
本日生まれた曲
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タイトル一覧
5077. 今朝方の夢
5078. プロテインの摂取のタイミング
5079. 絶対的な美と絶対的な幸福感
5080. 生き生きと自由に壁を登る小さな女の子が教えてくれたこと
5081. 肉体を健全に発達させ、魂と霊性を育む機会を提供してくれるボルダリング
5077. 今朝方の夢
今朝はゆったりと午前5時に起床した。昨日は午前3時半あたりに起床していたことを考えると、随分と遅い起床だが、それは気にせず、今日もまた自分の取り組みを前に進めていきたい。5時に起床したとしても、午前中は創造活動に従事する時間が随分とあるのだから、それを素直に喜びたいと思う。
日本に滞在している時と引き続き、オランダに戻ってきてからも快眠が取れていることは喜ばしい。今朝は快眠過ぎたためか、あまり印象に残る夢を見ていなかったように思う。とはいえ、目覚める直前に見ていた夢の断片だけでも書き留めておきたいと思う。
夢の中で私は、実際に通っていた高校の校舎の中にいた。それは確かに自分が通っていた高校なのだが、内装が随分と変わっていた。
校舎の中をぶらぶらしていると、昔からいた先生と見知らぬ先生が混在していることに気づいた。昔からいた先生の中には、小学校時代にお世話になった先生も混じっていて、そこが高校なのか小学校なのか一瞬迷ってしまう瞬間があった。
小学校6年生の時にお世話になっていた先生と偶然廊下で遭遇し、そこで少しばかり立ち話をした。先生は当時から大柄であり、それは今も変わっていない。
先生から私に何かお願いがあったらしく、私はその件について話を聞いていた。残念ながらそのお願いがなんであったかはもう覚えていないのだが、私はそれを快諾した。そこで先生と別れ、ある教室に行くと、そこには高校2年生の時のクラスメートたちがいた。
彼らと旧交を温める中で、そこでも彼からお願いを受けた。どうやら彼らは文化祭で着るための特殊な衣装が必要とのことであり、それを私がどこかヨーロッパの国で見つけてくることをお願いされた。
特段断る理由もなく、逆に彼らに何か協力できるのであれば、それはそれで嬉しいことであるため、私はその申し出を引き受けた。そこで教室を離れ、校舎の外に出てみると、校舎の目の前の横断歩道がとても懐かしく思えた。
そこには、向こう側の道路からこちら側の道路に昔チョークで引いた赤い線が残っていた。それは思い出の線であった。それがまだ消えずに残っていることに対して、私はとても感慨深い気持ちになった。
何度も赤い線で上書きをし、それが消えないように願っていた当時の自分を思い出す。今朝方はそのような夢を見ていた。
今朝方の夢は大して覚えていないと思っていたが、書き始めると、意外と思い出すことができた。それはどこか、文章を書くことや作曲実践にも似ている。
両者はともに書き始めることによって生み出される何かがあり、それは生命の流れのようである。夢日記も多分にそうした性格を持つのかもしれない。
夢は無意識の産物であるから、より一層その性格を持っている可能性がある。今後も、夢についてあまり覚えていなくても、覚えている範囲のことを書くことによって、夢が持つ特殊な生命の流れを形に残しておきたいと思う。フローニンゲン:2019/10/24(木)05:54
5078. プロテインの摂取のタイミング
時刻は午前6時を迎えようとしている。日没の時間はまだそれほど早く感じないのだが、日の出の時間はかなり遅くなっている。朝の8時ぐらいにならないと明るくならない状況である。
今日は昨日よりも暖かくなるようなので、午後にでもボルダリングジムに行こうと思う。それは、フローニンゲンに戻ってきてからの最初のボルダリングとなる。
ジムに行く前に、昨日印刷しておこうと思った契約書を、道中のコピー屋で印刷しようと思う。ジムが開くのは午後2時からのため、自宅を出発するのは1時半ぐらいでいいだろう。
今日も試行錯誤しながら、そして楽しくボルダリングをしたい。ボルダリングに持っていくプロテインを正午あたりに作ることに加えて、午前中の段階でプロテインを補給しておこうと思う。
誤解されがちであるが、トレーニング後だけにプロテインを飲むよりも、トレーニングの前やトレーニング中にプロテインを補給することが、エネルギーや筋力の観点から大事になる。
トレーニング後しかプロテインを補給しないのであれば、仮に激しいトレーニングを行うのであれば、トレーニング中に見る見るうちに筋力が破壊されてしまったり、トレーニングに必要なエネルギーがすぐに枯渇してしまう。
その事実を知ってから、実際にトレーニングの前と最中にプロテインを摂取し始めると、トレーニングをする際の持久力、さらには集中力が格段に向上したことを実感している。そのため、今日もジムに行く時間から逆算して、ソイプロテインを摂取しておきたい。それは午前中か正午に4種類の麦のフレークを豆乳にかけて食べる時に摂取してもいいかもしれない。
ソイプロテインと豆乳は同じ原料で被るのだが、豆乳にさらにソイプロテインを加えても美味しいことが想像される。今日は実験的にそれを食べてみようと思う。ただし、ソイプロテインは、吸収されるまでに5~6時間かかるので、それを考えると、朝にカカオドリンクを飲む際に、その中に入れてみる方がいいかもしれない。
一杯目のカカオドリンクはいつものようにヘンプパウダーとカカオニブを入れ、そこにハチミツを少々垂らして摂取しよう。二杯目のカカオドリンクを午前10時あたりに飲む際に、そこにソイプロテインを入れれば、ちょうどトレーニングが終わる頃にプロテインの吸収が終わっている計算になる。
まずは適量のプロテインを午前中に摂り、トレーニング中もプロテインの補給を意識したいと思う。こうしたちょっとした工夫によって、トレーニングの効果が随分と変わり、身体の構造も随分と変わることに驚く。
ここにもリテラシーの問題、あるいは知識の問題が潜んでおり、トレーニングの効果を高め、身体を鍛えていく際にはそれ相応の知識が必要なのである。そうした知識を少しずつ取り入れ、実際にその知識を実際に活用してみることによって、種々の変化を検証していこうと思う。いずれにせよ、今日はまず普段朝に飲んでいる飲み物にプロテインを加えてみたい。フローニンゲン:2019/10/24(木)06:23
5079. 絶対的な美と絶対的な幸福感
たった今夕食を摂り終えた。時刻は午後の6時半を過ぎた頃であり、今夕日が暮れていく姿を眺めている。夕焼けが空を赤紫色に輝かせ、至福さをもたらしてくれる美が眼前に顕現している。
至福さ。それについて今日もまた考えを巡らせていた。
どうやら、今の私は至福さという状態の中に絶えず参入しており、それがゆえに、至福さが状態を超えた特性を帯び始めている。
今日は午後からボルダリングジムに行ってきたのだが、その行きと帰りで通ったノーダープラントソン公園の落ち着き。そして深まる秋で紅葉した木々の美しさ。
オランダは国全体として、そしてフローニンゲンは街全体として、ゆとりが体現されている。偽りのゆとりではなく、文化に深く根ざした本質的なゆとりが広がっていることに今だに感心してしまう。そうしたゆとりを遥かに超えたゆとりが、ノーダープラントソン公園に広がっていた。
公園内の空間は、とても特殊な落ち着きを持っている。空間にそのような性質が帯びるゆえに、空間と紐づいた時間もまた特殊な性質を帯びる。
時間の流れは極めて緩やかであり、まるで時が止まってしまったかのような感覚さえ引き起こす。
公園内を一人で散歩している人、犬を連れて散歩している人、ジョギングをする人、ベンチで腰掛けている人。各々がこの公園のゆとりある時空間に浸りきっている。とりわけ、ベンチに座って何かするわけでもなく木々を見ている人がとても恍惚的な表情を浮かべているように思えた。
公園を抜け、しばらく歩いていると、人生はかくも美しいものであったということ、人生はかくも美しいものであるということ、そして人生はかくも美しいものでありうるということの証明と記録を絶え間なく行っていこうという決意が静かに滲み出てきた。
小説家の辻邦生先生や美学者の今道友信先生は、思索しながらにして、作品を通じて、そして生きながらにしてそれを実践していたのだと思う。
人生には苦悩や葛藤があり、闇も醜もあるのだが、それらを含めて人生を全肯定する生き方。幸福の中で生きるということ、あるいは幸福として人生を生きるためにはそのようなあり方が求められるように思えてくる。
人生の絶対的な肯定。そして、人生の美を極限まで味わい、それを謳い上げること。それらがきっと幸福への道なのだ。
間も無く時刻は午後7時を迎える。もう夕日が完全に沈みかかっており、辺りは随分と暗い。遠くの空がかろうじてまだ少しだけ明るいが、あと数分したら闇夜がやってくる。
闇夜の美しさとそれが醸し出す至福さを味わおう。それができれば、これから始まる長い冬は、至福さの宝庫となる。
私たち人間は、絶対的な美と絶対的な幸福感に絶えず包まれた形で生きれるということ、あるいはそれが人間本来の生き方のはずであったと言えないだろうか。それを証明することと克明にそれを記録していくこと。自分に課せられた役割はそれなのだろう。フローニンゲン:2019/10/24(木)18:58
5080. 生き生きと自由に壁を登る小さな女の子が教えてくれたこと
今日のボルダリングも非常に充実していた。少し時間を遡ると、ボルダリングジムに行く前に、より正確には午前中に、白湯にカカオパウダーを溶かし、そこにソイプロテインを加えると、とろみが出てとても美味しかった。
ソイプロテインの吸収の時間はゆっくりであることを考え、午前中のタイミングでそれを飲んだのだが、カカオパウダーとソイプロテインを組み合わせ、そこに少しハチミツを垂らすと非常に美味であった。
今日のトレーニング強度を考えると、明日もまだ筋肉の回復が続いているであろうから、午前中の早い段階でその飲み物を飲んでタンパク質を補給しようと思う。
振り返ってみると、日本に一時帰国していた3週間の間に、4回ほどボルダリングジムに足を運んでいた。東京で1回、大阪で1回、山口で2回である。そのおかげか、今日のボルダリングでも良い感覚が維持されていた。というよりも、ようやく身体の動かし方のコツを掴み始めてきたと思え始めたことは嬉しい収穫であった。
以前フローニンゲンのボルダリングジムのスタッフに話を聞いていた通り、木曜日の午後にコースの張り替えがあり、新しいコースを楽しみにくる客が木曜日の午後は多いということであったが、本当にその通りであった。
ジムが開く午後2時と同じぐらいのタイミングでジムに到着すると、すでに人が何人かいて、そこから30分ほどするとかなりの人数になり、3時あたりにピークを迎えていた。自分もその時間にジムにいたため、人のことは言えないのだが、心の中で、「この人たちは仕事をしてないのだろうか?」「この人たちは学校に行ってないのだろうか?」というような微笑ましい問いが芽生えていた。
普通その時間帯であれば仕事をしているであろう年齢の人たちが普通にボルダリングを楽しんでおり、高校生か大学生ぐらいの人たちも普通にボルダリングを楽しんでいた。昼の2時だというのにだ。
3時ぐらいになると、小学生や中学生ぐらいの男の子や女の子の姿もちらほら見られ、親と同伴の子たちもいた。日本とは異なり、オランダには部活動というものがなく、学校を終えるとスポーツクラブに行く子たちはいたとしても、日本のように学校のチームに所属する形でスポーツをすることはない。そうしたこともあり、子供たちがこのようにボルダリングジムに来てボルダリングを楽しむというのも納得がいく。
小学校低学年ぐらいの女の子が壁を登っている様子を観察した時、大いに感銘を受けた。その子は、とにかく自分の体の赴くままに壁と戯れるかのように壁を登っていた。
その様子を一言で述べるならば、自由であった。実にのびのびとした躍動的な身体動作がそこに顕現していた。
それを見た時、知的にあれやこれや考えながら壁を登るのではなく、つべこべ言わずに体の赴くままに自由に壁に登ってみることの大切さを教えられたような気がした。
自分の動きにあのような伸び伸びとした躍動感はあるだろうか。自分の動きに自由が体現されているだろうか。それらのものがないのであれば、それはどこかおかしい。
そこから私は、作曲においても同様の姿勢で取り組みたいと思ったのである。自分の個性とも言える自分にしかない芸ないし業(わざ)を深めていくためには、自らの精神及び魂を解放させ、その躍動感と自由さに身を委ねてみることが必要なのだ。
小さな自我があれこれ小賢しい思考を巡らせても、自らの芸や業は深まって行かない。ある程度深まることはあったとしても、どこかで頭打ちを迎えることは目に見えている。そのようなことを教えてくれたのが、目の前で楽しそうに壁を登る小さな女の子だった。フローニンゲン:2019/10/24(木)19:15
5081. 肉体を健全に発達させ、魂と霊性を育む機会を提供してくれるボルダリング
今日のボルダリング体験についてもう少し振り返っておきたい。少し前の私であれば、Youtube動画を撮影しながら、話し言葉で振り返りをしていたのだが、一時帰国を経て、話し言葉よりもやはり書き言葉を通じて振り返りを行う自分に再び戻ってきた。
また日本語が話したくなったときに動画を取ればいい。今は日本語を話す意欲がなく、話し言葉で何かを表現する意欲もあまりない。
今回のボルダリングが何回目だったのかもう忘れてしまっている。10回の回数券があと3回になったと、ジムのスタッフから今日言われ、日本で4回ほどボルダリングジムに足を運んでいたから、ようやく10回を越したぐらいだろうか。
今日自分自身でも驚いたのは、これまであまり挑戦をしてこなかったパープルの課題のいくつかを順調にクリアしていったことだった。しかも中には、通称「オンサイト」と呼ばれる、他者が登っている姿を見ることなしに、初見でいきなり壁を登り切るということができる課題もあった。それには自分でも驚き、そして嬉しくなった。
3週間ほどフローニンゲンのジムから離れている間に、壁が様変わりしており、課題が大幅に入れ替わっていることに気づいた。それを見た時、とても新鮮に思えた。確かにこのように課題の入れ替えを定期的に行ってくれると、客としては飽きがこないため有り難い。
課題の中には、このジムを代表する課題と言えるようなものもあり、それらはまだ残っていた。本日の後半に挑戦したパープルの課題はその一つであった。
今日は本当にパープルの課題ばかりを登っていたように思う。時折パープルよりも一つグレードが下の赤の課題を登っていたが、それらはほぼ一発で登れるか、少なくとも2回目には登れていた。
やはりボルダリングも、「習うより慣れろ」の精神が大切のようであり、ジムに定期的に通い、壁を登っていればある程度のコツが比較的早く掴めてくるし、ボルダリングに必要な筋力も自然とついてくる。
コツに関してはようやく今回それが掴めてきたことを実感したが、筋力に関しては、日本に一時帰国する前あたりから気付いていた。意図的にかなり筋肉に負荷をかけるようなことをしていても、筋肉の回復が早くなり、何よりも筋肉痛が軽減されていることに気付いていたのである。
ボルダリングの最中の筋肉の持久力も付き始め、筋肉痛からの回復も早くなっていることを見ると、身体的な進歩と変化を実感する。ボルダリングは全身の様々な筋肉を複合的に活用するため、ボルダリングを長くやっている人たちの身体はやはり綺麗である。自分も随分としなやかな筋肉がつき始めているように感じる。
それともう一つ、ジムの中で楽しそうに壁を登る子供たちを見ていると、シュタイナーが述べていたことをふと思い出した。
シュタイナーは、「肉体を健全に発達させていけば、その子供の中には必ず美しい魂と美しい霊性が人格として花を咲かせる」ということを述べていた。私はこの考え方に大いに共感する。
ボルダリングの持つ全身運動性を考えると、このスポーツは子供たちの体育にとても有益なのではないかと思った。シュタイナー教育においては、確か人と競い合うようなスポーツを子供たちにさせることは控えており、そうしたスポーツはある程度年齢がいってから行わせるということを聞いている。
その観点において、ボルダリングは基本的に自分と向き合うスポーツであり、同時に他者と意見交換しながら行うコミュニケーション型のスポーツであるため、シュタイナーの体育の発想に合わないものではない。
ボルダリングだけが候補になるわけではないが、子供たちが真に自らの肉体を健全に発達させていく機会が奪われている現代社会において、ボルダリングというスポーツは健全な肉体を育んでいく機会を提供してくれるだろう。
こうした体育に加えて、そもそも肉体を構成する栄養をいかに摂取するかの食育も合わせて考えていくことによって、子供たちの魂と霊性を育んでいくことにつながるのではないかと思う。そして、体育と食育の重要性は、私たち大人にも当てはまることである。フローニンゲン:2019/10/24(木)19:35