ての実践領域において求められることだ、ということを昨日考えていた。
とにかく今は、作曲において点としての知識と技術を一つずつ獲得していき、それらの相互関係を把握し、それらの点を結び合わせていくことを意識していこう。そうした地道な実践の継続が、いつか一つの体系(システム)となり、それら複数の体系が一つの原理に昇華されていくだろう。フローニンゲン:2019/12/14(土)14:17
5343. 充実した一日を振り返って:先日の集中的な断食がもたらしたもの
時刻は午後の7時を迎えた。今日一日を振り返ってみると、大変充実した一日であったことがわかる。
季節の進行とともに、自分の人生がより充実したものに向かって日々進んでいることを実感する。歳をとっていくことの意義というのはこのあたりに見出すことができるかもしれない。
歳を取るというのは、単に老いていくというのでは決してなく、本来は歳を重ねるのと同じだけ人生が深まっていくことを意味しており、老いるというよりもむしろそれによって人生に輝きが増すようなものなのだと実感するようになっている。
今日は合計で11曲ほど俳句的な曲を作り、日記についてはこれを含めて5回ほど綴っていた。そして、いよいよ来週の金曜日から始まるオンラインゼミナールに向けて音声ファイルを作成するなど、創造活動に没頭するような一日であった。
それに加えて、600ページ近くに及ぶショーンバーグの“Style& Idea: Selected Writing”を本日読み終えた。この書籍から得るものは非常に多く、それほど時間を空けずに再読をしようと思う。今夜は、昨日届いたアントン·ウェバーンの楽譜の前半部分に掲載されている資料を読んでいき、「禅の作曲家」佐藤慶次郎氏に関する和書を読み進めていこうと思う。
今朝の起床は午前2時だったが、夕食後のこの時間帯を迎えても、驚くほどに集中力がある。14日間の断食を経て、本当に私の身体は生まれ変わったのだと思う。
身体のみならず、脳内、及び精神のデトックスが相当に行われ、それが今このように明瞭なマインドを保てていることにつながっているのだろう。それと単純に、夕食時に水分を摂取することを控え、それによって消化液が薄まることなく、食べ物の消化がより速やかになっていることも考えられるかもしれない。
夕食時に水分を摂らないことによって、夕食の消化が促され、寝ている間にはほとんど消化にエネルギーを使わないことが早起きにつながっているように思う。午前2時や3時に起床することが当たり前となり、それくらいの時間に起きても午後の仮眠を挟めば、夜の就寝までほとんど同じぐらいの集中力を一定に発揮できていることは自分でも驚く。
ヴェネチア旅行から帰ってきてすぐに14日間の断食を行って本当に良かったと思う。年末年始にマルタ共和国とミラノに旅行に出かけ、旅から帰ってきたときにも短めの断食を行おうかと思う。それは1日程度のものかもしれないし、3日程度のものかもしれない。今後は旅に出かけ、旅から戻って来る都度に短い断食を行い、定期的に内臓器官を休め、自然治癒力を高めていこうと思う。
昨日ふと、やはり毎日少しずつでいいのでバッハの音楽を参考にして曲を作っていこうと改めて思った。以前より、バッハに惹きつけられる何かがずっと自分の中にあり続けている。また、大抵の過去の偉大な作曲家がバッハに範を求め、バッハを通っていることの意味について考える。
そして何より、バッハに向かう自分について考える。この点についてはまだ未知であり、全く言葉にならないのだが、直感的かつ感覚的にバッハと何か深いつながりのようなものがありそうなのだ。そのようなことを思わせてくる夜だ。フローニンゲン:2019/12/14(土)19:26