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5211-5215:フローニンゲンからの便り 2019年11月19日(火)

November 21, 2019

本日生まれた11曲

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タイトル一覧

5211. 断食5日目を迎えて:断食の注意点

5212. 今朝方の印象的な夢

5213. 二人の知人の日記より

5214. 断食5日目の晴れ渡る心身:創造活動と発達

5215. 旅を希求する魂:未知で満ち満ちた道

 

5211. 断食5日目を迎えて:断食の注意点

 

断食5日目の朝は3時半過ぎに起床した。一度2時に目が覚めたが、それは少し早いように思われたので、再度眠りの世界に入ると、もう1時間半ほど眠る形となった。

 

断食5日目の心身の調子は極めて良好である。デトックスが随分と進み、どの内臓器官も休息に入り、治癒に向けて働き出しているためか、やはり日を追うごとに心身の状態が良くなってきている。体は軽く、思考もクリアである。

 

昨夜就寝前に不思議な身体感覚を得た。ベッドに横たわると、突然全身が分厚くどっしりとした膜のようなものに包まれた感覚があった。それは地上に根を張るような安定的なエネルギーであり、まさにグラウンディングに必要な落ち着いたエネルギーのように思われた。そのエネルギーに包まれていると、意識は深く内省的になったことも覚えている。

 

そうした状態から一夜明け、今日からは断食5日目に入る。まだわからないが、もしかしたら今回は10日間ぐらいの断食になるかもしれないと思っている。そうであれば、ちょうど折り返し地点に差し掛かったところだ。

 

10日というのも直感的なものであり、私としてはここで身体的にも心理的にも深いデトックスを行なっておきたいため、14日間ぐらいが妥当かと思っていたが、断食の長さについては本当にその時の状態次第である。このように日々断食の途中経過を書き留めながら、断食の終了時点を判断したいと思う。

 

断食をするにあたっては、本当にできるだけ正しい知識を得る必要があるように思う。以前実家に帰った時、父が毎週末に一日断食を行い始めていた。それは素晴らしいことだと思っていたのだが、どうも水だけの断食という初心者にとってはお勧めできない方法を採用しているようだった。

 

水だけの断食は確かに最も強力なのだが、それは健康的な食生活や断食を何年間も続けた準備の末に行うべき断食方法である。先日に取り上げた4冊の書籍を読んでも、断食の初心者に水だけの断食を勧めることはまずもってない。そうした危険な断食を父は行なっているようであり、一度その点について言及したのだが、あまり聞いてもらえなかった。

 

また最大の問題は、断食によってせっかく内臓を休めたのにもかかわらず、断食明けからアルコールを摂取することである。せっかくアルコールを分解することから肝臓が解放されたにもかかわらず、ゆっくり休んだところにアルコールをすぐに摂取してしまうと、いきなりまた肝臓が消化に向けて働かなくてはならならず、肝臓がかわいそうである。

 

繰り返しになるが、断食というのは断食期間だけが大切なのではなく、むしろ準備期間と回復期間をどう過ごすのかが重要なのである。断食後に重たい食事を摂ることやアルコールを摂取するというのは愚の骨頂としか思えない。メタファーとしては、ゆっくり休みをもらった企業人が、その代わりに次の日からは徹夜で仕事をさせられるようなものだろうか。あるいは、まっさらに磨き上げたキャンバスに、いきなり泥を塗るようなものだろうか。

 

いずれにせよ、断食後に何を食べるのか、何を飲むのかについては細心の注意が必要だろう。今回の断食を終えるにあたっても、そのあたりの点について注意をしたい。フローニンゲン:2019/11/19(火)04:41

 

5212. 今朝方の印象的な夢

 

時刻は午前4時半を過ぎたところである。辺りは闇と静寂さに包まれている。こうした闇と静寂さが自己を深めてくれる。

 

そうした中で絶えず自分と向き合うこと。それが意識せずともなされていることに気づく。そのような生活をもう4年間も送ってきた。そしてこうした生活はこれからも続くであろう。

 

今日は比較的天気が良いようだが、午後に少し小雨が降るそうだ。そして今夜はマイナス1度にまで達し、明日の朝9時ごろまでマイナスの状態が続くらしい。ここ最近は本当に冷え込んでおり、外に出た時にその寒さを強く実感する。

 

それでは、今朝方の夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、霊性(スピリチュアリティ)に関する講演の依頼を受けた。その時の私は実家にいて、日本でその講演が行われることになっていた。

 

講演を引き受けるかどうかはまだ決めておらず、少しばかりその点について考えていた。いろいろ考えた結果、その依頼を引き受けることにした。それを父に伝えると、父が「知らないことは話してはならない」という意味合いのことを述べた。

 

すると父の横に、なぜか大学時代のサークルの先輩がいた。その先輩は学年として三つ上の方であり、その先輩も霊性について私が取り上げることを懸念していた。というよりも、その先輩は霊性というものそのものに対して違和感を感じているようであり、霊性が何やらいかがわしいものであるかのように思っているようだった。

 

そこで私は、「スピリチャル好きな人たちが好む言語空間とは異なる言語空間で霊性を取り上げていく」ということを先輩に伝えた。それに加えて父に対しては、「語らない者には何も見えてきやしない。語らなければ、自分が何が見えていて、何が見えていないのかなどわかりもしない」ということを述べた。

 

そこで夢から覚め、時刻は午前2時だった。そこから再度夢の世界に戻ると、薄暗いデパートの中に私はいた。

 

前職時代の同期の男性がそこにいて、彼が良いタオルケットを購入したと私に見せてくれた。ちょうど私もタオルケットを購入しようと思っていた。というのも、今使っているタオルケットは少々長さが短く、そして擦り切れ始めているからであった。

 

どの店で購入できるのかを教えてもらい、私はその店に向かった。実はその前に、前職時代の女性の先輩ともデパート内で出会っていたことを思い出した。

 

その先輩は、会社終わりになぜか髪を金髪に染めていた。それを見て、私は少々驚いたが、特段気にすることはなかった。

 

すると、私の横にある男性の上司が現れ、「あまり似合ってないよね。加藤君、それ伝えてあげなよ」と述べた。何か思うところがあって髪を染めた先輩に「似合っていませんね」と伝えるのはさすがに気が引けた。

 

特に女性にそうしたことを言うのはかなり勇気がいることである。それに、その先輩を見て、私自身も髪を染めようかと考えていたほどだった。色に関しては、少し緑を入れてみようかなと思っていた。

 

そのような場面があったのを覚えている。その後の場面としてあったのが、タオルケットの購入の場面である。

 

同期に店を教えてもらった後、私はそこに向かった。するとそこに、父方の祖母がいた。

 

何やら祖母が味噌汁とサラダを作ってくれたようであり、それを昼食として持って行きなさいと述べた。私はそれをとても有り難く思い、オフィスまで味噌汁とサラダを持って帰るのは少し大変かと思ったが、それらを受け取った。

 

すると祖父が現れ、私に声を掛けようとしてくれた。だが祖父は咳き込んでおり、相当に身体が弱っているように思えた。その姿を見て、私は思わず涙が出そうになった。

 

祖父母と別れたところで夢の場面が変わった。最後の夢の場面では、私はサッカーコートの上にいた。

 

どうやらある社会人チームに助っ人して呼ばれたようだった。今行われているのは、社会人の大会であり、1試合目の相手は全員ドイツ人のチームだった。

 

見るからに彼らは屈強そうな体をしており、とても身体能力が高そうに思えた。そうしたこともあってか、こちらのチームの私以外のメンバーは試合前から少々怖気付いているように思えた。

 

そのような状態では試合の前から結果が見えていると思えたため、試合開始直後から、チームの士気を高めるようなプレーをするように私は務めた。とはいえ、やはり身体能力の差からか、序盤はかなり劣勢であった。

 

ほとんどの時間を自陣でプレーすることになり、押し込まれている時間が長かった。ある時、相手のスローインとなり、それがゴール前に上がり、こぼれ球を相手にシュートされた。

 

それはなんとかこちらのゴールキーパーが防いだが、そのこぼれ球がペナルティーエリア外に転がっていき、そこにもまた相手の選手がいて、強力なシュートを打つ体勢に入った。それを見て、私はブロックに行かなければならないと咄嗟に判断し、シュートブロックをした。

 

するとそのこぼれ球がまた相手のスローインとなった。ただし今回はハーフラインあたりでのスローインとなり、なぜか相手の選手はスローインでゴールキーパーまでボールを下げた。私はここで一気に押し上げることが大事だと思ってメンバーに大きな声で指示を出した。

 

スローインを受け取ったゴールキーパーは、特にプレッシャーもまだかかっていない状況で、なぜかキックミスをした。その浮き球が私のところにきて、これは大チャンスだと思った。

 

しかし、私はそのボールをトラップミスしてしまった。あろうことか、トラップミスしたボールがそのまま再びゴールキーパーのところにバウンドして行ってしまったのだ。

 

だがなんと、キーパーは対応を誤り、そのボールがそのままゴールに入った。棚から牡丹餅のようなゴールにチームは湧き上がり、結果その一点を死守する形で私たちは初戦を勝った。

 

次の試合の相手は、全員日本人だった。今度の相手も強そうであり、試合が始まってみると、やはり私たちのチームは相手に随分と攻められていた。

 

しかしこの試合でもまた私が先制点を奪った。そして後半の最後には、小中高時代の友人(SN)が務めるこちらのチームのゴールキーパーが、ライン際を一気に駆け上がる私にパスをくれて、そこからカウンターを行なった。それは特大のカウンターであり、私の目の前にはもう誰も選手がいなかった。

 

ちょうどハーフラインの辺りでボールを受けた私は懸命にドリブルで駆け上がった。だが相手の選手も懸命に戻ってきており、追いつかれそうになったときにふとゴール前を見ると、俊足の知人が駆け上がっており、彼にパスを出した。

 

地面を転がるグラウンダーの優しいパスを出そうと思っていたところ、なぜか少し浮き玉になってしまい、これは合わせずらいかもしれないと思った。しかし彼は見事にボールをゴールに流し込んでくれた。それによって得点差は2点となり、結果私たちは2対0で勝利を収めることができた。フローニンゲン:2019/11/19(火)05:20

 

5213. 二人の知人の日記より

 

毎朝私は早朝に少しばかり作曲実践をした後に、二人の知人の日記(ブログ)を見ることを楽しみにしている。二人とも毎日日記を執筆しており、二人の日記から得られることは実に多い。

 

一人はヨガ教師をしており、今朝もその方が執筆したブログを読んでいた。私がメールをほとんど見ていないことを考慮してくださり——実際には一応メールは夜に確認しているのだが、両親のメールか仕事上どうしても返信しないといけないものにだけ返信するようにしている——、ブログ上で私に対するメッセージのようなものを書いてくださっていた。それを受けて今こうして日記を書いていることがどこか微笑ましく、往復書簡のような気持ちである。

 

今朝方の夢の中で、「語らない者には何も見えてきやしない」ということを自分は述べていたが、まさにその知人の方は日々何かを語り、私には決して見ることのできないであろう独自の世界を見させてくれている。

 

その方が語ってくれたおかげで初めて見える景色というものがある。それに対して感謝をしていた。

 

もう一人の方は私の友人であり、オランダのデン·ハーグに住んでいる。ここ数日間ブログの更新が途絶えていたことを心配していたが、先ほど確認したら更新されており、安心と共にその日記を読む喜びの感情が芽生えた。

 

その友人の日記には私がヴェネチアに旅行に行っていることについて触れられていた。その中に、友人の祖父の話があった。

 

友人の祖父は、当時にしては多くの国に足を運び、旅先で出会った絵画に影響を受け、絵の作風がどんどんと変化していったということが書かれていた。それを読んで、旅の持つ不思議な力について思いを馳せていた。

 

先般ヴェネチアに旅行に出かけた時にも感じたが、見知らぬ土地に旅をするというのは、感覚や脳を多いに刺激する。人間の感覚や脳は、新しいものに対して敏感に反応するようなのだ。

 

地図がわからないような場所を歩く際には、感覚が全開となり、脳も多いに回転する。また、見知らぬ街を歩く際に目に入ってくる全てのもの、そして感じられる全てのものが自分の中に流れ込むように入ってきて、それがまた感覚や脳を刺激する。

 

そうした身体次元での刺激もさることながら、それよりも重要なのは精神の次元あるいは魂の次元での深化作用かと思われる。旅は単に感覚や脳に刺激をもたらすのではなく、それは精神や魂にも刺激を与え、そしてそれは刺激を超えて、精神や魂を成熟させる触媒になるのである。

 

行く先々で多様な風物に触れ、芸術作品などに触れると、自分の内側に進化と深化の芽が生まれる。旅がもたらしてくれるのはまさにそうしたものなのだろう。

 

そうした旅を行うと、確かに自分から生まれてくる言葉や音が変わる。こうした旅を継続していくことによって、絶えず変化する創造者としての自己がより育まれていくのだろう。そのようなことを思った。

 

また、友人が大変素晴らしい文章を引用していたので、それをさらに引用させてもらいたいと思う。それは、アラスカを拠点に活動していた写真家の星野道夫氏の『旅をする木』の中にあった一節である。

 

「いつかある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろう。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?」「写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンバスに描いて見せるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな」「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって…その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」

 

この一節の最後の文章を読む直前まで、自分であればそうした美しい景色や感動を言葉にし、音にするだろうと思っていた。だが、星野氏の最後の言葉は自分の考えよりもさらに深いものであるように思えた。

 

美しい光景や感動的な光景、さらには日々感じている充実感や幸福感を、言葉や音として表現することも重要でありながら、何より重要なのは、それらを通じて己が変わっていくことなのだ。そのように変わり続けることこそが生きるということであり、変わり続ける姿が即その人の生き様になる。

 

一橋大学名誉教授の阿部謹也先生はかつて、「わかるというのは変わること」だと述べていた。真の意味で何かを知り、何かをわかるというのは、己の変化と密接に結びついたものなのだ。

 

毎回の旅を通じて世界や自己について何かを知り、何かをわかったと思ったのであれば、そこには必ず変化した自分がいるはずである。私は旅を通じてとても大切なことを学ばせてもらっているようだ。それが毎回の旅を通じての変化に現れている。

 

旅をし続けることは変わり続けること。変わり続けることは生き続けることなのだ。フローニンゲン:2019/11/19(火)07:01

 

5214. 断食5日目の晴れ渡る心身:創造活動と発達

 

時刻は午後1時半を迎えようとしている。早朝の天気予報と異なり、今日は快晴であり、本当に清々しい空が広がっている。

 

今朝は3時半過ぎに目覚めたのだが、断食のおかげか、全く眠気もなく、むしろ意識が覚醒し過ぎていて困るぐらいである。

 

午前中に協働プロジェクトに関するオンラインミーティングを行なっていたのだが、やはりその時にも意識の冴えを実感し、できるだけ頭を回転させないように、早口にならないように気をつけていた。明日も午前中に1件ほどオンラインミーティングがあるので、その時も同様のことに気をつけたい。

 

オンラインミーティングを終えた後、街の中心部のオーガニックスーパーに買い物に出かけた。今回の断食中は固形物を一切摂らない形で進めてはいるが、ミネラルやタンパク質の補給などをかねて、必要な栄養はドリンクで摂取している。

 

また、一日3回ほどは味噌を舐めるようにしており、その味噌を購入しに行った。合わせて豆乳も購入したことを書き記しておく。

 

断食中はできるだけ胃腸を休めたいため、ソイプロテインのように消化に時間のかかるものは摂取しないようにしている。その代わりに豆乳を飲むことは続けており、それは断食中の夜の楽しみの一つでもある。

 

自宅からスーパーに向けて軽くジョギングをしている時、断食5日目の身体の軽さに驚いた。「今からフルマラソンを2回連続で走れるかもしれない」というような極端な考えが芽生えるほどに身体からエネルギーが迸っているように感じた。今こうして文章を綴っているが、この際にも迸るエネルギーを文章にあまり込めないように注意しているぐらいだ。

 

身体の充実は精神の充実を呼び込んでおり、朝から創造活動も捗っている。今日は午前中に仕事関係のミーティングを終えたので、今日の残りの時間は全て自分の創造活動や読書に時間を充てることができる。

 

昨日、曲を作っている最中に、曲を作ることを通じてまだ見ぬ自分を発見している感覚が突然現れた。端的には、創造活動は自己表現の道のみならず、自己発見の道でもあったのだという気づきが芽生えた。

 

曲を作る過程の中に新たな自分が生まれ出ていて、曲を作った後にそれを聞き直すと、確かにそこにはもう新しい自分がいるのである。曲を作る前と後ではもう完全に違う自分がそこにいるのだ。

 

その差異は確かに微妙であり、他の人からわかるようなものでは決してない。それは自分にしかわからないものなのだが、自分には歴然としてその差を感じる。

 

実はそれは作曲だけではなく、このようにして綴っている日記においてもそうだ。日記も一つの記事を書いた瞬間に、もはやそこには新しい自己が開かれているのである。

 

ここに言葉や音、あるいはそれ以外を媒体とした創造活動の力を見る。創造活動が自己を育むというのはこの力と密接に関わっているのだろう。

 

創造とは発達であり、発達とは創造だったのだ。それはもう疑いようのないことである。フローニンゲン:2019/11/19(火)13:32

 

5215. 旅を希求する魂:未知で満ち満ちた道

 

数日前に2日連続で、赤紫色に輝く夕日を眺めた。今日の夕方には、深い青色をした鮮やかな夕日を眺めることができた。その夕日が無性に自分の内側に沁み渡ってきたのはなぜだったのだろうか。

 

自己の魂の奥へと沁み込んでいく夕日の方を眺めながら、私は自分自身の魂をそこに見たような気がした。外の世界は自己の魂の映しであり、自己の魂は外の世界の映しなのだろうか。

 

魂。それについて昨日も少しばかり考えていた。

 

自分の魂は遍歴を好むと思っていたが、その背後には、遍歴という旅を通じた成熟を希求していたようなのだ。

 

つい数日前までヴェネチアに滞在していが、今度はマルタ共和国の旅へ向けて調査と準備をし始めた。そしてベルギーなどの旅行を挟み、春にはギリシャのアテネへ足を運ぼうと思い、美術館と博物館を7つほど調べた。

 

特に私は旅をすることに対して衝迫的になっているわけではないが、魂がこの肉体を持つ自分に旅をさせる。まさに、「可愛い子には旅をさせよ」と言わんばかりに、向こうから旅を要求してくるのである。

 

今のところ来月末にマルタ共和国に行くので、1月はフローニンゲンでゆっくり過ごそうと思っている。2月にはベルギーに足を運び、3月か4月にギリシャを訪れようと思っている。

 

ギリシャにせっかく行くのであるからトルコにも足を運ぼうかと思ったが、トルコはまだEU諸国ではないので、ビザについて少し調べておきたい。トルコの代わりに以前から足を運ぼうと思っていたグルジア共和国にそろそろ行ってみようかと思う。バルト三国への訪問はその後になるだろうか。

 

そのような旅の展望が少しずつ開けている。そうした旅を行なっていると、すぐにまた来年日本に一時帰国する日がやってきそうである。次回の一時帰国の際には、福井県と石川県に行き、協働者の方と高野山に行く予定だ。

 

断食5日目がゆっくりと終わりに向かっている。この終わりは何を意味しているのだろうか。

 

今日という日が終わるその先に待つものに思いを寄せる。そこには絶えず何かが待っている。その姿形は一切見えないが、何かが絶えず自分を待っていることがわかる。

 

その何かはいくつかあり、それらのうちの何個かはもうすでにおおよその検討がつく。だがそれらは実際にやってこなければ全く分かりようのないものであるとも言える。

 

人生には、かように未知なもので溢れている。今日も未知の世界を歩き、泳ぎ、飛び回っていた。明日もまたそうなるだろう。

 

いつまでたっても、どこに行っても、この世界は未知で満たされている。道は絶えず未知で満ち満ちている。

 

先ほど、9月の頭に終了した監訳出版記念ゼミナールの続編に関する連絡を前回のゼミナールの参加者の皆さんに送った。一般告知をする前に、皆さんの近況を聞きたいと思い、続編のゼミナールの説明会を兼ねて、オンラインミーティングの招待をした。

 

時間としては短いミーティングになるかと思うが、久しぶりに皆さんの声を聞ければと思う。今回のゼミナールが、2019年を締め括り、2020年のスタートを切るのに有益な場になればと思う。フローニンゲン:2019/11/19(火)19:32

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