本日生まれた曲
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タイトル一覧
5069. 誕生日から一夜が明けて:美術館に思いを馳せて
5070. 新しいビザの受け取りに関する誤解:今朝方の夢
5071. 記憶の奔流体験とデジャブ体験
5069. 誕生日から一夜が明けて:美術館に思いを馳せて
時刻は午前6時を迎えた。こうしてまた人生の新たな一日が始まった。
昨日は、オランダで迎えた4度目の誕生日だった。母から祝いのメールが届いただけであり、その他には特に何も変わったことはなかった。
あともう一つは、フローニンゲン大学から誕生日を祝う一遍の詩がメールで届けられたことぐらいだろうか。本当に何の変哲も無い誕生日であり、普通の一日と何も変わらなかった。
こうして普通の日常を送れているということ。それはとても有り難いことなのかもしれない。
これ以上にない落ち着いた環境の中で、他者や社会から邪魔されずに自分の取り組みに毎日従事できているということ。その有り難さを再度思う。
今日はいつもより1時間半も遅く、5時半に起床した。昨夜の就寝時間は9時半を過ぎた頃だったので、遅く寝たわけではないのだが、今朝は5時半まで睡眠を取っていた。途中に一度も目を覚ますことなく、大変質の高い睡眠を取っていたように思う。
実家に滞在していた時に、枕とマットレスが自分の体ととても合ったものであり、毎日快眠を取ることができていた。実家で使っていた枕とマットレスと同じメーカーの製品をオランダでも購入できるようだったので、枕とマットレスを購入しようかと思っていたのだが、今使っているものでまだ十分かもしれないと思い始めている。
現在、枕に関しては低反発のものを利用しており、それは自分の頭や首に合っているようであり、マットレスに関しても、睡眠を妨げるようなことは一切ない。寝具を新調するかどうかはもう少し様子をみよう。
今朝はいつものように、起床してすぐにオイルプリングを始め、部屋の掃除を行った。日本に一時帰国する前から気を付け始めていたのは、部屋をこまめに掃除することである。
床に関してはこれまでもこまめに掃除をしていたのだが、水回りやトイレの掃除の頻度はそれほど高くなく、今はこまめに掃除をしている。それによって部屋が綺麗に保たれ、常に良いエネルギーが部屋に循環しているかのようだ。
もうめっきり寒くなったが、窓を開けて、それによっても良い空気とエネルギーを循環させるようにしている。先ほども窓を開けており、朝起きてすぐに部屋の空気の入れ替えをすることは、どんなに寒くなっても今後も続けていく。
先ほど部屋を掃除している時にふと、また次回日本に旅行に出かける際には、ぜひともまだ足を運んでいない全国の美術館を訪れたいと思った。今回の一時帰国を通じて、日本には大変素晴らしい美術館が多く存在していることを知った。
全国にある美術館を一つ一つゆっくりと巡ってみたい。そんな思いを持った。
それともう一つ、美術館に足を運ぶことによって、ある意味非日常的な意識状態になり、そうした意識状態を通じて治癒や変容が起こりうるということを考えると、日本国内の美術館の維持と発展に何か関与ができないだろうかと考え始めている。
身体的·精神的にどうしようもないほどの病が蔓延る現代社会ではあるが、そんな現代社会の中にあって、癒しの空間を提供する美術館の存在意義について改めて考えている。もちろん、病の根幹的な治癒に向けてはやることはその他に山ほどあるが、美術館を通じて何かできないだろうか。
それに付随して、音楽を通じても、現代の病的危機状況に対して何らかの策を講じていきたいという考えが芽生えていた。フローニンゲン:2019/10/22(火)06:27
5070. 新しいビザの受け取りに関する誤解:今朝方の夢
昨日、ズヴォレの移民局に電話をしたところ、私の方で大きな勘違いがあった。幸いにも、企業家ビザの申請が降り、引き続きオランダに滞在することができるようになったのだが、そのビザの受け取り期日を少々間違えていた。
今持っている古いビザカードを新しいものに交換してもらうために、ズヴォレの移民局にオンラインを通じて予約をしようと思ったところ、この先4週間の予約が一杯であり、どうしたものかと思っていた。というのも、移民局から送られてきた手紙を見ると、ビザの認可から4週間以内に移民局に行き、新しいカードを受け取る必要があると書かれていたからである。
だがそれは、私の勘違いであり、オランダ語の基本的な単語を誤解していたことに気づいた。移民局の方に「4週間以内にビザを受け取らないとダメだと手紙に書いてありました」と伝えると、その方はいったん電話を保留し、同僚に確認をしてくれた。
その保留中に改めて手紙を読むと、「週」という単語と「月」という単語を間違えていたことに気づき、保留からその方が戻ってきた時には問題は解決していた。
私が自分の勘違いであったことをその方に伝えると、その方は大きく笑い、お互いに笑いながら電話を切った。そのようなやりとりが昨日にあった。
新しいビザは4週間以内ではなく、4ヶ月以内に受け取ればいいとのことであり、随分と悠長だ。直近においては、ヴェネチアやマルタ共和国などの欧州域内の旅行しかないため、空港でパスポートコントロールを通る必要もなく、ビザのカードを見せる必要はないのだが、念のため早めにカードを取得しておこうと思う。
とはいえ、特に急ぎでもないので、予約はヴェネチア旅行から帰ってきた来月末にしておいた。せっかくなので、ズヴォレの移民局に立ち寄った足で美術館にも足を運ぼうと思う。
起床してから1時間ほどが経つ。今朝も闇と静寂さに包まれた世界が外に広がっている。
日没時間はまだそれほど早いと感じないが、日の出の時間が随分と遅いと感じ始めている。今日も8時近くにならなければ明るくならないだろう。
目の前に広がる闇の世界を眺めながら、今朝方の夢についてぼんやりと思い出している。今朝はそれほど印象に残る夢を見ていなかった。
覚えているのは、外国に住む女性の友人が、普段はほとんど化粧をしていないのに随分と化粧をしていることに気づいた場面があったことである。どうやら夢の中の舞台は日本のようであり、より厳密には東京のようであった。
普段外国の生活で化粧をしない彼女が、東京では化粧をしている姿を見た時、東京では自己を偽って生きなければならないのかとふと思った。さらには、化粧という仮面を被って自己を偽るのみならず、化粧そのものが自己を覆うバリアのようなものに思え、東京ではそれほどまでに自己防衛的にならなければならないのかとも思わされたのである。
そういえば、彼女は化粧のみならず、髪型も普段とは随分と違っていた。単なる外出のはずなのだが、まさか美容室に行って髪をセットしてもらったのではあるまいかと想像していた。そのような夢を見ていた。
その他にも場面があったのだが、それらは全て記憶の彼方にある。それらはまた記憶の彼方からこちらに戻ってくるだろう。フローニンゲン:2019/10/22(火)06:47
5071. 記憶の奔流体験とデジャブ体験
時刻は午前8時を過ぎた。8時前にようやく辺りが明るくなってきたが、今もまだ薄暗く、朝日の姿は拝めない。
いよいよ待ちに待った長い冬がやってきた。存在を濃縮し、存在を開花させるための長い長い冬がようやくやってきた。
オランダで迎える4度目の冬。最初の年には冬の長さと過酷さに驚かされたが、今となってはこうした冬を愛らしいとさえ思えるようになった。
いや、それは幾分自分勝手な見方かもしれない。深く長い冬と私は友達なのだ。この交友関係を大切にしたい。
真っ暗闇の中、先ほど2曲ほど曲を作った。今日は午前中に1件ほどオンラインミーティングがあるが、それ以外の時間は曲を作ることと日記の執筆に時間を充てたい。
日本に一時帰国したことをきっかけとして、私は再び書物に戻ってきた。毎日少しずつではあるが書物を再び読み始めている。
ただしそこで読んでいるものは、真正の言葉で書かれた思想書——よく見受けられる学説の寄せ集めのような腑抜けた書籍ではない——や作曲関係の書籍、そして画集などである。今日も作曲と日記の執筆の合間を縫って、書物を少しずつ読み進めていこう。
自己を真に深めてくれる良質な書籍は、精神の最良の栄養となる。そうした栄養を毎日少しずつ摂取し、少しずつ前に進んでいく。
そういえば昨日は、過去の記憶が激しく流入してくる体験に見舞われた。それは記憶の逆流、あるいは奔流と言ってもいいような体験であった。
具体的には、この10年間で生活をしてきた数々の拠点、大阪(2年)、サンフランシスコ(2年半)、ニューヨーク(半年)、ロサンゼルス(1年)、山口県(3ヶ月)、東京(1年半)、オランダ(3年)での生活を通して蓄積された記憶が一気に自分の内側に流れ込み、そして混ざり合っていくという体験をした。その後、奇妙な静けさがやってきた。
それは混ざり合った記憶を濾過するかのような役割を果たしているように思えた。その静けさが過ぎ去ったあと、とても平穏な気持ちになった。
時の螺旋階段はとても優しかった。私の無意識は、その螺旋階段を上ったり下ったりしていたようだった。
階段を上ることも下ることもやめてみると、そこには静けさだけがあったのである。その静けさの中にポカリと浮かんでいることを知覚する体験が昨日にあった。
今朝方もまた不思議な体験をした。それはデジャブ体験であった。
深い闇に覆われた早朝、書斎の明かりを灯しながら、私は日記を書いていた。そこで「あっ!」と気づき、その光景を夢かどこかで見たという確かな感覚があった。
デジャブのビジョンにおいては、真っ暗な外の世界を眺めながら日記を書いている私のところに誰か知り合いが駆けつけ、「早く逃げないと危ない!」とその友人が述べていた。何のことかわからなかった私は、悠長に彼の言葉を受け止め、日記の続きを書こうとした。
ふと窓の方を再度振り返ると、真っ暗闇に包まれた世界の上空に光り輝く存在を見つけた。それらは大量の星であり、無数の星が空から地上に落ちてきていたのである。
友人はその事態を危ないと述べていたようだった。だが私には、それが危ないものとは思えず、恍惚的な眼差しで、地上に降り注ぐ大量の輝く星々を眺めていた。そのようなデジャブ体験があった。
気がつくと時刻は午前8時半を迎えていた。辺りは先ほどよりも明るくなった。それでもまだ朝日は拝めず、今日はどうやら霧がかかっているようだ。フローニンゲン:2019/10/22(火)08:33