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5172-5177:ヴェネチアからの便り 2019年11月11日(日)


二匹の狛犬と彼らを眺めていたハト及びサン・マルコ寺院

本日生まれた2曲

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タイトル一覧

5171.【ヴェネチア旅行記】ヴェネチア滞在3日目の計画

5172.【ヴェネチア旅行記】今朝方の夢

5173.【ヴェネチア旅行記】イタリアのピザのなんたる美味さよ〜自分の中の食いしん坊

5174.【ヴェネチア旅行記】親切心のバトン

5175.【ヴェネチア旅行記】おっちょこちょいな私と親切心が仇になる私

5176.【ヴェネチア旅行記】自由の刑から解放されつつある自己:新たな感覚の芽生え

5177.【ヴェネチア旅行記】サン・マルコ広場のギャラリーで小松美羽さんの作品を見れた幸運〜企画展"Diversity for Peace!"より

5171.【ヴェネチア旅行記】ヴェネチア滞在3日目の計画

時刻は午前5時を迎えようとしている。今朝も昨日と同様に、4時半過ぎに起床した。

昨日は、ヴェネチアの街の一部が運河の水に浸水しているという事態に見舞われたが、そうした中でも街中を歩き回り、それは良い運動になっていたようだ。おかげで昨夜はぐっすりと睡眠を取ることができ、一度も起きることのない快眠であった。

起床してすぐにオイルプリングを始め、今この日記を書いている。さて今日はどのようなことが起きるであろうか?別にハプニングを期待しているわけではなく、今日という一日を通じて私は何を見て、何を感じ、何と出会うのかが楽しみなのだ。

それは特段旅先だけで感じるものではなく、毎日の日々においてもそうである。人生が旅そのものであると言われる所以はそのあたりにもあるのではないかと思う。

先ほど目覚めてみると、随分と部屋の温度が下がっているように思えた。おそらく外はもっと寒いだろう。

天気予報を調べてみると、今の外の気温は8度とのことであり、思ったほど低くない。フローニンゲンであればもっと低いだろう。とはいえ今日は最高気温が11度までしか上がらず、最低気温との差はほとんどないようなものである。今日もヒートテックを履き、マフラーを持って街に繰り出していきたい。

ヴェネチアは、あいにく今日から旅の終わりまでずっと雨のようだ。今日はホテルを出発するまではなんとか晴れかもしれないが、一日の大半は雨が降るとのことである。

ヴェネチアの雨はどのようなものなのだろうか。まさか昨日同様に、道路が水で浸水してしまうぐらいなのだろうか。もちろんそれは冗談だが、ヴェネチアの雨がどのようなものなのかを幾分楽しみにしている自分がいる。

雨もまたこの地球にとって、そして自分の人生の日々にとってもなくてはならないものであり、また何より、秋のヴェネチアの雨もまた趣き深いものがあるだろうと思う。旅に出かけている最中は晴れに恵まれることが多い自分にとって、今日から最終日まで雨というのもまたいつもと違っていて興味深い。

それでは簡単に今日の計画について書き留め、部屋が冷えていることもあるため、シャワーにでも入って体を温めようと思う。今日は午前中から、モダンアートを多数展示していることで知られたペギー·グッゲンハイム·コレクションという美術館に足を運ぶ。

開館と同時に美術館に行くというよりも、開館のタイミングでホテルを出発したい。今はまだ確認していないが、今朝方の浸水度合いはどうなのだろうか?毎朝天気予報を確認するだけではなく、ヴェネチアの地では、朝に道路が水に浸っていないかを確認しなければならないかもしれない。

いずれにせよ、朝はゆったりとホテルで過ごし、10時を目処にホテルを出発する。この美術館はそれほど大きくはなさそうなので、2時間から3時間ほどの滞在になるだろうか。

ゆっくりと作品を鑑賞した後に向かうのは、サン·マルコ広場だ。昨日は浸水のせいで、残念ながら小松美羽さんの作品を見られるギャラリーが閉まっていた。今日もう一度ギャラリーに足を運び、ギャラリーがやっているかを確認したい。

昨日はあれだけの浸水被害に遭っていたサン·マルコ広場なのだから、今日どれくらい水が引いているのか分からず、こればかりは行ってみなければ状況がよくわからない。幸いにもギャラリーが開いていたら、そこでゆっくりと作品鑑賞をして、その足で街の中心部にあるオーガニックスーパーへ行き、果物などの必要なものを購入し、ホテルに戻ってくる。

昨日と同じように、午後5時までにはホテルに一度戻って来て、そこから少し日記を書いたり、入浴をしたりしてゆっくりとした時間を過ごす。夕食を軽めに済ました後に、今夜もまたクラシック音楽のコンサートに出かける。

今夜は昨夜と異なり、別の会場で行われるコンサートに参加する。その場所は既に昨日確認済みであり、宿泊先から徒歩15分ほどなのでとても近い。今日もまたヴェネチアの街でどのような出会いがあるか楽しみであり、それらの出会いを通じて、自分の中にいる新たな自分、つまり成熟の可能性を見ることができたらと思う。ヴェネチア:2019/11/11(月)05:13

5172.【ヴェネチア旅行記】今朝方の夢

つい今し方、ゆっくりとシャワーを浴び、心身を目覚めさせた。ヴェネチア観光三日目の朝がゆっくりと始まりを告げている。

時刻は午前6時を迎えようとしたところである。まだ辺りは暗く、今日は早朝は曇り空、昼前から雨が降り始めるとのことなので、朝日を拝むことはできないかもしれない。

昨日はヴェネチアの街を歩いてよく見て周り、自分の内側に新たな刺激が流れ込んでくるかのようだった。それを消化·咀嚼するかのように、今朝方は夢を見ていた。

夢の中で私は、なんとヴェネチアの街にいた。旅先がすぐに夢の中に溶け込んでくることはそれほどない私にとって、それは驚きであった。

実際に夢の中の私は、「あっ、現在滞在中のヴェネチアが目の前に広がっている」という気づきの意識があった。ひょっとすると、それが夢だということすらもどこかで察していたのかもしれない。

ヴェネチアの入り組んだ路地裏を通りながら、私はその景観を楽しんでいた。するとあるところで運河を架ける橋に出くわした。

橋を渡ろうと一歩を踏み出したところで場面が変わり、私の目の前には見知らぬ若い女性が数名と、大学教授のような男性が数名ほどいた。大学教授の男性に関していえば、どうやら日本で卒業した大学の先輩にあたる人のようだった。

そして若い女性に関しては、彼女たちは私の母校の入試を先日受けたようだった。とはいえ、彼女たちは高校生ではなく、既に成人であった。

女性のうちの一人の話によると、後期試験においては、私が卒業した商学部はなぜか英語と物理のみが試験科目となっていたようだった。その話を聞いた時、「商学部の入試で物理?」と疑問がよぎった。

その理由は定かではないが、本来、英数の後期試験がなぜかそのうちの一つが物理になっているという奇妙な事態だった。その点についてしばらく考えていると、また夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、小中高と付き合いの長い女性友達の一人(MH)と共通の友人の数名とパン屋か何かの店の中にいた。すると突然、彼女が今からクイズを出すとのことだったので、みんな立ち上がりクイズに答えることにした。

彼女が問題を読み上げている最中、私はクルミを食べながらサッカーのリフティングをしていた。クルミをよく噛みながら、ヘディングでリフティングを続けていると、彼女は「随分余裕ね」と私に述べた。それに対して私は、「だってもう答えは知っているから」と答えた。

私にとって彼女が出すクイズの問題はとても簡単であり、少しばかり退屈さを感じてしまうほどだった。そして実際にクイズに正解すると、私の体は小中学校時代を過ごした社宅の前にいた。

社宅の前には駐輪場があり、その前を通っていこうとすると、そこでも小中高時代の女性友達の一人(AK)がいた。彼女に話しかけようとすると、駐輪場の脇の公園から、バスケ部時代の先輩(KT)が現れ、私にバスケかサッカーの助っ人として今から一緒に来てくれないかと言われた。特に用事のなかった私は、先輩の申し出を断ることをせず、先輩についていくことにした。

そこで夢から覚めた。夢から覚めた瞬間に、部屋のクローゼットの方を見ると、向こうの部屋に繋がっているような小窓が見えて、そこに誰かが立ってこちらを見ているような気がした。

それは気のせいだろうと思い、数分目を閉じたままにして電気をつけてみると、やはり私の錯覚であり、そこには壁と壁にかかった一枚の絵画しかなかった。ヴェネチア:2019/11/11(月)06:09

5173.【ヴェネチア旅行記】イタリアのピザのなんたる美味さよ

〜自分の中の食いしん坊

時刻は午前6時を迎えた。まだ雨は降っておらず、ヴェネチアの静かな朝が広がっている。

少なくともヴェネチアの中心部はビジネス街といった印象がなく、ヴェネチアの人たちはどこで働いているのかが気になった。私の頭の中には会社勤めが真っ先に浮かんできて、そういう人たちの姿をヴェネチアではほとんど見かけず、その代わりに現地の人たちは自分の店を営んだり、会社勤めではない何か他の仕事に就いているのかもしれないと思った。

ヴェネチアに到着したのは土曜日であり、昨日は日曜日であったから、今日は平日のヴェネチアの姿を初めて見ることになる。

先ほど、デン·ハーグに住む友人の日記を読んだ。旅先でもふと読みたくなる彼女の文章には、いつも大切なものが込められているように思う。

友人の日記を読んでいると、食に関する話がなされており、ちょうど私が先日にその友人の食実践と睡眠のあり方について言及していたことに触れられていた。実際には無意識の底から突然現れた言葉だったのだが、私は親しみを込めてその友人のことを「惰眠を貪る食いしん坊」と表現していた。

その言葉が生まれた時にも、そして今でもそれは随分と失礼な言葉だと思うが、そこにはやはり親しみの念があり、その言葉が指す一般的な意味は込められていない。そこで私はふと、そうした言葉を用いて友人を表現したのは、自分の影の部分の投影なのではないかと思ったのだ。

つまり、自分の中のまるで決め事のように、惰眠を貪らないようにし、食事を食べ過ぎないことが望ましいという思いが存在しており、それを実現させるために、友人に対する心理的投影として放った言葉が上記のものだったのかもしれないと思ったのである。

普段食事を相当に厳格なものにしている私も、昨日はなんとピザを食べた!トマトとチーズがふんだんに使われ、マッシュルーム入りのとても美味しいピザだった。食後のコーヒーとしてエスプレッソも頼んだ。

乳製品を控えている私にとって、久しぶりのチーズであり、それは美味しく感じられた。まだ一軒しかレストランに入っていないが、街の至るところにあるイタリアンレストランを見ていると、やはりイタリアの飯は美味いと述べても問題ないのではないかと思う。

実のところ、昨日の昼は昼食を抜いて観光しようと思っていたのだが、浸水のために色々と計画が崩れてしまい、トイレが使用できる施設に一度も入らないまま13時になっており、トイレに行きたくなってしまったのだ。

トイレの使用がメインで、実は昼食を食べるつもりはほとんどなかったのだが、確かにその時は空腹であったから、普段の旅の原則である「昼食は食べずに動く」という決まりを破る形でレストランに入ったのである。結果として、あれだけ美味しいピザが食べられたのだから、とても満足である。

私の中にもいる「食いしん坊」が顔を現し、「これだけ美味いピザが食べられるのなら、明日から最終日まで、昼食にピザでも食べるか」という考えが芽生えた。今思い返すと、自分の中の食いしん坊と自分との対話は微笑ましいものがある。

イタリアの本場のピザは本当に美味しく、自分の中の食いしん坊には申し訳ないが、やはり今日からは昼食は食べない。そして、自分の腸内環境に合致したものだけを食べるようにする。

友人の日記のおかげで、自分の内側にいる食いしん坊の存在に気づき、その存在が投影現象を引き起こすこともあるのだということに気づくことができた。自分の中の食いしん坊が暴れないように、彼を抑圧することなく、自分の心身に最も合致した、厳選した美味しい食べ物を彼に与えてあげようと思う。

先ほど大さじ一杯にたっぷり摂った八丁味噌はその一つだろう。午前中に食べるバナナに塗るピーナッツバターは、彼のために気持ち多めにしてあげよう。自分の中の食いしん坊をだしにして、実は私も食いしん坊なのかもしれない。ヴェネチア:2019/11/11(月)06:52

5174.【ヴェネチア旅行記】親切心のバトン

一羽のカモメが天に向かって高らかと鳴き声を上げながら飛び去っていった。ヴェネチアの平穏な休日が過ぎ去り、今日から平日を迎える。

今のところ、昨日と何ら変わることなく、平日のヴェネチアの街にも緩やかな時が流れているように思う。街の景観が歴史を感じさせるためか、悠久の時間が流れているように感じられる。

今、ホテルのレストランから焼きたてのパンの良い香りが漂って来ている。基本的に私は、旅先ではホテルのレストランで朝食を食べることなく、自分の持参した食べ物や、滞在先近くのオーガニックスーパーで購入した果物などを食べるようにしている。だが昨日の昼食にレストランでピザを食べ、その美味さに心底感激したことからも、イタリアのパンもきっと美味しいのだと想像される。

先ほど、リビングルームの窓を開け、地上を確認してみた。昨日は、ホテルの目の前の通りが浸水しており、それは夢にも思わなかった事態であった。

先ほど、恐る恐る確認してみたところ、今日は大丈夫そうだった。今日は長靴を履く必要はなさそうであり、この調子だと、今日こそサン·マルコ広場のギャラリーで小松美羽さんの作品を見ることができるかもしれない。

昨日は当初の予定を柔軟に変え、明日に訪れる予定だったアカデミア美術館を訪れた。この美術館には、14世紀から18世紀にかけてのヴェネチア絵画を中心として、およそ2,000点の作品が所蔵されており、充実した作品群を存分に楽しむことができた。

旅行中は色々と小さなハプニングに見舞われるのだが、この美術館でもちょっとしたことがあった。受付でチケットを購入し、オーディオガイドを受け取った私は、その数分後になんとチケットを紛失してしまったのである。

鑑賞のスタート地点には、女性の係員が数名ほどいて、何やら楽しげに話をしていた。彼女たちのチケットを見せようと思って、それらしきものを渡した時、それはレシートだと笑われてしまった。

チケットが財布やポケットを探しても見つからず、受付の人がチケットを渡し忘れたのだと思って、また受付に引き返した。ところが受付の女性は困った顔をして、「先ほど確かにチケットを渡しましたよ。もう一度ポケットやロッカーなどを調べてみてください。もしなければ新しいのをもう一枚お渡しします」と述べた。そのため、もう一度ロッカーに行き、探してみたが、結局それは見つからなかった。

イタリア人の若い世代の英語は比較的綺麗だが、ある年代を超えると、日本人並みにきつい訛りが英語に混入しており、かなり聞き取りにくいことがある。受付の女性はそうした訛りを持っており、新しいチケットをもう一枚渡してくれるということを聞き間違えて、もう一枚新しいチケットを購入しなければならないと述べたのだと私は勘違いをしていた。

結局探してもチケットが見つからなかったことを告げると、その受付の女性は親切にも新しくもう一枚チケットを発行してくれた。私は勘違いをしていたため、また支払いをしなければならないと思っていたが、そうではなかったようだ。

受付の方にお礼を述べ、もう一度スタート地点に待つ係員の女性たちのところに行くと、彼女たちは一様に笑顔を浮かべ、「いや~、チケットが見つかって良かったですね~」と述べ、一人の女性は私の肩をポンポンと叩いた。

「いや、実は新しいチケットを発行してもらったんです」と素直に述べると、そこでも彼女たちはまた笑顔を浮かべてひとこと、ふたこと述べた。そのようなやり取りを経て、少しばかり陽気な気分になって作品鑑賞を始めたのを覚えている。

実はロッカールームでも一つエピソードがあった。ロッカーを使用する際に必要な1ユーロ硬貨を私は持っておらず、手元には2ユーロ硬貨しかなかった。

すると、二人の年配の夫婦がロッカールームにやって来たので、両替をお願いしたところ、二人も小銭を持っていないとのことだったが、ちょうど二人はこれから美術館を後にするとのことであり、私に1ユーロを渡してくれた。

婦人の方が、「両替ができないからこれを受け取って」と述べてくれ、その親切心に私は大変感謝をした。私が2ユーロを代わりに渡そうとすると、その婦人の方はそれを拒み、「大丈夫よ」と述べて土産屋の方に去っていった。

親切な行為というのは、こうも人の心を温かくするのだと思った。ロッカールームで小銭に困っている人がいたら、受け取った1ユーロをその人に渡してあげ、親切心のバトンを受け継いでいこうと静かに誓った。

受け取った1ユーロには、どこかその金銭的価値以上のものが込められているように思われた。ヴェネチア:2019/11/11(月)07:26

5175.【ヴェネチア旅行記】おっちょこちょいな私と親切心が仇になる私

先ほど、昨日に訪れたアカデミ美術館でのエピソードについて書き留めていた。結局、紛失したと思われたチケットは、財布の札入れの中に入っていた。

普段現金をほとんど持ち歩かない私にとって、大きな金額のユーロ紙幣はほとんどなく、50ユーロ札と100ユーロ札(こちらは欧州内では一般的ではなく、スーパーなどで提示すると、透かしを確認されてしまうぐらい使用頻度は低い)を入れるための札入れ部分は全くと言っていいほど使われていない。

なぜだか、私は受付で受け取ったチケットを、小さい金額の札入れの方に仕舞うのではなく、大きい方に仕舞っており、財布の中を探しても見つからないと困ってしまっていたのだった。

実は私は一般常識に欠けている。それは知識的な意味でというよりも、行動的に一般的ではないと思われることをよくやりがちであり、普通の人が考えればすぐにわかることを、行動してみなければ自分には全くわからないということがよくある。

紛失したと思ったチケットに関しても、財布を調べる際には、大きい金額の札入れを調べることは普通のことだと思うが、私の無意識にはその部分はもうないものとして考えられており、そこを調べることをしなかった。今振り返ってみると、なぜないものとして思っていたはずの場所にチケットを仕舞ったのか謎である。

もう一つ昨夜あったエピソードとしては、現在宿泊中の宮殿のようなホテルでは、一般的なホテルで使用されているカードキーはなく、物理的な鍵を使う。ホテルにやって来た当日に、ポーターの男性から三つの鍵がセットになった重たい鍵を渡され、一つは部屋用、もう一つは金庫用、そして最後の一つは外の扉用だと教えてもらった。念のため、もう一度復唱してもらい、自分が正しく鍵を認識したことをそこで確かめた。

しかし昨日の夜、ホテルに戻って来て扉の前に立ったところ、何をどう頑張っても鍵が開かなかったのである。美術館での思い込みがあったから、最初私は、部屋用の鍵と扉用の鍵を間違えてしまったのかと思い、どちらも試したが、どうしても鍵が開かなかったのだ。というよりも、鍵穴に鍵が入らなかったのである。

ホテルに到着した晩に、近くのオーガニック専門店に立ち寄った帰りには扉をすぐに開けることができたので、どうしたものかと思っていた。しばらく扉の鍵穴と格闘していると、私はふと気づいた。

そこは宿泊先の扉ではなく、その隣の居住施設の扉だったのである。道理で鍵が開かないわけだ。

鍵が間違っていたわけでも、鍵穴への差込み方が悪かったのでもなく、扉がそもそも違ったのである。

私はこの失態に自分でも笑ってしまった。こうした笑いをこの旅の間に何度したことであろうか。

そのような出来事があったことを思い出していると、美術館の館内でオーディオガイドを聞いていると、イギリス人らしき女性に声をかけられたことを思い出した。

イギリス人らしき女性:「すいません。オーディオガイドから音声がうまく聞こえず、故障かもしれないのですが、どうやって使ったらいいか教えてもらえますか?」

:「はい、まずはスタートボタンを押して、その次に作品番号を入力するとガイドが聞こえて来ますよ」

イギリス人らしき女性:「ありがとうございます。う~ん、でもやっぱり聞こえて来ませんね。ちょっと受付に行って新しいものに替えてもらって来ます」

その女性に声を掛けられ、オーディオガイドの使い方を教えて欲しいと言われた時、私は待ってましたと言わんばかりの気持ちになった。というのも、その数分前にロッカールームで見知らぬ夫婦から1ユーロをもらうという親切な行為をしてもらったばかりであり、自分も誰かに親切な行為をしたいと思っていたからである。

その時の私は本当に、「これからは困っている人がいれば率先して手を差し伸べ、親切なことをしよう」と思っていたのである。まさに「願えば通じる」という言葉の通りに、親切心を発揮する場面がやって来たと私は思った。

そのイギリス人女性にオーディオガイドの使い方を教えた後、先ほどまで聞こえていた自分のオーディオも聞こえなくなっていた。「おかしいなぁ。自分のオーディオガイドも故障か?」と思っていたところ、先ほど女性に教えた再生方法が間違っていたことに気づいたのである!

正しくは、作品番号を入力してからスタートボタンを押す必要があったのである。それを知った時、親切心を発揮したと思っていた自分は嘘を教えていたことを知り、親切な行為をした自分に対するある種の陶酔感が一気に覚めた。

女性には悪いことをしたと思いながら、親切にしようと意気込むと、それが仇になることを教えられたように思えた。親切心を発揮するというのは自然な形が一番だ。今日は夕方にオーガニックスーパーに立ち寄るが、今後は親切心もオーガニックなものにしていこう。ヴェネチア:2019/11/11(月)07:53

5176.【ヴェネチア旅行記】自由の刑から解放されつつある自己:新たな感覚の芽生え

自由。絶対的な自由の背中がもう見えている自分がいる。

哲学者のサルトルはかつて、「人間は自由の刑に処せされている」と述べた。昨日の夜にコンサート会場に向かって歩いている時の私は、自由の刑から解放されつつあることを感じ、自分が真の自由を享受する手前にまで差し掛かっているかのように感じられた。

創造活動と旅。それだけをして生きていく日々。それらの活動を通して社会に積極的に関与し、自己を深めていく日々を送っていく。そうした日々がもう完全に実現されつつあることを感じている自分がいる。

こうした日々をこれからも送っていこう。自由の刑から解放され、絶対的な自由の中で毎日を生きていこう。そのようなことを改めて思ったことをふと思い出した。

昨日と同様に、午前8時を告げる鐘の音が聞こえて来た。それはとても心地良い響きを持っていて、ヴェネチアの街に波紋のように広がっていく。

音楽。それが持つ素晴らしさを改めて昨日のコンサートでも感じた。今夜のコンサートでもまたそれを感じるだろう。

自分にできることは質素な生活と旅を続けていくこと、そして日記の執筆と作曲である。本当にそれしかなく、逆に言えばそれがある。それが強く深く自分の生に根付いているということを実感する。

昨日にアカデミア美術館を訪れた時に、思わぬ発見があった。

この美術館の所蔵作品は、キリスト教関係の宗教画が圧倒的多数を占めている。これまでの私は、キリスト教関係の宗教画がどうも自分の内側に入ってこないことを気にかけていた。それは私がキリスト教を信奉しているわけではなく、またキリスト教が真に根付いている西洋社会で生まれ育たなかったことからも当然と言えば当然かもしれない。

ふと私は、アメリカの西海岸に留学していた一年目の夏に、ボストンに旅行に出かけ、ボストン美術館を訪れた際に見た仏像を思い出したのである。その見事な仏像を見た瞬間、私の心は何かに掴まれたかのような感覚になり、仏像が醸し出す何かが自分の内側に流れ込んできたのである。それはある芸術作品との深層的な出会いを示す象徴的な体験と言えるかもしれない。

いずれにせよ、その時の自分を改めて思い出すと、やはり私の深層部分には、仏教的な何か、あるいはアジア的な何かが横たわっていて、その仏像はそれと共鳴したのだと思う。それと似たようなことが、昨日アカデミア美術館でも起きた。より具体的には、キリスト教の宗教絵画が感覚として理解できる自分がそこにいたのである。

作品を前にした時、以前にはなかったような感覚が自分の中に芽生えていることがわかり、作品が言わんとしていることが自分の内側に静かに流れ込んでくるという体験をした。その感覚が芽生えるまでに、欧米で暮らす8年の時の発酵過程が必要だった。

欧米社会に浸透するキリスト教が深層的に持つある感覚質を理解し始めるまでに、実に8年の歳月を要したのである。それが早いのか遅いのかはわからない。そしてそれは大した問題ではない。重要なのは、自分がそうした感覚の芽生えを経験し始めたということであり、自分の中で新しい感覚が開かれつつあるということなのだ。

おそらく、キリスト教社会に住む人たちは、この感覚を共通に持っているのだろう。その国の言葉をいくら表面的に理解したからといって、その国の文化に横たわるこうした深層的な感覚を掴まなければ、その国の文化を理解することはあり得ないのではないかと思う。

真に異国の文化を理解するというのは、そうした深層的な感覚なしでは成し遂げられないのではないだろうか。そのようなことを改めて思わせてくれる体験であり、それは新たな自分が誕生しつつあることを示唆する体験でもあった。ヴェネチア:2019/11/11(月)08:13

5177.【ヴェネチア旅行記】サン・マルコ広場のギャラリーで小松美羽さんの作品を見れた幸運〜企画展"Diversity for Peace!"より

先ほどジャグジーを使いながら浴槽にゆっくりと浸かり、午前と午後の観光の疲れを癒した。今日はまた素晴らしい体験ができた日であった。

ヴェネチア滞在の三日目の今日は、ホテルを出発してしばらくすると小雨が降り始めた。幸いにも強い雨ではなかったが、折り畳み傘を差すことにした。

いや、その前に言及しておかなければならないのは、ホテルの自室の窓から通りを眺めた時には浸水していないように見えたのだが、出発の時に昨日ほどではないにせよ、またしても水が浸水していたことである。

今朝もまた爪先立ちでホテルの扉を開けて外に出た。すると、やはり長靴を履いた人たちがちらほらいて、今日も浸水している場所がいくつかあるのだとすぐにわかった。やはり満潮の時間になると、この時期はどうしても運河が溢れて来てしまうようだ。

今日はまず最初に、カナル·グランデ沿いにあるペギー·グッゲンハイム·コレクションを訪れた。この美術館で見た傑作の数々についてはまた後ほどその感想を書き留めておきたい。今日の最大のハイライトはなんと言っても、小松美羽さんの作品を無事に見れたことである。

ペギー·グッゲンハイム·コレクションを後にした私は、辺りの浸水状況を見ていると、今日はサン·マルコ広場は浸水していないのではないかと期待した。仮に朝方に浸水があったとしても、午後のその時間にはもう水が引いているのではないかと期待したのである。

そのような期待を胸に、私はカナル・グランデを架ける木造のアカデミア橋を越え、サン·マルコ広場に向かった。そして無事にサン·マルコ広場に到着した時、昨日とは異なる光景に心底安堵し、嬉しくなった。生まれて初めてサン·マルコ広場が浸水していなかったのである(昨日訪れたのが生まれて初めてであり、昨日は偶然浸水していたのだから、それは当たり前なのだが)!

私は昨日とは異なる形で童心に帰り、サン·マルコ広場の石畳の上を歩いた。一歩一歩を噛み締めるように石畳の上を歩いていくと、昨日見かけたようなハトがそこにいた。

昨日は、水上を泳ぐハトの方が進むのが早かったが、今日は私の方が早かった。ハトもそれを認めてくれるだろう。

そして無事にギャラリーに到着すると、中に明かりが灯っており、今日は無事にギャラリーが開いていることがわかった。中に入ると、受付を担当する若い女性が椅子に座っていて、笑顔で出迎えてくれた。

昨日の出来事を私から伝えると、昨日はひどい浸水のためにギャラリーを開けることができなかったとお詫びの言葉を伝えられた。私は「あれはあれで面白い出来事でしたよ」と笑顔で述べると、彼女も笑った。

彼女の話によると、サン·マルコ広場はヴェネチアの中でも一番低い場所にあるらしく、この季節はどうしても浸水が起こってしまうようだった。そのような話を聞いた後、作品が展示されている上の階に上がっていった。

今回の企画展“Diversity for Peace!”では、若い10人ほどの芸術家が取り上げられ、彼らの作品をこのギャラリーで見ることができる。小松さんの作品を見る前に、いくつか興味深い作品を見て回ることにした。

そして、小松さんの作品が展示されている部屋に入った瞬間に、そこには別世界が広がっていることにすぐに気づいた。他のアーティストの作品にも独自の世界観が滲み出ていて、各部屋はそれぞれに個性的だったのだが、小松さんの作品が神獣などを取り上げているためか、より一層神聖な感じが部屋に漂っていたのである。

そうした神聖さを後押しするかのように、小松さんの作品が展示されている部屋の窓からは、ヴェネツィアのシンボルであるサン·マルコ寺院が佇んでいた。

この寺院は、福音書の一つであるマルコ伝の書記者、聖マルコの遺体が祀ってある、極めて神聖な聖堂である。私はしばらくその小窓から、サン·マルコ寺院をぼんやりと眺めていた。

すると、窓辺に一羽のハトがやって来て、部屋の中にいる私に挨拶をしてくるかのようにこちらを見ていた。いやそれはひょっとすると、私を見ていたのではなく、小松さんの作品を見ていたのかもしれない。

ハトをも引きつけてしまう何かが小松さんの作品にはあった。私はそこで展示されている小松さんの一つ一つの作品を丁寧に見て、最後にこの場所に来れたことに感謝の祈りを捧げた。

小松さんの作品はどれも見応えがあり、強いエネルギーを発していたが、その中でも特に幾つかの作品を好む自分がいたのは確かである。それらの作品についてはまた明日にでも書き留めておきたい。

今から少し仮眠を取り、夕食を摂った後に、今夜もまたクラシックコンサートに出かける。ヴェネチア:2019/11/11(月)18:02

過去にビジョンの中に現れたシンボルと似ている小松さんの作品(特に右の絵画)

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