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5066-5068:フローニンゲンからの便り 2019年10月21日(月)

October 23, 2019

本日生まれた曲

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タイトル一覧

5066. 今朝方の夢

5067. オランダで迎える4度目の誕生日の朝に

5068. 命と魂の織物の中で

 

5066. 今朝方の夢

 

今朝は午前4時前に起床し、時刻は4時半を迎えようとしている。フローニンゲンはめっきり寒くなり、寒さに耐えきれず、朝晩に暖房をつけるようになった。

 

実際に今も暖房をつけている。また、昨夜からは湯たんぽを使って寝始めることになった。足先と言うよりもメインはお腹を温めることに使っている。

 

フローニンゲンの冬は長く、5月末まで湯たんぽを使っていたことを思い出すと、これから湯たんぽとの付き合いは長くなりそうだ。

 

昨夜はお腹を温め、その後に足先を温めながら入眠した。そのおかげか今朝もまた快眠であった。

 

快眠の中で見た夢について少しばかり思い返している。夢の中で私は、小中学校時代を過ごした社宅の中にいた。

 

社宅の廊下を歩いていると、突然瞬間移動し、私はサッカースタジアムにいた。どうやら、これからオリンピックの予選の試合が始まるようであった。

 

私はスタジアムの一角に腰掛け、日本代表とアジアのどこかの小国が対戦する試合を観戦し始めた。日本とその国との力の差は歴然としており、前半の終盤を迎える頃には、スコアは5-1で日本がリードしていた。

 

前半のホイッスルが鳴るか鳴らないかの時に、日本はコーナーキックのチャンスを得た。キッカーはショートコーナーを選択し、そのパスを受けた選手がゴール前に見事なクロスを上げた。

 

そのクロスはカーブをしながらゴールポストに直撃した。そのこぼれ球がゴール正面の方に転がっていき、それを日本代表のエースストライカーが豪快にダイレクトでシュートし、それはゴールネットを揺らした。

 

選手たちは歓喜に沸いており、私もそのシュートは見事だと思った。その選手は実際にはオリンピック世代の代表で出場できる年齢を超えており、オーバーエイジ枠でその試合に出場していた。その選手は試合中の節々に貫禄のあるプレーを見せていた。

 

6点目が入るのとほぼ時を同じくして、審判は前半終了のホイッスルを吹いた。気がつくと、私は再び社宅の中にいて、今度は父の部屋にいた。

 

部屋のテレビにはその試合が中継されていた。父の声はするのだが、父の姿が見えず、どこにいるのかと思いきや、父はベランダで何かをしているようだった。プランターに水をやっているのか、それとも辞めたはずのタバコを吸っているのかのどちらかと思い、そっとしておくことにした。

 

後半が始まる前にトイレに行こうと思ってトイレに入ると、どこからともなく声が聞こえてきた。その声は、オリンピックに出場した選手が今後も恩恵を受けられるような仕組みを提唱していた。

 

具体的には、オリンピックに出場すれば、「松」の称号が与えられ、その後、オリンピックの運営などに貢献すれば、「竹」の称号が与えられる。そしてさらに長きにわたって貢献をしていけば、「梅」の称号が与えられる。

 

それらの称号別に特別な待遇が様々な場所で受けられるとのことであった。例えばホテルのラウンジの利用であったり、レストランで優待サービスを受けられるなどだ。

 

その声の主はそうした制度について熱く語っており、私はその制度は面白いと思った。そこで夢から覚めた。フローニンゲン:2019/10/21(月)04:53

 

5067. オランダで迎える4度目の誕生日の朝に

 

とにかく深い闇。とにかく深い静けさ。自己を濃縮させ、自ずから自己の深くに潜っていくことを促すような力がこの場に広がっている。

 

先ほどカレンダーを見た時にふと気づいたのだが、今日は自分の誕生日だった。誕生日を迎えたからといって特に何か特別な感情が起こるわけではないが、それが自分にとって大切な日であることには変わりない。

 

そういえば昨夜は、自分がその日まで何日間生きていたのかを計算していた。もうすでに10,000日以上生きているらしく、逆に言えばまだ10,000日ほどしか生きていないということにも気づいた。時間数ではなく、あえて日数で計算をしていたのは、計算が簡単だからだろう。

 

今日はオランダで迎える4度目の誕生日だ。気づけばもう4度目なのである。

 

ここから私は、あと何回オランダの地で誕生日を迎えることになるのだろうか。それは誰にもわからない。

 

数日前に日本からオランダに戻ってくる際に、経由地点のヘルシンキで突如アルファベットの世界に入り込んだ時の感覚を覚えている。逆に、オランダから日本に行く際に、アルファベットの世界から日本語の世界に入り込む際にも似たような感覚があった。

 

アルファベットの世界が持つ独特な硬質感。アルファベットの文字群は、自分の頭に向かってきて、頭の中に進入してくる。だがそれは頭の中で留まる。

 

また、アルファベットの文字群は、私にとって幾分無機質に思えてくる。それらの文字群が単語となり、文章となってくれば、それは固有の感覚をもたらしてくれるのだが、単語や文章の意味を汲み取ろうとしなければ、それは無機質なモノの集まりのように知覚される。

 

一方で、日本語に関しては、それが持つ呪術性に改めて驚かされた。ヘルシンキからオランダに向かう飛行機の中でふと、「日本人は絶えず日本語という言語が持つ特殊な魔法にかけられており、同時に魔法使いでもある」というようなことを考えていた。

 

言語哲学者の井筒俊彦先生が指摘するように、実際には日本語のみならず、いかなる言語も呪術性を持っているのだが、私が日本語を母国語にしているためか、日本語の呪術性を強く感じる。以前の日記で言及したように、戦後GHQは、日本語が喚起する特殊な呪術性を恐れて漢字を簡素化·解体していく方向に我が国を仕向けたのもうなづける気がする。

 

それではこれから早朝の作曲実践を行おう。日記の執筆と作曲。それら二つに邁進·没頭する日々が再び始まった。

 

日本に一時帰国している最中に、映画館で映画を4本ほど鑑賞した。久しぶりに映画館で映画を見ると、いろいろな刺激があり、感覚や感性がより広がり、世界を認識する眼がまた開かれていく感覚があった。

 

そうしたこともあり、オランダでも映画館に時折足を運ぼうかと思っている。ちょうど街の中心部のオーガニックスーパーの真ん前に映画館があり、一昨日スーパーに立ち寄るついでに映画館の中に入ってみた。

 

驚いたことに、月額21ユーロで2Dの作品を見放題という仕組みがあり、それは安すぎのように思えた。日本で言えば、大人一回あたりの鑑賞料金と同じぐらいである。

 

自宅に帰ってきて改めて調べてみると、本当にその価格だった。2Dの作品だけではなく、3D、IMAX、4DXなどの作品を見放題な仕組みもあり、それは月額29.50ユーロなのだが、それでも十分安い。

 

フローニンゲンの映画館でどのような映画が継続的に上映されているのかの傾向を掴み、自分の趣味と合致していそうであれば、そうした仕組みを利用しながら映画館に毎週1回ぐらい通ってみるのも良いかもしれないと思っている。フローニンゲン:2019/10/21(月)05:19

 

5068. 命と魂の織物の中で

 

今立ち上がった瞬間に、突拍子もない考えが芽生えた。いやそれは考えというよりも、昨年に直接知覚した体験を思い出したのである。

 

その体験とは、今自分がいる時空間がよじれ、私は恐竜が生きている時代の時空間に入ったというものだった。おそらくそのようなことを言っても誰も信じてくれないと思うが、実際に自分の身に起きたことなのだから嘘偽りは一切ない。

 

もう少し正確に述べると、その体験は、現代の時空間と恐竜が生きていた時代の時空間が交差するような体験であり、ホログラムのような恐竜たちが自分の部屋を勢いよく走り去っていくことを知覚する体験だった。

 

それを知覚した時、最初私は大いに驚いたが、時空間というのは実は無限に錯綜しているものであり、今から何億年も前の時空間と現代の時空間が交差する地点にぶつかり、二つの世界が混ざり合う瞬間を目撃することは何ら不思議ではないのかもしれないと思った。

 

時空間の奇妙な移動については、そういえばジョン·エフ·ケネディ大学時代にも経験している。あの日は確か夏の午後であり、部屋に敷いたヨガマットの上でヨガを行い、そのままシャバーサナのポーズでくつろいでいた時にそれは起こった。

 

自分の物理的身体からエネルギー体と意識が浮上し、それが壁を突き抜けて隣の部屋に移動しそうになったのである。その体験は初めてのものだったから、私はびっくりして意識とエネルギー体を自分の物理的な身体に戻そうと必死になった。

 

結果として、私の意識とエネルギー体は隣の部屋に移動することなく、元の物理的身体の中に収まった。これと似た体験としては、シャーマニズムのセレモニーに参加した時に、自分の意識とより高次元のエネルギー体が銀河系に飛ばされ、天の川か何かを眼前に見たというものがある。

 

今から思い出すと不思議な体験なのだが、物理的な身体は時空間を超えて瞬間移動できなくても、意識やエネルギー体はいとも簡単に瞬間移動できるのだとその時知った。

 

そのような体験を思い出しながら先ほどふと考えていたのは、そういえば今私が住んでいる部屋には以前どのような人が住んでいたのだろうか、というものだった。以前に住んでいた人、そのまた以前に住んでいた人。この部屋にはきっと過去何人もの人が住んでは去りを繰り返していたに違いない。

 

この家が今から何年前に建てられたのかは知らない。この家が建てられる前にもひょっとすると別の家があり、そこで暮らしていた人が何人もいたのかもしれない。

 

オランダという国が建国され、今に至るまでにこの空間に何人の人が暮らしていたのだろうか。局所的なこの場所に、様々な人たちの人生と魂が埋め込まれているような気がする。

 

それを感じることができるだろうか。今の私はそれを感じている。

 

この場所に人が住む空間が誕生する前は、牛が歩いていたのかもしれない。もっと遡れば、やっぱり恐竜が生きていたのかもしれない。そんな時空間の一つの層に今の自分が生きている。

 

とても不思議だ。時空間というのはひょっとすると、生命の織物なのかもしれない。

 

それは魂の織物であり、そこには様々な魂が折り重なっている。自分の魂も時空間という織物の一本の絹糸なのかもしれない。

 

「部屋に恐竜が歩いていたんですけど」と述べても誰も信じないだろうが、私はそれを知覚した。出島を通じて日本と貿易をしていた頃に生きていたオランダ人がこの場所で生活をしていたのだと直感的にわかる。

 

様々な命と魂が織りなす織物に包まれているという実感が、生の実感の本質なのかもしれない。オランダで迎えた4度目の誕生日の朝、私はそうした生の実感を感じている。フローニンゲン:2019/10/21(月)07:11

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