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5082-5085:フローニンゲンからの便り 2019年10月25日(金)

October 27, 2019

本日生まれた曲

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タイトル一覧

5082. 一生涯続けられる身体運動について

5083. 今朝方の夢

5084. 意識魂の願い:今後の旅行計画

5085. 水の都ヴェネチア旅行に向けて

 

5082. 一生涯続けられる身体運動について

 

時刻は午前6時を迎えようとしている。昨夜はボルダリングを楽しんだこともあり、普段より早めに終身した。おそらく9時半頃の就寝だったのではないかと思う。

 

別に疲れはなかったのだが、筋肉を十分に回復させたいという思いから早く寝た。そのおかげか、今朝は3時半過ぎに目覚めた。

 

その時にもう起きれるような心身の状態にあったのだが、なぜか私はそこで起きることをせず、もう一度目をつぶり、夢の世界の中に戻っていった。夢から覚めて目覚めると午前5時だった。

 

昨日の日記で書き留めていた通り、ボルダリングをするための身体が随分と構築されているためか、起床してみると、筋肉痛かほぼ全く無い状態であることに驚く。トレーニングを積んでいけば、本当に人間の体は変わるのである。それはヨガを通じても実感していることではあった。

 

ボルダリングは長くゆったりと続けて行きたいと思っているし、子供が出来たら子供たちと一緒にボルダリングをしたいということも考えている。昨日日記で言及したように、ボルダリングの持つ全身運動性は、体育にうってつけのものであるように感じられ、ボルダリングというスポーツの精神性は、シュタイナー教育で述べられているスポーツのあり方とも通じる。

 

そうした理由から子供たちと一緒にボルダリングを楽しみたいという思いがある一方で、自分は一体何歳までボルダリングを続けられるのかについてついつい考えが及んでしまう。想像するに、今と同じような生活習慣と適度な運動を続けていけば、60代は今と変わらない身体がそこにあるような気がしており、60代でもまだまだボルダリングができそうである。

 

実際に、昨日も60代ぐらいと思われる「まだまだ若い」男性がボルダリングを楽しんでいた。私から見ると、60代後半というのは本当にまだまだ若く、そうした年齢であればボルダリングは十分に可能なのではないかと思う。

 

そのように考えると、70代や80代ぐらいまでならなんとかボルダリングを楽しめるだろうかという予感はするが、それでもあと40年や50年そこらでボルダリングから離れる日がやってくることになる。そのようなことを考えながら、やはりボルダリング以外にも、一生涯続けられる身体運動を今のうちから習慣にしておきたいという考えが芽生えた。

 

今私がボルダリング以外に行っていることは、毎朝のヨガと午後の軽いジョギングと散歩である。ジョギングに関しては本当に軽めに行っており、鼻で呼吸ができる程度のペースであり、尚且つ膝に負担がかからないような速度で走っている。これも長く続けられると思うが、100歳を超えてきた時には完全に散歩に切り替えた方が良いような気もしている。

 

ヨガに関しては、アーサナの数を増やし、強度を変えていけば、ボルダリングと同じように全身のありとあらゆる筋肉や細胞を鍛えることが可能であり、今後はそれを意識して行こうかと思う。ヨガであれば、本当に一生涯継続することができそうであり、時間や場所を選ばずに自宅で行えることもまた魅力である。

 

晴れた日にはヨガマットを公園に持って行き、そこでヨガをするというのもさぞかし気持ちがいいだろう。そのようなことをぼんやりと考えていた。フローニンゲン:2019/10/25(金)06:08

 

5083. 今朝方の夢

 

心地良い闇と静けさに包まれながら、今朝方の夢について思い返している。夢の中で私は、同じ大学の同じ学部に所属していた二人の女性友達と一緒に大学内で授業を受けていた。

 

その授業は経営学に関するもののはずだったが、なぜか教授が数学の入試問題を出してきた。数学は私の最も好きな科目であり、同時に英語と同じぐらいに得意な科目でもあった。そうしたこともあり、教授が主題した問題も楽しく、そして難なく解けるだろうと思っていた。

 

しかし、いざ問題を解き始めてみると、意外と難しいことに気付いた。右隣に座っている二人の友人たちの方をチラッと見ると、彼女たちはスラスラと問題を解いているようであった。二人が都内の有名女子校を卒業し、優秀なのは知ってはいたが、改めて二人の能力の高さを見たような気がした。

 

その問題は別に一人で解くことを要求されていたわけではなかったので、私は隣にいた友人に解法を尋ねた。特に、私がつまづいている箇所に関して教えてもらったところ、「なるほど次数下げの技術をそのように使うのか」と感心した。

 

二人の友人は性格も良く、勉強ができることを鼻にかけることも全くなく、一緒に勉強していて気持ちが良いというのは昔と変わらない。そのようなことを思っていると、教壇にいた教授が姿を変え、なんと中学校時代に個人塾でお世話になっていた友人の父がそこに立っていた。

 

先生は突然英語で話し始め、私の隣にいた友人を指名し、英語で質問をした。すぐに気付いたが、先生の英語は日本語英語であり、お世辞にも発音が美しいとは言えず、正直なところ少し痛々しさがあった。痛々しさの感情は、別にそこで英語を話す必要はないのに英語を話し、しかもその英語が発音的にも内容的にも大したものではなかったことから生まれていた。

 

友人は質問に対して、事前に準備をしていたかのような回答をした。友人の英語もたどたどしく、日本語訛りが相当に強いものだった。それに対して先生は、「事前に準備していた回答を単に読み上げているだけだ」と英語で批判し、私の方に近寄ってきて、今度は私に質問した。それに対して私は、流暢な英語で返答した。

 

その前に、先生の英語が聞き取りずらかったため、その点についてまず指摘し、もう少しはっきりとクリアに英語を話してもらうように促した。すると先生は少々たじろいでおり、私が一気に述べた回答についてはほぼ理解していないように思われた。そこで夢の場面が変わった。

 

次の夢の場面では、私は小中学校時代を過ごした社宅の中にいた。社宅の食卓で、母と朝食を食べようとしているところだった。

 

冷蔵庫を見ると、やたらと賞味期限が切れたものばかりが置かれており、朝食に食べれそうなものがなく、少々困っていたところ、母が冷蔵庫からボックスに入っていたデザートを取り出した。

 

見ると中身は、綺麗なオレンジの皮が上に乗った白い饅頭だった。饅頭の中身はあんこか何かであり、それは濃いめのコーヒーに合うような食べ物だった。

 

私は早速一つその饅頭を食べてみた。すると、それは非常に美味く、自然ともう一つに手が伸びた。

 

私がゆっくりと味わいながら饅頭を食べていると、母は時間のことを心配しているようだった。どうやら私はこれから学校に行く必要があり、その時間が迫ってきているようだった。

 

しかしそれは母の勘違いであり、自宅を午前8時半に出発すれば、十分に学校に間に合う旨を母に伝え、そこからもう一つ饅頭を食べた。そこで夢の場面が変わった。

 

最後の夢の場面は、記憶が断片的なものになってしまっている。学校のトイレットペーパーが質の良い特殊なものに変わったということを友人たちが喜んでいたのを覚えている。また、トイレの備品に使う乾電池も、今まで以上に長持ちのするものに変わったという話を聞いた。今朝方は、そうした一連の夢を見ていた。フローニンゲン:2019/10/25(金)06:32

 

5084. 意識魂の願い:今後の旅行計画

 

時刻は正午を迎えた。今日のフローニンゲンは曇っており、先ほどごくわずか小雨が降った。それは本当に雨かわからないような微量であったが、窓ガラスにわずかばかり付着した雨滴によってその存在が明らかになった。

 

今日はこれまでのところ、7曲ほど曲を作った。今日はゆっくりと5時に起床したことを考えると、午前中に随分と作曲に集中できていたのだとわかる。

 

ここからは少しばかり読書をし、その後に仮眠を取りたい。読書として読み進めて行こうと思うのは、美学者の今道友信先生が執筆した『美について考えるために——実践美学とカロノロジー——』という書籍だ。それをゆっくりと読み進め、その後に仮眠を挟んで再び作曲に取りかかろと思う。

 

早朝にふと、人生の最後の最後の瞬間まで、人生の美しさへの讃歌を歌い、人への愛と世界への愛を音で表現し続けて行きたいと思った。本当に人生の最後の最後の瞬間までだ。

 

シュタイナーの言葉を借りれば、こうした生き方を希求する衝動は、悟性魂ではなく、意識魂から生まれてきたものであることがわかる。それは理性的な頭を働かせて生まれてきた願いではなく、どこかより深層部分の魂から生まれてきた願いのように思えてくる。

 

明日からは早いもので再び週末を迎える。時の流れは一時帰国中と同じぐらい早く感じられる。気がつけば11月まであと少しである。

 

明日と明後日を使い、11月の2週目に予定しているヴェネチア旅行の計画を詰めて行こう。今回のヴェネチア旅行は数日間と比較的短い。5泊6日ぐらいの旅行にしようかと考えている。

 

金曜日の朝に出発し、火曜日の夕方か水曜日の夕方にフローニンゲンに戻ってくるような旅になるだろうか。アムステルダムからヴェネチアまでは飛行機で1時間40分ぐらいの距離であるため、本当に近く感じられる。

 

ヴェネチアでは美術館をゆっくりと巡ったり、ヴェネチアの街並みをゆっくりと堪能したいと思う。ヴェネチア旅行についてぼんやりと思いを馳せていると、年明け後、2月か3月にベルギーのアントワープとブリュッセルに行く計画についても考えが及んだ。

 

ベルギーに数日間滞在し、そこから南に下って、フランスのまだ訪れたことのない街に数日ほど滞在し、最後にミラノに立ち寄る計画を立てている。それもまたとっさに思いついたものである。

 

春を迎えたら、2年振りにポーランドに足を運び、今度はワルシャワではなく、ポーランドの京都と呼ばれるクラクフにぜひ足を運びたい。クラクフはワルシャワと異なり、第二次世界大戦の戦火から逃れ、今も中世の歴史的な街並みが美しく残っているとのことである。

 

そうした旅をぼんやりと考えながら、プラハを訪れることや、北欧にオーロラを見に行きたいという思いが芽生えてくる。引き続きヨーロッパで長く生活をしていくのであるから、焦ることなく、運命の導きに応じる形で旅行を実現させて行こうと思う。フローニンゲン:2019/10/25(金)12:24

 

5085. 水の都ヴェネチア旅行に向けて

 

時刻は午後の7時半を迎えた。今日も穏やかな金曜日であった。

 

夕方に近所の運河沿いにジョギング兼ウォーキングに出かけ、その足で近所のスーパーに立ち寄った。運河沿いの道の紅葉がとても綺麗であり、落ち葉の鮮やかな絨毯があちらこちらにあった。その絨毯の上を踏みしめながら、黙想的な意識の中でぼんやりといくつかの考えが浮かんできた。

 

日本に3週間ほど滞在した一時帰国から戻ってきて1週間ほどが経った。そこでふと、自分の職業はもしかすると、日記家·作曲家かつ旅人になったのかもしれないと思った。それは本当に天職なのかもしれない。

 

職業という括りにしてしまうとおかしな響きがあり、若干違和感もあるが、日記を書くこと、曲を作ること、旅をすることで人生が進行していく。今日はそんな思いからか、来月に予定していたヴェネチア旅行について少し思いを巡らせていた。

 

当初の予定では、明日あたりに旅の旅程を組み、ホテルと航空券の予約をしようと思っていたのだが、本日の午後に少し調べてみると、思いの外旅程を素早く組むことができ、ホテルと航空券の予約も完了させることができた。

 

アムステルダムからヴェネチアまでは様々な航空会社のフライトが運行しているが、一番ゆとりがあるのはKLMのフライトであり、アムステルダムを午後3時半に出発するフライトは人気があるようで、残席があと1席しかなく、すぐに予約をした。

 

KLMはその他にも、午前10時のフライト、夜の8時ぐらいのフライトもあるのだが、それらはいずれも早すぎるか遅すぎるかのどちらかである。KLM以外のフライトでは、もっと時間が早いものしかなかったり、イギリスやフランスに乗り継いでヴェネチアまで行くため、大変不便である。

 

そうしたことから、アムステルダムからヴェネチアまで一本で行けて、尚且つアムステルダムをゆっくり出発することができるフライトがあるのはKLMだけである。往復チケットの価格もお手頃であり、日本円にして3万円弱ほどであり、実家から東京まで新幹線のグリーン車に乗るのと変わらない(グリーン車の方が若干高いぐらいだ)。

 

航空券の次にホテルの予約をした。ヴェネチアは、思っていたほどにコンパクトな街であり、歩いて街を一周することも可能とのことであり、実際に地図を確認するとそうだった。

 

ヴェネチアと言えば、なんと言っても街に張り巡らされている運河が有名であり、せっかくなので運河を眺めることができるホテルに宿泊することにした。宿泊先のホテルは、空港から市内に直通のバス停から歩いて10分弱のところにある。

 

近くにはオーガニック食品店もあり、とても便利だ。このホテルは、1400年代に作られた歴史あるホテルとのことである。

 

最初ホテルの外観と内装を見た時に、とても煌びやかであることに驚いた。今ではもうリノベーションがされており、今から600年も前に作られた建物のようには思えないが、それでもどこか歴史の面影を残しているところが気に入った。

 

実は、ヴェネチアの中央駅付近にあるモダンなホテルを予約しようと思ったのだが、そこは昼夜とわず賑やかであり、騒音が気になる可能性があったのでそこに宿泊することをやめた。

 

予約したホテルは、運河に面していて静かであり、周りの環境も大変落ち着いている。ホテルの部屋によっては運河を眺めることができるとのことであり、私が宿泊する部屋が仮に運河に面しているのであれば幸いだ。

 

ホテルに宿泊している際には、ぜひともヴェネチアの運河を眺めながら、あるいは運河を感じながら作曲を行いたい。せっかくなので、今回の旅行には、イタリアの作曲家の楽譜を持って行こう。

 

ちょうど日本に一時帰国している最中に、イタリア人の作曲家ニーノ·ロータの楽譜を購入し、彼の小作品集はすでに全ての曲を参考にして作曲をしている。そうしたこともあり、まだそれほど参考にしていないムツィオ·クレメンティの楽譜を一冊携えてヴェネチアに向かおうかと思う。

 

早いもので2週間後はまた旅行に出かけることになったが、自分の内側の促し、つまり内的必然性が自分を旅に導くのであれば、それに従うのは大切なことだろう。自分の内側の内的必然性が、今の自分では想像もしないような出会いをもたらしてくれ、自分をさらに遠くに運んでくれるのだから。フローニンゲン:2019/10/25(金)19:46

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