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5263-5268:フローニンゲンからの便り 2019年11月29日(金)


本日生まれた10曲

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タイトル一覧

5263. 今朝方の夢

5264. 今朝方の夢の補足

5265. 灰色の空と通り雨を眺めながら

5266. 没入体験と発達

5267. コリン·ウィルソンの“Poetry and Mysticism (1986)”を購入して:詩と俳句からの学び

5268. 新たな知覚世界の中で:ベルリン、ミュンヘンへの旅

5263. 今朝方の夢

断食を終えて1日経った朝がやってきた。今朝の起床は午前4時半だった。一度午前2時前に目が覚めたが、まだ少し早いかと思って再度眠りの世界に戻ると、そのような時間帯に目覚める形となった。

回復食を昨日から食べ始めてみたが、まだそれによる明確な変化を感じることができない。ただし、回復食を食べることによって、食欲が少しずつではあるが戻り始め、胃腸が消化運動に向けて再び動き始めているのを感じる。

昨日は三食果物を食べた。それ以外のものを摂る気は全く起きず、むしろそれだけで十分であった。今日もまた同様の回復食をいただくことにする。

幸いにも今日は天気が良いようだから、正午のオンラインミーティングを終えたら、街の中心部に軽くジョギングをしながらオーガニックスーパーに行こうと思う。明日以降の回復食として食べる4種類の麦のフレークとシイタケを購入しようかと考えている。豆腐も明日以降に食べたいと考えており、それも合わせて購入しよう。

それでは、いつものように今朝方の夢について振り返り、そこから早朝の作曲実践に入って行く。夢の中で私は、成田空港にいた。ちょうどオランダから成田に到着したようなのだが、どういうわけか、成田空港が山口県の実家に近い場所にあった。おそらく電車で1時間ぐらいすれば到着できてしまうほどの距離だった。

目的地は実家のため、電車で移動すればよかったのだが、なぜか私は空港で乗り換え便を待っていた。私の近くには空港の係員の中年女性がいて、その方が今回の私のチケットを手配してくれているようだった。その方が私に近づいてきて、話しかけてきた。

係員の女性:「大変申し訳ございません。乗り換え便が欠航になってしまいまして、早急に他の便をお取りしますね」

:「えっ、欠航になってしまったんですか···。それは仕方ないですね」

そのようなやりとりをした後、その係員の女性は速やかにチケットを手配してくれた。すると、チケットに表示されていたのは「タンザニア経由ロシア行き」という言葉だった。

今回私は実家に帰る予定であり、別にロシアに行く必要はないのだが、なぜか私はそのチケットを受け取った。少々頭が混乱しており、「実家はロシアにあったのだっけ?」と考え始める自分がいた。

改めて冷静に考えてみると、やはりロシアに行く必要はないことがわかった。そもそもタンザニアを経由するというのもおかしな話であるし、手配してもらったフライトの時間も午前2:50発というあり得ないほどに早い時間だった。しかも不思議なことに、特別に手配してもらったこのチケットを受け取る際に、私は「人事部の加藤さん」と呼ばれてチケットを受け取った。

私はチケットを返却しようと思ったが、気がつけばもうターミナルに向かう送迎ワゴンの中にいた。隣を見ると、小中高時代の友人(HY)がいて、彼も同じくタンザニア経由でロシアに行くことになっていた。

すると突然車が停車し、いきなり荷物検査がその場で始まった。二、三人の若い男性係員がやってきて、彼らはワゴンの後ろのトランクを開け、そこに置かれていた私たちのスーツケースの中身を確認し始めた。

係員の男性たちは一様に気さくであり、私たちが日本人であることから、それほど疑うことなく、単なる儀式的な形で荷物の検査が終わった。ただしそこで、チケットを手配してくれた係員の女性が、「盗んだ衣服もこちらに置いておきますね」と笑顔で述べ、私はそれを盗んだのではなく、自分の家の押し入れから持ってきたものだということを笑いながら述べて訂正した。

そのようなやり取りがあり、無事に荷物検査を終えると、停車中のワゴンの方に、一人の男性が近寄ってきた。見ると、小中学校時代の友人だった。彼はどうやら別途チケットを入手することができなかったらしく、係員の女性に不満をぶつけに来たようだった。いや、彼は温厚な性格で、礼儀正しかったので、不満をぶつけるというよりも、状況をきちんと理解し、丁寧な姿勢で再度新しいチケットを発券してもらえないかをお願いしに来たのだと思う。

しかし、もうフライトは満席であり、中にはスーツケースの中に押し込められて過ごさないといけない大人や子供がいるようだった。大人がどのようにしてスーツケースの中に押し込められるのかは疑問だが、ひょっとすると、小さい子供やお年寄りだけがスーツケースの中に入れられた形で長時間のフライトを過ごさないといけないのかもしれないと思い、とても気の毒に思った。

私は一つでも席を空けるために、係員の女性にチケットはいらない旨をそこで伝える決心をした。ターミナルに到着してからそれを伝えると、また元のターミナルに戻って電車に乗るのが面倒だと思ったので、そこで係員の女性に伝える決心をしたのである。するとそこで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2019/11/29(金)05:57

5264. 今朝方の夢の補足

今日は平日最後の日であり、明日からは週末を迎える。こうしたことを書き留めておかなければ、今日が何曜日なのかを思い出すことができない。もしかしたらそれは思い出す必要もないことなのかもしれないが、社会生活を送って行く上で最低限それを知っておくのも悪くないだろう。

先ほど夢について振り返っていたが、そういえば、いくつか書きそびれていたことがあった。一つには、成田空港に到着し、ターミナル間を送迎ワゴンで移動している際に、車中で友人と係員の女性と何か話をしていた場面があったことである。

三人で何かを話した後、荷物検査以外にも再度車が止まり、何かの会館のような建物の前にいたのを思い出した。そこで友人が飲み物を買ってくると述べて、一度車から降りた。

会館の入り口から、背の高く、華奢な女性が出てきて、友人とすれ違った。友人も180cmぐらいの身長なのだが、彼と同じぐらいにその女性は大きかった。

友人が戻ってくると、「さっきの女性、背が高かったね。びっくりしたよ」と述べた。確かにその女性の身長は高かったが、ヒールを履いていたようだったので、その分身長が高く見えたのだろうと私は述べた。そのような場面が最初の夢の中であった。

その前にも実は夢を見ていたことを思い出す。その夢の中では、小中学校時代の友人(HY)と女性友達(MS)と三人でアトピー性皮膚炎について話をしていた。どうやら三人とも軽度のアトピーを患っているらしく、塗り薬の話になった。

全員軽度のアトピーではあったが、ステロイド入りの薬を塗っているようだった。しばらく三人で話をしていると、お互いの腕を見せ合い、どれくらいの程度のアトピーなのかを確認し合った。

二人の腕を見ると、確かにアトピーのような症状が少しばかり見られた。一方で、自分が腕まくりをして腕を見せたところ、私の腕にはアトピーらしい症状は一切なく、それを見て私は驚いた。そして、もうステロイド入りの塗り薬を使わなくていいと思って安堵した。そのような夢の場面があった。

後者の夢に関しては、夢に登場した二人の友人は、現実世界においては幼少時代にアトピーを患っていなかった。私だけがアトピーであった。

私は社会人になってもステロイド入りの塗り薬を使っていたのだが、会社を辞め、アメリカ西海岸の大学院に留学した瞬間に嘘のようにアトピーが治った。本当にそれは嘘のようであった。

20年以上もアトピーの薬を塗り続けていた自分が、アメリカに渡った瞬間に薬がいらなくなったのである。実際には、渡米の前にもう薬は切れており、アメリカに到着して色々と適応に奔走していると、アトピーのことなどすっかり忘れており、半年ぐらい経ってから、「そういえば薬を塗らなくなったな」と気づいたのである。そのような出来事があったことを思い出す。

今朝方のタイミングでこうした夢を見たのはひょっとすると、アトピーを一つの象徴的な現象として、断食を通じて自分の中の何かがまた治癒されたのではないかと思った。それが身体的なものなのか、心理的なものなのか定かではないが、今朝方の夢が暗示しているのはそうした何かしらの治癒の実現なのだと思う。フローニンゲン:2019/11/29(金)06:24

5265. 灰色の空と通り雨を眺めながら

世界には多様な人生があって、それぞれの人生がそれぞれの時間の中を流れてゆく。柔らかな夕暮れ空を眺めながらそのようなことを思う。

つい先ほど、街の中心部のオーガニックスーパーに行ってきた。いつものように、荷物のない行きは軽くジョギングをした。もうこんなにも寒くなっているのだが、店に着く頃には少し汗が出てきそうであった。

断食を終え、回復食を取り始めると、やはり運動に資する体力というものが戻ってきて、断食中よりも走ることが速やかであった。スーパーでは当初の予定通り、4種類の麦のフレーク、豆乳、そしてシイタケを購入した。シイタケ、玉ねぎを用いた味噌汁は明日から作り始める。明日からの夕食は味噌汁以外にもトマトとサツマイモを食べてみようと思う。

当初の計画では、今夜の夕食もオレンジ2個だけだったが、昼にバナナを食べた際に、夜はオートミール風の4種の麦のフレークが食べられるかもしれないと思った。温めた豆乳にそれをよくふやかして少量食べてみようかと思う。オレンジは明日の朝に食べよう。

この7ヶ月間はそもそも食事の量は少なく、少食を心がけていたため、元々胃が小さいのだが、今はそれ以上に小さい。そうしたこともあり、今夜の夕食も本当に様子を見て麦のフレークをオートミール風にして食べようと思う。

今日の午後に仮眠を取っている最中、またしてもビジョンを知覚した。これでもう三日連続である。幸いにもそれは数日前のように、幻覚世界と現実世界の混同を引き起こすようなものではなかった。

仮眠中にビジョンとして立ち現れていたのは、私が学校のグラウンドでサッカーのシュート練習をしている風景だった。一人の友人にキーパーを務めてもらい、もう一人の友人に球出しをしてもらい、力強いロングシュートを何本も蹴っている自分がいた。時々、あえてポストにぶつけてみたりするようにシュートを放っていた。グラウンド横には、高校時代のクラスメートの女子が数名いて、自分のシュート練習を見ていた。

そうしたビジョン以外にも、欧州の国のどこかの街を散策しているビジョンがあった。その時の私の気分は楽しげであり、目に入るすべてのものが新鮮であった。今日のビジョンはざっとこのようなものだろうか。

今、再び小雨が降り出した。今日は一日中晴れの予報だったのだが、午前中にその予報に変化が見られ、通り雨がちらほら降る瞬間が何度もあった。買い物に行く前にも通り雨が激しく降り、買い物から帰ってくる最中にはぱらつく通り雨があった。今降っているのはその中間の雨である。

空は灰色が大部分を占めており、遠くの方にかろうじて夕焼け空が見える。北欧にほど近いオランダのこの時期の空をもう四年間見続けているため、こうした空が醸し出す寂寥感がとても優しいように思えてくる。それは私にとって、自己を深める上でなくてはならないものになっており、自己の養分になっている。

空が寂しげで、冷たく悲しげであればあるほどに、真逆の情感が自分の内側に喚起される。そこにあるのはやはり喜びの感情なのかもしれない。

こうした空と共にあるという感覚。空も孤独なのだという共感の念。空も絶えず変化し、それは私と同じく命を持っているのだという思い。

そうした諸々の感覚や思いが一つとなり、自己をゆっくりとだが確実に深めてくれる肥やしになっている。そのようなことを思わずにはいられない灰色の空が目の前に広がっている。フローニンゲン:2019/11/29(金)15:52

5266. 没入体験と発達

昼に休憩がてら窓の外を眺めている際に、没入体験と発達について改めて考えていた。各人の人格を深め、各人の人生を深めるもの、すなわち各人の発達を促すものは、各人固有の没入体験をする以外にあり得ないのではないかという気づきが芽生えた。

没入する対象はなんでも良い。それは詩作であったり、音楽であったり、絵画であったり、仕事であったり、スポーツであったり、対象は本当になんでも良いのだと思う。重要なことは、我を忘れる形でそれに没入することである。

それが発達といかように結びつくのかについて考えてみたときに、メカニズムは非常にシンプルであった。没入体験というのは、端的には主体的な自己を超出する体験であり、その瞬間にもうミクロな発達が生じていると言える。

発達というのは、既存の自己を超え出て行くことであるから、そうした没入体験が発達と結びつくというのはとてもシンプルなように思えた。もちろん問題は、多くの人にとって、そうした没入体験をする対象を見つけることが難しいことだろう。あるいは、そうした対象と出会えない難しさがあると言えるかもしれない。

成人になってしまっている人は、意識的に非日常的な体験を積んでいく中で、そうした対象を探索して行くしか方法がないように思える。やはり、幼少時代にいかにそうした没入体験の原体験を積んでいるか、さらにはそうした原体験をさせてくれる教育を受けているかが鍵を握るのかもしれない。

自分自身のこれまでの歩みを振り返ってみると、とりわけこの欧米での8年間は、絶えず没入体験の中にあったように思える。それは過去形ではなく、それは実際には現在進行形で続いているものである。

絶えず自己が何かに没入没頭しており、それを毎日積み重ねていると、いつの間にか過去の自分から自分が脱皮しており、新たな自分がそこに立っていたという体験を何度もしている。没入体験が文字通り我を忘れさせるという本質はこうしたところにあるのかもしれない。

没入体験は、その瞬間において我を忘れさせるだけではなく、それを積み重ねて行くことによって、既存の我を忘れる形で新たな我を私たちにもたらす。さらに興味深いのは、新たな我が生まれた瞬間には、そこに発達的回帰という現象が起こり、以前の我がいかような我であったかを思い出すのである。それがもしかしたら「超えて含む」ということの本質的な意味なのかもしれない。

没入没頭する体験と自己超出、および発達との関係性についてはこれからも考えを深めていこう。自らが今後もそうした体験を積む中で、体験から得られた言葉、ないしは体験から生み出された言葉を通じてそれらの関係性を考察していく。

決して体験と紐づかないような言葉を用いて考察をしない。そうした考察及び探究はもはや何の意味もないことを明確に自覚している。それは極端な言い方でも何でもなく、本当に意味もないことであり、その無意味性に気づかせてくれるだけの意味だけがかろうじてあるだけなのだ。

通り雨がやみ、再び綺麗な夕焼け空が姿を現し始めた。小鳥たちが突然喜びの踊りを踊り始め、喜びの鳴き声を上げ始めた。その踊りを眺め、喜びに満ちた彼らの鳴き声を聞いている私もまた喜びに満ちている。フローニンゲン:2019/11/29(金)16:07

5267. コリン·ウィルソンの“Poetry and Mysticism (1986)”を購入して:

詩と俳句からの学び

結局今夜は果物しか夕食に摂らなかった。胃腸の様子を見てみると、まだオートミール的な麦類のフレークを食べるには早いように思えた。そのため、水々しいオレンジを2個ほど食べることが今夜の夕食であった。

明日は午前中にリンゴを1つ食べ、昼には豆乳に和える形で麦類のフレークを食べてみる。夜には玉ねぎとシイタケ入りの味噌汁にクロレラを加え、主食としてサツマイモを食べようと思う。とても質素な夕食だが、断食前のものと食べる種類はさほど変わらない。

断食前においては、トマトと豆腐、味噌汁、ジャガイモとサツマイモを茹でたものだけで夕食が構成されていた。その夕食に戻るにはまだ時間がかかるだろう。

秋に日本に一時帰国してからここ最近までは、和書を読むことが多かった。多かったというよりも、意識的にそれを行っていた節がある。とりわけ作曲関連の書籍はほぼ全て日本語のものを今は読んでいる。

昨日、辻邦生先生が40代の半ばで執筆された旅行記を読んでいるときに、コリン·ウィルソンの書籍について言及があった。ウィルソンの関心領域は多岐に渡っているが、彼が神秘体験や神秘思想に関して行った研究には以前から関心があった。

辻先生が言及していたのは、ウィルソンが詩と神秘思想について執筆した書籍であった。昨年私は、ルーミー、リルケ、マラルメ、ブレイク、オーロビンドなどの詩を一時期集中的に読んでいた。そこから一旦詩の世界から離れたのだが、今年は俳句や和歌などの詩に近しい領域に関心を持った。

万葉集について言及したのがつい最近のことであったように、そうした領域に関心を持っている自分が今ここにいる。当然それは自分の作曲実践と関係しており、私が長編小説のような曲や、あるいは短編小説のような曲さえ書かず、とにかく短い詩のような曲を作ることを意識している点からも、自然言語を通じた詩の領域に関心を持つのは必然かと思う。

しかしその根底にあるものを探ってみると、やはり言葉にならない神秘的な何か、言語を超えた世界や事象に対する関心、ないしは憧憬のようなものが自分の内側に横たわっているような気がするのである。

詩人や歌人の中で、とりわけそうした超越的な領域に関心を持ち、その世界を直感的に掴んでいた人物は多数存在しており、彼らが言葉を通して表現したものから作曲上のインスピレーションを得たいという思いや、生きることの喜びを見つめ直したいという思いが自分の中にあるのだと思う。そうした衝動、あるいは欲求のようなものがあり、先ほどウィルソンの “Poetry and Mysticism (1986)”をイギリスの書店を通じて購入した。

書籍の到着までしばらく時間がかかるようであり、到着してからもすぐにこの書籍を読むのではなく、年末年始のマルタ共和国·ミラノ旅行の際に持参したいと思う。年越しと新年をこの書籍と共に、詩的世界の中で味わいたいと思う。

本書を参考にしながら、音という抽象的な媒体を活用した音楽的俳句を創造していく。詩についての探究をすることに並行して、より具体的に俳句についても探究をしていきたいと思う。もちろんそれは詩や俳句を味わうという直接体験を伴ったものとしてである。超越的な世界を感知し、超越的な世界と地上の双方を生きた詩人や俳人から得るものは本当に多いだろう。フローニンゲン:2019/11/29(金)19:15

5268. 新たな知覚世界の中で:ベルリン、ミュンヘンへの旅

——知覚の扉が浄化されたら、全てはあるがままの無限を開示するだろう——ウィリアム·ブレイク

断食を終えてみると、ウィリアム·ブレイクが述べている言葉の意味がより鮮明に理解される。その言葉の意味が体験として入ってくるとき、それは本当の理解につながるのだろう。

14日間の断食を終え、知覚の扉が浄化され、新たな知覚世界が目の前に広がっている。いやひょっとすると、新たな知覚世界を通じて生きている自分がいるのかもしれない。そして、新たな知覚世界の中で知覚している事柄は、次なる新たな知覚世界への扉につながるものなのかもしれないと思う。

この生全体をその身そのままに汲み尽くしていく生き方。一瞬一瞬の時のつぶてをそのままに享受する在り方。そうした生き方と在り方を体現した自己が闇夜に佇んでいる。

先ほど浴槽に浸かりながら、年末年始にはマルタ共和国とミラノに旅行に出かけ、2月以降の旅行計画についてぼんやりと考えていた。これまでの予定とそれほど変わりはないが、3月にはベルギーに行き、4月はギリシャに行こうかと思う。2月に関しては、オランダ国内旅行でもいいかと思っている。

ベルギーは隣国のため、外国に行くという感じはしないが、一度オランダの国内旅行を2月あたりに挟んでもいいかと思う。その際には、先日書き留めていたように、デン·ハーグやアムステルダムの美術館を巡ろうと思う。そうなってくると、2月と3月は飛行機を使う必要なく、全て列車の旅となり、旅に関する適度な休憩となるだろうか。

それとここしばらくドイツに旅行に出かけておらず、まだ訪れたことのないミュンヘンやベルリンに行き、その街を代表する美術館に足を運んでみたいという思いがふと湧き上がった。例えばミュンヘンであれば、アルテ·ピナコテーク美術館に行き、ラファエロ、ボッティチェリ、ルーベンスの絵画を見たい。また、ノイエ·ピナコテーク美術館では、ゴッホのひまわりを是非みたいと思う。レンバッハハウス美術館では、カンディンスキーの作品を見たい。このように、ミュンヘンには実に素晴らしい美術館がいくつもある。

ベルリンでは、ペルガモン博物館、ベルリン絵画館(Gemäldegalerie)、アルテナショナルギャラリー(旧国立美術館)にはぜひ足を運びたい。フローニンゲンからドイツへの旅も飛行機を使う必要はなく、基本的には列車で行えることが嬉しい。飛行機では見過ごしてしまう景色をゆっくりと堪能しながら、移りゆく景色と共に自分の身体を目的地に運んでいく楽しみが列車の旅にはある。

改めて調べてみると、フローニンゲンからベルリンまでは列車で5時間半ほどの旅であり、それほど時間がかからない。おそらくフローニンゲンからアムステルダムの空港に列車で行き、そこからベルリンの空港に飛行機で行くのと変わらないぐらいの時間だろう。また、ベルリンからミュンヘンには乗り換えなしの列車が走っており、ベルリン中央駅からミュンヘン中央駅までは5時間ほどだ。

オランダに来た最初の年に、フローニンゲンからライプチヒに行き、ライプチヒからスイスのニューシャテルに列車で移動したのと経路は似ている。ベルリンとミュンヘンを訪れる旅をいつにしようか少し検討してみよう。フローニンゲン:2019/11/29(金)19:43

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