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5294-5299:フローニンゲンからの便り 2019年12月5日(木)


本日生まれた10曲

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タイトル一覧

5294. 冷え込む朝に見た夢

5295. 啓示的な思いに打たれて:バイオダイナミック農法に向かう自己

5296. 裸のままのオレンジの木~祖父に関する思い出

5297. 植物との魂のつながりと植物がもたらしてくれた縁

5298. 情緒を伝える試みとしての作曲

5299. 仮眠中の知覚体験:冬との友情を深めること

5294. 冷え込む朝に見た夢

今朝は随分と冷え込んでいる。今朝は午前2時に目覚め、2時半から一日の活動を始めた。

ゲーテがとりわけ朝の時間を大切にし、その時間帯に創造活動に心ゆくまで従事していたのと同じように、今日もまた朝の時間を十全に過ごしたい。

午前2時半を過ぎたばかりの今この瞬間の気温は1度であり、不思議なことに、午前9時に寒さのピークを迎え、マイナス1度になる。

今日は久しぶりに、上の階に住むピアニストの友人とゆっくり話をすることになっている。午後1時にフローニンゲン大学の図書館前で待ち合わせをし、近くのオーガニックカフェでゆっくり話をしたいと思う。

暖かい飲み物、そして心許せる人との会話が温もりをもたらしてくれる季節だ。

起床していつもと同じルーティンワークを行っていると、今朝方の夢についてぼんやりと回想している自分がいた。夢の中で、突如どこからともなく優しい歌声が聞こえてきた。それは、民謡の『ふるさと』という歌だった。

兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷

この出だしの歌が女性の声に乗って聞こえてきた時、たまらない気持ちになった。その歌は、自分の内側の何かにひどく共鳴し、自分の内奥から何かが込み上げてくるのを感じた。そんな瞬間があった。

起床した今でも、歌詞とメロディーが脳裏から離れない。その後に続く歌詞が夢の中で流れることはなかったが、調べてみると、「如何にいます 父母 恙(つつが)なしや 友がき 雨に風につけても 思いいずる故郷 こころざしをはたして いつの日にか帰らん 山はあおき故郷 水は清き故郷」というものであった。

この歌が世に送り出されてから100年後の2014年に、私はアメリカから一度日本に引き上げ、1年間を日本で過ごした。それはおそらく単なる偶然に過ぎないだろうが、この歌が何か自分と深く関係しているような気がしている。他人行儀ではいられない感じがそこにあるのである。

夢に関して、その他に見ていた場面としては、見知らぬ男性が何か知見を私に共有してくれている場面があった。テーマについては覚えておらず、ただし、その男性が親身になって何かを私に伝えてくれていたのを覚えている。その男性は日本人であり、私よりも一回りぐらい年上のようだった。

その次の夢の場面では、以前私が進学塾に務めていた時のある教え子のお母さんと話をしていた。その方はワイン好きであり、毎晩1本は空けてしまうほどのワイン好きであった。

その方と話をしていた場所は、ロサンゼルスから南に少しばかり南下した街のアーバインであり、実際に私が昔住んでいた場所だった。そこは南国を思わせるような気候の素晴らしい街であり、その街のカフェでその方と話をしていた。

「今度ワインでもどうでしょうか?」と有り難いお尋ねをしてもらったが、私はもうアルコールを飲まないようにしていたため、その旨を伝え、「コーヒーでも飲みながら、またカフェでゆっくり話をしましょう」と述べた。その方は納得したような笑みを浮かべ、そこで夢の場面が変わった。

最後の夢の場面では、私は大学時代に過ごした学生マンションの自室にいた。しばらくすると、通路から聴き慣れた声がした。

どうやら数名の友人が私の部屋にやって来る予定になっていたようであり、声の主は彼らだった。私は扉を開け、通路の向こうからやって来る友人たちに手を振った。そこにいたのは、一人の男性友達と一人の女性友達だった。二人は私に気づき、彼らも私に向かって手を振った。

二人を部屋に招き入れると、なぜだか突然トイレに行きたくなり、トイレに駆け込んだ。すると、一つしかないはずのトイレが三つ現れ、どのトイレに入ればいいか一瞬悩んだ。

ウォシュレットが付いていそうな一番良さげなトイレに入ろうとしたところ、鍵のマークが赤くなっており、誰かが入っているのだと思った。そのため、その横のトイレに入った瞬間に、今まさに入ろうとしていたトイレから一人の男の子が出てきた。

見ると、以前進学塾で務めていた時の教え子の小学生だった。彼がトイレから出たのを確認し、私はすぐさま彼が使っていたトイレに移った。そのような夢を今朝方見ていた。フローニンゲン:2019/12/5(木)03:00

5295. 啓示的な思いに打たれて:バイオダイナミック農法に向かう自己

昨日、突如としてある思いが舞い降りてきた。端的には、農業に従事したいというものだった。

それはあまりに突飛な思いであり、自分でも驚いてしまった。それはどこか、楽器の演奏を含め、音楽経験が一切ない時に、突如作曲実践を始めたのと同じ光景に思えた。始まりの光景と感覚が重なったことに今この瞬間もまだ驚きを隠せない。

農業の中でもとりわけ私は、思想家のルドルフ·シュタイナーが提唱したバイオダイナミック農法に以前から関心を持っており、今では実際に、その農法で作られた食べ物を摂取することも多い。

昨日ふと湧き上がってきたのは、バイオダイナミック農法が進んでいるどこかの国でそれを学び、それを日本に紹介するような取り組みを行いたいというものだった。どこかの国で実際に自分の農園を持ち、そこでバイオダイナミック農法を取り入れた営みをし、そこで得られた知見を日本に紹介していくような実践である。

昨夜私は、日本から随分と離れた欧州のどこかの国の片田舎で、毎日曲を作りながら農業に従事している自分の姿を想像していた。それは今すぐにではなく、もう少し後になって、それこそ老年になってから実現されるものかもしれないが、そのようなビジョンが静かに現れ、静かに消えていった。

食と人間の発達——及び社会の発達——はあまりに密接に繋がり過ぎているという気づきをこの1年間自分の体験を通じて知った。そこから私は、これまでの自分の専門性である成人発達理論や発達科学の知見を具体的なアクションに落とし込む形で農業に携わってみたいと思ったのである。

それは思ったというよりも、向こうからやってきた気づきであった。これまでは企業社会の枠組みの中で自分の専門性を発揮することが多かったが、大きく領域を変えようと希求する自己が農業に行き着いたというのも何ら不思議ではないのかもしれないと思う。

バイオダイナミック農法との出会いは古く、今から5年前にロサンゼルスに住んでいた頃に遡る。何をきっかけに知ったのかというと、当時学習を進めていたワインをきっかけにして、バイオダイナミック農法で作られたワインを知ったことだ。それ以降、ロサンゼルスに住んでいた頃には、ワインを飲む際には、バイオダイナミック農法で作られたものをできるだけ飲むようにしていた。

バイオダイナミック農法は、確かに安全で美味しい食物を私たちに届けてくれるのだが、そのベクトルだけがあるわけでない。つまり、バイオダイナミック農法によって、人間が地球から食物を得るだけではなく、バイオダイナミック農法の本来の目的は自然に優しい農法を活用することによる地球の治療であり、そこが他の自然農法やオーガニック農法との違いである。

実際にバイオダイナミック農法に自分が従事するようになるのかは全く見当がつかないが、とにかく今私の中で、その関心の火がついたことは間違いないのだから、その火を消さないように小さく探究を始めてみようと思う。

頭の中ではぼんやりとだが、実際にバイオダイナミック農法を行っているヨーロッパの農家を訪問してみることが浮かんだ。さらには、書籍を通じても探究をしていこうと思った。

調べてみると、英文書籍が非常に充実しており、バイオダイナミック農法に関する書籍を何冊も見つけることができた。その中でも、バイオダイナミック農法の提唱者であるシュタイナーの書籍からまずは読んでみようかと思った。先日音楽関係の書籍を何冊か購入したばかりなので、年明け以降、下記の書籍を購入しようかと思う。

1. Agriculture Course: The Birth of the Biodynamic Method

2. Nutrition: Food, Health and Spiritual Development

3. What is Biodynamics?: A Way to Heal and Revitalize the Earth

フローニンゲン:2019/12/5(木)03:33

5296. 裸のままのオレンジの木~祖父に関する思い出

バイオダイナミック農法への関心について先ほど書き留めたばかりだが、そういえば昨夜就寝前に、ふと父方の祖父のことを思い出していた。祖父とのたくさんの思い出の中で、一つ忘れられない思い出がある。

それは、私がまだ三鷹に住んでいた頃だったと思うので、5歳か6歳くらいの時だと思うが、ある日オレンジを食べた時、出てきた種を植えてみたいという思いに突然駆られた。そんな純粋な思いが芽生え、私は父と母にお願いをして、植木鉢をもらい、そこにオレンジの種を植えてみることにしたのである。

当時の私は、オレンジを栽培することがどれほど難しいのかについて全く知っておらず、何気なく種を植え、何気なく水や肥料などをあげていたように思う。ひょっとしたら三鷹から山口県に引っ越すことをきっかけにしてだったのかもしれないが、ある日、少しばかり芽が出始めていたオレンジを、父方の祖父に育ててもらうことになった。

祖父の家には立派な畑があり、祖父の家に遊びに行った際には、畑に出て、畑の野菜や果物と触れ合っている自分がいた。その後、オレンジのことなどすっかり忘れており、数年後に祖父の家に行った時、そのオレンジを祖父がまだ育ててくれていることを嬉しくなったのを覚えている。

そこからさらに歳月が経ち、大学時代に祖父の家に訪れた際にも、祖父がまだオレンジを育ててくれていたことを思い出す。その時にはもう、種を植えてからかれこれ15年経っていた。オレンジというのは育てるのが難しいのか、一向に実を付ける気配はなく、15年経っても裸のままだった。

そこからさらに10年経った時、祖父はもうこの世にはおらず、オランダでの生活を始める前に、祖父の墓参りを兼ねて祖父の家を訪れた。家の畑は祖母が祖父と同じように毎日面倒を見ているようであり、依然と何も変わらないように見えた。ただ一つだけ、祖父からの愛情を失った畑は、少しばかり寂しげな表情を浮かべているように思えた。

祖母と一緒に畑を歩いていると、ちょうど畑と家の切れ目にある箇所に置かれていた盆栽群の中に、どこかで見たことのある裸の木が植木鉢の中にいた。それは私が25年前に祖父に預かってもらったオレンジの木だった。今もまだ生き続けるその木を見た時、込み上げるものがあった。

祖父はひょっとすると、もうこのオレンジは実をつけることなどないということを知りながらも、25年間ずっと毎日世話をしてくれていたのではないかと思った。

祖父が亡くなるまでずっと愛情を注がれ続けていたオレンジの木は、実をつけることはなかったが、それでも細々とだが立派に生き続けていた。そして、それは今もまだ生き続けている。

仮に実をつけることがなかったとしても、自分を捧げて何かに取り組み続けること、与え続けることの尊さを祖父から学んだような気がした。自己を捧げて取り組み続けていること、そして自己のエネルギーや愛情を与え続けていることにはどのようなものがあるだろうか。

自分の現在の生き方に対する内省的な問いが立つ。自己献身の意思を持って、自分以外の何かや誰かのために日々を生きることの大切さを強く感じる。

祖父のように生きることはできていないが、祖父の精神を受け継いでいる自分が今ここにいるような気がする。

時刻は午前4時を回った。辺りは漆黒の闇に包まれている。夜明けはまだまだ遠いが、自分の内側にはもう夜明けがやってきているような気がする。フローニンゲン:2019/12/5(木)04:12

5297. 植物との魂のつながりと植物がもたらしてくれた縁

ここ最近は、世界の終末や自己の生涯の終わりについて考えることが多い。端的には、死について考えることが増えており、それに伴って、美や十全に生きることについて考えることも多くなった。

「死を通過しない芸術は芸術にあらず、死を通過しない思想は思想にあらず」ということを思う。また、死を通過せずして、この世の美を味わい尽くすことや、日々を十全に生きることなど不可能のように思えてくる。

つい先ほど、昨夜ふとしたきっかけで思い出した裸のオレンジの木について書き留めていた。それは私が種を植え、それを父方の祖父が25年以上にわたって大事に育ててくれたものである。今は祖母が毎日世話をしてくれている。

先ほどの日記の中で、祖父から受け継がれた精神のようなものがあるのではないかと書き留めていたように思う。実は私の父は、祖父から血を受け継いだためか、社宅に住んでいた頃にはベランダで、そして今住んでいるマンションではバルコニーで、野菜や果物を育てている。

この秋に実家に帰った時に、バルコニーで育てられている野菜や果物について少しばかり父に話を伺ってみた。やはり私の知らないことを父はたくさん知っており、ちょうどその頃から野菜や果物の栽培に関して興味を持っていた私にとって、とても有益な知恵を授けてもらったように思った。

私は幼少時代から、心の中で植物に話しかける癖があり、そうした癖は大人になった今でも残っている。実家のバルコニーに植えられていたレモンの木を触り、そしてまだ青々とした小さいレモンの実を撫でながら、心の中でそれと対話している自分がいたことを思い出す。

立派な実をつけて欲しいという願いからか、いやその時の私はおそらく、立派な実をつけなくてもいいから生き続けてほしいという願いを持ってレモンに話しかけていたのだと思う。

オランダにおいても、河川敷をジョギングしている際に見かけた花々の前で時々立ち止まることがあり、手で優しく撫でながら彼らに心の中で話しかけることがある。それは別に小難しい内容のものではなく、「元気かい?」というような程度のものなのだが、彼らの生きる姿から励ましを得て、それに対してお礼を述べている自分がそこにいるのである。

社会人になった時の最初の勤務地は大阪であり、私は新大阪駅の近くのタワーマンションに住んでいた。そのマンションの前には公園があり、会社に行く前や会社から帰ってきた時に、公園内をジョギングすることがよくあった。

その公園には、太く立派な木が何本かあり、私は時々、その中の一本の木の前で立ち止まり、木に手を当てながら対話をし、エネルギーを分けてもらっていたことがあった。

動物と違い、うんともすんとも何も言わない植物に話しかけている自分がいるのはなぜなのだろうか。なぜ自分は植物に語りかけているのだろうか。

植物と自分との間にはどこか深いつながりがあるように思えてくる。それは魂のつながりなのかもしれない。

私が突如バイオダイナミック農法に関心を示し、その探究を始め、いつか自分で農業を営みたいと思ったのは、植物とのそうした魂のつながりがあるからなのかもしれない。それはきっと、植物がもたらしてくれた魂の次元での縁であり、運命なのだろう。フローニンゲン:2019/12/5(木)04:30

5298. 情緒を伝える試みとしての作曲

時刻は午前4時半を迎えた。気がつけば、起床してからすでに2時間半が経っており、その間には日記の執筆しか行っていないことに気づく。

書くという行為の中に自分がいて、何か濃密な時間の中にいたような感覚がある。これが自分の時間を生きることなのだろう。

時間について昨日書き留めていたことが思い出される。こうした主体的な時間をとにかく大切にして毎日を過ごしていこう。そうすれば、真に主体的な人生が実現され、真に主体的な最後の瞬間を迎えることができるだろう。その瞬間、自分は主体を完全に越えた世界に入っていくのだと思う。

バイオダナミック農法に対する関心が本当に強まっており、先ほど書き留めた書籍を早く読みたいという気持ちが高まっている。年末年始は旅行に出かけ、不在のため、旅行から帰ってきたタイミングでそれらの書籍を購入しよう。また、実際にバイオダイナミック農法を活用している農園の訪問も近々実現させたい。ヨーロッパにおいてはバイオダイナミック農法を活用している農家が多いらしいので、今後は美術館を巡る旅をするだけではなく、そうした農家に足を運ぶ旅をしてみるのもいいかもしれない。

今朝一杯目のカカオドリンクを先ほど作っている時に、今後は自然を題材にした曲を積極的に作っていき、とりわけ植物を題材にした曲を作っていきたいと思った。先ほどの日記で書き留めたように、植物と私との間には何かがあるのだ。切っても切れない何か深いつながりがそこにあって、植物に向かわせる何かが自分に働きかけているのである。

今日は昼過ぎに街の中心部のカフェで、上の階に住むピアニストの友人と話をすることになっている。カフェまで散歩を楽しむ中で、自分に話しかけてくる草花がいたら、その場で立ち止まって、彼らとのお喋りを楽しもうと思う。

今度一時帰国した際にぜひとも草花辞典を購入しようと思っていた本質的な理由が見え始めている。確かに相手の名前を知らなくても、相手のことを知らなくても対話はできるのだが、その対話を一段と深いものにするために、彼らの名前を知り、彼ら自身についてもっと深く知りたいと思う。そうした思いから草花辞典に関心を持ったのだと思う。

それではこれから早朝の作曲実践に取り掛かりたい。作曲はその瞬間に感じられた情緒を伝える試みとして行う。この考えもまた昨日に芽生えたものだ。

もっと言うと、いついかなる瞬間においても情緒は絶えずこの世界に遍満しており、情緒との接触をより密なものにするために作曲を行い、それを形にすることによってその情緒を誰かに伝えたいという思いがあるようなのだ。

一つ一つの情緒もまた生命のような存在であり、そうした存在に対する名付けの行為が自分にとっての作曲実践であり、名付けられた情緒を自分以外の誰かに紹介する試みとして作曲実践がある。作曲に関する技術の進展は牛歩のようだが、作曲に対する意味合いとして、新たな展望が開けてきている。フローニンゲン:2019/12/5(木)04:54

5299. 仮眠中の知覚体験:冬との友情を深めること

今日はとにかく寒かった。そして朝から晩まで霧が深かった。どこか北欧の森の中で生きているような感覚があった。

今日は午後に、上の階に住むピアニストの友人とカフェで話をした。カフェに向かうまでの道のりは、上述の通り霧に包まれていて、肌を刺すような寒さがあった。今夜は暖かくして寝ようと思う。

少しばかり時計の針を巻き戻すと、今朝は午前2時に起床していた。午前7時を迎えた時に、少し休憩が必要だと思い、30分ほど仮眠を取った。その時に立ち現れていたビジョンはとても鮮明だった。

どうやら私は、朝早く起床して仮眠を取る場合——3時に起床することはもはやそれほど早くなくなっており、2時前に起床して午前中のどこかで仮眠を取る場合——、鮮明なビジョンを見ることが多いことに気づく。しかもそのビジョンは身体感覚を強く伴うものである。例えば今朝方において見ていたのは、ヨーロッパのどこかの国の街を歩いているビジョンであり、その後、突然自分の身体が幽体離脱して星空に向かっていくかのような感覚に陥っていた。

ビジョンは確かに脳内で見ているのだが、この時の幽体離脱の感覚はベッドの上のグロスボディに関するものであり、今日のその体験は少しばかり恐怖心にも似た感情を喚起していた。とはいえ、身体中に激しい電流が流れるような感覚はしばしば体験し、今朝方の体験はそれに近いものであったため、その体験をしている時の自分は比較的落ち着いていた。

実際に、意識がグロスボディから離れ、サトルボディと完全に一体化する方向に向かっていると気づいた時には、もういっそのこと、肉体的な身体から離脱してみようかと思ったぐらいであった。そのような体験を今朝方していた。

時刻は午後7時を迎えようとしている。今日はカフェまでの往復の散歩を楽しみ、帰りにはあまりにも寒かったので、思わず小走りになった。

3時間半ほど友人と話をしたことと、カフェの往復が良い運動になったのか、お腹が空く時間がいつもより30分ほど早くなり、先ほど夕食を摂り終えた。今日を振り返ってみると、今日もまた充実感に満ちた一日であった。

私は、生きることの喜び「について」語る人ではなく、生きることの喜び「から」語り出す人になりたいと思う。もう説明に明け暮れるような日々は御免である。生きることの喜びを説明するのではなく、絶えず生きることの喜びの中にいて、喜びを通じて毎日の瞬間を味わうこと。それを明日もまた行う。

黙想的な気分にさせてくれる闇と静寂が広がっている。こうした冬を迎えるのはもう4度目になった。そして今後も引き続き、私はこうした冬をくぐり抜けていくのだと思う。

こうした冬を眺めるのではなく、自分の内に冬を抱き、そして冬の中に自己を投げ入れる形で冬を過ごしていく。数日前の日記で書き留めたように、時間との友情を深めるだけではなく、冬との友情も深めていこうと思う次第である。フローニンゲン:2019/12/5(木)19:00

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