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5253-5257:フローニンゲンからの便り 2019年11月27日(水)

November 29, 2019

本日生まれた10曲

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タイトル一覧

5253. 断食13日目の起床時に降ってきた驚くべき感覚

5254. 食べ物と自己の関係性に関する新たなベクトル

5255. 断食13日目の夢

5256. 14日間の断食終了前日に知覚した幻覚

5257. 「しっかり食べる」ということについて

 

5253. 断食13日目の起床時に降ってきた驚くべき感覚

 

「この感覚···。この感覚だったのだ!」断食13日目の朝、午前3時に目覚めた私は、そのように思った。それはとても唐突な気づきであり、自分でも驚いた。

 

この感覚。身体が本当に新たに生まれ変わったかのような感覚。自分の体なのだが、もう随分と忘れていたかのようなこの感覚。文字通り、新鮮なこの感覚。

 

身体があまりにも軽すぎて、それは本当に自分の体なのだろうかと疑ってしまいそうなのだが、それは間違いなく自分の体であり、自分本来の体であるという紛れもない感覚。この気づきを得た時、私は長きにわたる今回の断食の終わりの時期を知った。

 

目覚めてオイルプリングをして、舌の状態を確認してみると、確かに数日前に読んだ書籍に書かれていたような舌の状態になっていた。便に関しても、数日前に最後の宿便が排出され、その翌日には日に5回の排便があり、昨日は1度だけ小さな排便があった。便の状態も極めて良いものとなっていた。

 

さらには食欲について、今朝方目覚めた時、「果物なら食べられるかもしれない。果物を食べたい」そんな思いがやってきた。いや、厳密に言えば、「果物をいただきたい」という思いが芽生えたのである。

 

「食べたい」ではなく、「いただきたい」という念。それが降ってきた時、食欲に関しても断食を終えるサインを得たように思えた。これら三つの証拠を持ってして断食を終えてもほぼ問題ないかと思われる。

 

だが私は、念には念を、最後に本日だけ断食を行うことにした。これは決して無理をしているわけではない。最後にもう一度、それら三つの証拠が本当に本物の証拠なのかを確認したいのである。

 

もうここまで来ると、食事に関して小さな自我の欲など生じようがないのだが、それらの三つの証拠の提示が自我の最後の抵抗が生んだものではないかどうかを確かめたいのである。今日はそのためにある。それを確かめ、本当の確証を得ることをもってして今回の断食を終える。

 

自分ではもう気付いている。断食を終えるタイミングがやってきたことを。

 

今朝起床したのは午前3時だったが、目覚めたのは2時半だった。実はその時に上記の感覚がやってきて、私はベッドの上で、その感覚と向き合いながら、そして味わいながら、その感覚について考えていた。

 

結局明日断食を正式に終えることになれば、14日間固形物を摂取しなかったことになる。今回も準備期間をカウントせず、固形物を摂取しなくなった期間が14日であり、明日に断食を終えるのであれば、そこから14日間は回復期として、回復食を食べていこうと思う。

 

もうすでにどのようなものを食べるのかは決まっている。色々と考えた末に、結局私は、この数ヶ月間食べてきたものが自分の体には最適であり、それらが準備食としてふさわしかったのだと知った。そうしたことからも、基本的には以前の食べ物を摂取することを続けていく予定だ。

 

ただし、回復期にあたっては、その量を最初は少しずつにしていこうと思う。最初に食べるのは果物ぐらいだ。

 

バナナが熟するまでは、これまでのようにリンゴを食べるだけではなく、オレンジを加えたいと思う。それとトマトぐらいであれば夜に食べれるかもしれない。二日目以降は、夜にサツマイを茹でたものと、玉ねぎとシイタケを入れ、そこにクロレラを和えた味噌汁なら食べれそうな気がしている。

 

決して焦らず、回復期の食事をどうするかが、この新しく生まれた身体、とりわけ新たな胃腸にとって重要であるから、慎重に食事の種類と量を決定したいと思う。この回復期でどのようなものをどれだけ摂取するかが、新たな腸内環境の質を決定するだろう。

 

繰り返しになるが、本当に体が軽い。その軽さは驚くほどであり、なぜか起床直後にヨガをし終えた後に、私はボクシングなどしたことがないのだが、シャドーボクシングのような形で朝3時過ぎに体を動かしている自分がいた。そのような行動に駆りたてのは、私の無意識であり、きっとそれは自分の身体の軽さを確かめたかったのだろう。フローニンゲン:2019/11/27(水)03:57

 

5254. 食べ物と自己の関係性に関する新たなベクトル

 

くどいようだが、身体が軽い。本当に身体が軽い。この軽さは一体なんなのだろうか。身体が生まれ変わるというのは、本当に起こり得るのだという驚きを隠せない。

 

この軽さを客観的に知ることはできない。それは測定など不可能である。

 

自分の身体が生まれ変わり、身体が軽いと感じるこの感覚は、決して客観的に証明されるようなものではなく、つくづく究極的に主観的なものなのだという気づき。身体が生まれ変わることに伴い、どこか自分の心も生まれ変わったかのようである。

 

生活習慣の細かな改善やリセットは、どこかおまけのようなものであり、そうした付随物ではなく、本質には生まれ変わりがあったのだ。断食とはそうした生まれ変わりをもたらすものだったのだ。

 

身体と心が生まれ変わったことにより、自分の魂がより一段と躍動し始めたように思う。これが魂と一体となったあり方なのだろうか。

 

自己と魂がこれまで以上に密接不可分につながっている感覚がある。それはどこか、一度切られたへその緒が再びつながるような感覚である。

 

大いなる存在と自己が強固な結びつきを取り戻した感覚のように思える。これがいわゆる、発達上の回帰という現象なのだろうか。

 

己から己に戻ってくるというのはこのことを言うのだろうか。だとすれば、それはよくわかる。

 

過去の偉大な思想家が述べていたことが、今であれば腑に落ちる。様々なことが腑に落ちて行く。

 

腑に落ちて行くための「肚」が初めて生まれたのだ。これが自分の「肚」だったのだ。

 

自らの肚を見出し、肚とつながるというのはこうしたことを言うのだ。自らの足で立つというのもこうしたことを言うのだ。そうしたことがわかってくる。

 

こうした感覚がすでに得られたが、私は今日で断食を終えない。今日は、こうした感覚を味わう日としたい。そして明日、断食を終える。その時には、食物を「いただく」という考えのもと、それをいただきたい。

 

決してそれを「食べる」という発想で摂取しない。「食べる」というのは、ベクトルが自己から食物に向かっている。それは小さな自我が引き起こす利己的な発想であり、行為である。

 

だが、「いただく」であればどうだろうか。そこには、食物から自己にベクトルが向かっていると言えないだろうか。

 

これだったのだ。食べ物をいただくというのはこういうことを言うのだ。食べものを摂取する本来のあり方はこうだったのだ。それを私は長らく忘れていたように思う。いや、この人生においては一度もそうしたことを思ったことなどありはしないかもしれない。

 

食べ物と自分との間に生じているベクトルを知覚したのは、今回が初めてであった。また、いただいた食べ物がその身そのまま自分の身体となるということ、そしてそれは自分の心を作り、魂を養うということ。それにも気づいている。

 

それはどこか、自己が自己をいただくという不思議な感覚。あるいは、自己が世界という自己をいただくことを通じて、自己になるという不思議な感覚と言い換えることができるかもしれない。

 

自己即世界。世界即自己。この二つの言葉は、以前の日記の中でも芽生えていたように思える。だが今回は、また違った意味で、ないしはまた違った感覚でそれらの言葉を用いている。

 

それらは本当に自分の肚から生まれた言葉であり、魂から生まれた言葉であり、世界という自己の本質から生まれた言葉のように思えてくる。

 

書斎の目の前に見える闇の世界は深いが、それはもう闇ではなく、あまりにも眩しく輝いている光の海である。それはあまりにも光り輝いているがゆえに、闇のように見えるのだ。私はもう、それが闇ではなく光の海に他らないことを知っている。フローニンゲン:2019/11/27(水)04:17

 

5255. 断食13日目の夢

 

時刻は午前4時半を迎えた。目の前に見えるのは、静かな光の海としての闇のみ。聞こえるのは、静寂という名の光の音。

 

心の眼と耳、あるいは魂の眼と耳が今開かれたというような感覚が静かに自分の内側に湧き起こってくる。

 

昨日、ズヴォレの街を歩いていた時に芽生えた考え。それは、自分だけが自由と解放を享受することの愚かさに関するものだった。

 

これまでの自分はやはり、他者というものが、社会というものが、外の世界というものが、自己と寸分たがわぬ形で存在しているということに真に気づけていなかったのだと思う。そこには自己とそれらとの分離があったのだ。だが昨日の気づきは、その溝を埋めるかのように浸透してくる何かであった。

 

自由と囚われからの解放。それに向けた小さな取り組み。それを促し、実現して行く社会的な取り組みに従事していこう。

 

自己と他者や世界が分離されたものではなく、それらは全てつながっているというこの感覚が真に芽生えたことをもってして、その取り組みに少しずつ従事していこう。

 

今からようやく何かが始まる。これまでの人生、欧米での8年間の生活、そして今回の14日間の断食。それらはこの気づきと決意につながっている。

 

断食13日目の朝に見た夢、それはとても断片的なものであった。夢の中で私は、外出先だったためか、普段全く開かない携帯電話を開いていた。

 

一応私が持っているのはスマートフォンであり、それを開いてメールなど日中確認することは一切ないのだが、それを開いてみた。すると、何通かメールが届けられていた。

 

それらのうちのほとんどは何かの宣伝広告のようなものであり、自分にとってほとんど重要ではなかった。それらのメールを削除した後に、どこかで一度会ったことがあるような人からのメールが届いていた。

 

だがそれも、どこか宣伝広告のような自動メッセージだったので、それを削除し、合わせてその人からメールが届かないような設定にした。

 

ふと顔を上げると、私は陸橋の上にいることに気づいた。下には車が走っている姿がちらほらと見えた。

 

すると前方から、私と同い年ぐらいの男性がやってきた。見るとそれは、知り合いの医者だった。

 

実際のところ、その先生は私よりも一回りか二回りほど年齢が上であった。だが実際先生が何歳なのかは厳密に知らない自分がいた。

 

先生は何やらこれからテレビの取材があるらしく、身なりを整えており、ひょっとすると男性ながらもテレビ用に化粧をしているのではないかと思えるぐらいに表情が明るかった。

 

するとなぜだか、もうテレビの取材が始まっていたようであり、先生が外科手術をしている光景が現れた。解剖しているのは人間の人体ではなく、どういうわけか馬だった。

 

馬の臓器や血管を優しく丁寧に触りながら、何かの手術を進めている姿がそこに映し出されていた。その光景は一見するとグロテスクだったが、全く気持ち悪いものではなかった。

 

そこで先生は、「これが百万馬力のもとです」と述べて、馬の足のひづめをテレビカメラに向けて映し出した。私はそれを見た時、「なるほど、そんなところに百万馬力の秘密があったのか」と関心をしてしまった。

 

程なくしてテレビの撮影を終えると、先生はインタビュアーから年齢を聞かれていた。そのインタビュアーは、先生のことを30歳前半だと思っていたようなのだが、なんと先生はもう64歳とのことだった。見た目があまりにも若々しすぎて、私もそれには本当に驚いた。

 

髪型や眉毛を整えているとうい表面的なことではなく、肌のキメや色を含め、それは到底64歳のそれとは思えなかった。先生はその秘訣を「それは断食です」と笑顔で語った。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2019/11/27(水)04:53

 

5256. 14日間の断食終了前日に知覚した幻覚

 

今朝にも雨が降っていたが、昼前にそれは一旦止み、午後からまた雨が降り始めるとのことだったので、近所のスーパーに買い物に出かけた。いよいよ明日に断食を終えるに際して、回復食を購入しに行った。

 

スーパーに行く前に、今日も運河沿いを軽くジョギングした。固形物の摂取を絶って13日目にして、その足取りは軽やかであった。

 

スーパーにて、オーガニックのリンゴ、バナナ、オレンジを購入した。明日からの回復食ではまずは果物から食べ始めることにする。

 

胃腸が消化をするための動きを思い出すために、回復期間の初期においては食事回数を増やした方がいいらしく、朝に小さめのリンゴ2つ、昼にオレンジ2つ、夜にバナナ2本を食べようと思う。それを明後日も同様に行う。明々後日からは、朝にリンゴを食べ、昼にはバナナと4種類の栄養豊富な麦類を豆乳でふやかしたものを食べようかと思う。

 

スーパーに行く際のジョギングの足取りは軽かったのだが、今朝は3時に起床したこともあり、今日は早めに仮眠を取った。正午前に仮眠を取った時、実は少しばかり奇妙な出来事があった。

 

仮眠中、いつもはビジョンが知覚されてもそれがビジョンだとわかるのだが、先ほどの仮眠では、もう自分がビジョンの世界の中に入り込んでしまい、その世界と現実の世界との区別がつかないような状態に陥りそうになったのである。端的には、幻覚の世界と現実の世界の境目が分からなくなり、一種の錯乱状態に陥りそうだったのだ。

 

画家のジョアン·ミロがキャリアの初期の時に、飢餓状態の中で幻覚を見ており、それを絵画の制作に取り入れていたことは有名な話である。

 

私が先ほど知覚していたのはビジョンというイメージを超えて、それよりも一段濃度の濃い幻覚だったのだと思う。しかもその世界に危うく迷い込みそうになってしまった。

 

こうしたことを体験し、やはり明日に断食を終えるのは正解なのかもしれないと思う。それは別にこうした幻覚症状を恐れるわけではなく、何かそうした幻覚が断食の終わりを示しているかのように思えたのである。

 

幻覚の世界に迷い込む前に見ていたビジョンの中で、フローニンゲン大学の実証教育学プログラムでお世話になっていた、チリ人のマイラ·マスカレノ教授と空港で再会を果たした。

 

私はどこかの地方都市の空港で——それは間違いなくアムステルダム空港でもフローニンゲン空港でもなく、見知らぬ場所の空港であった——、これからドバイかサウジアラビアかの中東諸国に向かおうとしていた。

 

空港内をうろうろしていると、フライトの搭乗時間が迫ってきており、そろそろゲートに行かなければならないと思った。ところが、ゲートがどこにあるのかすぐには分からず、ひょっとすると、そもそも別のターミナルなのではないかと焦り始めた。

 

すると近くで、小さな女性が乳母車を引いているのを見かけ、後ろ姿からそれがマスカレノ教授だとわかった。マスカレノ教授と私は仲が良く、会うと必ずゆっくり話をするのだが、その時の私は教授に気づかれないように、その場を立ち去ろうと思った。

 

しかし、ひょっとすると教授はゲートの位置を知っているかもしれないと思い、悩んだ挙げ句、偶然を装う形で後ろから教授に声を掛けた。マスカレノ教授は振り向き、私だということに気づくや否や、いつもながらの優しい笑顔を浮かべてくれた。

 

空港での偶然の再会をお互い喜んだところで、ゲートを聞くと、ちょうどマスカレノ教授も私と同じフライトに搭乗するようだった。そのようなビジョンを見た後で、幻覚の世界が深まり、現実世界との境界線が分からなくなり始めた。より具体的には、現実世界に戻って来れなくなるのではないかという一種の焦りがあった。フローニンゲン:2019/11/27(水)13:34

 

5257. 「しっかり食べる」ということについて

 

おそらく今回の断食は、本当にここで一線を引くべきなのだと思う。確かに先ほどもスーパーに行く前に運河沿いを問題なくジョギングできたのだが、自然な食欲が戻りつつあり、身体が食べ物からの栄養を真に欲し始めているのを実感する。

 

自分でも言うのもなんだが、私は意思が硬すぎる——頭が硬すぎる?——傾向にあり、意思の力で何もかも強引に推し進める傾向がある。そうしたことを今回の断食に適用するのは極めて危険であり、意思の力を緩めて、身体の声を聞き、その思いを汲み取ろうと思う。

 

明日からは本当に回復食として果物を食べ始める。それをここに明記しておきたい。

 

午前中改めて、「しっかり食べる」ということについて考えていた。世間はおそらく、この言葉を誤って使ってしまっているのではないかと思う。あるいは誤解して受け取っているのではないかと思う。

 

しっかり食べるというのは、単に量の問題ではない。それでは質の問題かと言うとそうでもない。

 

確かに、栄養のあるものをしっかり摂るというのであればまだ幾分マシだが、重要なことは、栄養を吸収できる健全な胃腸があるかどうかだと思う。毒素や老廃物で機能不全に陥っている不健全な胃腸に、栄養のあるものをいくら摂取したところでほぼ意味のないことが、今回の断食を通じて改めて気づいたことである。

 

現代の多くの人たちは、「しっかり食べる」という標語に踊らされて、ゴミ箱に栄養のないガラクタのような食べ物をたくさん詰め込むことを行っているか、仮に栄養のあるものであったとしても、それをゴミ箱に詰め込むようなことを行っているように思えてくる。後者に関しても、良質なものをいくらゴミ箱に詰めても無駄なのである。

 

断食を通じて胃腸を休め、機能を回復させることによって、ようやく栄養が栄養として摂取され、それが身体全体に行き渡る。明日からはそれを身をもって体験することになるだろう。

 

昨日シュタイナー教育に関する書籍を改めて読んでいると、シュタイナーが教育の根幹に食事療法を置き、食事の摂り過ぎが子供たちの学習能力や発達能力の低下につながることを見抜いている点に大変感銘を受けた。

 

インテグラル理論の観点で言えば、シュタイナーは子供たちの気質を4つのタイプに分類し、それぞれのタイプにあった学習方法のみならず、食事療法まで提案している点に驚かされた。

 

学習云々を議論する前に、食事と運動によって身体を健全なものに育んでいく重要性をシュタイナーも強調していた。昨日の日記で書き留めたように、シュタイナー教育に関する探究を細々と進めていこうと思っていたところ、14日間の断食中の最中にシュタイナーの食事療法に関する考え方に出会ったのは何かの縁かもしれない。フローニンゲン:2019/11/27(水)13:47

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