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5106-5111:フローニンゲンからの便り 2019年10月30日(水)


本日生まれた5曲

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タイトル一覧

5106. 今朝方の夢

5107. 本日のボルダリングに向けて:書道道具か筆ペンの購入の検討

5108. 読書の秋あるいは読書の冬に

5109. ボルダリングの進展

5110. 継続の大切さを教えてくれるボルダリング

5111. 改めて実感するボルダリングの楽しさと奥深さ

5106. 今朝方の夢

時刻は午前4時を迎えようとしている。今朝は3時過ぎに起床した。

外気は1度であり、今日の最低気温はマイナス1度とのことである。起床直後に換気のために窓を開けた時、その冷たさが身に染みた。

今は外の世界がどこか不気味なほどに静まり返っている。昨夜は就寝前に、ゴッホの画集を眺めていた。それは今から一年半前に、アムステルダムのゴッホ美術館を訪れた際に購入したものだ。

ゴッホ美術館を訪れたのはその時が2回目であり、その時はジャン·ピアジェ学会での発表のためにアムステルダムに宿泊をしていた。その画集を眺めていると、ゴッホの初期の作品群の物寂しさにハッとするような気持ちになった。ゴッホの絵画から魂の嘆きのような声が聞こえてきたのである。

寂寥感を醸し出す色使い。もしかすると、モチーフすらもがそうした雰囲気を醸し出すことにつながっているのかもしれない。

昨日の午後にかかりつけの美容師のメルヴィンの店に行き、彼に髪を切ってもらった。最初はお互いの近況や、ボルダリングやチェス、そして音楽について話をしていたのだが、途中からは先日にフローニンゲンの街の中心部の映画館で起こった殺人事件について話が持ち切りだった。

自宅に帰る頃には夕方を迎えており、もう夕食どきに近かった。夕食後、その事件について調べたり、直近でフローニンゲンで起きた他の殺人事件について少しばかり調べていた。そうしたことが影響をしてか、昨夜は就寝前に、悪についてぼんやりと考えていた。

さらには、この世界の美化に向けた実践について考えていた。自分なりの取り組みが何なのかを今一度見つめ直していたのである。

悪についての考えや世界の美化に向けた取り組みについての考えは、大して進展は見せなかったが、ほんの少しだけその考えが一歩前に進んだように思える。この世界の美化に向けた自分なりの取り組み、本当にそれは自分にできるごく些細なことでしかないが、今日もまたその活動に取り組み、活動そのものを深めていこうと思う。

外の世界の闇を見つめながら、今朝方の夢について振り返っている。今朝方の夢の記憶は断片的なものになっている。夢の中で私は、セミナールームのような場所にいた。

私はあるセミナーの参加者のうちの一人であり、セミナーが終わるや否や、トイレに駆けつけようとした。しかし、トイレで用を足すのではなく、セミナールームの外には溝があり、男性はセミナールームの脇で用を足せるようになっていた。

不思議なことに、セミナールームを出てすぐのところに男女のトイレがあったがのだが、私はトイレに行くことをせずに、セミナールームの脇で用を足し始めた。セミナーの最中にずっと我慢をしていたのだろうか、用を足し始めると、それが終わる気配が一向になく、知人が私の後ろを通りかかった時、その勢いの激しさに驚いていた。

また偶然にも、元サッカー日本代表の選手の、今はあるクラブチームの監督をしている方が私の後ろを通り、「やたらと長いね」と私に声をかけ、笑いながら後ろを通って行った。私もやたらと長いなと思っており、セミナールームから女性が出てくると気まずい感じがしたので、一旦切り上げて、ちゃんとトイレで用を足そうと思った。

そこで私はうまく切り上げて、後わずかばかり残った尿をトイレで済ますことにした。そのトイレはとても小さく、一つの個室しかない。

個室の中に入ると、なぜか便器が二つあり、私は一つの便器に腰掛けた。すると、便器の下にゴミ箱が設置されており、その中のゴミが溢れかえっていた。見ると、応急処置用の道具などが捨てられていた。しかもそれらは全て未使用であり、一体誰がこのようなものを捨てたのかと不思議に思っていた。

私は後ほどそれらのゴミを取り出し、別のところで処分をするか、再利用するかを考えていた。まずは一旦残りの尿を出し切ることにし、用を足して水を流したところで夢の場面が変わった。

トイレの中に入る夢はこれで二日連続だろうか。トイレというシンボルはいったい自分の無意識の何を象徴しているのだろうか。それはあまり肯定的なものではない予感がする。フローニンゲン:2019/10/30(水)04:19

5107. 本日のボルダリングに向けて:書道道具か筆ペンの購入の検討

今日は午後からボルダリングジムに行ってこようと思う。今日は確かに寒く、日中も8度までしか気温が上がらないが、天気には恵まれているため、午後2時にジムが開くのに合わせて自宅を出発しようと思う。

自宅からジムまでの距離は5kmほどであり、ウォーキングと合わせて軽くジョギングをしながらジムに向かうと、大体30分ぐらいかかる。往復の1時間と、ジムで過ごす1時間半ぐらいの時間は、私にとって大変良い気分転換になる。絶えず自宅にいて、書斎に籠もりっきりというのは精神衛生上望ましくない。

オランダでの生活を始めての最初の2年間においては、フローニンゲン大学での授業や研究がない日はあまり外に出かけることをせず、自宅から外に出なくていいように、買い物の際にはまとまった量を購入するようなことをしていた。しかし、当時を振り返ってみると、それは精神を健全に保つため、そして精神をさらに育んでいくためには望ましいことではなかったことがわかる。

今現在は、ほぼ毎日外の空気を吸う時間を設けている。雨の日であっても、近所のスーパーまで歩くようにしており、それは大変良い気晴らしとなる。

これから寒さが厳しくなってくるが、大雪や大雨でもない限り、毎日必ず外に出て、自分の足で外の世界を歩き、外の空気を吸おうと思う。

今日は午後の2時からボルダリングを始めるため、そこから逆算してプロテインを摂取していく。運動前と運動中のプロテインの摂取は、運動後の摂取と同様か、あるいはそれ以上に重要であることは以前述べた。

今朝は午前3時に目覚めたということもあり、少し早い起床のため、午前中に普段飲む飲み物の時間や、昼時に食べているバイオダイナミクス農法で作られた4種類の麦のフレークを食べるタイミングについて少し考える必要がある。

後者のものを食べる際には、豆乳のみならず、ソイプロテインを少々入れよう。それは先週にボルダリングジムに行く際にも試し、組み合わせとして良かったので今日もそのような形で味わって食べよう。

昨日、友人のメルヴィンとボルダリングについて話をしており、12月の第2週あたりに、別の街にボルダリング遠征を一緒にすることになった。彼のパートナーであるスシやその他の友人を連れて、一緒にオランダ国内の他の街のボルダリングジムに行く。おそらくは、以前話をしていたように、ルーワーデンの街のジムに行くことになるのではないかと思う。

話の最後に、12月はメルヴィンとスシの交際4周年記念とのことであり、何か贈り物をしようかと思う。贈り物として相応しそうな絵柄のポストカードか何かを購入し、二人の愛が永遠に続くことを願って、漢字の文字でそれを表現したいと思う。そのために、筆ペンか何かを街のアートショップで購入しようと昨夜考えていた。

理想は書道の道具を手に入れることだが、フローニンゲンのアートショップでそれが手に入るのかはわからない。ちょっと探してみよう。

先日日本に帰り、実家に滞在していた時に、偶然にも母から、私が昔書道を習っていたときの作品が出てきたという話を聞いた。実は以前にも書道を再び始めようかと考えていたことがあり、ひょっとすると今はそのタイミングなのかもしれない。

本格的に書道を始めるかどうかは未定だが、今後誰かにメッセージを送ることがその他にもあることを考えて、少なくとも筆ペンぐらいは購入したいと思う。フローニンゲン:2019/10/30(水)04:41

5108. 読書の秋あるいは読書の冬に

時刻は午後の1時を迎えた。今日は申し分ない天気であり、午後の穏やかな太陽の光がフローニンゲンの街に降り注いでいる。

外気は確かに冷たいが、計画通り、これからボルダリングジムに行ってこようと思う。12月の第2週に、友人のメルヴィンを含め、彼のパートナーのスシを含めて、オランダ国内のボルダリングジムに行く予定となっている。そこに向けて、少なくとも毎週1回はジムに足を運び、楽しみながらにして着実にボルダリングのトレーニングを積み重ねていきたい。

今日の午前中には、日本で購入したボルダリングの理論書に少し目を通していた。ボルダリングは作曲同様に、やってみないとわからないことが多々あるが、理論書から学ぶことも多いことは事実だ。

日本で購入した二冊のうち、一冊はかなり本格的な理論書であり、図とともに身体学的かつ物理学的な解説が豊富になさており、読んでいるだけでいろいろな発見がある。音楽上も音の重力を理解することが大切であり、ボルダリングにおいては文字通り物理的な重力を理解する必要がある。また音響学を理解する際に物理学の知識が有益であるのと同様に、ボルダリングの壁を登る際にも物理学の知識が有益となる。

今日もジムで豊富に実践体験を積み、今夜にまたその理論書に目を通したいと思う。体験から入り、それを理論で補強していく道と、少しばかり理論に先に触れておいて、それを体験で確認するという二つの道を大切にしたい。ただし繰り返しになるが、ボルダリングや作曲という実践をしていく上では、何よりも最初の道を大切にする必要がある。

午前中にはその他にも、コード理論に関する書籍を読み進めていた。これもまた日本で購入したものである。

季節はめっきり寒くなり、秋を通り越して冬だと感じられるが、この冬は、読書体験も再び豊かなものにしていこうと思う。作曲やボルダリングに関する理論書を繰り返し読むこと、そして美学やシュタイナー教育に関する書籍を読んでいくことを自らに課す。それらは決して義務的なものではなく、楽しさの感情に基づいて自発的になされるものだ。そうした書籍に加えて、引き続き森有正先生と辻邦生先生の一連の日記や思索書を読み進めていこうと思う。

今年の冬がまた厳しければ厳しい分だけ、来年の春にはまた養分を蓄えて新たな姿となった自分がそこにいるだろう。そうした新たな自己に向けて、今日も一歩の歩みを前に進めていく。フローニンゲン:2019/10/30(水)13:21

5109. ボルダリングの進展

時刻は午後の7時を迎えた。つい今し方夕食を摂り終えた。今日の夕食も普段と全く同じものなのだが、今日はまた一段と美味しく感じられた。それは今日の午後から夕方にかけてボルダリングをしたからかもしれない。

今日のボルダリングもとても充実していた。前回は日本からフローニンゲンに戻ってきての初めてのボルダリングであり、尚且つ木曜日の午後は数多くの人で賑わっていたから、思う存分楽しめたかというとそうではなかった。

一方今日は、開店とほぼ同時にジムに到着してみると、壁を登っている人がまだ二、三人しかおらず——すでに二、三人いたという見方もできるが——、しばらくは壁を独り占めするかのように好きに登ることができた。

ところがしばらくすると、先日ジムのスタッフから話を聞いていたように、最近はこのジムの人気が高まり、ボルダリングを楽しむ人の数がどんどんと増えているためか、随分と人がやってきた。しかし先週の木曜日に比べるとまだマシであり、そこからも自分のペースで壁を登ることができた。

今日はまず最初に、先日一発で登れなかった赤い課題(日本の階級グレードでいう5級)をウォーミングアップがてら登ってみた。すると、体がもうその課題の登り方を覚えていたためか、一発で課題をクリアした。その後すぐに、先週何度挑戦しても登れなかったパープルの課題(日本の階級グレードでいう4級)に挑戦してみた。

1回目はやはり登れなかったのだが、先週末には到達しなかった地点まで到達することができた。その後、2回目は少しばかり冷静になり、今登った登り方を振り返り、幾分マインドフルネスな意識状態に整えてから再度挑戦してみると、なんと先週あれだけ手こずっていた課題がクリアできてしまったのである。

それはいとも簡単に登れてしまったという感じであり、ボルダリングは本当にボタンの掛け違えのようなところで登れるか登れないかが左右されるデリケートな特性を持っている点が改めて興味深く思えた。その課題をクリアした直後、私は嬉しくなり、クリアした課題を写真の収めた。

すると、60歳を超えているであろう男性がその課題のところにやってきて、壁を登り始めた。見ると、その男性の体の使い方はとてもナチュラルであり、素人のそれとは思えなかった。

その方はなんなりと課題をクリアし、静かに壁から下りてきた。私はすぐに、「Goed!(お見事!)」と述べると、その方は笑顔を浮かべた。そこからはオランダ語ではなく、英語でお互いの自己紹介を簡単にし、ボルダリングについて話をした。

その方は、元々は自然の岩を登るロッククライミングをやっていて、今はそのためのトレーニングを兼ねてボルダリングを始めたとのことであった。その方曰く、ジムで行うボルダリングはよりテクニカルな要素が求められ、そうしたテクニカルの側面を磨くにはボルダリングは最適とのことであった。

しばらく会話をした後、次に挑戦していたパープルの課題の最初の一手がいまいちわからず、その方に初手を教えてもらった。実際のところは初手のみならず、そこからその方はその課題を登っていったのだが、途中でうまくいかず、落下してしまった。その課題はその方にとっても難しいようであった。

その後、その方が「このパープルは難しいよね。実はその隣のホワイトの課題はパープルの課題よりもグレードは高いけど、そのパープルよりも簡単だし面白いよ」と教えてくれた。私は未だかつてホワイトの課題(4級と3級の間)に取り組んだことがなく、それは私には難しいように思えた。

しかしせっかくその方が勧めてくれたこともあり、挑戦してみた。すると案の定、前半部分でダメだった。

2度目、3度目と繰り返すうちに、少しずつ登れるようになってきたが、ゴールまではまだ少し遠かった。最後にもう一度その方に手本として登ってもらうのを見届けた後、そこからは私一人でその課題に引き続き挑戦することにした。

どうやら私は、足をかけるホールドを一つ見落としていたようであり、それを使えばもしかしたら登りきることができるかもしれないと思った。そしてその次に挑戦した際には、そのホールドをしっかりと足で踏んでみたところ、そこからは意外とすんなりと登ることができ、なんとホワイトの課題もクリアしてしまった。

私は嬉しくなって、その課題についても写真に収めた。この勢いでその前に挑戦していた別のパープルの課題もクリアできるのではないかと思って何度か挑戦したが、それは難しいようだった。

すると、今度は私よりも少し若めの男性が後ろからやってきて、その課題に挑戦し始めた。その彼もやはりうまくいかず、下りてきた時に私の方を見て、「これは難しいね」と笑顔で述べた。そこからはその男性とも少し言葉を交わし、何度か一緒に登ってみた。

その男性はさすがオランダ人であり、背が高く、リーチが長いため、私にはあまり真似できないような登り方でその課題をクリアした。確かに彼の登り方は私にはあまり真似できそうになかったが、彼が使ったホールドの踏み位置は私にとって盲点であり、足をその高さまで上げることができれば自分にも課題がクリアできるかもしれないと思った。

先ほどよりも数センチほど右足をホールドの高い位置に持ってきて、壁から引き剥がされないように踏ん張ってみたところ、通称「核心(その課題のキーとなる部分、あるいは山場)」と呼べるホールドを無事に掴むことができ、なんとその課題もクリアすることができてしまった。

その時の喜びは今日一番であり、壁から下りてきて写真を撮影し、友人かつボルダリング仲間でもあるメルヴィンにWhatsApp経由で写真とメッセージを送った。そこからもジムにいる見知らぬ人たちと所々で会話を楽しみながら、日暮れまでボルダリングを楽しんだ。フローニンゲン:2019/10/30(水)19:24

5110. 継続の大切さを教えてくれるボルダリング

「継続は力なり」そのような言葉を改めて思う。それは作曲実践しかり、今日のボルダリングでも感じた。特に今日のボルダリングでは、達成感を感じることが多く、本当に充実していた。

もちろん今回のように、これまでクリアできなかった課題を次々とクリアできることはそれほどないだろうが、そうした日があった時にはその喜びに十分浸ることもあっていいだろう。

ボルダリングの進歩もまた、他の実戦と同様に、山あり谷ありであることはわかっている。山も谷もどちらの瞬間も楽しんでしまえばいいのである。山には山なりの楽しさがあり、谷には谷なりの楽しさがある。

今日の作曲実践に関していえば、もしかすると少しばかり谷のようであった。思うように曲が作れず、昨日は7曲ほど作ったのだが、結局今日は5曲作る程度に留まった。

言葉が自発的に生まれてくるのと同様に、音も自発的に生まれてくるものを形にしていくことが重要であり、それを無理に行ってはならない。どのような実践も、無理をすることなく、その自発的な発達運動に身を委ねる形で実践を継続していくことが大切だろう。

作曲について言えば、今日はフーガを1曲作ろうとしたのだが、まだフーガ形式の特徴とその作曲方法をほとんど掴めておらず、かなり難しく感じた。参考にしていたフーガが少し複雑なものであったからなお一層難しく感じさせたのかもしれない。

日本で購入した作曲の理論書の中に、フーガの作り方も記載があったので、明日以降にゆっくりと当該箇所を読み進めていきたい。ちょうど昨日の朝に、美学関連の書籍、シュタイナー教育関連の書籍、そして森有正先生、辻邦生先生、ルドルフ·オットーの書籍などの初読を終え、昨夜からは作曲理論やボルダリング理論の書籍を読む時間が生まれた。

実際に今朝からは、作曲実践や日記の執筆に並行する形で、それらの理論書を読み進めていた。スポンジが水を吸収するかのように、それらの理論書を読み進めることができた。それはおそらく、これまで理論書よりもまず先に実践を積んできたからだと思われる。地道に積み重ねてきた実践経験が理論の大切さを感じ、理論書の内容を速やかに吸収していく運動をもたらしたのだと思う。

理論書を読解することもまた一つの運動である。読書は本当に運動なのだ。それは知的な運動のみならず、文字通り身体感覚を通じた運動でもある。それを実感させてくれる。

読書が捗る背景には、実践の積み重ねと合わせて、身体の調子を絶えず整えるように意識していることが挙げられるだろうし、また毎日適度な運動をしていることが挙げられるだろう。実際にボルダリングから帰ってきた今、知的運動を速やかに行うだけの身体が整っているように思える。

とりわけボルダリングのように全身運動かつマインドフルネスの意識状態にさせてくれる身体運動は、思考を司る活動に肯定的な影響をもたらす。言葉や音が自分の内側から淀みなく生まれてくるかのような感覚がするのである。

これから寒さが厳しくなってくるが、ジムまでの片道5kmを軽くジョギングしていると寒さは気にならず、むしろ今日のように寒い方が走りやすいとさえ思った。また、ジムの開店時間である午後2時ごろから4時頃までボルダリングを楽しむのであれば、これから日が短くなっても真っ暗になる前に自宅に帰って来れそうである。

今日ジムで出会った60歳代ぐらいの男性が述べていたのは、ボルダリングの技術を向上させるには、理想は週に2回ほどジムに来ることだそうであり、私もそうしたいところだが、とにかく長く続けていきと考えているため、無理をせず、週に1回は必ずジムに通うようにしたい。それはこれから寒さが厳しくなり、日照時間がどれだけ短くなっても実現させたいことである。フローニンゲン:2019/10/30(水)19:40

5111. 改めて実感するボルダリングの楽しさと奥深さ

やはりボルダリングは面白く、それでいて自分の身体のみならず、思考も精神も目覚めさえてくれる。ひょっとすると、それが身体や思考や精神を目覚めさせてくれるものであるならば、自分の霊性すらも育んでくれるような気がしている。

今日も試行錯誤を楽しみ、その瞬間に何かしらの縁で繋がった見知らぬ人たちと話をしながらボルダリングを楽しんだ。一人でジムに行っても十分にボルダリングを楽しめるというのは本当に有り難い。

自分の心と存在をオープンにしていれば、様々な交流がジムの中で生まれ、そして学びがより深いものになっていく。確かに私は、基本的には一人でジムに通っているが、フローニンゲンのボルダリングジムのスタッフはみんな親切かつ気さくであり、ジムに通っている人たちもフレンドリーである。こうしたこともまた、私が一人でもボルダリングを続けていられる要因だろう。

もちろん普段は私一人でジムに通っているが、かかりつけの美容師かつボルダリング仲間であるメルヴィンとは、およそ月に1度髪を切ってもらう際に、お互いのボルダリングについて進捗状況を話し合っている。お互いがお互いにとってのメンターのような役割を果たしており、こうした友が身近にいることもまたボルダリングを継続できている大切な要因だろう。

今日はこれから、日本で購入したボルダリングの理論書『スポーツクライミング教本』を読み進めていく。これは今朝方の日記でも言及した通り、物理学や運動科学的な観点から洞察に溢れる解説が豊富な写真付きでなされており、書店でこの本を見つけた時、必読の書籍だと思った。

最近は純粋な科学者としての仕事はしていないが、元々は科学者としての仕事もしていた私にとって、この書籍に書かれているボルダリングに対するアプローチはとても共感する。今夜から明日以降しばらくは、本書を読み進めていき、再読と言わず、何度も繰り返し読み返したいと思う。

ここまでのところ、すでにボルダリングジムに10回以上は通ったため、体験はある程度積んでいるため、理論的な事柄がより頭に入ってきやすい状態になっているだろう。まさに本書は今の状態になった自分にとって読み頃を迎えた書籍である。

先ほどから今にかけて、今日のボルダリング体験についてあれこれと書き留めてきた。その他に書き忘れていることはないかと考えている。

その他に挙げるとするならば、やはり傾斜のある壁の登り方にまだまだ改善の余地があることを挙げたい。ロッククライミングを長らくやっているという60歳ぐらいの男性とその場でかなり打ち解けたので、その方に傾斜のある壁の登り方を教えてもらった。

その方の登り方には無駄がなく、全く力んでいない。傾斜のある壁でもうまく手を伸ばしながら、手を曲げてしまうことによるエネルギーロスを最小限にしている点が見事であった。

また、ホールドのない箇所に足を擦り付ける技術(スメアリング)やホールドにフックをかけるかのように足をかける技術などが上手いと思った。それらの技術を一つ一つ習得していけば、エネルギーロスを抑え、今日取り組んでうまくいかなかった傾斜のあるその課題がこなせるようになってくるだろう。

他の課題が新しく入れ替わっていても、この課題は以前から残ったままであり、どこかそれは「不朽の名作」のように思えた。実際にその男性の方が、「これはいい課題だよ。傾斜のある課題をこなすために必要な基礎技術を満遍なく試すことを促してくれる」と述べていた。

時代を超えて聴き継がれる音楽作品のように、ボルダリングの課題にも名作の類があることが面白く思えた。今回挑戦した傾斜のある課題は、後一手のところで壁から剥がされてしまったため、次回までに復習やイメージトレーニングをし、次回はなんとかクリアしたい。次回にジムに行くのは、ヴェネチア旅行に出かける2、3日前になるだろうか。

最後に、今日その他に学んだことと言えば、ちょっとした体の使い方やホールドの握り方、さらにはちょっとしたホールドの踏み方の違いにより、結果が全く変わってしまうということだった。この「ちょっとした」という点がおそらくボルダリングのコツであり、真髄なのだろう。

そうした細かな点を疎かにせず、微細な事柄に意識を当てていくことを今後も意識して行こう。微細な事柄を意識し、微細な感覚を養っていくというのは、ボルダリングのみならず、作曲を含め、その他の実践において大切になることだということを改めて思う。

どのような知性領域·実践領域も、微細な事柄を認識し、それを実際の行動につなげていくことが発達の証であるという点が共通している。今日のボルダリング体験もまた学びの多いものであった。フローニンゲン:2019/10/30(水)20:01

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