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5045-5048:フローニンゲンからの便り 2019年10月16日(水)


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タイトル一覧

5045.【日本滞在記】実家を出発する日:今朝方の夢

5046.【日本滞在記】先輩との偶然の再会:寄せては返す波と人生

5047.【日本滞在記】成田に向かう車中で思うこと

5048.【日本滞在記】収縮拡散運動の真っ只中で:本当の作曲家

5045.【日本滞在記】実家を出発する日:今朝方の夢

時刻は午前7時を迎えた。今日の瀬戸内海もとても穏やかであり、朝日に照らされたその姿は美しい。神々しい朝日の光が部屋の中に差し込んでいる。

つい先ほど、父が作ってくれた野菜·果物ジュースを飲み終え、再び自室に戻ってきた。今日はいよいよ実家を出発する日である。

いつもは午前中に実家を出発し、いつも宿泊するホテル日航成田には夕方に到着するようにしていたのだが、今回は昼過ぎに実家を出発しようと思う。午前中は完全に実家でゆっくりと時間を過ごし、13時過ぎに実家を出発する。

最寄りの光駅から徳山駅まで列車に乗り、徳山駅から品川駅にかけて新幹線を利用し、そこから成田空港までは成田エキスプレスを利用する。新幹線も随分速くなったもので、徳山から品川までは4時間ほどで行けてしまう。私が幼少の頃はもっと時間がかかっていたように思う。

成田空港に到着したら、ホテル日航成田までは送迎バスが出ているのでそれに乗り、8時半か9時頃にホテルに到着するであろうから、ホテルに到着したらすぐに浴槽に浸ってリラックスし、そのまま就寝に向かうことになるだろう。そうすれば、明日の朝も今日と同じく4時時半か5時に起床できるだろう。

明日のフライトは午前中の便ではあるが、それほど早い時間ではないため、ホテルでリラックスし、準備が整ってから空港に向かう。そして、空港に到着してからはラウンジを利用して搭乗を待つ。本当にいつもと同じ流れだ。

しかしいつもと少しばかり違うとすれば、自分の心の持ち様や在り様にあると言えるかもしれない。繰り返しになるが、今回の一時帰国を通じて、自分がまた新たな変容を経験し、異なる自己として存在していることに気づくことができた。それは確かな変容であり、成熟に向けた確かな一歩であった。

穏やかな波の音、そして小鳥たちのさえずりが聞こえてくる。今日は平日なのだが、実家の周辺は本当に落ち着いている。普段私が暮らすフローニンゲンの街と同じぐらいの、いやそれ以上の落ち着きがここにある。

そうした落ち着きの中で、今朝方の夢を少し振り返りたい。夢の中で私は、京都の街を散策していた。

何人かの女性に同行する形で、一緒に京都の歴史的な建造物などを見て回っていた。それらの女性の大半は日本人であり、中に一人か二人ほど外国人がいたように思う。

時刻が昼時を迎えたので、私たちは京都の街のあるレストランに入った。本当は日本的な食堂に入った方が趣があったのかもしれないが、私以外の人たちはそのようなことを気にしておらず、レストランに颯爽と入っていった。

レストランの中に入ると、そこには開放的な空間が広がっていた。ちょうど空いているテーブルがあったのでそちらに向かってみると、隣のテーブル席に著名なピアニストの女性らしき人がいた。ところがその方に近寄ってみると、彼女は目が見えないことを知った。

何やら目を閉じたまま、聞こえてくる音に耳を澄ませ、その音楽を空想の世界の中のピアノで演奏するような仕草をし始めた。私はそれを見て、幾分打たれるものがあった。

ところがその方は、隣にいるもう少し若い男性に対して、幾分品のない言葉遣いをしており、その点が私を少々落胆させた。今朝方はそのような夢を見ていた。

それでは、今から早朝の作曲実践に取り掛かろう。山口県光市:2019/10/16(水)07:16

5046.【日本滞在記】先輩との偶然の再会:寄せては返す波と人生

一つの波がやって来て、それが去り、また一つの新たな波がやって来る。波は、やって来て、それが去らなければ次の波がやってこない。あるいは、来るからこそ去れる、去るからこそやって来る。

私たちの人生もそのようなものなのかもしれない。新たな一日もそうだ。思い出もまたそうだ。

今私は、東京に向けた新幹線の中にいる。3週間に及ぶ長い一時帰国もいよいよ終焉に向かっている。これは一つの終焉であることに間違いないが、それは新たな波なのだ。この点はもう繰り返す必要もないかもしれない。

寄せては返す波のような人生。自分の呼吸も血液も、瀬戸内海の波のように穏やかに寄せては返すを繰り返す。私は波だったのだ。自己は波だったのである。だから私は海に惹かれるのだ。

波としての自己。そして、自己としての波。

今乗車中の新幹線は品川に向かっている。実家から目と鼻の先にある光駅に早く到着し、そこで新幹線の切符を求めた。

窓口に行くと、係員の人が一人だけいて、私が窓口に近づくと、穏やかな声で挨拶をしてくれた。その声はどこか懐かしい声だった。

よくよく顔と名札をみると、中学校時代のバスケ部の先輩ではないか。

:「あれっ、XX先輩ですか?」

先輩:「あぁ、やっぱり加藤君か」

先輩は笑顔でそのように述べた。私はバスケ部時代、よく一学年上の練習に混ぜてもらっており、その先輩は当時から優しく、今もその優しさは変わっていなかった。

すぐに私は先輩だと分かったのだが、切符を受け取るまでは乗客を装い、切符の受け取りの際に先輩に改めて声をかけたのである。

光駅から成田空港第2ビルに行く人など滅多にいないためか、先輩は手元にある分厚い時刻表のようなものを開き、念のため最終駅の名前が正しいかを確認し、手際よく切符の手配をしてくれた。徳山駅に停まるのぞみを選び、徳山から品川までグリーン車を手配した。

先輩は気を利かせてくださり、エスカレーター近くの車両と席も出口にできるだけ近い場所を確保してくださった。

先輩:「それではお気をつけて」

:「先輩もお元気で」

そんなやり取りが窓口であった。光駅から徳山駅に向かう列車を待っている間中、どこか穏やかな幸福感の波に包まれていた。

新幹線は広島を出発し、岡山に向かっている。先輩に手配してもらった席に腰掛けながら、窓の外をぼんやりと眺めている。

次に日本に帰って来るのは一年後だろうか。本当に、本当にあと何回日本に帰ってこれるのだろうか。残りの人生を考えると、日本に帰る回数はもう限られていることに気づく。

日本に一時帰国することも波のようであるならば、この波が寄せては返すことを永遠に続けてほしいと願う。山口県光市:2019/10/16(水)14:29

5047.【日本滞在記】成田に向かう車中で思うこと

今、品川を出発した成田エキスプレスの中にいる。実家の光駅に勤務している中学校時代の先輩と偶然に遭遇し、先輩が新幹線にせよ、成田エキスプレスにせよ、出口や乗り換え口に近い席を確保してくれたことに感謝している。先輩の気遣いのおかげで、本当に快適な列車の旅が実現されている。

徳山から品川までの4時間ほどの列車の旅はあっという間であった。その間には、作曲実践に没頭し、読書に没頭していた。作曲に関しては、2曲ほど曲を作った。

今日は早朝の5時に起床し、そこから午後3時までの間に6曲作った。スーツケースの荷造りも本日の午前中に行ったことを考慮すると、意外と曲作りに没頭できていたのだと知る。何よりも、曲を作れるだけの十分な時間と精神的なゆとりがあったことを有り難く思わなければならない。

いよいよ作曲が日記の執筆と同様のものになりつつある。それを希求してから2年ほど経ち、それが実現されつつあることを嬉しく思う。もうそれは実現されたと現在完了形にしてしまってもいいかもしれない。これからは、自分がこの人生におけるある瞬間に感じた感覚や感動を、自由自在に曲の形にできるように精進していこう。

その実現に何年の時を要しても全く持って構わない。とにかくそれを実現させる。何にもましてそれを優先させる。そのような思いを持ち続けていれば、作曲が日記のごとき実践になったのと同じように、祈りに似たその願いは必ず成就するだろう。

実家のある山口県光市の長閑さと、東京の死骸化された光景のギャップが激しい。数時間前までは、私はまだ実家の最寄駅である光駅にいて、そのプラットフォームで正午の光を浴びながら秋風と海風に吹かれていた。トンビが大空を舞い、羽を大きく広げながら優雅に飛ぶ姿は見事であった。

電車に乗り、電車にカタコト揺られながら、新幹線の停車駅に着いたのは、まだほんの数時間前のことだったのだ。そこから数時間後、私は品川駅に降り立った。

交通機関が効率化され、移動がより快適になったのは喜ばしいことなのか、嘆かわしいことなのかわからない。数時間で長閑な世界から猥雑な世界に瞬間移動してしまったかのようだ。

このあたりの適応はもう慣れた。それもまた幸か不幸かわからない。

そうした適応能力を涵養することになったのは、私がこの物質効率化を推し進める現代社会に生きており、世界の様々な場所を移動しているからだろう。

それにしても、品川駅のプラットフォームに待つ人たちの死んだ目つきが気になる。成田エキスプレスが到着する反対側のプラットフォームに先に到着した列車の中を見ると、時刻は午後の6時頃であり、会社員たちの帰宅の時間と重なっていたためか、列車がかなり混雑している様子だった。

先日友人から聞いた話なのだが、満員電車に乗ることは、戦場の最前線に身を置くのと同じぐらいのストレスがかかるらしい。それは誇張でもなんでもなく、はたから見ていると、本当にそれはそうだと思うし、実際に過去に満員電車に乗ったことのある経験からもうなづける。

大都市に生きる人たちはなぜこうも、自らを痛めつけるのだろうか。精神的にも身体的にもなぜこうも自傷的なのだろうか。

自らの有限の生命を擦り減らす多くの人たちの姿がそこにあった。そうした光景を目の当たりにした時の自分の感情や感覚を的確に表す日本語は見当たらない。だがそれを曲の形にならできそうな気がする。成田空港第2ビルに向かう成田エキスプレスの中:2019/10/16(水)18:50

5048.【日本滞在記】収縮拡散運動の真っ只中で:本当の作曲家

この世界のどこにいても何をしていても、文章を書き、曲を作る。今回の日本一時帰国中にもそうしたあり方で日々を過ごしていた。それは決して強迫的なものではなく、とても自然なものであった。

何かを思いついてから筆を取るのではなく、筆を取れば自ずから思いが生じ、それが言葉の形になっていく。作曲においても全く同じだ。

多くの作曲家はもしかすると、何か表現したいものが先にあって、それが生まれてから曲を書き始めるのかもしれない。だが私は、何か表現したいものが先にあるというよりも、自然と作曲に向かわせる波のような運動に身を委ね、あるいは空を流れる気流のようなものに身を委ね、そうした運動ないしは力の恩恵を受けながら曲を作り始める。そうすると、自ずから音が自分の内側から生まれ始め、それが一つの曲になっていく。

このありふれた日常から美しいものを作っていこう。呼吸をするかのように、自らの呼吸のごとき曲を作っていこう。

その積み重ねが、いつか自分なりの生きた歴史、さらには自分独自の美の歴史を刻むものとなっていく。

日々が美であるということ。充実感と幸福感は美に収斂し、美は充実感と幸福感を同心円状に無限に拡散する。

その収縮拡散運動の真っ只中に私は絶えずいる。今日も明日もその中にいる。

人生の最後の瞬間までその中にいる。そうした収縮拡散運動の外に出て生きることはもはやない。

新幹線の中では作曲をするのに並行して、小説家の辻邦生と北杜夫の対談が収められた『若き日と文学と』という書籍を読んでいた。その中で辻先生は、「本当の<小説家>は<言葉>というものを、現実と同じだけの重さで考えうる人間だと思う」ということを述べていた。

それを受けて私は、本当の作曲家は音というものを、現実と同じだけの重さで考えられる人間なのかもしれないと思った。つまり、現実よりも音の方が先行して存在していて、人間としての現実は、実際には音が作っているというような認識がある人間が本当の作曲家なのかもしれない。

儚く消える音、そしてその儚さゆえに永遠なるものになりうる音を現実と同じだけの重さで捉えることができるだろうか。それは私が真剣に向き合いたい問いの一つである。

今日というありふれた現実世界の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、それらには固有の重みが確かにある。その重みをそっくりそのままに音の形にできているだろうか。

自らの人生に耐えうるだけの重さを持つ音を生み出したい。自分の人生は決して重厚でもなんでもないけれども、命という掛け替えのない重みを少なからず持つ一人の人間として、自分の生を取り巻く現実の重量感を曲の中に体現させたいと強く思う。

あと30分したら成田空港第2ビルに到着する。ホテル日航成田までの送迎バスが来るまで、ぼんやりと夜空を眺めよう。

今夜はどのような星が見え、どのような月が見えるだろうか。星や月の向こうに新たな自分が常にいる。成田空港第2ビルに向かう成田エキスプレスの中:2019/10/16(水)19:04

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