top of page

5026-5030:フローニンゲンからの便り 2019年10月10日(木)


お知らせ

・成人発達理論やインテグラル理論の観点を交えながら、楽しく一緒にボルダリングを体験するためのYoutubeチャンネル「ライフ・イズ・ボルダリング」を始めました!

・成人発達理論やインテグラル理論の観点を交えながら、楽しく一緒に音楽理論や作曲について学ぶためのYoutubeチャンネル「ライフ・イズ・ミュージックコンポジション」を始めました!

本日の6曲

本日の6曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

5026.【日本滞在記】良質な睡眠を支える枕と布団敷:今朝方の夢

5027.【日本滞在記】家族の支え合いと父のこだわり

5028.【日本滞在記】穏やかな平日の朝にくつろいで

5029.【日本滞在記】手料理に吹き込まれる生きた魂

5030.【日本滞在記】家族の関係性と絆の深まり

5026.【日本滞在記】良質な睡眠を支える枕と布団敷:今朝方の夢

今朝もまたいつもと同じように、午前4時半に起床した。日本に一時帰国してから今日に至るまで、ほとんどの日はこの時間に起床しており、実家に戻ってからは完全に同じ時間に起床することができている。

両親も基本的に一日一食(野菜と果物をジューサーで絞ったジュースを朝に、昼には果物程度を食べ、夜には野菜中心の食事を摂る)生活を送っており、それは私の食生活と瓜二つであるがゆえに、食生活を適応することに関しては何の心配もなかった。

オランダで私が摂取しているものよりも、両親が摂取しているものの方がさらにバランスが良いように思われるため、むしろこちらが学んでいるぐらいである。オランダに戻ったら、食生活に少しばかりテコ入れしようと思う。

それともう一つ、快眠を支えているものとして、良質な枕と布団敷きが挙げられると思った。実家で今私が寝ている枕と布団敷は大変優れており、毎日本当に深くて質の良い睡眠がもたらされている。それに感謝の念を持ち、枕と布団敷に何を使っているのかを改めて両親に聞いてみた。

以前実家に帰省した時にも話を聞いていたように思うのだが、今回の帰省において改めて枕と布団敷の効果が際立ったものだと感じたので質問した次第である。枕に関してはテンピュールのものを使っており、布団敷に関してはトゥルー·スリーパーのものを使っているとのことであった。

以前から、ベッドや枕に関しても、良質な睡眠をもたらしてくれるものを購入しようと思っていたのだが、今のところそれを実現させていなかった。確かに枕だけはそれなりのものをこれまで使ってきたが、オランダですでに三年間使ってきた枕は買い替えの時期に迫っていると思う。

来年あたりにオランダ国内で引っ越しを考えているため、布団敷の購入は引っ越し後にした方がいいかもしれない。とりあえず、枕のみオランダに戻り次第すぐに購入しようと思う。

食事の質と量、日中の軽い運動、さらには就寝前にどのように過ごすかが睡眠の質に影響を与えるのみならず、実際に就寝してから使う枕と布団敷によって随分と睡眠の質が変わる。今回の帰省はそうしたことを教えてくれた。

今日の瀬戸内海はとても穏やかだ。早朝5時半の今、辺りは真っ暗闇であり、ぼんやりと街頭の明かりが見えるぐらいだ。大都市とは異なり、ここでは必要最低限の明かりしか点っていない。それに対して好感を持つ。

暗さを脚色することなく、真に暗さを味わうこと。闇の深さを正面から感じること。それは本当に大切なことである。

瀬戸内海の波の音に耳を傾けながら、今朝方の夢について思い出している。夢の中で私は、小中学校時代に一番背の高かった友人(YK)と、同い年ぐらいの三人の外国人女性と一緒にボルダリングを楽しんでいた。

友人の彼はリーチが長く、それを活かして壁を登ろうとしているのだが、それがなかなかうまくいかない。彼にお願いをされて、ちょっと私が手本を示してみた。

手本と言っても、もっとうまい登り方があるのは承知であったが、自分なりに納得のいく登り方を見せた。すると彼は驚きと喜びの混じった表情を浮かべており、彼の横にいた三人の女性たちも私に教えを求めてきた。

そこからは、三人のそれぞれの身体の特性を考慮した壁の登り方を教えた。そのような夢を今朝方見ていた。

昨日ボルダリングをしたことが影響してこのような夢を見たのであろうか。この夢については、もう少しぼんやりと考えを巡らせたい。山口県光市:2019/10/10(木)05:30

5027.【日本滞在記】家族の支え合いと父のこだわり

時刻は午前5時半を迎えた。作家、写真家、イラストレーター、料理人、釣り人の父が、毎朝の習慣である海の様子のチェックから帰ってきた。うちの家族は私も含めて午前4時過ぎには目覚めており、先ほど父は近くの海に行き、海の様子を確認するために出かけていた。

父は今、やりたいことがたくさんあるようであり、実際にいくつかのことには着手し始めている。釣りに関しては、これまで少しそれを温存していていたようだが、これから釣りに最適な秋の季節となるために、近々また釣りに出かけていくそうだ。

新しいボートを購入する予定とのことであり、文章執筆に関してもやりたいことがある父の姿を見ていると、どこかヘミングウェイを思い出す。ボートに乗って、穏やかな瀬戸内海の上で父は何を見て、何を感じ、どのような文章をこれから書いていくのだろうか。想像するだけで、今からそれが楽しみだ。

海の様子をチェックすることから帰ってきた父は、早速母と私のために、新鮮な野菜と果物を使った酵素ジュースを作ることに着手し始めてくれた。今、野菜や果物を切る音がキッチンの方から聞こえてくる。

外はまだ闇に包まれているが、キッチンの方から聞こえてくる音は、どこか黄色やオレンジ色に知覚される感覚質を持っている。そこには楽しさや喜びの感覚が内包されており、それが音として飛び出してきているのだ。

音は本当に面白い。音色に内包された感覚質の豊かさには改めて感銘を受ける。

父は昨年退職をし、これまで家族を支えてくれた母が少しでも楽になるように、そして母がピアノの演奏に集中できるように、基本的に料理は母ではなく父が行うことになっているそうだ。二人の助け合いの精神を見ていると、私も家族を持った際に自分がどのような役割を担っていくかについて考えさせられる。

買い物に関しても父が担っているようであり、今日は父についていく形で隣町のスーパーに行く。そこで一緒にコーヒー豆を選び、それに合わせて私は自分が食べたい果物を選ぶ予定になっている。

オランダにいる時は、空港のラウンジとかかりつけの美容師のメルヴィンの店で出されるエスプレッソ以外はコーヒーを飲まないのだが、日本に一時帰国しているときは、朝や午後の早い時間帯にコーヒーを少々飲むことがある。

実家では、これまでネスプレッソを使っており、確かにネスプレッソで入れるコーヒーも旨いことは確かだが、ドロップ式の方がさらに香りが引き立ち、味もより一層美味しくなる。父が作ってくれるコーヒーが美味しいと述べていたところ、それでは豆を挽いてコーヒーを作ろうかということになり、豆挽きを購入し、今日はコーヒー豆を選びに行くことになった。

豆を挽くことに関しても父にはこだわりがあり、機械に頼ることなく、自分の手で豆を挽くとのことである。つまり、購入した豆挽きは機械ではなく、すり鉢のようなものなのだ。

コーヒー豆を挽いている時に立つ香りを想像すると、それだけで至福感が湧き出てくる。その香り、そして父が手で挽いたコーヒーの味を忘れることはないだろう。

機械化と効率化が異常なほどに進むこの社会の中にあって、両親の生き方やあり方から愛ばされることは本当に多い。

今、ジューサーが適度な響きを持つ音を上げ始めた。父が作る酵素ジュースがもうじき完成する。その一杯を待つ楽しみが今ここにあり、その一杯を飲む楽しみがもうすぐそこにある。山口県光市:2019/10/10(木)06:02

5028.【日本滞在記】穏やかな平日の朝にくつろいで

時刻は午前8時半を迎えた。時間という存在の姿が見えないほどに、ゆったりとしたリズムの波に揺られながら日々が進行していく。とりわけ実家に帰ってきてからそのように思う。

昨年に父は退職し、父も母も自分のやりたいことに邁進しながら日々を過ごしている姿を見れて何よりである。二人の表情を見ているだけで、二人が充実した日々を送っていることがわかる。

今日は平日の木曜日なのだが、実家のある光市はそれを感じさせないほどに穏やかである。私がこの街を愛しているのは、機械化され、効率化されてしまった都市が忘れてしまったものがこの街にあるからだろう。そしてそれは、人間性の涵養において本来なくてはならないものだと思う。

山口県もすっかり秋めいてきており、朝晩はとても涼しい。今日は少しばかり気温が上がるようだが、日中においても汗をかくようなことはもはやなく、日本の素晴らしき秋の様相を呈し始めている。

今、部屋の窓を開けていて、瀬戸内海の波の音と小鳥たちの鳴き声を聞いている。もう一時間ほどしたら、父と近くの大きなショッピングモールに行って、そこのコーヒー専門店に足を運び、コーヒー豆を一緒に選ぶ。

買い物に出かけるまでもう少し時間があるので、これからバルコニーに向かい、そこでスタンディングデスクを使い、穏やかな瀬戸内海を一望しながら読書でもしようかと思う。実家は本当に、平穏かつ落ち着いた生活をする上で最高の場所であり、自らの創作活動に打ち込む最良の場所になっている。

海もあり、山もあり、その他に何か望むものがあるだろうか。私にはそれは見当たらない。

今日もまた、ゆっくりと自分の取り組みに従事し、それを緩やかに深めていく。瀬戸内海の進行に範を求めて行こう。山口県光市:2019/10/10(木)08:39

5029.【日本滞在記】手料理に吹き込まれる生きた魂

時刻は午後の6時半を迎えた。ちょうど今しがた夕食を摂り終えた。

今夜の夕食の父の手料理もまた美味であった。5時半前からゆっくりと夕食を摂り始め、家族三人で会話を楽しみながらご飯を共にする幸せの中に私はいた。

今からは、夕食後の一杯として、父が抹茶を入れてくれる。退職後、母に代わって夕食を毎日作っている父の姿を見ていると、私もいつか家族のために料理を作りたいという思いが自ずから湧いてくる。

そういえば今日は、午後にカリタ(Kalita)のコーヒーミルが到着し、それを使って豆を挽いてコーヒーを作った。午前中に父と一緒にショッピングモールに行き、そこで父と話をしながら選んだコーヒー豆を使って入れたコーヒーはとても美味しかった。

インスタントやネスプレッソにはない味と香りがそこにあり、何よりも自分の手で豆を挽くという行為によって、作り手の気(あるいは生命エネルギー)のようなものがコーヒーに込められ、それが味に現れることを強く実感した。

機械によって標準化されたものを購入し、それを食べたり飲んだりするのは確かに楽なのだが、そこには大切なものがやはり欠落しているのだと思う。絶えず変化し続けている人間が作るからこそ、そこには味の微細な変化がある。言い換えると、味というものも生き物なのだと思う。

料理というのは生命なのであり、手作りによってその生命には魂が吹き込まれる。実家に戻ってきてから父の手料理を毎晩食べているが、それが絶えず美味なのは、そこに生命が躍動しているからなのだと思う。

この時間帯になると、辺りはすっかり暗くなっている。想像するに、オランダもすでにこの時間帯は暗くなっているのではないかと思う。

夕暮れに近づく瀬戸内海を眺めながらくつろぎ、引き立つコーヒーのアロマに身を包まれながらコーヒーを飲んでいた時間を思い出す。瀬戸内海の風から運ばれてくる海の香りとコーヒー豆を挽いた香りが調和し、瀬戸内海の穏やかな風景を眺めながら飲むコーヒーは格別であった。

明日は午前中にも一杯コーヒーを飲もうという話を両親とした。明日もまたコーヒー豆を手で挽いて、朝の平穏な瀬戸内海を眺めながら飲むコーヒーもまた至福さを届けてくれるだろう。

今日もまた充実感と幸福感に満ちた一日であった。山口県光市:2019/10/10(木)18:39

5030.【日本滞在記】家族の関係性と絆の深まり

今、夕食後に父が入れてくれた抹茶を家族三人で飲み終えた。抹茶そのものの完成は一時間以上も前であり、夕食時も随分と家族で話をしていたのだが、抹茶を飲みながらも話に花が咲き、自分の部屋に戻ってくる時には午後の8時を迎えていた。

今日はまだメールを確認しておらず、これから少し確認をし、返信が必要そうなものに少々返信しようと思う。

今回日本に一時帰国した際に感じたことの中で最も大きなものは、日本という国を受け止める自己のあり方がこれまでとは全くもって変わったことであった。日本という存在の受け止め方、および日本で呼吸することの仕方がまるっきり変わったと言える。それによって、日本から得られる感覚や考えというものも過去7年間のものとは想像もつかないほどに変わった。

どのようなものからどのようなものに変化したのかについては、具体的にここに書くことはしない。それは非常に主観的な感覚であるし、何よりもこれまでの日記の中で具体的すぎるほどにそれを書いているとも言えるからである。

そうした変化が起こるまでに7年間ほど欧米で生活をする必要があった。私の場合は、8年目に「それ」が起こった。

そうした大きな変化、そして確かな変化を実感したのが今回の一時帰国であった。それに加えて、今回若干ながら予想(かつ期待)をしていたのは、家族の関係性におけるダイナミズムの変化が起こることである。

それが本当に起きた。今回の一時帰国で一番嬉しい変化はそれだと言えるかもしれない。

その大きなきっかけは、実家に戻っての初日の夕食の時に行った5時間におよぶ家族同士での対話を挙げることができるだろう。またそこから今日に至るまでも家族の中でちょっとした対話や、夕食時には必ずゆったりとした時間の中で対話を積み重ねてきた。

確かにこれまでの一時帰国においても対話を重ねてきたし、昔から家族の中で会話は多く行なってきたのだが、それらの積み重ねが家族の関係性に大きな変容をもたらし、家族の絆が一段深まったように思えたのである。先ほど抹茶を飲みながらゆっくりと話をしていた時にもそれを感じたし、そこでの対話もまたさらなる関係性の深化に寄与するものになったはずである。

明日の夕食、そして夕食後に抹茶を飲みながらゆっくりとした対話を楽しみたい。そのようなことを思わせてくれるとても有意義かつ幸せな時間が毎日押し寄せる。

寄せては返す波の存在を当たり前だと捉えるのではなく、その存在そのものが奇跡であるということ、そしてその奇跡を今この瞬間に目撃していることもまた奇跡であることをしっかりと受け止めたい。

二重の意味での奇跡が、今自分の家族の中に起こっているということ。それに対して感謝の念を持たない者がこの世にいるだろうか。山口県光市:2019/10/10(木)20:29

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page